水竜クーと虹のかけら

第一部・01−6 「この想いは水泡と消えて」
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 それから5日が過ぎた───。

 当然のように何事も無く、おだやかながら、すこぶるうるさい林の中で、夏の日差しを受けたクーと子供達は今日も存分に遊びまわっていた。(あの手紙でなんとか誤魔化ごまかせたのでミンチにならずに済んだ)

 今ハマっているのは木登りで、そこら中にある木でも、一番でかくてのぼやすい大木にクーとルイサの2人が足を掛けている。一番幼いリックはまだ登れないものの、クーの元に毎日毎日、山のように届けられる”自称・改心したクマ”よりの果物に夢中で、さきほどから一生懸命に頬張ほおばり、満面のみを浮かべている。

「クーちゃん、早いよぉ〜!」
「おお〜、すげーながめですよ。広いですよ! ルイサも早く来るです。遠くの方まで見えるですよ。」
 さすがに竜の子。身体能力なら誰にも負けないクーは、いち早く頂上へと到達し、わずかながらの高さで、世界の広さを実感していた。

 たった数メールの高さから見下ろしているだけの世界ではあったが、それだけでも多くの木々の先が見える。本当に、本当にどこまでも広い。それは幼いクーの心に忘れられない光景となってきざみ込まれていく。


 …そんな中で、クーは小さな人影を見つけた。いつもクーと競っている快活な男の子、ロイがこちらへと向かって走って来ている。家の手伝いがあるから、と遅れてくる予定になっていたのだ。

「ルイサ、ちょっとストップです。ロイが来たですよ。」
「え〜、せっかくここまで登ったのにー。」
 クーに追いつこうと中間で奮戦ふんせんしていたルイサは、最初だけぶぅたれていたものの、やっぱり一度下に下りる事にした。ロイも含めて別のもう少し難易度なんいどの高い木に登ろうと思っていたし、弟リックを放置したままというのも気が引けたからだ。

 ちょうどクーが地面へとり立った時、ロイが到着とうちゃくした。なにかをしゃべりたいらしいのはよくわかったが、よほど全力で駆けて来たのか、息を切らせたままで、ぜえぜえと荒く息づいている。

「はぁ…はぁ……クーちゃん、ルイサ! はぁはぁ……僕ね、ゴホゴホッ! すごい……事……! 大人達のね…! えーと…。」
 なにやら少し興奮こうふんした様子のリックは、嬉しくて我慢がまんできないとばかりに口を開くものの、息切れと興奮でまったく内容がわからず、クーとルイサは首をひねる。

 とりあえず…、木の根元に置きっぱなしになっていたペンコを胸に抱いたクーは、まあ落ちつけ、とばかりに水気の多い果実をロイに渡した。

「ありがと〜…しゃくしゃく……。あ、冷えてて美味しい!」
「おう! それ、川にひたしておいたやつですよ!」
 これはルイサに教わった知恵で、川の一部に岩でかこいを作り、果実をしずめておく。…こうする事で常に冷えたままで、しかも保存もくので一石二鳥なんだそうだ。これにはクーだけでなく、実はひそかに私も感動していた。
 だが、それと共に、川のふちは果実の保存場と化し、毎日大量に届く果実によって、前後10メールもの距離が埋まりそうになってもいた。きっと果実の総数は300を越えている。…親バカもここまで来るとハタ迷惑である。

 唯一ゆいいつの救いは、クーが不信感を抱いていない事だろうか。本気で改心かいしんしたクマからのプレゼントだと思っているようだ。まったく不審ふしんに思っていないのは、…たぶん、クーは性格的にも細かいことは気にしない性質なのが理由だろう……。
 私的には確かに好都合こうつごうではあるのだが、どう考えても異常いじょうな数が届いているのだから、少しくらいのうたがいをもってもいいような気もしないでもない。まったく、ノンキなヤツだ。


「ねぇロイ、どうしたのー? そんなにあわてて。」
 ルイサの問いに、果実に夢中になりかけていたロイが、思い出したように声を上げた。

「あっ! そうそう! 大人達が話してるの聞いちゃったんだよ!」
「何がです??」

「山の中で見たことのない建物が出てきたって! しかも、その壁は全部、銀で出来てたっていうの!」
「銀の建物…ですか?」
 なにそれ?と、いう顔で首をかしげるクーに、ルイサもそれに合わせる様にする。

「いつもイノシシを狩ってくる猟師のロダーさんが見つけたそうなんだけど……。ルイサは知ってるよね、この前のがけくずれ。」
「あ、うん。それは知ってるわ。滝の方にある場所が崩れたって所でしょ?」

「そこがまた崩れたらしくてさ。…そしたら、そこに銀色の建物が出てきたって。明日、うちの父さんやルイサんとこのビラス叔父おじさん達がみんなで調べに行くって言ってた!」
「むむ……。ガクジュツテキですよ…。」
 よくわかっていないのに、わかったような相槌あいづちを打つクー。しかし胸に抱かれたままの私は、その銀の建物、というものに奇妙きみょう違和感いわかんを感じていた。ルイサ達の生活を耳で聞く限り、建築技術や文明度はかなり原始的だ。鉄ですら融通ゆうずうが利かないはず。
 出土したという銀色の建築物。…その心当たりがあるとすれば、それは旧文明の遺物いぶつである可能性が高い。どんな施設しせつであるのか、もしかしれば姉達に関わる情報が手に入るやもしれない。

