水竜クーと虹のかけら

第一部・01−7 「刻の流れ」
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 夢…………………。







 夢を見ていた。



 それはあの夢……、神を名乗る男が裏切うらぎり、我が妹を人質ひとじちに私達を封印した光景。
 幾度いくどと無く見たその光景は終ることなく続き、いまから解放される事はない。



「トー姉さん! ラン姉さん! やだよ! わたしを一人にしないで! 一人はやだよ! 戻ってきてよ!!」

 泣きさけぶ妹の姿が見える。しかし”奴”との戦いで力を使い果たした私達にどうする事もできなかった。妹を人質にられたまま、封印されるしかなかった。
 その悲痛な声が、次第に聞こえなくなっていく───。

 ずっとずっと共に寄りい、頼る者もなく生きてきた私達姉妹。…それがこんな形で引き裂かれるというのか? まだ10にもたない幼いあの子が、文明すら崩壊ほうかいした地上に一人残される。私達はあの”神”を名乗る男の策略さくりゃくにまんまと乗せられ、そして我が愛する妹をも苦しめる…。









 神め! 絶対に許さん!
 キサマは殺してやる!



 現世げんせに戻り次第、肉片も残らぬほど微塵みじんに切り裂いてやる!!









 絶対に────! 絶対にだ!!












 ………すまない……、グロリア…。
 もっと私がしっかりしていれば……。もっと私が気を配ってさえいれば…。







 だが、どんなに足掻あがいても自力での脱出は叶わなかった。
 神へと向く怒り以上に、自分自身の不甲斐ふがいなさと、妹の涙が私をさいなむ。















 もっと……、私が────────






























 私は……、目を覚ました。

 上体を起こしてみれば、体は紺色の布でおおわれている。

 どうやら体はそのまま、……つまり、ペンコのままで気を失っていたらしい。
 だとすれば、ここは一体どこなのか?

 周囲を見まわせば、そこはあの施設しせつではなく、見たことのある景色けしきだった。
 水竜神殿……、それも、クーの部屋だ。

 そこはまぎれも無くクーのベッドで、自身のかたわらには、クーが眠っていた……。


 だが、そこに居たクーは、クーだとは思えなかった。
 確かに姿形すがたかたちは違いない。だが、違う。



 成長していたのだ。

 私が知っている幼い姿よりも、頭二つ分も大きい。どう見ても5〜6歳児には見えない。我が妹グロリアと同程度の10歳前後の身長だと思えた。……なぜ、クーは成長しているのか? そしてなぜ、私までが水竜神殿に戻っているというのか…?

「目を……覚ましたのは………、お前か。魔神ランバルト……。」
 困惑していた私に声がけられた。その方向へを視線をうつすと、そこは部屋の入口。たたまれた衣服らしきものを持った水竜バオスクーレが苦々しい顔で立っていた。
 しかし、こいつの姿も違っていた。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうだったはずの体は見る影もなくせ細り、表情に浮かぶ精気さえもがひどく弱々しい。クーの成長といい、バオスクーレの変わり様といい……違和感いわかんを覚えずにはいられない。

 私は躊躇ちゅうちょする事なく、状況をたずねることにする。


「教えろ水竜! 私が気を失った後、あの施設しせつで何があった? それになぜ私が倒れている間に処分しょぶんしなかったのだ? 神にそれを伝えれば、再度の封印が可能だったはずだ。」
 わけがわからない。私という敵を排除はいじょするチャンスがめぐってきたというのに、バオスクーレはそれをしなかった。封印できずとも、このヌイグルミの体を解体かいたいし消滅させておけば、私の魂は行き場を失っていたはずだった。
 だというのに、バオスクーレはそれをしない。……一体、どういう理由であるのかがわからない。

 しばらくのにらみ合い。だが、敵対するバオスクーレには殺気がなかった。
 …そして、ヤツは重い溜息ためいきをつくと、静かに言葉をつむぎ始める。



「魔神ランバルト…、キサマが敵であるのは変わらない。だが、お前には聞きたい事があったのだ。だから滅する事が出来なかった。」
「聞きたい……事……だと?」
 バオスクーレはゆっくりとこちらへ、テーブルの上に着替えを置くと、ひどく緩慢かんまんな、疲れたような動きで近くの椅子いすへと腰掛こしかけた。

「そうだ。お前には聞きたい事がある。……あの時の、クーの事だ。」





「……あの時、私が魔人兵士におそわれているお前達の元へ駆けつける前、クーは……何をしたのだ? 太陽の宝珠よりの魔力がクーから発現はつげんされたのは感じた。しかし、その力はクーに何をさせたのか、その場に居合いあわせなかった私にはわからなかったのだ…。」
 バオスクーレはこうべれて言葉を切る……、そしてしぼり出すように続けた。


