水竜クーと虹のかけら

第一部・06−03 「クーとファリアとマリア」
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「ふー。生き返った〜。」
 さて、海に栄養を与えた水竜クーさんはといえば、もうすかっかり全快していた。たかが酒ごときで長時間も酔うほど竜は貧弱ひんじゃくではない。
 残念な事に食べたモノも全部出てしまったが、それは仕方ないというもの。酒だけを分別ぶんべつして出すなど、竜だって無理だ。

 …いや、確かにきっ腹に飲みすぎたとは思うが、ドラゴンブレスも連射だけはできるようになったので、結果的にはプラスだろう。なので気分は爽快そうかいである。(相変わらず当らないが)

「さぁて、戻ってもう一度腹を満たすとするですかねー。」
 これからが真の食事たたかいだとばかりに、ポンといきおいよく腹を叩いたクーではあったが、ちょうどその視線に止まったものがあった。いままさに接岸せつがんしようとしている小型船である。

 かなりの遠目だが、幾人いくにんかの姿が見える。ラファイナ王国の海側には数多くの諸島しょとうがあるだけで、名の知られている大国はない。巡礼じゅんれいや観光、商人など、一般的には陸伝いを使うのが普通らしい。
 小型とはいえ、それなりの大きさがあるその船を見れると、帆には国の紋章が描かれている。…という事は、諸島の一つで、唯一の国として宣言しているエンジェランドよりの者と考えるべきだろう。昔、戦争があったとかなかったとか。…そういう話もなんとなく耳にした。よく知らない。

「よくわからんけど大変な国からわざわざ来たですかね。ご苦労様ですよ。」
 ぶっちゃけ、クーにとっては、どこのどなた様であろうと大した問題ではないのだが…、そういえば、と思い出した事がある。

 なんでも、『返還の儀』とかいう大きな式典がり行われるのだとか。父が人間に預けた太陽の宝珠こと、【太陽ちゃん】を返してもらうためのものだ。クー的にはそんな大げさな儀式などいらないので、袋に詰めて返してもらえればかまわないのだが…、お祭りは大好きだったので文句を言うつもりはない。精一杯ドハデにやっていただきたいものである。

「おっ! あんなところに小娘発見!」
 そんな時、遠目に見える客船の近くに見知った顔を見えた。両の手でひさしを作り目をらせば、確かにそれは知り合いの姿である。これは挨拶あいさつをせねばと勢いよく海へと飛び込むクー。
 すると、まるで魚かと見間違うほどの高速で、矢のように泳いでいく。それは明らかに人が泳げるスピードではない!

 クーは水竜なだけあり、陸の上を走るのと同じかそれ以上の速さで泳ぐことができる。むしろ、障害物がないだけ水中の方が早いかもしれない。それは強靭きょうじんな脚力に加え、あのしりから生えている小さな尻尾が大きく影響しているからだ。それにもちろん、ああ見えてエラ呼吸も出来るので、息継ぎの心配だってない。クーは水陸両用ハイブリッドなのだ。(ちなみにエラは耳の後ろ)


 …接岸しようとしている船は飾り気のないものだった。見た目こそ豪奢ごうしゃな作りとは言えないものだが、その分、装甲にすぐれているようだ。そして船体にはエンジェランド王国の紋章が刻まれている。乗船していたのは王直属の騎士団とその従者であった。今回の式典に祝辞しゅくじを述べるためにやってきたのだろう。

 その出迎えに訪れていたのは、水竜神殿の新司祭マリアと司祭長ガクリフである。本来なら女王ないし、その直属の者が出迎えるべき賓客ひんきゃくなのだが、今回の式典は表向きでは水竜神殿主催という形になっている。だから、神殿内での最高指導者であるガクリフがやってきていたのだ。マリアが同行しているのは、新司祭であるための他国への顔みせ、という理由からである。


 ようやく接岸。
 そして船の固定と共に、船員よりも先駆けて一人の男が下船してきた。ガクリフは彼に向かって軽く会釈えしゃくをすると、作り物でない温和な笑みを浮かべて来訪者らいほうしゃへの言葉を告げた。

