ティータ と アガット

A 夕暮れのトラット平原道
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 ちびりちびり、とフルーツ牛乳を飲むティータは、見るからに気落ちした様子で、しょんぼりしている。
 今はまだ、おやつの時間であるため、食堂兼酒場である広間はガランとしていた。
 聞こえるのはただ水が流れる音くらいで、時に子供達の遊ぶ声が届く程度。それゆえにティータはその背景に溶け込むように存在感がなかった。

 ここはエルモ村。温泉街として知られる閑静かんせいな観光地だ。
 工房都市ツァイスからも近く、街道を隔てるものの、ほとんど隣村程度の距離にあり、東方の国カルバード共和国に近いせいか、その血を強く引き継いだ人々が暮らす場所でもある。
 ティータはそこにある温泉宿へと遊びに来ていた。

 この宿は、祖父であり、機械工学の権威でもあるラッセル博士の幼馴染みである「マオ婆さん」が経営している宿で、ティータにとってはもう一つの我が家みたいなものなのである。
 幼い頃から面倒を見てもらっているお婆ちゃんに、事あるごとに報告しにくるティータ。今回も、とある事情で着てみたものの、当の本人はこの通り元気がない。

「まったく何があったんだい? ティータがそんなんじゃ、お日様だって隠れちまうよ」
「うん…」
 遅れて返ってきたティータの返事を聞き、マオ婆さんは、こりゃあ重症だ、と感じ取る。しかし同時に少し嬉しい気持ちだった。
 今までティータが気落ちしていた時は何度かあった。しかしそれは、研究がうまくいかない、などの些細ささいな話で、子供にしては寂しい話でもあったのだ。
 しかしながら、今回はそれとは違う。まだまだ子供だと思っていたこの子が、まさか男性の事で悩んでいるとは…。それは兄として慕う気持ちなのだろうが、それでもマオ婆さんからみれば、小踊りしたいくらい嬉しい。

 しかし…当の本人はご覧の通り。それどころではない事もよくわかっていた。

「お婆ちゃん、ごめんね。忙しいのに…」
「何言ってんだい。ティータの一大事に宿の客なんか気にしてられるかい? ほっときゃいいのさ」
 客よりもまずティータ。マオ婆さんには当然の事だった。こんなところが、肝っ玉婆さんとして知られる所以でもあるのだが…しかし困った。どう切り出すべきか悩んでしまう。
「お婆ちゃん」
「おや、なんだい?」
 ティータがふと、顔を上げた。マオ婆さんは皿を洗いながら振り向かずに聞く。普段と変わらないように。それがいいと思った。
「お婆ちゃんが昔、カルバード共和国からこの村に来たとき、やっぱり寂しかった?」
 思ってもみない事を聞かれ、マオ婆さんは少し困った顔をして振り向いた。
「そうだねぇ。そりゃあ、ちょっとは思ったさ」
「うん…」
 ティータは少しうつむき、言葉を編み出す。

「私ね、この前、お爺ちゃんと私が指名手配された時、アガットさんに付いて、各地を逃げ回っていたでしょ? その時ね、不謹慎だけど、少し嬉しかったんだ。アガットさんと一緒に居れるって」
「でもね、アガットさん仕事で、もうすぐ他の支部へいっちゃうの。…私また一人になっちゃうから…」
「そうかい…」

 先の王都情報部によるクーデターに巻き込まれ、ティータとラッセル博士は軍に追われている時期があった。
 その時に二人を救ったのは、他でもない遊撃士である《重剣のアガット》だ。
 マオ婆さんはそれほど面識があるわけでもないが、一度この宿を訪れた時に見ている。ティータがあまりにも懐いているのを見て、安心したものだ。
 見掛けはふてぶてしいが、目がとても優しい青年であった。