「この50年もの間、クーが目を覚まさない……。あの施設で気を失い、眠ったまま……、一度も目を覚まさない。……それが現場で起こった事の理由なのではないかと考えるしかなかった。」

 私は、たった一つの言葉におどろきながらも、バオスクーレに問い返した。






「…………今、なんと言った? あれから何年っただと!?」








「50年だ。それだけの長い間、お前と共に、クーは一度も目を覚まさず眠り続けている。私はその理由を知る事ができず、ただ眠り続けるクーを看病しながら今日まで過ごして来た……。」






 絶句する。私は…そしてクーがあの施設に出向いてから、50年もの間、眠り続けていたというのか?! そんな事があるものなのか?!

「事実だ。……だからこそ、クーは成長している。」
 バオスクーレの重い一言が、それを事実だと語っていた。その証拠しょうこに、確かにクーは成長しているのだ。まだ子供ではあるが、5歳程度ていどの肉体とはちがい、10歳ほどの……我が妹グロリアと同じほどの大きさまでになっている。水竜が10年で1歳の肉体的な成長をする事からすれば、50年という時間がぎている事にも納得なっとくがいく。

 だが、眠っていたという私でさえそんな実感はないし、認識にんしきなどまるでない。施設での戦いも、ついさきほどの事のような感覚かんかくしかなかった。…クーの成長を見てもなお、本当にそれほどの時間を眠っていたのかうたがいたい気分だ。


「魔神ランバルト、…教えてくれないか? クーはあの時、何をしたのだ?」
 バオスクーレに敵意はない。その瞳にあるのは、ただ娘を心配するだけの親としての心情がうかがえた。話てやる義理ぎりなどないのだが……、それをだまっていても意味がない。私は、あの時に目撃した事実を素直すなおに話す事にする。
 私自身、状況を整理するために、つい先ほどの……いや、明確な記憶を持つ、50年前だという施設での戦いをありのままに伝える事にした。






「…………あの時、クーは”竜化”しようとしたのだ。」

「自らの意思というよりも、本能のようなものだと思えた。…友達を殺され、そして自身も傷つき、意識を朦朧もうろうとさせながらも、クーは足の紋様より魔力を放出させて、自らを竜へと変化させようとしていた。」

「…紋様より供給きょうきゅうされた膨大ぼうだいな魔力はお前が竜化した時以上の規模きぼだった。それらはクーの周囲に蓄積ちくせき滞留たいりゅうしていたが、それでもクーは竜にはなれなかった。」
 私の見立てでは、体がそれを受け付けないようだった。バオスクーレは元々が竜が人として人化しているが、クーは逆だ。人間の血の方が多いからこそ、肉体そのものは人間の姿をしている。そのせいではないだろうか…。

「───そして、その異常な魔力はクーの頭上に集中し、それは竜をかたどった。」
「ま、魔力そのものが竜の形を……だと?」
 バオスクーレはうろたえるかのように聞き返した。私はそれを無言でうなずく。水竜であるコイツがおどろくのだから、あまりに想定外の行動だったという事なのだろう。

 ……あの時、クーの頭上には魔力によって編まれた光放つ竜が生まれていた。そしてそれは、まるでそれ自体がクーの意思を反映させるかのようにD兵士を攻撃したのだ。……詳細は不明ではあるが、竜化できないクーが無意識下で生み出した抵抗しようとする意思だったのではないか? あの状況下ではそうとしか考えられない。




「………そうか…、……そんな事が……………。」
 バオスクーレはうつむいたまま、それを聞いていた。色々と考えをめぐらせていたようだが、答えを見つけられたようにも見えない。……きっと、竜と人との混血児こんけつじ自体、これまでに前例がないいため、予想がつかないのだろう。だから答えを見出せないでいる。

 頭を抱えるようにして悩むバオスクーレを見つめる。しかし自身だけ納得されても困る。私にも聞きたいことはあった。だから、その答えを求めるために問う。

「おい、水竜。……私にはクーやお前の力の源が個人の魔力だけではなく、体に浮かぶその”紋様”を通じて、太陽の宝珠というエネルギー体から力を得る事ができると知っている。」

「……そしてお前達は、神よりその宝珠を守る事を命じられているのだな?」


「その通りだ。神はこの水竜である私に、そのように命じられた。」
 顔を上げることなく、どこか放心した様子でバオスクーレは返答する。私は気にする事なく、質問を続けた。