「ようこそラファイナへ。私は水竜神殿で司祭長を勤めさせていただいておりますガクリフ=チェンバレーです。遠路遥々えんろはるばるようこそおいでくださいました。」
「こちらこそおまねいただき光栄です。私は我が君主クリスト騎士団エルモアが第一師団、団長をまかされております。ファウスト=ロイモッセと申します。お見知りおきください。」
 ガクリフに握手を求めたのは、スラリと背の高い、親しみやすそうな印象を持つ男だった。歳の頃はまだ若さを残す30代辺りか。落ち着いた物腰ではあるが、その体躯たいくは無駄の無い筋肉がおおっており、戦事いくさごとには遠いガクリフでさえ、彼が歴戦の達人だとわかった。

「本来ならば我がエンジェランドとラファイナの国交には、我がきみクリスト自らが足を運ぶのが当然だと承知はしているのですが、何分なにぶん、高齢ゆえご容赦ようしゃ戴きたいと。そのび状を預かって参りました。どうぞ女王陛下にお目通しを。」
「そのむね先触さきぶれの使者より聞き及んでおります。クリスト陛下直属の師団長殿がお越しになったとなれば、それこそ最大の誠意でありましょう。」

恐縮きょうしゅくです。…それと気になっていたのですが、そちらのご婦人もご紹介願えませんか?」
 エンジェランドの騎士ファウストは、ガクリフの後ろにひかえていたマリアへと話題を移した。

 水竜神殿の伝統とも言うべき【経験を積んだ高齢者が司祭の座に就く】というこれまでの慣例を破り、若い娘が司祭に昇格したという話は新興国として好意的な目で見ていた。自国がそうであるように、新しい人材を取り入れる事で国をよくしていくという姿勢を評価しての事だ。もちろん、その若い娘が如何いかほどの能力があるのかも見極めたい。彼にはそういう考えもある。

 声を掛けられたマリアは、心の中では汗だくになりながらも、見た目は平静を装いながら顔合わせをする。

「初めまして、ファウスト師団長。私はこの度、水竜神殿の司祭としての役目を受けましたマリア=ヒリアスと申し───」


 マリアが礼式にのっとった挨拶あいさつを交わそうとしたその時!
 突然、海から物凄ものすごいい爆裂音と共に水柱が巻き起こる! その場にいた者全てが仰天ぎょうてんした!

 しかし、ファウスト団長だけはなんとか平静を保ち、敵襲に備えて腰から下げる剣へと手をやる。数多あまたの戦場を駆け抜けて来た熟達者、触れれば斬るかのような一切の油断を持たない達人である彼は、こんな事では心乱れない。

 だが、歴戦の彼ですら、海からの襲撃という予測不能の行動に経験があるわけではない。予想し難いその攻撃を恐れ、身構えるに留まる!




 そして次の瞬間─── 

 誰も予期せぬ、恐ろしい事態が起こった!!





「わーーーはっはっはっはっ! けしからん乳ですよ! まったくもう! けしからん乳ですよ!」
「ひゃああん! ク、クー様!? お、おやめくださぁいクー様ぁ!! ああん!」
 …いつの間にかマリアの背中からクーが現れ、問答無用でマリアの乳をみくだしていた。まるで新鮮トマトのごとく赤面しつつも逃れる事ができないマリアは、この突然の不意打ちになすすべがない。

「クーにだまってこんなに成長しやがって許せんですよ! これでもかっ! これでもですか!」
「い、いやあぁ〜、もう…ひゃめて、くださ……あぅん!」


「ぶぉ───!」
 歴戦の戦士ファウストは、鼻から大量の血を噴出して昏倒こんとうした。戦場を駆け抜けた達人も、女にはからきしのようである。

「うわあああ! だ、団長が! 団長がまた倒れた!!」
「団長! しっかり! しっかりしてください!!」
 倒れたファウストに駆け寄る配下の者、マリアの悶絶もんぜつ魅入みいっている者。騒ぎは騒ぎを呼んで、次々と野次馬やじうまが集まる始末…。頭を抱えて悩みだすガクリフは本気でどうしようかと苦悩していた。



 ───10分後。



「おう! キノコ頭のおっちゃん、久しぶりですよ! ちゃんと飯食ってるですか?」
「…クー様、私の名はガクリフだと…、会うたびに申しておりますぞ。…せめて、せめてキノコ頭はおやめください。」
「固い事言うなですよ〜。」
 確かにガクリフの髪型はキノコのような形をしているが、それを本人の前でいう根性がすさまじい。