 マオ婆さんはそれを思い浮かべ、作業を止めてティータの向かいに座った。うつむいたティータを励ますように言葉を繰り出す。
「どうせすぐ帰ってくるんだろ? そりゃあ向うにも都合がある。それが仕事だからね。それにティータだってこの前、うちのポンプが不調だからって直してくれたじゃないか」
「うん」
「それも仕事で来た。直す責任があったんだろ? それと同じさ」
「うん」
「責任は果たさなくちゃいけない。アガットさんもそういう人なんだろ? それとも責任も全部捨てて、ただノンビリしてるアガットさんがいいのかい?」
 ティータはうつむいたまま、ふるふると顔を振る。

「寂しいけど、ティータがそんな顔してたんじゃいけないよ。頑張って行ってこいってはげましてあげなくちゃ」
 とても優しく励まされ納得するティータ。しかしその笑顔があまりに頼りない。こんなに落ち込んだティータを見るのは初めてだったのだ。悩みの種類は歓迎するけれど、さすがに心配ではある。
 気持ちを整理するのには時間が必要だ、という事は教えてはやれない。自分で感じてもらうしかないと、はがゆい気持ちのマオ婆さんだった。


 夕暮れ。
 帰り道のティータは、朱に染まる日を受け、地面に長い影を伸ばしながらトボトボと歩いていた。
 マオ婆さんには泊まっていけ、と勧められたのだけれど、やっぱり帰る事にした。祖父であるラッセル博士は、一度研究に没頭してしまうと食べることも忘れ、平気で朝まで続けてしまう。自分がいないと、とても心配なのだ。
 しかし、ティータもまだふっ切れたわけではない。マオ婆さんのいう事はわかる。けれど、それをそのまま受け入れるには、彼女はまだ幼すぎたのも事実だった。

「………?」
 ティータは何かを聞いた気がした。立ち止まり周囲へと頭を巡らす…。
 風の音だったのだろうか? なんとなく気になって、耳を澄ましてみる。
「ミー ミー」
 聞こえた。それはとても小さい、とてもか細い声だった。
 どこからだろう? それはこんなところに居るはずもない「子猫」の泣き声に似ている。
 ティータはさらに注意を傾け、首を左右へと巡らし、どこからか聞こえるその頼りない声を探った。
「ミー」
 視線は一箇所で止まる。小岩の後ろに無造作に転がっている白い箱を捕えていた。
 エルモ村からツァイスへと続くこのトラット平原道は、それほど人通りが多くない。それに、草木があるとはいえ、ほとんどが雑草と石畳の広い道で、見渡しはいい。こんなに目立つ箱を落として気が付かないわけがないのだが…。
 そこにある箱は、あまりに不自然な存在だった。

「ミー ミー」
 変わらず聞こえる鳴き声。ティータは興味を押さえられず、その箱に手をつけた。
 そっとフタをあける。
「わぁ」
 そこには、予想した通り子猫が入っていた。ふっくらとした羽毛のような白い毛並みが、まだ生まれて間もない事を表している。
 クリクリとした瞳に、ぴん、と伸びた尻尾はふるふると震え、手足が所在なさげに周囲をさ迷っている。その姿はあまりに可愛く、ティータの心をとらえるのに時間はかからなかった。

「わぁ〜! 可愛い〜!」
 ティータはその場に座り込んで子猫をあやす。ちょっと指を入れただけで、ペロペロと舐めてくれるザラザラした舌。猫特有の声の甘い声にティータはもうたまらなくなる。

 しばらく子猫と遊んでいたが、ふと思った。
「でも…、なんでこんな所に猫ちゃんが……?」
 子猫を抱き上げ周囲を見渡すが、やはり人影はなく、ティータ一人だけがポツンと夕日に照らされている。
「どうしよう…。この子の飼い主さんが探してるかもしれない。でも、こんな所においといたら、魔獣に襲われちゃうかもしれないし・・・」
 猫はティータの胸ですでに寝息を立てている。彼女に抱かれて安心したのだろう。

