ティータ と アガット

@ にがトマトサンドは苦い味
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「うげっ、なんだこの味は…」
 アガットはその特異な味に顔をしかめた。
「おやおや、重剣のアガットともあろうものがこの味がわからない、というわけですかい? そんなこっちゃその二つ名が泣きますよ」
「ほっとけ。だいたい”苦い違い”だ。こういうのは渋いっていうんだ」
「わかってないなぁ。この新作のセンスが。お昼ともなれば工房の皆さんは我先に、と注文していきますよ?」
「ああ、そうかい……」
 店のマスターにそんな冗談を言われるが、そんな事は無視してブラックコーヒーをすする。
 アガットはもう皿に手をつける気がないようで、新作「にがトマトサンド」の大半は取り残される結果となった。

 がっしりとした体躯たいくと若く瑞々みずみずしい筋肉。それは同年代の若者とはどこか違う風格をただよわせている。整った顔にはいくつもの傷があり、普通ではない荒事あらごとの中で生きてきた事を物語っていた。
 身に着けているのは服装はカーキのシャツに黒地のパンツという簡素なものだが、どこか重厚を思わせる服が、彼の人となりを表しているようだ。
 そして一際目立つのは、風で揺れるその特徴的な赤い髪。まるで燃える炎がそのまま髪となったかのように天へと逆立っている。まるで彼という人物そのものを意味するような激しさを感じ取れる。

 ──しかし、今この場においては、イヤだイヤだ、とまるで「にがトマトサンド」を食べるのを拒んでいるようでもあった…。

 彼、アガットは、「遊撃士」という仕事をする剣士だ。
 遊撃士は、人々の依頼を受け、解決する国から認められた職業で、人を襲う魔獣退治や、護衛、荷物の運搬など幅広い活動をする。
 国の兵士もいるが、多様化する依頼に細部にまで手を回すことができない。そのための遊撃、つまり自由人的に動ける組織が必要なのである。
 この魔獣蔓延はびこる時代では、人々にもっとも必要とされる仕事の一つなのだ。
 そしてアガットは、”凄腕”として若手遊撃士の中でも注目される人物だ。彼の二つ名 《重剣のアガット》とは、彼の持つ巨大な剣から名付けられたものである。

「アガットさん、もう食べないんですか?」
 隣にちょこん、と腰掛け、人気メニュー「うずまきパスタ」を食べていたティータは、不思議そうな顔でその視線を上に向けた。
 立派な成人であり、しかも長身であるアガットに対し、少女はまだ12歳。座高の高さがあまりにも違うので、いつも上を見上げる事になる。
 きらびやかな金髪に、愛らしい顔立ち。機械作業服をモチーフとしたような動きやすそうな赤の服が彼女のトレードマークだ。
「俺はこの新作とやらに嫌われたそうだからな」
 アガットはそう受け流し、面倒くさそうにコーヒーを飲む。
「ひとついただいていいでしょうか?」
「おいおい、やめとけ。渋くて食えたもんじゃねぇぞ」
「えへへ、いただいます」
 彼はそう言うのだが、ティータは面白そうに手を延ばし、勿体もったいつけずに口へと運んだ。
 アガットはその勇気に少し驚き、そのままあきれていた。工房の研究者なんていう変人達なら話はわかるが、普通の奴の口に合う食べ物とは思えない。

「どうだい? ティータちゃん!?」
 店のマスターは目を爛々らんらんと輝かせ、新作の感想を待ち受けている。
「ん、おいしいですよ。なんか変わった味です」
 ティータは笑顔で答えた。マスターは大喜びで踊りだす。
「…ああ、そうだったな」
 そういえば、ティータは機械工房で第一線を張る技術者だったのをすっかり忘れていた。それも簡単な手伝いではない、この世界中で扱われているエネルギー技術”オーブメント”を研究し、技術応用をする事ができるというエンジニアなのである。普通の人が聞けば誰でも驚くことだろう。しかし、彼女にとってはなんでもない、当たり前の事だった。
 最近、付き合いが長いせいか、そういうことを忘れてしまっている自分が悲しくなるアガット。
 無理もない。この他愛ない笑顔を見て、誰が最高クラスのエンジニアだと思うだろうか。