「───ならば聞きたい。私を処分しょぶんしなかった理由は聞いた。しかし、なぜクーを起こさなかった? あの太陽の宝珠が持つ膨大ぼうだいな力を用いれば、クーを起こす事も出来たはずだ。神に許可を取る必要があるのかもしれないが……、どちらにせよ、お前はこれをあずかる身として、50年もの間、神との交信をしなかったのか? その上で了承りょうしょうを取り、クーを目覚めさせるという事もできたはずだ。」

 そもそも、神はなぜ、水竜にこれだけの力を預からせたのか。さかしいヤツならば、今回のような問題が起こる事も想定そうていはできたはずだ。なのに、自分で保管せず、わざわざ水竜にあずけた。…しかも私がここで復活するような大問題が発生してもなお、放置している。
 私達姉妹にさくろうしてまで封印したヤツが、今回の案件あんけんについて何も関与してこない。これは一体どういう理由なのか。

 そして、バオスクーレより帰ってきた答えは、意外なものだった。



「私は、星の素を……太陽の宝珠を預かってより、一度も神の声を聞いてはいない。神はお前達を含む魔神の件を終らせてより、何処いづこかへ姿をかくされたらしい…。」
「神が…いない、だと?」
 私は驚きを隠せないまま、バオスクーレの答えを聞く。

「それに私が命じられたのは、太陽の宝珠を守る事。私用で使うなどあってはならない。……そして神はこうも言われた。強大な力は代償だいしょうともなう。だからこそ使う事なく守れ、と。」



「………使う事はできたのだろう。しかし、主たる神に反逆はできなかったし、する気もない。……そして、なによりも……仮にそれを行使した場合、その”代償”というものが使用すべきクーにまで及ぶ可能性があった。……だから使えなかった。そんな危険があるかもしれぬ力をクーに注ぐ事ができなかった。」


「私は───、クーが目を覚ます事を毎日祈るしかなかったのだ。」










「姿を見せぬ神に祈り続けた。時間がある限り懇願こんがんした……。クーを助けてくれ、と……。」



「だが目を覚まさない! 神はいづこかに消え何も語る事はなく、火が消えたような、あまりに静かな日々が続いていた……。私はただ祈る事しかできなかった…。」







「………きっと私は、ばつを受けているのだと思ったよ。クーを閉じ込めた事に対しての……。クーが外に出る事を我慢がまんさせられていたのと同じように、私はクーの笑顔を見る事ができなかった……。」


 目の前で巨体の男が泣いていた。長い間、苦しんでいた事をき出すように、私が敵だという事も気にせず、苦しんでいる。……情けないとは思わなかった。肉親がうばわれる気持ちは私とて知っているつもりだ。

 だが、私に浮かんできた感情は同情なんかではなかった。明確な怒りである。


 私は、ベッドから飛び降り、渾身こんしんの力でなぐりつける! 境界の力ではない。自身が持つ肉体的な力だ。もちろんヌイグルミのままではなく、腕先に魔力を集中させた重い一撃。効果はそれなりにあったようだ。

 バオスクーレは無防備のままそれを受け、その巨体を床へとくずした。…別に殺すために攻撃したわけではない。私の憤慨ふんがいした気持ちをぶつけただけだ。奴はなぐられた事、そして境界の力でなく、わざわざ殴った事に驚き、呆然ぼうぜんと私を見つめた。


「このクズがっ! キサマはまだそんな事を言っているのか!」

「な………、何をす───」
「いいか! よく聞けこのクズ! キサマはまた自分の事しか考えていない! 同じ過ちを繰り返しているではないか! 苦しいのはキサマじゃない! 50年という時間を眠り続けているクーの方だ!」

「クーが起きた時、何を考えるか想像もできんのか!? クーは目の前で友達を殺された! しかも知らぬうちに50年もの時間が経過している!! 生き残った子供達はもういない! これより先、クーが目を覚ましてから味わう苦痛を考えてみろ! せっかく叶った夢が崩れた時のクーの気持ちを考えろ!!」


「それをキサマは、自分の不幸だけを苦悩し、クーの事など考えもしていない! 起きたクーとどうせっするべきかを考えてもいない! 自分勝手もいい加減にしろ! だからキサマは阿呆あほうだというのだ!」

 ……静寂せいじゃくが包む中、呆然ぼうぜんと床に座りこんでいたバオスクーレが、その事実に気付いたように、力なくうなれる。





「……………………すまない……。その通りだ………。」


 情けない。これが肉親を愛するという同じ立場に在る者だと思うと吐き気がする。なぜ相手で考える事ができないのか? それでよく親などというものをやっている。だから今までも身勝手な愛情を注ぐだけでしかなかったのか。
 ヤツのこれまでを見るに、不器用な男だというのは理解できるが、阿呆もここまで来ると救い様がない。竜だろうが何だろうが、クズはクズでしかない。
 こいつを見ていると異常に腹が立つ。なぜ、こいつはこれほど無力なのか? 大きな障害を前に何も出来ずにいる。ただやんでばかりいる。なげいてばかりいる。自分を責めて、その想いにさいなまれている。

 ……これではまるで……!!