「でさ! 僕思ったんだけど、今からみんなで行ってみない?」
「あ、面白そうね! 明日になったらお父さん達が行くから、私達入れてもらえないもんね。」

「おお〜! 行くですか!? なんだか知らないですけど面白そうですよー。」
 動く事のできない私にとって、子供達の好奇心はありがたかった。どうやら、彼らはその建築物に興味きょうみを持っているらしい。これは何にもまさるチャンスである。

「ガクジュツテキ冒険です! リックも行くですよ!」
 初めての冒険がうれしくてたまらないクーは、未だ果実を食べている年下の子リックの方へとかがやひとみを向けるが……、彼は口に果実を加えたまま、よだれらして満足そうに眠っていた。
















「きらめくー みなーもーに 風がーふきつけー♪」

「水が 流ーれていーく、たいよお〜の〜した〜♪」

「深く、深ぁくー 蒼い、そのせかいー♪」

「うたーうよ、歌おうよ いのちの限りー♪」

 ……クーの歌が森の中に響き渡る。どうやらクーは歌う事は好きな方らしく、しかも案外あんがい上手い。お世辞せじではなく、間違いなくド音痴おんちな私より上手い。きっと、一人で長い時間をつぶすうちに自然と歌っていたのだろう。シロウトらしからぬ美声である。

「おーさーかな 食べたーいよ お腹〜いいぱい〜♪」

「マグロ〜 イワ〜シー イカに〜 おくとぱ〜す〜♪」

「たくさーんの〜 おさーかな これーでもかぁぁって 食べ〜る〜ですよー♪」

 …途中から歌詞がみょうなのは気にせいだろうか?
まあ、子供達は気にしてもいないようだからかまわないが…。どう考えてもアドリブである。


 薪小屋からおよそ20分ほどが経過した……。
 湖に流れ込む川をさかのぼるように上流へと歩いていく4人。また危険な動物におそわれるという心配が少しはあったが、それもクーがいれば問題ない。どんな相手でもやっつけてくれるクーは、頼りになる存在である。
 しかも、どこぞでひろった木の棒を振り上げ、軽快にサカナソングを口ずさむクーに付き合う形で、他の3人も上機嫌で歌っている。その歌声は森をおおいつくさんとわめくセミの合唱を突き抜け森を包む。 森そのものが、この、ささやかな冒険に心おどらせているようでもある。

 さいわいな事に、脅威きょういとなる動物は現れず、たまに顔をのぞかせる小動物や、まったく気にしない植物がいつも通りに過ごしているだけで、道程どうていいたって順調である。ロイの説明からすれば、まもなく到着するだろう。

 それに釣られたわけではないのだが……、私もいささか気分は高揚こうようしていた。なんせ復活後、初めての手がかりになるやもしれないのだ。上手うまくいけば、姉や妹に直結する情報が手に入る可能性も捨てきれない。何も発見できなくとも、旧世界においての位置確認など些細ささいな事をつかむ事だってできるはずだ。

 甘い考えであるのは承知していたが、それでも期待せずにはいられなかった。


 ほどなく、水の流れる音が強くなり、木々におおわれた天井から、唐突とうとつに目の前が開けて広がっていた。ここが川の始り。水源だ。
 そこには小さいが確かに滝と滝壺たきつぼがあり、透明の水がさらさらと、それでいて力強く流れている。太陽に照らされた水は鏡の様に光を放ち、水面には周囲を取り巻く木々がうつし出されている。クー達が遊んでいる場所にも川は流れているが、滝壷という水源の美しさは、それとはまた違ったおもむきがある。

 ───そして、その自然の調和に埋もれるようにして、風景には不釣合いなにぶい銀色を放つ建物が、くずれた岩壁よりき出しになっていた。ランバルトから見たそれは、確かに旧世界の建築物であると確信できる。

「(やはり……、そうか…。なつかしい、と言うべきなのだろうな…。)」
 見たこともないそれに目を丸くする子供達。そしてランバルト自身もそれを注視ちゅうししている。自らがほろぼした世界の遺物。それに感慨かんがいなどないはずだというのに、見慣れたものを目にして、どこかホッとした気分でもあった。子供達とはおどろくべき部分は違うものの、同様に期待感をふくらませている。


 子供達が近づくと、入口はすぐにわかる位置にあった。横スライド式の自動扉は開いたままになっており、長い間、土にもれていたせいか、どろまみれている。明りも問題無い。旧文明では壁材質に恒久こうきゅう発光性物質がふくまれているせいで、熱量をともなわない充分じゅうぶんな光量を獲得かくとくしていた。 クー達が中を見渡せば、外と同じようにおくまでが見渡せる。これなら内部の探索たんさくに支障はないだろう。

「すごい…、こんなの見たことないわ……。」
「外でもないのに…なんで明るいんだろうね…?」
 ルイサとロイが目を丸くして、入口から中をのぞきこむ。クーとリックは言葉も出ず、ただ感心するばかり。特にクーからすれば、ここ数日の間にまったくちがう文明をの当たりにしたのだから、多少の混乱こんらんがあるのかもしれない。しかし、それでも未知のものを目にする事には興味きょうみが強いようである。短い尻尾しっぽがせわしなくフルフルと振られているのを見れば、かなりうれしいであろう事は一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