 正直言えば、工房の者が変人、というのはアガットの勝手な思い込みなのだが、そこにティータを含めねばならないことを、彼は後悔するに至った。
「いや〜そうかい、そうかい! さすがはラッセル博士のお孫さん! 話がわかる! くぅ〜、これならグランセル王都に持ち込んでも人気間違いなしだ!」
「おい…、こんなもの他の地方へ出すな。被害者が増える」
「どーしてですか? おいしいですよー」
 ティータはその無邪気な笑顔をアガットへと向けた。

「マスター。勘定かんじょうだ」
 アガットはコーヒーを飲み終え、他の客に新作の感想を聞きにいっているマスターを呼ぶ。
「なんだい、もうお帰りですかい? もう一度新作にトライしてみませんか? アガットさんのオススメともなれば、箔が付くのに」
「そうですよ、アガットさん。もう一つどうですか?」
「結構だ!」
 食べるのはもとより、宣伝に使われたんじゃたまらない。2人が結託けったくしたようにオススメする新作を横目に、アガットはうんざりしながらサイフから小銭を出す。
「こいつと俺の分まとめてだからな」
「あ、いえ! 私は自分で…」
「子供はおとなしく言う事を聞くもんだぞ。それよりティータも急ぐんじゃないのか?」
「ふえ? え、えーと…そうです…」
 アガットは精算を済ますと、身の丈ほどもある重剣を背負い、留め金を固定した。
 さっさと支度する彼を見て、ティータはちょっと寂しかった。せっかく理由をつけてランチを一緒にしたのに、もうちょっとゆっくりしていて欲しかったからだ。

「そうだ、アガットさん。今回の仕事が済んだら他の支部へ行くんですっけ?」
 マスターは領収書を出しながら、なにげない話題を振った。アガットは顔に手をやり、言っちまいやがった…と小声で言う。
 その言葉に一番ショックを受けていたのはティータだった。

「アガットさん! 他の場所に行っちゃうんですか!?」
 ティータは身を乗り出して問う。
「んー…、まあ、な」
 アガットはバツが悪そうに視線を合わせずにしている。こうなることが判っていて、ティータには教えてなかったのだ。
 マスターは地雷を踏んでしまったことを長年の客商売の経験から感じ取り、そろりそろりと逃げていく。
 両隣に座っていた客も、席を一つ横にずらし、そしてさらにずらして退避たいひしていく…。

「当分居るっていったのに! 昨日言ってくれたのに…。アガットさんずるいです」
 どんどん泣き顔になるティータにアガットはどうなぐさめようかあわてふためいた。
「い、いや、あのな、急な仕事が入ったんだ。俺じゃなけりゃカタがつかねぇ仕事なんだよ」
 世界広し、といえども、重剣の異名をとる彼をここまで狼狽ろうばいさせられるのはティータだけだった。
 獲物を狩る、慈悲じひ無き剣士とも呼ばれ恐れられる彼が、どうしてここまでティータを大事にしているかは定かではないが、今まさに、ここは修羅場である。

「ひどいです…」
 ティータはそのまま静かに元の位置に戻ると、しゅんとして小さな体をさらに縮める。
「マスター、あとは任せたからな! じゃ、じゃあな、ティータ。仕事遅れるなよ」
 アガットはそういい残して走り出す。立つ鳥、あとにごして…。
「逃げたね」
「逃げましたよね」
 他の客のささやかな会話が、店のムードを物語っていた。客商売として、マスターが困るのはこんな時である。
 ティータは何も言わず、のったりとした速度で、にがトマトサンドに手をやり、黙々と食べ始めた。
「あ、味はどうだい…? や、やっぱり…美味しいよなぁ」
 マスターの薄ら笑いはやけに寒い。ティータは少しして、こう答えた。
「苦い…です…」


 機械工学で有名な都市[ツァイス]は、到る場所から黒い煙を吐き出すという、世界でも変わった外観を持つ文明都市として、その名を広めている。
 しかし、自然と調和した生活を営む人々は、むやみにその領域を広めず、居住区を縦へ上へ、と伸ばしている。必要以上に自然を犯さない。それがツァイスの誇りなのだ。

 これは、そこに住む可愛いエンジニア「ティータ」と、遊撃士として名を馳せる「アガット」の、ほんの些細ささいな事件の話である…。




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