 ………まるで、………………私のようじゃ……………ないか……………。


























「ん………。」
 ちょうどその時、クーが小さく言葉を発し、その身を動かした。どうやら起きるようである。私が目を覚ましたのだから、クーも同様に目を覚ましてもおかしくなかったのだろう。……いや、逆か、クーが起きるから私が起きたのだ。私はクーに呼び出された身らしいからな。

「クー! おお……クーよ……。」
 飛びつくように、バオスクーレがクーのベッドにすがった。長い間、眠りについていた娘がようやく目を覚ますのだ。嬉しい気持ちもわかる。

「ん…、ふぁあああ…、むにゅむにゅ……ですよ。」
 いつもの寝起きと変わらず、クーは寝ぼけていた。体だけは成長しているというのに、中身は変わりがない。現実に長い時間が流れるているとはいえ、私も見慣れた光景であった。
 しかし違う。……これから見るであろう全ての事の結果を考えると不憫ふびんでならない。あまりにも可哀想だった。


「ふああ……おはよ────、……ひっ!」
 目の前に居る父親の顔を見て、短い悲鳴を上げる。それに対し、父親バオスクーレは喜びを一瞬で消し、悲しげな顔で弁解を始める。

「ま、待ってくれクー! 私は何もしない、何もしないんだ!」

「やだ……やだよ! 怖いよぉ……。来ないで……来ないでぇ……。」
 やはり態度は変わらない。それは当然だ。恐怖を植え付けたのは50年前でも、眠っていたクーには数日前と変わらない。体が成長していようとも、心は成長などしてはいないのだから。


「わかった、私はここから居なくなる。だから、落ちついてくれ、クー…。食事を用意するから…、な。」

 再び布団を頭からかぶり、ふるえ出すクーを前に、バオスクーレは何を話すこともできない。奴は泣きそうな顔のままあきらめ、後ずさりしながら部屋を後にした。…その時、一瞬だけ私を見たのは気のせいではなかったように思う。敵の私に何を期待きたいしているのか。私にはこの親子につくす義理はない……。



「……………………………………………。」
 それから、20分ほどしてからだろうか。恐怖心をかかえたままおびえ続けていたクーが、その対象である父がもう去った事に気付いた。誰もいない事に安堵あんどするようでいて、何か重い表情のまま布団からのっそりと出てきた。




 そして、ひとしきり泣いた後、
 無言のまま目元の涙をぬぐうクーは、ようやくそれに気付く。

「あ、あれ……?」
 間を置かず、クーが困惑こんわくした声を上げた。自分の体を見て不思議に思っているらしい。それも当然だろう。知らぬ間に気を失い、起きたら体が成長していたのだから。

「あれ? あれ? あれ? ……なんで? なんでクーはおっきくなってるですか?」
 クーが声を上げる。体が何かおかしい。それを確かめるように、自身の体を触っては確かめている。長くなった腕や足、大きくなった手のひら、座った時の視線の位置、さらに伸びた髪まで……。気を失う前とはなにもかもが違う。

「あれ? あれ? 変ですよ…、何年も経たなくちゃ、大きくならないはずなのに……。」
 ふらつきながらも、全身が映る鏡まで駆けたクーは、自身の姿を見て困惑していた。なぜ自分が大きくなっているのか? …………わからない。しかし、現実として成長している。



「おかしいよ……おかしいですよ……。なんでクーは大きくなってるの…?」

 頭を抱えて困惑し続ける…。何かを振り払うかのように頭を振ると共に、伸びていた髪がわさわさと揺れる。何かを感づいているようだ。クーはこう見えて頭がいい。体の成長が何を示すものなのか、それを徐々に理解しているのだろう……。その賢さがなければ、事実を先延ばしできたのかもしれない。

 しかしまだそれだけでは済まされない。
 自分が成長している。…それが何を意味するものなのかを、これから知っていく事になるのだ。


 50年という時間の経過が何をもたらすのかを、クーはこれから向き合わなければならない。




 正直、見ていられない…。頭を抱え込んで苦しんでいるクーを、私は見る事ができない。だから、私は見ないようにする。目をふさぎ、心を空っぽにしてヌイグルミのままやり過ごす。
 たった数日とはいえ、近くにいて接していた。それだけで、妹を思わせる境遇きょうぐうのクーに同情を寄せるようになっていたようだ。情けない事に、妹と同じ幼子というだけで心が揺れてしまっているのだと思う。