 クーとは対照的に、気性きしょうの大人しいリックには少しこわかったのか、姉の服をつかんで不安そうにしている。

「リック、お姉ちゃんと手をつなごう。そしたら怖くないからね。」
 ルイサは姉らしく、弟を気遣きづかって手をつなぐ。このあたたかな姉弟愛は、私達、姉妹に通ずるものがあり好感が持てる。この娘は思いやりがあって本当にいい子だ。

「よし、探検たんけんしよう! 僕が先頭になる。クーちゃんはその後ね。」
「おう! おっけいですよ! 楽しみです〜。」
 こういう時にはやはり男の子だ。ロイが木の棒を振り上げ、先頭に立つ。冒険という魅惑みわくは少年に勇気とリーダーシップを与えているようだ。いつもは年長のルイサがまとめているのに、不思議ふしぎなものである。

 ロイを先頭にクー、そしてルイサとリックが続いて建物の中へと歩みを進めていく。私は正面を向いて抱きしめられているため、前を見る事ができたのはさいわいだった。クーはたまにペンコを逆向きで抱く事があるので、今回は周囲しゅういを見渡す事ができそうだ。

 外界からのとびらをくぐり歩くと、あまりにも広く、かなり高い天井の場所だった。どうやら、大型施設しせつの玄関ホールといったところらしい。
 中は、外側の入口からは想像もつかないほど巨大で、天井の高さは目算で20メール。水竜神殿と同じ程度ていどである。いわゆる吹き抜け、という作りであり、停止した自動式昇降歩道、…通称エスカレータが壁際にえられていた。当然、停止している。
 もちろん、クー達はそれを知るわけがないので、手近なエスカレータを階段のように登っていくのみだ。

 静寂せいじゃくつつむ中、金属板を登っていく子供達の足音がカンカンと不揃ふぞろいの和音をかなでている。4人は初めて見る光景に心奪こころうばわれたようにしながら、セミの声すらとどかない静寂の中で、歩みを進めていく……。


『………ポー、ポポーポー…………。』
 ちょうど1階分の階段をのぼりきった時、そこには子供達と同じ程度の背丈の、白い円筒形えんとうけいの物体が待っていた。それは言葉を発するように機械音を鳴らす金属製のつつだ。
 まるで子供達という来客を出迎でむかえるように、頭部にあたるであろう上部に設置された豆のように小さい発光体を、不規則に明滅めいめつさせた。……その光が意思を持つかのように、電子音に合わせて輝くのだ。

「な、なんだろう……?」
 先頭のロイは、こしが引けながらもその白いつつへと木の棒をかまえて言った。しかしそれからは敵意はなく、その場で何度もおどるようにクルクルとまわり、こちらへコンタクトを取っているようにも見える。

「なんか、……来いって言ってるように見えるですよ。」
「私も…そんな気がする……。」
 クーのつぶやきに相槌あいづちを打つように、ルイサが同意した。特に何かをしてくるわけではなく、何かをうったえかけている奇妙きみょうな筒。子供達にも危険がなさそうだ、という事がわかったせいか、警戒心けいかいしんうすれているようである。

 冒険が目的とはいえ、あまりにも広いこの建物に少なからず戸惑とまどっていた子供達は、その危険がなさそうなつつに付いていく事にした。それを理解りかいしたらしい白い筒は、うれしさを表現するかのように、その場で何度も回って見せる。


 確かにこれには危険はない。……ランバルトには、それが旧文明での自律式清掃じりつしきせいそうロボットである事が一目でわかっていた。
 清掃業務せいそうぎょうむが基本であって、戦闘能力は皆無かいむだ。これ自体に危険がない事は承知しょうちしているのだが、気に掛かるのは…、こいつの奇妙な行動だ。

 こいつは、何を目的で動いているのだろう? 自分が知っている清掃メカは案内をする機能など装備されていなかったように思う。少なくとも、自分が居た施設しせつではそうだった。
 だが、それは一般的な自分の知る範囲はんいでの知識でしかない。そういう機能を持ったカスタム機が存在していえもおかしくはないのかもしれない。

 しかし……、だとしたら何処どこへ連れていこうというのか?

 心の何処どこかで、うっすらとした不安が持ち上がった。それが何であるかはわからない。しかし、漠然ばくぜんとした警戒心けいかいしんが生まれている。

 さりとて、ここを調べなければ何も前には進まないのも事実。解決かいけつの糸口はここにしかないのだ。だからこそ、ランバルトはそうした気持ちを押さえこんで、クー達がおくへとみちびかれていくのをもくしたまま見つめていた。



 また、もう一つ気になっている事がある。



 今は気配をっているが……、自分達の後方にもう一つ何かがいる。何者かはわからないが、確かに誰かがこちらを監視かんししている。


 だが、ランバルトはこれについては考えない事にした。
 ある程度ていどの想像はつくからだ。





 ……通路はまだ先へと延びている。
 白い円筒形清掃ロボットは、子供達を引き連れたまま、奥へ奥へと進んで行く…。ランバルトは、この先に感じた不安が、さらに強くなっていくのを説明できないまま見守っていた。
