「しかたないよね?」
 そう自分に言い聞かせ、ちょっと胸を弾ませて帰路きろに着こうとする。このままにしておけない。置いて行けるわけがない。こんな可愛い子を誰が見捨てられるというのか?
 この時ばかりはアガットの事を忘れ、いつもの自分に戻っている事をまだ気が付いてない。それだけ、この可愛い生き物に心奪われていたという事だろう。

 少し浮かれて帰ろうとするティータ。しかし、彼女の周囲には嫌な気配が漂っていた。

 しげみから低い唸り声が聞こえる。
 敵意をむき出しにした不気味に光る赤い目。それはティータに比べてもかなり小さいのだが、視線だけでその存在を際立たせているようだ。
「そ、装攻ウサギ!?」
 ティータがその姿を認めたその魔獣は、姿こそウサギのようではあるが、「装攻」の名に相応しい装甲と呼べる甲殻類のような外皮を持ち、口先の鋭い牙は相手の喉元を掻き切る刃を持つ。
 集団で狩りをし、1匹居れば10匹は隠れているといわれる狡猾な狩人。まさしく悪魔のウサギである。

 ほとんどの場合、発見されれば遊撃士協会に通報され早期に退治される。そのため最近は被害も出ていなかったのだが…。警戒をおこたってしまった。ツァイスとエルモ村は隣町同然とはいえ、決して安心しきってはならない。それは常識だった。

「え、えーと、そうだ! 武器を出さなくちゃ!」
 気を取られていたとはいえ、囲まれているとは思わなかった。すっかり忘れてしまっていた自分を責めつつ、腰に下げた銃を取り出す。
 取り出したのは銃ではあるが、正式には「導力砲」という。この世界での銃とは、金属の弾を打ち出すものは少ない。アーツ導力という超自然エネルギーを利用したエネルギー砲が一般的なのだ。
 ティータが取り出したのは、その中でもかなり上等なものだ。しかもエンジニアである自らが改造したものである。威力だけなら例え装攻の名を冠する相手だろうと、物の数ではない。しかし………。

「お、重い」

 右手に猫を抱き、残りの左手で持ち上げようとした導力砲はその細腕には少々重荷だった。いつもは両手で支えて使っているのだが、まさか片手しか使えないなんて考えてもなかったのである。

 そうしている間にも、そこかしこの茂みから無数の装攻ウサギが飛び出し、その驚異的な速度で牙を向けてくる。
「このっ!」
 夕暮れの静けさを打ち破る砲撃音が轟いた。一撃で広範囲を狙える武器ではあるが、腕力が足りずに、ちゃんと構える事ができずに狙いがブレてしまい、魔獣とは程遠い場所に着弾する。
 その隙を狙うかのように、次々と襲い掛かるウサギ達の凶刃が徐々にティータをかすめ、傷つけていく。
 たて続けに発射される砲撃は、何匹かのウサギを捕えるものの、思った以上に数がいる。片手でなくとも苦しい相手なのに、この状況はあまりにも不利であった。
 衰えることを知らない獰猛どうもうな魔獣が、右から左から、数を減らすことなく獲物を捕食しようと襲い掛かる。

「きゃあ!」
 ティータの腕を牙が捕えた。あまりの痛みに腕を振り払う。しかし握力をも奪う一撃が、それと共に導力砲までも落してしまった。
 それでもまだ容赦ようしゃない攻撃を加えてくるウサギ達。ティータは子猫を守るだけで精一杯で、武器を拾うことすらも適わない。避けるだけでウザギの猛攻は留まる術を知らない。どんどん追い詰められていくばかりだ。

 怖い……。

 次第に恐怖が心を支配していく。
 目の前に迫る魔獣は、容赦なく間合いを詰めてくる。傷ついたティータはもう震える事しかできなかった。

「やいやい! そこの魔獣ども! 俺が相手だー!」
 その鋭い剣撃がウサギをなぎ払った。まるで魚でもさばくかのように、次々と切断されていくウサギ達。ティータは呆然とその姿を見止める。
「あ…、グラッツさん…」
 ティータがつぶやいた声は、その声の主に届いたらしい。戦いつつも、なぜかこちらに振り向き白い歯をキラリと光らせ笑顔を向けた。
「おおっと、お姫様。そこでジッとしてなよ。今すぐコイツらを始末するからな!」