 ……だが、これ以上に関わり慈悲じひの念を持てば、いつか殺す事を躊躇ちゅうちょする事になるだろう。そういうわけにはいかないのだ。どうひっくり返っても竜は神側の怨敵おんてきであり、その立場はくつがえる事はない。いざという時に殺せないでは済まされない。

 そうしなければ、姉も妹をも裏切る事になる。
 それだけは出来ない。何が起ころうとも、同情する事は許されないのだ。



 ……だから私は、クーがどうなろうと見ない事にした。何も考えない事にした。
 ただのヌイグルミとして意思を封じ、動かずにいた。


 今後、クーがどうなろうと、私には関係がない事。
 私には、こいつとは比べ物にならない程、大切な家族がいる。裏切る事などできるはずもない。







 だから私は、クーを無視する事ができると思った。



















 私を抱きしめたクーが、そういう行動に出る事は予想がついていた。

 部屋に残っていた円へと入り、地上へ行く。……クーの行動はともかく、私も50年という月日が流れている以上、姉さん達は現世によみがえっているはずだ。外に出れば察知さっちする事ができるだろう。

 空間を跳躍ちょうやくし、瞬時に辿たどり着いたのは、いつもと同じ着地点。

 クーが水竜神殿から地上に出ていた場所と同じである。……とはいえ、クーが外で暮らしたのはたった1週間にも満たない時間だった。そして、家出をした事もあり、実質的にワープしたのは2回でしかない。



 私はすぐに姉達を探そうと思ったのだが、目の前に広がる光景を目の当たりにして、そんな事は考えられなくなっていた。……そこは、同じ場所でありながらも、あの見慣れた風景ではなかったのだ。

 確かに、山はそこにあり、川は変わらず流れており、空にいたっては何一つ変わらない。あの暑い夏の日々と変わりなく、そこに鎮座ちんざしている……。
 しかし違った。樹木は年月を感じさせるほどに大きくなっているし、周辺一帯はすべて柄の長い草でおおわれている。広場だったはずのそこは見た事のない木々が何本も生えているのだ。そんなもの、どこにもなかったはずなのに、たった少し前とまったく違っている。

 時間が私を、なによりもクーを置き去りにしていった…。




 長い間眠っていたせいか、まだ歩くという事に力無いクーはふらふらしながらも草をき分け進み、巨木の前でふと立ち止まる。その巨木にあるモノを見つけたからだ。

 …それはち果てたロープ。
 クー達が様々な遊びに使っていたもの。これを木に引っ掛けてぶら下がったり、投げ縄などに重宝ちょうほうしていた。

 だが、いま残っているのは、朽ちて千切れただけのボロボロの残骸。施設に遊びに行く前のまま、そこに残されていたものだ。ただの朽ちたロープ。……しかしそれは、たった一つの証明でもあった。ここがクー達の遊び場だったという事の。



「………ルイサ……、リック……ロイ……、どこですか? クーはここにいるですよ?」
 確かにここはクー達の遊び場だった。自然が全て遊び道具で、子供達はなんでも喜んで遊んだ。虫をつかんだり、川に入ったり、木に登ったり、とても……とてもとても楽しい時間が確かに存在していた…。

 でも、目の前にはもう、そんなものはない。
 見る影もなくすさんだ広場だけだ。





「な、んで……………、なんでクーは………、大きく…なったの?」








「みんなは…何処どこに行ったですか…? ルイサ、リック…、ロイ……。」

 つぶやいてみる友達の名。…だが、クーの中にロイがどうなったのかという記憶は残っていた。あの時、いや…、クーにとってはたった数時間前の出来事…。確かにロイは命を落した。巨大な紫の怪物に攻撃されて、壁に激突した……、いっぱいいっぱい血が出て……。

 ロイが死んでしまった…………。

 人の死を見たことがないクーでさえ、それはわかった。彼は仲間をかばって死んだのだ。そしてあの仲の良い姉弟、ルイサとリックはどうなったのかわからない…。





「どうして………、クーは………………。」






 なんであの時、ロイを助けられなかったのか?
 なんで自分は、一人でいるのか?
 どうして大きくなってしまったのか?