「………なん…です…、……ここ…………。」

 クーの、誰にともないつぶやきが静謐せいひつな空気の満たされた部屋にひびいた。

 白い円筒ロボに連れられるまま、やって来たそこは、これまでとは違う大型の実験室のような大部屋で、様々な電子機器が並べられていた。そして入口近くにある無数の机には、ち果てた書類が乗っている。とてつもなく長い間そこに置かれていたらしく、ロイがそれにれた途端とたん、ボロボロにくずれてしまった…。きっと、この施設自体が、文明崩壊時ほうかいじよりここで眠っていたという証拠しょうこなのだろう。

 さらに奥に進むと、玄関ホールとにたような広大な面積めんせきの空間が広がっていた。入口より、まず目に付くのは、数にして20程の……大型の水槽すいそうだ。それらは縦3メール横幅2メール程という途方とほうもなく巨大な……特殊ガラス製の筒である。中には何か、水のような…、溶液ようえきのようなものが入っているようなのだが、中が見えないようにされていた。
 書類と同様に、かなりちている印象はあるが、れていたり、こわれているようには見えない。

 そんな不可思議な場所を呆気あっけに取られたように見渡す子供達は、白い円筒形にみちびかれるままに、その中央通路を歩いて行く。

 ロイをはじめ、クーもルイサも、両側のガラス水槽の巨大さに圧倒あっとうされたらしく、少しばかり怖気おじけていた。そしてリックにいたっては、姉の手をぎゅっとにぎり、目を閉じてさえいた。それも当前だろう。見たこともないなぞ施設しせつ、そして奇妙きみょう水槽すいそう。人は未知の物に不安を抱く。それが幼い子供達ならなおさらだ。

 それでも歩みを止めないのは、好奇心がまさるゆえか。

 そんな子供達の中で、私は……この光景を目にし、いつしかふるえていた。私はこれを知っていたのだ。はるか遠いあの日、網膜もうまくうらに焼きつくほどに、これと同じような機器を目にしていた日々があった。

 だが、思い出せない。

 長く封印されていたからなのか、力が戻っていないせいなのか…、理由は判らないが、記憶が曖昧あいまいで思い出せないのだ。何か大切な事を忘れているような気がするというのに、それが何なのかが思い出せないのである。
 心の奥底で警鐘けいしょうのようなものが鳴りはじめ、それは強くなっている。理由のない危機感が、私にここかられ、とめたてている。理由を思い出せないままで、危険だけが近づいている、と私自身がさけんでいるのだ。
 …だが、私の目的は他の魔神と接触せっしょくし、姉達の情報を得る事。これは絶好ぜっこうのチャンスなのである。そうした予兆的よちょうてきな感覚を持ったとしても、自身の正体をバラしてまで、クー達を止めるほどの理由にはなり得ない。後戻りしていては事態じたい進展しんてんなどのぞめないのだ。


 そのように葛藤かっとうする私などおかまいなく、白い円筒ロボは、目的地らしいその場所で停止ていしした。そこはホールの一番奥である。他とは違う特別製の機械、そして台座だいざがあり、その中心には周囲の水槽すいそうよりも各段に小さい、子供の頭ほどの大きさの水槽があった。これも中身がよく見えないのだが、溶液ようえきたされており、何かが入っているようである。

『ポー……ポーポポ……ポポポー……』
 停止した白い円筒ロボは、ここが目的地だと言わんばかりにその場で回転を続ける。こいつは、この小さい水槽へと導きたかったらしい。この水槽に何があるというのか?

 子供達が目の前に到着すると、……それはにわかに、あわい緑色の光を放ちはじめた!
 まるで見る角度によって様々さまざまいろどられる極上の宝石。この世界で並ぶモノのない、至上のかがやきを持っているかのように発光する小さな水槽すいそう

 この世のものとも思えない神々こうごうしいきらめきは、子供達に宿やどる恐怖心を、興味へと変えていった。

 子供達には、これが物語に登場する熟練じゅくれんの冒険家が、洞窟の奥底おくそこで宝物を見つけた場面であるかのように感じていたのである。誰も辿たどりついた事のない、不思議な場所への冒険をて、自分達もそれを見つけたのだと思ったのだ。



 台座に置かれた水槽は、宝石のように輝いていているが、よく見ると台座に下部分に小さなボタンが付いているのを見つけた。上部の輝きばかりに目を奪われていたが、そのボタンは赤い光が、弱々しく点灯てんとうしている。私に続き、子供達もすぐに発見し、言葉少なくそれに視線しせんそそいだ。

「ねえ、これ…、ここを押すのかな?」
 少しばかり興奮こうふんしたロイが、最初に切り出した。すぐにでも押してみたいようだが、先ほどの怖さが残っているらしく、仲間の同意が欲しいようだ。

「う、うん…。私も押してみてもいいと思うな。」
「クーもOKです。」
 美しい緑の宝石が放つ閃光せんこう見惚みほれていたルイサ。そして後ろへと回りこんで、どうして光っているのか不思議だと頭をなやませているクーが返事をした。いまだに恐れているリックも、姉の後ろでふるえながら、それを見ていた。

「じゃ、じゃあ……押すね……。」
 おかっかなビックリ、震える指先でそのボタンを押そうとするロイ。しかしまだ怖いのか、なかなかすぐには押せないでいる。
 ルイサも、クーも息を呑んでそれを見守る。押せば何かが起こる。そういう確信めいたものがあり、それに身構えるように、そして期待を向けた瞳で、みながボタンへと伸びるロイの指を見つめる……。



 ピ──────、



 ロイがボタンを押すと同時に、小さな電子音だけが鳴ったが、それ以上は何も起こらない。輝きをたもったまま、そして周囲の何一つもが変わらない。

「あや…、何も起こらないですよ。」
「あ〜、ドキドキした! 何にも起こらないね!」
 クーが少し残念そうに、ルイサやロイが安堵あんどで気を抜いた………、その刹那せつな



 その水槽がいきなり割れて、何かがい出てくる!