 遊撃士グラッツ。工業都市ツァイスの隣、観光名所として知られる『ルーアン』の支部に席を置く少し名の売れた青年だ。さすがにアガット程の二つ名を持っているわけではないが、数々の仕事を効率よくこなしていく有能な人材。その強さから、王都グランセルの武術大会へも参加し、団体戦でベスト4にまで残った程の腕前でもある。
 しかし、このグラッツさん。少々変な人であった。
「うおおお! 喰らえぇぇい! グラッツスペシャル!!」
 気合の咆哮ほうこうと共に繰り出される必殺の一撃が炸裂さくれつした。最後の1匹であるウサギが中空を舞い、体液を散らして地面へと叩きつけられる。ウサギはピクリと身震いすると、そのまま動かなくなった。
 …そう。彼は技に自分の名前を付けているのだ。ついでに口ばっかりデカく、やること成すこと大げさ。ようするにお調子モノなのである。このグラッツさんは。

「さ。立てるかい? お姫様」
 あっさりとウサギ達を駆除くじょしたグラッツは剣を収める。そして、へたり込んだティータへと手を差し伸べた。
「アガットじゃなくて残念だったかな?」
「えっ、違います! そんな事ないですよ! 助けてくれてありがとうございました」
 そういうとティータはペコリとお辞儀じぎをした。

「それよりも、ほら、右手出してくれ」
 そういってティータの手を取ると、さきほどまれた傷口を見る。
「一応、消毒しておこう」
 グラッツは馴れた手つきで傷の手当てをする。その様を見ていると、ティータはいつも思う。見た目はお調子者だけど、いつでも気配りを忘れない。彼はこう見えて、とても紳士なのである。ティータはグラッツさんもとても好きだった。
「さ、帰ろう。みんな心配してるよ」
「うん。グラッツさん。ありがとう…」
 でもこの好きは、アガットさんへの好きとちょっと違って、どちらかというとお爺ちゃんや、マオお婆ちゃんへの好きと同じような感じ…。

「礼ならアガットに言っておきなよ? アイツから頼まれてお迎えに上がったんだからね」
「アガットさんが?」
 ティータはなぜか頬を赤らめた。なんでそうなるのかは自分でもわからない。だけど、それはとても温かい気持ちにさせてくれる。なぜか胸が苦しいけれど、気分が悪いわけじゃなかった。

 街道は日が暮れ、街路灯が細々と明かりを主張し始める。木々が不気味さを増し、周囲が闇をまとっていく。
 二人はゆっくりとツァイスへと向かって歩き出した。グラッツはティータの歩調に合わせながら、さっきから黙ってしまった彼女を気遣うように、のんびりと歩いていく。

「朝方に少しもめたそうじゃないか。道行く人に会うたびに聞かされたよ」
「はい…」
 朝の事。まるで随分ずいぶん前のような気がする重い気持ち。この子猫の事ですっかり忘れていたけれど、解決しようもない問題だった。
 さきほどから何事もなかったかの様に眠る子猫へと視線を落す。そうすると、少しだけ救われたような、微笑ましさが自分をいやしてくれる。解決はしてないけれど、ちょっとだけ気持ちが軽くなった。

「それでちょっとな、いい事を思いついたんだよ」
「いい事・・・ですか?」
「ああ。ちょっと耳貸してくれ」
「はい」
「あのね…」
 耳打ちされる”提案”を聞くティータは、みるみるうちに顔を輝かせていく。これまでの落ち込み様がウソのような、いつも元気で、笑顔がまぶしい元のティータへと戻っていった。

 さて、グラッツはどんな事を話したのだろうか?







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