 様々な想い、その無念は……、現実となってクーに押し寄せる。
 過ぎた事をやんでも何も戻らないという事を、心幼いままの彼女を打ちのめす。











 クーは気付いていた。長い時間が流れている事を。
 何年経ったのかまではわからない。だけど、成長した事も、風景が変わったことも、そうでなくては納得がいかない。









「うう……ああ………、わああああああああああ!!」
 悲しみしか残っていなかった。自分が知らない間に時間は流れた。体は大きくなり、友達とは死別した。そしてなによりも、信頼すべき父は恐ろしい怪物だった。
 何も信じられるものがなかった。孤独を感じて絶望し、ひとりである事があまりにも悲しい…。



 だから、泣くしかなかった。



 クーはその悲しみという感情を、それ以外の方法で取りのぞすべを知らない。
 何か悪い事をしたわけではない。ただ願っただけなのだ。たった一人でもいいから友達が欲しいと、外の世界に出て思いきり遊びたいという事を。
 そして願いはかなった。その夢のような時間は、長い長い年月を生きる竜の一族にとって、これまでで一番の幸福であり、人生観をまるっきり変えた貴重きちょうな時間であった……。

 しかし、知ってしまったからこそ、それを失う事が余計につらくなってしまった。


 ほんの少し寝ていただけで、クーはひとりぼっちになっていたのだ。
 何も悪い事などしていない。していないのに、なぜこんな仕打ちを受けるのか?
 運命は、なぜこうもクーに堪える事を強要するのだろう? 幸福を願う事がそれほど罪なのか?






 それがクーの運命だというのなら、
 もう、泣くしかないではないか────。















 ……ランバルトは強く強く抱きしめられたまま、何も感じないようにと無心である事につとめた。しかしそれでも、伝わってくる心の重さを感じずにはいられない。

 こいつは敵だ。いつか殺さなければならない。無視しなければならないというのも理解している。……でも、仕方なかったのだ。まるで同じだったから。妹がたった一人、荒廃こうはいした地上に残された時とあまりに似ていたのだから。
 それを思い起こさないはずもない。クーの姿を重ねてしまえば、想わない事など出来るはずもない。


















 ……姉さん…、私はどうすればいいのですか?




 いつも私達に道をしめしてくれた姉はいない。姉がいたから迷う事なく進む事ができた。強くる事ができた。姉さえいてくれれば、それで安心できた。私にとって姉は母であり、何をするにも目指せる道標みちしるべであったのだ。

 だから今、改めて一人となった事で、その先どうすればいいのかがわからない。あの施設での戦いの様に、無理な理由を探して行動した事さえ不安で仕方がない。
 本当は、バオスクーレの事を批判ひはんできる立場にはなかった。私だって、姉に依存いぞんして生きていたのだから。姉がいなければ、何かを決断する事さえ覚束おぼつかないのだから。

 ……望みを秘めて探ってはみたが、姉達の気配はなかった。私は、自分だけで結論を出さなくてはならなかった。姉のため、妹のためと決めていたからこそ強く在れたのだ。だが、その自信が揺らげば、このように弱い心をさらしてしまう。


 本当にクーを殺すべきなのか、それとも理由を打ち明け敵に服従する形をとるのか…。


 決めなければ、これ以上なにもする事ができないだろう。
 いったい私は、どうしたら……。

































「……クーちゃん? もしかして、クーちゃんじゃないかい?」

 不意に、クーの背中から呼び声が掛かった。決断できないままの私はその声に思考を中断し、クーも涙を浮かべながら、その方向へと視線を動か。

 ……すると、そこには一人の老人が立っていた……。

 紺色のローブを身につけ、木製の杖をつき、オールバックにした白髪を伸ばした男。そして、口元に黒い奇妙なマスクをつけた年老いた男がそこにいた。



「だれ……です?」
 泣いたまま、ほとんど放心状態にあったクーは、その老人を見ても、何も考えられないままでいた。ただ、顔はしわだらけであったが、なぜか、どこかで見たことがある。……そんな気がしていた。

「私だよ! ───ああ、このマスクをしているから分らないのか。いま取るから………ほら、これで分るだろう? リックだよ! 昔遊んだ、リックだ!!」

「え………………………………?」
 言葉を失ったクーは、いまだ放心したままの思考で、その老人の顔をまじまじとながめる。そして私自身も、その姿を見て呆然とし、もちろん私も目をいた。
 た、確かに、そう言われてみると顔立ちはそのままだ。気の弱そうな部分は微塵みじんもなかったが、あの顔を思い出し比べると確かに本人である。あれから50年が経過したというのに、それでも彼は生きていたのだ!