 それは、細く、長いヘビのような赤茶色をした生物だった。よく見れば、その先端せんたんにはいくつものするどきばが生えており、溶液でれている姿は、まるで人の内臓ないぞうそのものであるかのような不気味さを持っている!


「わあああ!!!」
 姉の後ろにかくれていたリックが悲鳴を上げ、そしてロイとルイサはおどろきと恐怖で後ずさる。しかし、クーはロイにペンコ(私)をあずけると、皆を守るように前に出た。おそってきたらゆるさない、とばかりに両手を広げて友達を守る。

 だが、奇妙きみょうな生物は、クー達の想像をはるかに超えた行動に出た! ゆっくりと動いたかと思うと、突然とつぜんの加速! すさまじいスピードでゆかへと逃げていく! しかも、壁と同じ銀色の床、金属らしきそこに牙で強引に穴をあけ、もぐったではないか!

「に、に、逃げた……の?」
 恐怖を浮かべたルイサが、恐る恐るクーへと聞いた。しかし、クーにはそうは思えない。いや、クーにはわかるのだ。敵が発する悪意というものが。
 それは竜の本能が持つ、悪意を察知さっちする能力に他ならない。相対あいたいした者が敵であるかいなか、それを瞬時しゅんじに判断できるのだ。バオスクーレがヌイグルミ姿であるはずのランバルトを察知したように。

「まだ、周りにいるです。ルイサ達は動いちゃダメですよ。」
 いつになく真剣なクーの指示に緊張きんちょうが走る。クーは確かにその悪意を感じていた。それが何かを狙っているのだ、という事もわかってしまう。だが、何をするかまでは予測よそくできない……。



 次の瞬間! クーの足元から、金属の床を突き破って、あの蛇のような化け物が飛び出した!! そのまま、クーの左足へと! ももへと食いついてきた!! そこは竜の紋様もんようがある場所だ!!

「痛っ!!」
「ギィィィィィィィーーー!!!」

 食いつかれた! クーがそう思って飛びのいた時、化け蛇は悲鳴のようなものを上げて、勝手に離れた! …そして、床に落ちて身をもだえるように、のた打ち回って苦しんでいる!


「ク、クーちゃん! 大丈夫っ!?」
 痛みでひざをついたクーの元へルイサが駆け寄り、ロイは持っていた木の棒で化け蛇をたたいた!

 一撃、二撃、三撃っ!! 子供の力ではあったが、力いっぱいに棒を振り上げ、苦しんでいる化け蛇を何度も叩く! それはいているらしく、打ちえるごとに、化け蛇はギィギィと痛みらしき声を上げた。
 ロイが必死の四撃目をらわせようとした時、化け蛇は、またもすさまじい動きで飛びのき、なんと、その場でおびえているままのリックへと疾駆しっくする! そして、食いつかんと牙をき出しにして飛び上がった!


「あああああっ!!! うわああああああああああああーーーっ!!」
 リックの悲鳴ひめい! そしてクー達、それどころかランバルトでさえも、その行動が把握はあくできなかった。





 今度はリックのももに食いついた化け蛇!
 それが、そのままリックの体内にもぐりこんでいくのだ────!!





 蛇のような長い体が、するするとリックの体内に入っていく! あまりに異常な光景に、誰もが呆然ぼうぜんとする。だが、クーだけはいち早く反応し、もぐり込まんとする化け蛇の体を引っ張ろうと、リックへ駆け寄った!

「このっ! こいつ…!」
 クーが懸命けんめいに引きぬこうと力を込めるが、化け蛇の体がぬめっていて、思うように力がめられない。どれだけ力を入れようとも、手のほうが抜けてしまい、化け蛇はどんどんリックの中へともぐっていく……。

「いやぁ! リック!! リックーーーッ!」
 ルイサが弟の身に起こった恐怖をそのままにさけびをあげる! しかし、クーの力はおよばず、化け蛇は完全に体の中に潜り込んでしまった! しかも、リックの体に開いたはずのももの穴は、異常な速度で再生していき、ついには穴までもがふさがっていく!






 だが────、

 真の悪夢はここから始った。






 呻き声を上げて苦しむ弟リックへと、半狂乱になって声をかけるルイサ。しかしその時、周囲に立ち並んでいた巨大水槽が次々と割れて、中身が動き出した。…いや、中身の何かが水槽を割って、出て来たのである!!