「も、もう! クー様!! 何度言えば分かるのですか?! 会う度に、わ、私の胸を…、それに今日は本当に大切な外交なんですよ? お分かりですか!?」
「おう! わかったわかった。固い事言うなですよー。着痩きやせするくせにー。」
「や、やめてくだっさいっ!!!!!」
 ちっとも理解していないクー。本当に迷惑なことこの上ない。しかもそれでばっする事もできないのだから最悪である。

 水竜クーとマリアは3年前からの知り合いである。クーが初めて街へと出た際、騒ぎを起こしてから顔見知りとなり、その後は3日に一度は問題を起こすクーに、マリアが説教するような場面が街の名物ともなっている。マリアは奴隷救済の活動をしているためよく外出するので、自然と騒ぎに出くわす機会も多かったのだ。
 正直言うと、奴隷救済のための活動なのか、出先でクーに説教をする活動なのか、マリア自身なんとも判断に困るところである。

「いいえ! クー様は何も分かっておられません! ふざけていい時といけない時というのがあります。今日は我が国だけの話ではなく、他国の方にまで危害を加えたのですよ?! もしかすれば、これが大きな外交問題として国家間の仲というものが…」
「わかったですよ。お前はいちいち頭と乳がデカイですよ〜。」
「む、胸は関係ないです!」
「…だいたいですよ! 鼻血を吹いたのはあのオッチャンが勝手にやっただけで、そっちのが、よーーっぽどけしからんですよ。他国に足をみ入れて、いきなり鼻血を噴出ふんしゅつするとは何事ですか。外交なら鼻血ぐらい我慢するですよ!」

 言っている事がメチャクチャである。

「…………ああ、ファウスト殿が気が付かれたようだな。…では、マリア。私は詫びに出向く。クー様を頼むぞ。くれぐれも首を突っ込ませないようにな。くれぐれもな。くれぐれも、だぞ?」
「はい。命に代えても。」

「なんですよー。せっかく面白いオッチャン見つけたと思ったのに。」
「こらっ! なんて事言うんですかっ!」
 ガクリフはエンジェランド側の船でファウストが起きるのを確認すると、急いでそちらへと出向いた。いくら信仰対象の神であるクーが行った事とはいえ、ラファイナ王国の所属なのだから、全力で謝罪しなければならないのは道理。

 一応、クーの自由奔放ほんぽうさはうわさなどで各地に響き渡っているのだが、それで済ますというわけにもいかない。
 出迎えたファウストはいまだ座っているものの、それなりに元気なようである。


「ガクリフ殿…、あれが…ラファイナの信仰しているという水竜の娘、という事ですかな?」
「申し訳ありません! クー様はなんとも自由人でありまして、お元気といいますか、奇天烈キテレツと言いましょうか…。」

 戦士ファウストの唯一の弱点。彼は女性がダメなのだ。嫌いなのではない。もちろん人並に好きなのだが、恥ずかしくて仕方が無いのだ。これが公務としての政治の場であれば相手が女であろうと意識しないのだが、いきなり、目の前で乳をみくだすなどという破廉恥はれんちをされては、身が持たない。

「いえ…、今回は事故です。お気になさらずに…。」
 生粋きっすいの戦士である彼は長く戦場で生きてきた。過酷な場所、生きるか死ぬかの世界。…だからこそ、そこに色気というものはまったくない。つまり、彼の純朴じゅんぼくさは保たれたまま。そういうわけで、30歳を過ぎてもなお、これが治らない。しかも今回の件は故意こいにやられた事なので、仕方が無い鼻血なのである。

 さて、そんな残念な人とガクリフが話している頃、…元凶の水竜クーはというと、これがまた、じっとしているわけがないのだが、現在はマリアにお説教を喰らっている真っ最中である。

「許しませんよクー様! 今回ばかりはダメです! ちゃんと謝らなければ女王陛下やユニス様のお名前にも傷が付きます。」
「むむむむ…、マリアのくせにそういう名前を出すのは卑怯ひきょうですよ。ユニスはともかく、ユニスの母ちゃんを困らせるのはクーの本位じゃあないですよ。」
「…あれ…、ユニス様はいいんですか…?」

「仕方ない! ここは一つ水竜のびというものを、存分に思い知らせてやるですよっ!!」
「お、思い知らせるようなお詫びでなくて結構です! 普通に謝罪しゃざいしてくださればいいんですっ!」
「む、左様ですか。そんじゃ行くですよ。」
「いえ! 今はもう何もしないで下さい! 命に代えても通しませんからね!」