「リック! 本当にリックですか?!」
「そうだよ! 本当にリックさ! ああ…、なつかしいなぁ……。また会えるなんて…。」

 歓喜かんきの声を上げる老人、リックを余所よそにクーの想いは複雑ふくざつだった。友達が生きていてくれたのは本当にうれしい。だけど、目の前にいる彼は、もう自分の知っている彼ではない。あの小さくて、気が弱くて、いつも姉の後ろにかくれていた彼ではなかった。
 年老いた見知らぬ大人でしかなかった。思い描いていたあの姿ではなかったのだ。そしてまた、時間が流れていたという事実に打ちのめされる…。


「そんな悲しい顔をしないでおくれ、クーちゃん。…せっかく会えたんだ。この出会いの奇跡を喜ばなくちゃ。いや、本当に生きている間に出会えてよかったよ。」
「………そうですね…。それは、そうです。」
 曖昧あいまいな返事を返すクーに喜びはなかった。だが、彼はただ一人浮かれた様子で話を進める。

「いやぁ、懐かしいなぁ。昔はよく遊んだのを覚えているよ。……そうそう! クーちゃんはあの時、探険した建物を覚えているかい? 私はいま、あそこに住んでいるんだよ。」

「あそこ……に?」
「そうさ、あそこは昔の技術が多く残っていてね。私はその研究をしているのさ。自分の知らない事を色々と覚えていくのが面白くてね。……あの探険がキッカケで、今の私があるんだよ。」


「せっかくだし、いまから一緒に見に行かないかい? きっと気に入ってもらえると思うよ?」
 リックはクーの手を取ると、承諾しょうだくもなしに歩いて行こうとする。かなり興奮こうふんしているようだから、少し強引なのかもしれないが……、幼い時のおどおどした性格からすると、かなり変わっているように思えた。


「ちょ、ちょっと待つです! ……あの、ルイサは……? ルイサはどうなったですか? リックみたく、お婆さんになっちゃったですか?」
 手を引かれているクーは立ち止まり、必死になってたずねた。あの時の友達全員の安否あんぴを知っておきたい。その気持ちはわかる。例え、それがかなしむべき答えでも、知らないままではいられないのだろう。

「ん………? ルイサ?」
 彼は歩みを止めると、考えこむようにあごに手を当てた。眼球を左右に動かし、しきりに記憶を探っている。なぜそんな事をするのだろう? 自身の姉を問われて何を思い出しているのだろうか?

「あ、ああ……ああ、そうそう、そうだった。姉さんの名前だったね。いや歳を取ったせいか、物忘れがあってね、許しておくれ。姉さんはあの後すぐに死んだよ。確か……何かの病気だったかな…?」

「…………ルイサが………、……死ん……だ?」
 るべくしてあった結果。それを他者の口から聞かされたことで認識にんしきしてしまった。それがさらなる絶望がクーへと押し寄せる。女の子同士で、あの3人の中では一番の仲良しであるルイサが死んだという。
 ポロポロと尽きぬ涙をまた流す。もう何かを感じる感覚すら麻痺まひしたかのように、考える事も放棄ほうきし、涙を流す。彼はそれに気が付くと、苦笑いしたようにつぶやいた。


「ああ、すまないね、無神経だったかい。…いや、私も悲しくないわけじゃないんだよ。……ただね、歳を取るとね、そういう感覚が薄れてしまうんだ。親しい人が死んでも泣けなくなる。これは本当だ。だから姉さんの事も同じように、悲しんではいるんだが……もう50年も前の話だとね……。」


「50年っ?! ………そう…ですか……、クーはそんなに寝てたですか……。」
 正確な時間の経過を今初めて教えられたクーは、悲しみを再確認するようにうつむいていた。……その肩にリックが手を掛ける。そして優しげな口調で、言い聞かせた。

「なあ、クーちゃん。そんな事より、ロイ君には会いたくないかい?」
「えっ! ロイ!? だ、だって、ロイは……ロイは怪物にやられて………。」
 驚いたような視線を向けるクー。リックは穏やかに言葉を続ける。


「いいや。元気にしているさ。しかもあの頃のままの姿だよ。私の様に老いぼれてもいないし、ルイサのように亡くなったりもしていない。ちょっと怪我をしていただけなんだ。それで長い間、あの施設で治療を受けているんだよ。」

「ほ、ほんとうに!? 本当にロイが生きてるですか?!」
「ああ、本当さ。会いたくないかい? 会いたいんじゃないのかい?」
 いまだに、どこかで時間の流れを現実ではない、と信じたくないクーにとって、その言葉はあまりにも魅力的であった。そして現実から逃れるように、目の前の事がすべて夢で、本当は何も変わらないのではないか、という希望を抱いている。

 だからクーは、その言葉に強くかれていた。


「(……ロイが生きている…だと?)」
 だが、私はさすがにおかしいと感じていた。この老人は本当にリックであるかはさておき、ロイが生きていて、あの頃と姿が変わっていない、というその言葉には疑問しか沸かない。50年が経過していて、変わらないわけがないのだ。
 ……姉であるルイサの死を人事のように言ってのけるこの男、一体何を考えているのか? どうも、あの施設にクーを連れて行きたいように思える。

 過去の技術に心酔しんすいするだけの酔狂すいきょうな老人であるのならまだいい。しかし、危害きがいを呼び寄せる可能性も考えなければならない。どういう素性の者かはわからないが、確かあの時、リックの体には蛇のような化け物がもぐり込んでいた。それが何かに作用しているのなら、間違いなく危険である。


「さあ、クーちゃん。行こうか───。」
 リックは懐をごそごそとまさぐると、いきなり、クーの首筋に何かの機械を押し当てた!
 それと同時に、クーの体に何かの液体が流し込まれていく!!