 それは、水槽と同じ大きさの、2メール以上もある巨体を持った紫色の”何か”であった。胴体部分が楕円形だえんけい球状きゅうじょうで、頭というものがない。そして人と同様の箇所かしょに両手、両足が付いている。……だが、それらには指というモノがなく、まるで棍棒こんぼうのような棒が付いているかのようであった。



 私は……これを知っていた。







 ───いや、思い出した!



 さきほどから、事態に反応できなかったのは、記憶がよみがえりつつあったからだ。そして今、ようやく、このバケモノを見て全てを思い出していた。

 魔人プロジェクト、Dシリーズの魔人プロトタイプ……。
 あの、「デーヴァ博士」が手がけていた”D”の名を持つ魔人の軍事量産型兵士である。

 知能を持たないこのしゅは、指令者の命令のみを実行。命令解除がされるまで、対象たいしょうの完全破壊し続ける。その圧倒的なパワーと流体型体細胞により、物理攻撃において異常な破壊力を有し、攻撃を受けても、その衝撃しょうげきも受け流し無効化する。1体で戦車数台分の戦闘能力を持つ、量産型の異形いぎょう生物だ。


 私の力が完全であったなら、気にも止めない程度のザコではある。だが、いまのこの姿では違う! 実に20から出てきた魔人兵士に対し、いまの私はあまりにも無力だ!


 地響きを上げるかのように、のっそりと近づいてくるDの異形兵士達。ルイサは苦しむ弟、リックをしっかりと抱きとめ、恐怖で歯をガチガチと鳴らしている。
 私をクーからたくされているロイは震えたまま。そして子供達を守るように、背中に押しこめているクーは、こぶしにぎめ、向かってくる巨体をにらみ付ける! そして、全ての力をめ込むと、渾身こんしんの力を込めて殴りかかった!!

「ギャふ───っ!!」
 飛びかかった瞬間、Dの異形兵士の腕が無造作に振るわれ、邪魔だとばかりにクーを払った!

 たったそれだけの事で、クーの体は凄まじい力で吹き飛ばされ、7メール近くも離れた壁に激突する!
 壁が陥没かんぼつするほどの衝撃! 同時に響き渡るのは激しい衝突音だ。

「クーッ!!」
 思わず叫んでしまった私をよそに、クーは壁にべったりと血糊ちのりを残し、力無く床へと落ちていく!



「あ……ぐ……ごはっ…!! …ごほっ…ごほっ……。」
 受身も取らず地面へと落ちたクーは、なんとか体を起こすと、せきと共に血を吐き出した! 竜の体をもってしても、その衝撃は余りあるものだったのだ。激痛などという言葉が生易なまやさしい。クーは、これまで受けた事もない程のダメージを受けていたのである!

 クーをぎ払ったD兵士は、クーにトドメを刺そうと方向を変えた。だが、残っている子供達には、残りの19体ものD兵士が向かっている!! この無力な子供を殺すために、ヤツらは敵を殲滅せんめつするために、容赦ようしゃなく向かってくる!

「ちぃ! ナメるなよ! この木偶でくがっ!」
 私は正体がバレる事など考えず、ロイの腕から抜け出し、震える子供達の前に立った。そして、今発揮はっきできる最大威力で空間断絶くうかんだんぜつを行う。その対象は、D兵士の体の中心だ。敵の体の中心で強引に空間を開けば、敵がどんな肉体を持っていようとも、関係無く肉体を分離ぶんりさせ、切断させる事ができる! こいつらが物理攻撃を大幅に軽減するという”流体型体細胞壁”を持っていたとしても何の関係も無い!

「空間断絶───! 我が無双の剣よ、数多あまたの敵を切り裂けっ!!」
 私の力が発動した。振り上げたペンコの手が、すさまじく切れる刃物であるかのように振り下ろされる。それと同時に空間が裂け、正面のD兵士が胴体半ばから、まっぷたつに切断された。

 正面から来るD兵士達をまとめて切り裂く! さらに、その余波を受け、数匹が腕を切断されている。……だが、私は愕然がくぜんとしていた。ここまで力がないとは思わなかったのだ。予想以上に力を失っていたらしい。

「くっ! たった4匹かっ!」
 倒せたのはたったの4匹…。力が全開であれば、この力の一振りにより、大地の果てまで切り裂く事ができた。だが、今の力はこんな程度しかないというのか? 1000分の1にも満たない力。しかも、いまの一撃が限界であった。

 こうしている間にも、負傷したクーの元へ1匹が、そして残りのD兵士が向かってくる。

 浮かれていた…。姉達の手がかりを探すという期待があったから……。こういう事も起こりうるという未来を予見できたのに、それをしなかった。
 考えてみれば判る事だった。かつて私と共に在った魔人達、そして魔神…。彼らは味方ばかりではなかったではないか。げんに、あの勇者を名乗る魔神”A”も最大の敵として立ちふさがったではないか! なぜそれを忘れていたというのか!?


