■ 語りレビュー ■
プレイヤーを無視する
ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡
機種: GC ジャンル:シミュレーションRPG
ゲームキューブという機種を使う本作は、現時点で最高のスペックを利用したファイアーエムブレムである。
これまでのスーパーファミコン、GBアドバンスという努力しないと容量が足りないという中での作品とは違い、制限なく色々やれる立場での作品である。
そうした中で生まれたこの「蒼炎の軌跡」とはいかなるものなのか? 色々と考察してみたい。
■意味のない3D
これまでと違い、アニメから3Dとなった初の作品ではあったが、そのデキはどうだったであろうか?
まず画面を見るとわかるのだが、基本的な見下ろしは変わってはいない。…がしかし、キャラクター等身がリアルサイズとなったため、等身を縮小しているのだから、MAP見下ろしになれば当然キャラが小さくなり見辛い。
せっかくの3DをMAPに生かせたかといえば、逆にマイナスだと感じる。もちろん回転、拡大縮小という機能はあるが、そんなものはオマケであり意味がない。わざわざ見づらくしているのだから、それくらいは付いていて当然の処置だ。
しかし、なぜ「見下ろすだけ」なのだろう? 3Dならではの、もっと別の方向性での遊びを提供できなかったのか?
例えば、3Dダンジョンとまでいかなくとも、そういった低い目線で街や森、城を演出したらどうだっただろうか?
わかりやすくいえば、バイオハザードみたいな目線だ。そこまで低くなくとも、見える範囲が狭く、敵が隠れている演出も面白くはできないだろうか? 入り組んだ街や木々の乱立する森。キャラクターごとに周囲を見ることができる範囲があり、単純な戦闘力だけではままならない、・・・そういった遊びも提供できたはずだ。
もちろんこれは例だし、良ではないにしても、今回はこれまでの繰り返しでしかなく、せっかくの3Dを利用した遊びがない。MAPを楽しませようという部分が一切感じられなかった。
これは戦闘シーンでも言えることで、あまり動きのない3Dキャラが「もさもさ」動くだけで、視点を変えたりすることはできない。
キャラクターごとにグラフィックがあろうとも、それを満足に見ることができない。まるで、近いと処理が荒いので見せたくないといった感じだ。
しかも、こじんまりしている。動くだけで、剣を振るだけ、槍をつくだけ、で、目新しい動きはないし、面白みがない。「魅せる」シーンがないのである。
・・・なぜ、飛行系同士が空中戦をしたりするシーンがないのだろう? 歩兵相手にわざわざ地面に降り立って剣を振るという頭の悪い戦闘をするのだろう? 反撃されない方法はいくらでもあるだろうに。
飛行系同士が戦うとき、空中ですれ違い様に武器を振り合う、という「見せ方」もできたはずである。
空中で倒された者は騎乗しているものから人だけが落ちたりする演出もあればよかった。
それに弓もそうだ。弓兵が飛行系を射った時、空に向けて撃った方が、「なぜ飛行系が弓に弱いのか?」という口だけの説明でない「具体的な弱点の有り方」を示せたはずである。
せっかくの3Dなのに、3Dらしい見せ方をしていない。
「ただ3Dにしただけ」の、3Dという仮面をつけただけの、中身のアイデアが伴っていない見せ方しかできていないのである。
これの製作元はインテリジェントシステムだが、それでも「任天堂ブランド」で発売した作品である。任天堂はもっと自由な遊びを提供するのではなかったのか? 夢のある演出や、遊びで魅せることがモットーではなかったのか?
単に、製作者が時代だけを追いかけて、ニーズに答えたつもりでいるだけではないのだろうか?
そういう甘さがあるから、戦闘中にフリーズして動かなくなる、というようなバグを出しながら、平気で発売しているのではあるまいか?
■平凡より悪いストーリー
とにかくストーリーが悪い。あまりにも考えがない、というか、利益主体でしか物事を考えない作りをしている。
エムブレムといえば、主人公のみならず、登場キャラすべてにドラマがあるゲームだ。戦うべき宿敵、戦いたくない相手、思いがけない敵の行動など様様な面でのドラマを期待し、プレイする。それがファイアーエムブレムであった。
今回はどうだろうか? 登場キャラに魅力は感じただろうか?
たしかに特徴のある人々は揃ってはいたのだが、話自体に関わるキャラがあまりいない。出て来たら来たで、
「知らない」
「知ってるけど教えない」
「今作では明かさない」
次回作への伏線らしきものだらけを張り巡らせ、至る所でプレイヤーを馬鹿にした会話を繰り返す。置き去りにする。クリアしても謎は謎のままであり、ゲームのけだるさと相まって、怒りさえ沸く。
伏線だらけの会話、子供キャラの多さ(数年後設定で成長させて使える)、意味なく登場する顔見せだけのキャラ、真のラスボス出さない、死んだとは思えないライバル・・・など、まるで次回作を出すことが前提であるとしか思えない作りだ。
元々この蒼炎は、公式ページのQ&Aでも語っているとおり、新しいFEの第一歩という位置付けだ。つまり、仕切りなおしと名言している。
そこから見えてくるのは、今回から続編モノとして新シリーズを立ち上げます。という事であり、その第一話である本作は、次回作のための”つなぎ”に使います。だから全部を謎にしました、・・・と言っているに等しいのである。
それならそれで構わないのだが、今後のために、謎だらけにすればいい、というその腹積もりはいかんともしがたい。
普通なら1本の話を明確にし、その話のみで楽しめる事を前提として作るものだ。謎を残すにしても、ささやかな謎だけを残して基本の物語をしっかりと構成する。それが礼儀だ。あたりまえの礼儀である。
今回のように、なんでもかんでも謎を残すなど、プレイヤーに対して失礼ではないか?