「せっかく国の威厳を取り戻そうとしたのに…。あ〜あ、これはガッカリですよ。あ〜あー。もう嫌になったでーすよ〜。」
「…本当なのですか? 本当に謝罪なのですか?」
「水竜ウソつかないですよ。クー本人が言ってるんだから間違いあるわけがないですよ。」
「そ、そこまで言うになら…。」
 それを聞いたクーは、マリアの手を引いてファウストの元へと歩いていく。彼女もまだ半信半疑だが、ここまで言われてまで謝罪を拒否きょひするのもどうかと思ったのだ。

 彼女らの歩みをさえぎっていた人波は自然と割れて、人々はこの水竜が今度は何をするのかと注視ちゅうしするだけとなった。しかし、それをだまっていられるガクリフではない。

「ク、ク、クー様! ここはお下がりくださいっ! これ以上何かをされては…。」
「へーきへーき! クーは謝罪しゃざいに来たですよ。」
「しゃ、謝罪…ですと?」
「うんうん。」
 クーのそんな態度は初めてである。これほど殊勝なクーは見た事がない。こう出られては一旦引かざるを得ないガクリフ。内心でヒヤヒヤしながらも、事態を見守る事にする。


「おい、鼻血のオッチャン! 初めまして、水竜のクーですよ。」
 青い顔をしたファウストは、血が足りなくて脳がぼやけている身ながらも、根性だけ立ち上がる。ガクリフや周囲の従者達が心配するが、それでも彼は立ち上がった。ラファイナ王国の信仰する【生き神】が目の前にいるのだ。いかに中身がアレな娘でも、さすがに座ったままというわけにもいかない。

 だが、彼はクーのその姿を見てまた鼻血が出そうになる。クーが…、若い年頃の娘が水着姿でいるだけで、すでにツライ。…しかし彼は出来る男だ。公務にまで自分の弱点をさらす男ではない。(もう遅いが…) いかに負傷していようとも、外交問題だけはおろそかにしてはならないと知っている。

「ら、ラファイナ王国が守り神の水竜殿ですな。この度は見苦しい場面をお見せしたようで…。私はエンジェランド王国君主クリスト騎士団エルモアが───」
「細かい事はどうでもいいですよ。それよりマリアに聞いたところ、さすがのクーも少しばかり邪魔をしたと思ったですよ。反省するですよ。」
 するとクーはニッコリと笑って、手を差し出してきた。握手を求められているのだろ、ファウストも安堵あんどして手を差し出すが…、クーはそのまま自然に彼の手首を握ると…。

「これで勘弁かんべんするですよ。」
 笑顔のまま、その手をマリアの胸に押し当てた。



「え……?」
「へ…?」
「うんうん。仲直りはいいものですよ。」





「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」



「ぶぉぉぉ!!!」
 マリアの悲鳴と共に、純朴ファウストは残った血液を全て鼻から噴出した! その顔が青から蒼白、やがて紫、最後は白へと変わる…。彼にはもう何も残されていなかった。残念な事に、いまので全部流れてしまった…。

「ああ! 団長! しっかりしてください団長!!」
「うあああ、なんてこった! あの団長が! 俺達の団長がまた倒れたっ!!」
「ちくしょう…なんて穏やかな顔してやがる…。」


 純情戦士ファウスト。彼は自分に出来る最大限の努力をした。彼は自国のために散ったのだ。
 彼の名誉に賭けてこれだけは言っておく。本当に…、彼はこれ以外なら完璧といっていい程の人物なのだ。

 これこそ致命的だというのは否定できないが、とりあえず、その場に居た全員が”残念な人”だという認識を共有した。これでエンジェランドは大丈夫なのかと、本気で心配する従者もいたとかいないとか…。
















 その後…。クーはキノコ頭のおっちゃん、こと、ガクリフに、
「マリアを連れて行っていいから、ここは任せてくれ」と泣きつかれて港を後にした。
 
 ガクリフはクーと仲の良いマリアをエサに厄介払やっかいばらいをしたわけだ。とにかくクーがいてはメチャクチャになるだけなわけだし。

 …港の中をユニスの待つ場所へと戻っている二人。とんでもない悪戯いたずらをしたというのに、まったく意にかいさず上機嫌で歩くクーの後ろから、すっかり元気を失くしたマリアがトボトボと付いてくる。確かに彼女は最大の被害者である。