 くそっ! 考えるのもやむのもあとだ。いまここで、クーをここで殺させるわけにはいかない。バオスクーレに対抗する手段というだけではなく、クーを殺してはいけないという気持ちが、心の何処どこかにあった。

 そして、自身の背中には子供達が居た。何も知らない子供達。クーの友達である幼子達…。



 関係がない。こいつらが死のうが、生きようがまったく関係ない。……だが、クーやこの子らを見ていると、幼き妹の姿がぎる。


「姉さん……、トリニトラ姉さん……、姉さんならどうしますか? …死のうが生きようが構わない人間が目の前にいて、殺されそうになっている。勝てる見込みはない。……こんな時、姉さんならどうするんですかっ?!」
 いづこかで生きている、”T”の名を持つ魔神、尊敬そんけいすべき姉トリニトラ。彼女は、妹と同じほど幼い子供が危機にさらされていたとしたら、どうするだろう? 一度は滅ぼした人間を、滅するしかないと判断した人間を、……果たして救うだろうか? 命を投げ出して、それでも救うと言うのだろうか?

 子供達がどうなろうと、クーが死のうと関係がない。関係ないはずだ!

 だが………、



 妹を思わせる幼子が苦しむ瞬間だけは───、もう見たくなかった。





 長く長く、遥かに長い時間の中で、幾度と無く妹の苦しむ姿を見ていた。それと同じ光景が繰り返されるのは嫌なのだ。


 ───だから! 私は敵を倒す! この子らを殺させはしない!!
 私は、私のために敵を討つのだ!



 私は力をしぼり出す! まだ使えるはずだ! 
 精神を一点にそそげ! 意思の力を爆発させろ! 神との……あの勇者との戦いのように!

 切り裂く剣は細くとも構わない。行動不能にさえすればここから逃れる事が出来る!
 狙うのは足だ。足の1本でも切り落とせばよい!




 残された力を臨界点りんかいてんまで絞込しぼりこみ、いま、それをき放つ!!


「空間断絶───、我が剣よ! 仇成あだなす敵をなぎ払えっ!」
 力を集約し、胴体ではなく、足を切り裂くほどの幅のみ空間を開く! そして、クーへと近づいていた1匹へと力を放った! 私の腕から先、その空間が帯のように切り裂かれ、クーへと迫る敵が足を切断された!
 D兵士は痛みを感じる様子もなく、唐突とうとつにバランスをくずして倒れこむ。知能と痛覚を持たないせいか、その場でジタバタと足掻あがくばかりでそれ以上進めずにいる。


「ぐっ……ああ……!」
 しかし、悲鳴を上げたのは自分の方だった。肉体などないはずなのに、体全体が焼けつくような激痛にさいなまれる!
 無理をしているのは承知していたが、絞りこんで震った力で倒せたのは、たった1体のみ。まだ、15体がこちらへ迫っているというのに、私の力は間違い無く限界を迎えていた。

 正面よりの敵が近づいてきた。のっそりと、一歩一歩を踏みしめるように、味方がやられた事などお構いなしに迫り来る! だが、私は動けない。激痛にむしばまれて顔を上げる事すらできないでいる。



 くそっ! ここまでなのか? 再び、あの光景が繰り返されるというのか?!
 泣き叫ぶ妹が目の前にいるのに、それを助けることも出来ずにいたあの時と同じように───。





 その時だった。





「や、やめろーっ! ルイサ達やクーちゃんにひどい事したら、ぼ、僕が許さないぞ!」
 なんとロイが、勇気を振り絞って立ち上がったのだ! 冒険用に手にした木の棒を剣のように構え、震えながらも、向かってくる魔人兵士を見上げて、異形の怪物を前にして虚勢きょせいる! 全ては友達を守るために。



「(ば……ばか……、逃げろ……!)」
 苦痛で声も出せない私は、心の中で精一杯に叫んだ。少年の勇気でどうなる相手ではない。知能がない敵には、慈悲じひなど通用しないのだ。命令を遂行すいこうする。ただ、それだけのために、こいつらはおそってきているのだ。


「こ、このっ! このっ!!」
 何度と無く木の棒を叩き付けるロイ。だが、D兵士は微動びどうだにしない。目も顔もないその巨体は、正面の子供に対し、動くまでもなく停止している。


「駄目だ!! 逃げ────っ!」
 渾身こんしんの力を振り絞って声を張上げた刹那せつな、D兵士は無造作に腕を振るった。


 ………それはまるで、どうでもいい障害物をけるかのように、
 呆気あっけなく、行われた。





 ロイの体が中空を舞い、クーとは反対側の壁に激突……。
 壁面を陥没かんぼつさせる。


 …そして真っ赤な血液をぶちまけて……ゆっくりと落ちた。

 ひしゃげた体…、血に塗れたもの。



 それはもう、もうロイではなかった。
 首や腕が有り得ない方向に曲がっている、どうしようもない程に、遺骸いがいであった───。











「あ……あ…………………。」
 クーの口元が、動いていた。ただ、声が漏れていた。

 目の前で行われた事がどういう事であったのかを見て、その結果が何を意味するのかを肌で感じ取る…。


 ロイが死んだ。



 冒険気分でうかれていただけの少年が、
 ただ、楽しそうにしていただけの子供が、


 なんの落ち度もない子供が、目の前で、殴り殺された………。








「うううう………、ああああああ……………。」
 クーの眼前で行われた凶行。その絶望の意味を顕すように、クーが呻き声を上げる。声にならない慟哭。かけがえのないモノが失われた事を理解していくクー……。





「わああああああああああああああああああああああああっ!!」
 絶叫という名の感情の爆発。それと共に、クーの体から、とてつもない力が生み出された!!