なぜ続編モノにしたかというと、答えは簡単。そのほうが総合的に「売れる」からである。次を知りたいから続編にも手を出す。第2作目をやってないから1作目に手を出す。そうした思考になるのがユーザーであり、それこそがシリーズモノというものの強みではある。一種のブランド意識といってもいい。
しかし、裏を返せば、単独で売る自信がないということだ。FEという単体だけで売上を伸ばす程のゲームが作れない、ということなのである。(この件はあとで)
さて、話を戻そう。
FEのキャラドラマといえば今まででも色々ある。このゲームでは、主人公は単なるオマケであり、自信の好きなキャラに愛を注ぐ事で知られている。だが、それはサブキャラなりにドラマがあり、引かれる部分を持つからである。魅力的なドラマを見せてくれたキャラには情がわく。だからプレイヤーは愛を注ぐのである。
今回は、それでも謎だらけにしたキャラしかいないので、愛もなにもただのユニットとしか見れない。現状、なんとなく使っている、という感じでしかないのではなかろうか? (剣士ツイハ−クのドラマ性に惚れたという猛者がいたら是非会いたい)
もうひとつ重要なのが、大筋のストーリーだ。これにはまいった。
無理にMAPを増やした、という感じのものが多く、本当に重要な話だけを抜粋すると17〜8話もないのではないか? 特に後半はひどい。ただ単純に進軍するだけで、キャラクターが関わる話もほとんどない。
ストーリー的な緩急がなく敵を倒すだけ、という話だけで芸がない。驚くような話の展開は皆無である。同じような敵、同じような話を繰り返す、それだけのものだ。
それに話自体もおかしい。
占領された国を復興させるために戦力を整えた自軍が、なぜ祖国解放もせずに敵国へ侵略するのだろうか?
自軍には余裕があるほどの戦力がないのだから、まずは祖国を取り戻し、足場を固めて、その上で攻め入るべきではないのか? それをわざわざ敵国滅ぼして、そこに敵がいなかったと思えば祖国に居た、という・・・あまりにアホな話なのである。しかも敵国を滅ぼしたものだから、土地の住民に侵略者として恨みを買うという、どう考えても頭が悪い。
誰が考えても先に祖国だろうし、FE紋章の謎でも祖国を先に取り戻している。それは当たり前のことなのだ。
なぜにわざわざ敵国を侵略したのか?
まあ、これも登場だけさせておいて、火種のひとつも作っておけば、伏線としてそのうち使える、という打算的なものであろう。全てが万事こうなのだ。そんな理不尽もそ知らぬ顔でやってのける傲慢さ。これで話が面白いわけがない。
続編のために今ある作品を殺す。そんな本末転倒なのがこの作品である。
さらに、
後半になるにつれて、自軍のキャラよりNPCの方が話しを進めて、物語を見せられる状態が続く。確かにプレイヤーが操るキャラは死んでしまえば登場させることができない。だから会話も特定のキャラにしか頼らなければならないのはわかる。
だからとて、まるでオマケのようにされるのはどうだろう? NPCが主役顔で会話しているだけのシーンを見るプレイヤーは何を思うだろうか?
その極めつけが最終MAPだ。
最終MAPでは、ラスボスへの味方の攻撃は、主人公以外まったく通じない。回復以外は見ているだけしかできないのである。そこへ、支援とは名ばかりの重要NPCが登場し、ダメージを与える。
・・・つまり、それまで育てたキャラはいらない。といわれているのだ。
分かりやすく説明すれば、RPGで主人公と仲間を育ててラスボスまで行ったけど、ラスボスにはお助けキャラだけで勝負してください。と言われているのと同じなのである。育てたのは、NPCが活躍するための舞台を演出するためだけのものだ、と言われているのである。
最終MAPとは、それまで育てて来たキャラを思い切り使うシーンである。
それをないがしろにし、見ていれば勝手に倒される、では、それまで育てて来た意味がない。
プレイヤーは馬鹿にされているのである。
■安定と停滞
ゲームは進歩しなくてはならない。常に新しい遊び、見せ方を考え、前より先へ進まねばならない。ゲーム以外のどんなものでもそうで、これにも言える事だ。
進化したつもりで、何も変えないFE。
GBアドバンス版とデコレーションが違うだけで下地は変わらないFE。
新しいものを生み出す失敗を恐れ、定番という心地よいセリフに酔う姿は、時代に取り残されていくものだ。かつてFEは「名作」と呼ばれていた時期があった。しかし今はどうだろう? 誰かがこのFEを名作と呼ぶだろうか?
会社が大きくなれば、安定を求めるのは当然である。しかし、安定と停滞を履き違え、緩やかな下降線の半ばに居ることに気が付かないのはどうだろうか?
そういう事をやっていれば、いづれ某ハドソンと同じ結末を迎える。停滞と安定を履き違えた愚か者の末路だ。(ハドソンは倒産してコナミに買い取られた)
努力と想像力をこれ以上伸ばせないのであれば、もしかすると、今は「偽物」と呼ばれているゲームに将来抜かれるかもしれない。少なくとも、あの偽物は今を努力している。偽物から脱し、偽物と呼ばれないために、今は駄目でも、それでも努力をしている。
いつまでも、天下だと思っていた任天堂がソニーに抜かれたように、FEがいつまでも天下だと決め付けている製作者の甘えがあれば、結末はハドソンと同じなのである。
次回作もまったく同じ手法で、プレイヤーを馬鹿にするのであれば、
まったく同じシステムで、プレイヤーを飽きさせるのであれば、
そういった屈辱に耐えられるほど消費者はおおらかではない。
惚れ込んでいたファイアーエムブレムが朽ちていくのは・・・とても忍びない。
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