「ちっ! キサマっ!」
 私は躊躇ためらう事なく境界の力を開き、それをリックへと向けた! 狙いはその機械を持った手首!! ───だが、リックはそれを知っていたかのように、素早い身のこなしでクーから飛びのいて距離を取る!
 クーが短くうめくと、意識を失いそのまま地面へと倒れた。…どうやら薬をられたらしい。私は倒れたクーを背にしてリックに相対あいたいする。だが、男の目に浮かぶかがやきは親しげなものではなかった。まるでこちらを嘲笑あざわらうかのような怪しい光である。

「……おやおや、ヌイグルミが動くだなんて奇妙きみょうだなぁ。イヒヒヒヒ……。」
「何者だ! 何をたくらんでいる!?」

「私かい? 私はリックさ。ただの年老いただけの老人だよ。何もたくらんではいない。クーちゃんを施設へ招待しょうたいしたいと思っているだけさ。」

「お前こそ、なぜ今までクーちゃんの前で大人しくしていたんだ? それに、お前はあの時、魔人兵士をいくつか倒したヌイグルミだろう? 大した力はないようだが、それでも魔人のようだ。」
 なんだ? なぜこの老人は……リックは魔人の事を知っているのだ? あの施設で調べたからか? 一体、この50年という年月の間に、こいつは何をしていたというのだ?



「ヒヒヒ…、いくら正体不明でも、お前は下級魔人というやつだろう? ならば対抗策は持っているんだよ。───そら!」
 リックが手元にある小さな何かを押したその瞬間、私の体から力が抜けていった。まるで、魔力そのものを抜かれていくかのように動く事が困難になっていく……。一体…、何をしたというのか……。私は敵意を維持はしていたものの、立つ力さえもを失い、その場で倒れた。

「ぐっ………、なぜ…そんなものを……。」
「イヒヒヒヒ…! どのシリーズの流れを組むタイプなのかは知らんが、所詮は下級魔人か。他愛もない。……邪魔をされては困るんだよ。ようやく手に入れたんだ。あの素晴らしいエネルギー源をな!」
 リックの手元にある小型の装置には見覚えがあった。確か弱い魔人を強制的に機能停止させる装置だ。圧倒的な能力を持つ私達、魔神にはまったく無意味な道具だが、通常の魔人ならば簡単に封じる事ができる。そして今の私には、その程度の装置で動けなくなる力しかなかった。

「せっかくだから教えてやるろうか。……私はあの時、あの施設で素晴らしい知識を得たんだよ。旧世界……、古代文明の知識をね。」

「知識……だと?」
「そうさ。あの蛇のような生物の恩恵おんけいにより、私は素晴らしい古代の知恵を引き継いだのさ。あそこはまさしく宝の山だった。だから研究も出来たし、お前のような相手に対処たいしょもできた。」
 あの時、リックの体に入りこんだ蛇のような化け物…。あれが本当に知恵をもたらしたというのか? わからない。魔人とはまったく違う生物、あれは一体、なんだというのか?


「まあ、お前はそこで見ているといい。私の研究の成果をね。」
 リックは魔人停止装置を適当に投げ捨てると、眠っているクーを背負い、そのまま森の中へと消えていく。きっとあの施設へと向っているのだ。
 …だが、私は動く事もできずに見送るしかなかった。たかがこの程度の呪縛じゅばくでさえ、今の私にはける力がなかったのだ。装置が遠のけば動けたかもしれないが、近くにあるのでは、このままずっと身をすしかない。

「くそっ! リックめ!」
 何も出来ないまま時間だけが過ぎる。5分が10分に、10分が30分に、30分が1時間へと経過する。私はまったく身動きできないまま、再度、姉達の気配を辿たどってみた。しかしやはり反応が無い。あれから50年が経過しても私しか居なかった。頼るべき姉はいなかったのだ。

 そして今、守るべき妹と同じ境遇を持つ娘がさらわれた。
 弱い私を嘲笑あざわらうかのように、無力な私を打ちのめすかのように、あの時と同じように……、



 ただ、時間だけが無常に流れていく────。











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