 頭から血を流しながらも、なんとか立ち上がったクー。その小さな体より、凄まじいまでの魔力が吹き出していた! 体全体から魔力が、力そのものが噴出し、クーの体を取り巻いている! この状態を私は見たことがあった。

 竜化だ。



 ……あの夜、バオスクーレが私と戦うために竜へと姿を変えた。それと同じ事がクーの体にも起こっていたのだ!

「お前……許さない……! お前は絶対………許さないっ!!」
 独り言であるかのように呟くクーは、さらに魔力を増大させ、自身の周りへと集約させていく。しかしそれは、バオスクーレよりも凄まじい力であるように思えた。幼いクーがこれほどの力を秘めているのはおかしい。

 だが、理由はわかった。あのももについている紋様自体が光を放っている。あそこから、水竜が神よりたくされたという太陽の力が、星の素よりの力があふれていたのだ!
 異常な力が取り巻いている。このまま竜化すれば、バオスクーレ以上の戦闘能力を得るだろう。

 さすがのD兵士達も、突然の魔力に戸惑っているようで、こちらへと向かうのをやめ、クーの方へを向いている。殲滅対象をクーへと変更したらしい。残った15体が一斉に進路を変えてクーを目指し始めた。


「ううう……ああああああっ!!」
 だが、クーが苦しんでいた。バオスクーレなら即座に変化していたはずだというのに、クーはいつまでも竜にはならず、竜の姿をかたどったクーの魔力が体の上で形成されていた。

 なにかおかしい。……あの時見たバオスクーレはこんな状態にならなかった。魔力が体を取り巻いて、体に入った事で竜へと変化したのである。
 しかし、クーはそうならない。魔力が蓄積ちくせきされていくだけで、いつまでも変化しないのである!


「(───そうかっ! クーは竜ではない。人と竜との混血児、バオスクーレのように竜が人になっているわけではない。…だから、クーでは竜になれないのだ!!)」
 クーの体を中心に、嵐のような凄まじい力が取り巻いている。それは竜になるという本能が成せる行動なのだろう。だが、体がそれを受け付けないのだ。

「ふぅ……ふぅ……、あああああああっ! うわああああああ!!」
 無意識下でありながら敵を倒さんとするクーは絶叫する! 出来上がったのは、魔力そのものが生み出した力の塊。巨大な、まるで父バオスクーレを思わせる巨大な竜の姿をした魔力の塊である!

 私がそれがクー独自が作りだした竜なのだと認識したと同時に、魔力の竜が巨大な腕を振るった! まるでクーの意思に従うかのように、それはD兵士へと攻撃を仕掛けたのである!

 膨大ぼうだいな魔力が破壊の衝撃となってD兵士へと炸裂さくれつする! むらがろうとしていた敵は、その圧倒的な力によってね飛ばされた。何百キロルとあるだろう巨体が、軽々と宙へ舞う!


 壁や残骸ざんがいとなった水槽機へと激突していくD兵士。
 ……さすがの私も、この時ばかりは痛みを忘れて魅入みいっていた。




 しかし、抵抗もそこまでだった。

 クーはその一撃で力を使い果たしたかのように魔力を消し、頭から血を流しながら、ゆっくりと前のめりに倒れこむ。完全に意識を失ってしまった。ももきざまれていた紋様は、これまでとは違い、灰色となっている。


「クーっ! お、おい、クー!!」
 私は最後の、本当に最後の力をふるってクーへと声を掛けるが、自分が考えたほどに声は出ていなかったようだ。……そして、まるでクーが力を失ったのと同じように、意識がうすらいでいく……。

「なん…だ……、これは……? なぜ………。」
 クーが寝ていた時には、こんな事はなかった。封じられていた時でもかすかに意識はあった。そして復活後は常に意識をたもっていた。…だというのに、徐々じょじょに思考ができなくなり、体が言う事をかなくなってきている。


 だが、状況じょうきょうは何一つ変わっていない。


 ね飛ばされたD兵士達が次々と起き上がり、再びクーを目指して歩き出したのである! このままでは動く事はおろか、逃げる事すらかなわない。


「(くっ……くそ……、意識が……。)」
 死を感じた。眠りとは違う完全なる虚無きょむ。まるで二度と目覚める事のない永遠の深遠しんえんに置かれるかのような、黒い感覚……。
 トリニトラ姉さん……、グロリア……すまない…。探し出す事が出来なかった。

 私はここまでのようだ…。力を使いすぎたのかもしれない。…たかが、どうでもいい子供と、戦う意味もない敵のために力を行使した事が間違っていたのかもしれない。この情けない私を笑ってくれていい……。



 遠い入口の方から、爆発するような音と叫びが聞こえてきた。

「ここかっ! クーっ! 返事をしろ! クーッ!!」
 必死の形相ぎょうそうで駆け込んで来たのはバオスクーレだった。やはり、後方から後をつけていた気配はコイツだったようだ。……フフ、来るなら来るで、さっさと来ればいいものを…。




 ……私は、どこかで安堵したような感覚のまま、深き暗き世界へと落ちていった。あれは親馬鹿なうえに阿呆だが、魔人とはいえ、さすがに下級のD兵士には負けはすまい。


 ルイサとリック、それにクーは助かるだろう……。
















 ───それが私の、……最後の意識だった。












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