「むぅ。そろそろ元気出すですよマリア。乳がデカイのはほこるべきですよ。」
「ヒドイです…。まだ誰にもれさせた事ないのに…。私、けがれてしまいました…。」

「どうせバスタークの小僧にちょこちょこさわられてるんじゃないですか? 毎日ちちくり合ってるのかと思ってたですけどねー。」
「ち、ちちくり…って、そ、そ、そそんな事ありません! バスターク司祭はそんなことしません!」

「えー? そうなの?」(←うたがいの眼差し)
「そうですっ! それはその……し、司祭は少しくらい後ろから抱きしめたりもしますけど、そ、そういう破廉恥はれんちな事をするような方ではないんですっ!!」

「照れんじゃねーですよコンチキショー!」
「て、照れてないです!! そんな事ないんです!」
 周囲には多くの通行人がいるというのに、二人はまったく気がついていないのか声をひそめる気はないようだ。いつも冷静なマリアなら気がつきそうなものだが、こういう話題になると周囲を気にする余裕がなくなるらしい。

「しかしマリア、ヤツには気をつけるですよ。あれはロクな大人にならなかった小僧ですからね。いざとなったら手当たり次第に手を出す輩ですよ。」
「…そんな事ありません。バスターク司祭は見た目は軽くみせてますが、常に色々と考えてらっしゃる方です。」

「いんや、普通にロクでもねえ野郎ですよ。」
「違います! ちょっと行動が乱れたところもありますけど、誠意ある方です!」
 マリアはクーの話を鵜呑うのみにしないし否定ひていもする。だからこそ、二人はこれでナカナカ意気が合っている。彼女はクーが水竜だからとて単純にしたがったりしないし、うわべだけで話したりもしない。もちろんそれは、これまでの長い付き合いによってつちかわれたもの。
 今のクーにとって、マリアはすっかり仲良しのお友達であり、こういった会話も生活の一部となっている。マリアだって、いちいち文句を言いながらも、実のところは楽しんでもいるわけだ。

 …だからと言って、毎回毎回、胸を責められるのを許容きょようしたわけではないのだが。


「ふーむ、こっちかなぁ??」
「どうしたました? クー様。」
 十字路を左右を見回して悩んでいるクーに気づいたマリアは、今更ながら、どこに向かっているのかを聞いていない。ユニス王子と合流するのかと思ったが、どうもそういう気配でもないように思える。
 クーは時折、目を細めて難しい顔でまた周囲へと視線を巡らせる。その姿は、まるで怪しい新米盗賊のようだ。

「ユニス様はどちらで待っておられるんです?」
「んー、いや。戻ろうかとは思ったですけどね、その前に、さっきエンジェランドの船から降りた奴を探してるですよ。」
「降りた方、いらしたんですか?」

「うん。あの騒ぎの中でこっそり降りた奴がいたですけど、そいつ魔力の感じがみょうだったですよ。」
「妙…ですか?」
「うむ。妙ですよ。」
 最初にファウストが鼻血を出して倒れて騒いでいた時、その騒ぎに乗じて逃げるように船から降りた姿をクーは見ていた。白い服を着た小娘だったように思うのだが…、クーはユニスのように魔力を探る術は得意ではない。魔力の多さや竜という能力からすれば、やろうと思えば憶えられるのだろうが、性格的に面倒くさい術が嫌いなのだ。だから憶えるつもりもない。

 それに、クーにしてみれば、いつもユニスが近くにいるのだから、余計に憶える必要がないわけだ。


「どういう力なのか知っていれば、私が探知できるのでしょうけど…。」
 マリアは職業柄しょくぎょうがらそういう術にも精通しているのだが、そのクーが感じた力というのが、一体どういうものなのかが分からないため手伝う事ができそうにない。クーに任せるしかないのだろう。

 …しかしながら、クーの感じた妙な力。それはこれまで感じた事のないものだった。

 魔法の力とは少し違う。竜の紋様とも違う。…どちらかと言うと、相棒のランバルトの種族である「魔神」に似ている。魔法力と魔神の力のごちゃまぜ、のような…そんな感じ。クー自身もそういう力は初めてだった。だから、そのエンジェランドの船から下船したという者が気になっていたわけだ。


「む! あっちですよ!」
 そう豪語するクーだが、実質は超テキトウで路地を歩いており、狙い済ましたかのように、どんどん人通りが少なくなっていく。どうやら歩くごとに迷っているようである。わき目も振らず、確実に間違った方向へ進んでいるようだ。

 歩き出して10分…、人通りはすでにまったくなく、倉庫の合間を埋めるように道をふさぐのは、うず高く積み上げられた廃材はいざいや、廃棄寸前のこわれた船などで、…ほとんどゴミ捨て場の様相である。周囲にはよくわからない荷物ばかりの通路があるだけだ。そのせいか昼間だというのに通路が暗い。
 しかも、ここはとても静かだった。耳に届くのは遠くなった波音くらいで、あとは自分達の足音だけが、ひたひたという音を立てている。これがまたより一層の不気味さをただよわせているのだ。景観重視が聞いてあきれる。ここを称するなら船の墓場と言い変えた方がいい。

 …そんな通路にマリアは少しおびえていた。司祭になっているからといって、今まで怖かったものが怖くなくなるわけではなく、人並みに怖いものはやっぱり怖い。船の墓場のような場所を歩いているのだから、普通の娘であれば仕方がない事だろう。

 クーの感じた気配というのは、本当にこちらへ向かっているのだろうか? 心配になってきた彼女は、周囲の不気味さなどまったく動じず、平気そうにズンズンと歩くクーへと問う。

「あ、あの…クー様、本当にこちらで合っているのですか?」
「へ? …うんうん! こっちこっち。クー間違ってないですよ。絶対間違ってないですよ!」
 冷や汗をらしながら無茶を言うクーというのは、すでにマリアも見慣れている。絶対迷っている!…それは確実だった。だが、それをめたところで、うまく出る事は難しそうだから、ここは大人しく付いていく事にする。どうせ先ほどの船には戻れない事情があるのだから諦めるしかない。いくら不気味とはいえ、幽霊やら怪物が出るわけではないのだし、少しくらいは我慢しなければならない。

「ところでクー様、ユニス様と一緒だったんですよね? それにランバルト様も。」
「ですよ。」

「…じゃあ、私達のところへ来るとき、お二人に連絡してあります?」
「ぜんぜん。」
「はぁ………。そんな事だろうと思いました…。」
 ただでさえ暗殺者が襲ってくる環境にいるというのに、それをまったく無視して一人で遊びに出るとは、さすがは水竜クーというべきか。もう少し自分の身を案じるべきだとマリアは思っている。こうしている間にも、暗殺者の魔の手は伸びてくるやもしれないのだ。こんな薄暗くて人気のない場所は、そういう相手には願ってもない好機なはず。

「(私がクー様をお守りしなくては…。)」
 いかに怖くとも、自身の責任は忘れてはならない。…そう決意を新たにした、ちょうどその時だった。

「───む!?」
「どうしま…きゃあ!」
 突然、クーがマリアを抱きかかえ、その場から飛びのいた! その瞬間、いままでいた場所が閃光せんこうに包まれ、轟音ごうおんと爆炎を上げ、高熱が陽炎かげろうを揺らす。残念ながらマリアの予想は当たっていたようだ。しかも本日2度目の暗殺者らしい。

 クーはマリアを軽々と抱えながら、全力で近くの大木へと跳躍ちょうやくする。そしてマリアをその頂上近くの太い枝に移動させた。

「クー様! 敵ならば私も戦います! これでも少しくらいの魔法だって…。」
「全然いらん。2分で終わるから、いい子にしてるですよ。」

 あっけらかんとした緊張感のないクーは、そう言うと一人で爆発のあった場所へと飛び降りる。そこで敵を迎え撃つ気らしい。そしてその表情には何のうれいもないどころか、圧倒的な余裕の笑みすらあった。これまで一度として負けた事がないクーには、絶対的自信があるようだった。

「…さて、出てくるですよ。どうせヤラレ役なんだから、隠れてても無駄ですよ〜。」
 道化のような仕草しぐさで敵へと挑発を入れるクーだが、これはわざとやっているのではない。自信があるからこそ、の発言だ。

 しかし、敵の姿は確認できなかった。完全に人気がないにも関わらず、殺気だけは消えずにいる。暗殺者がどこに姿を隠しているのか、何人いるのかさえ分からない。…だが、敵を探す必要はなかった。物陰から一人の黒づくめの男が現れたのだ。変装しているわけでもなく、ただ黒い衣装をまとった男。二人はその男が刺客である事を知る。


「初めまして水竜殿。…私はアルガー、ただの殺し屋です。依頼により命をいただきます。」
「ふーん。言われた通りに姿を見せるとはいい度胸ですよ。よっぽどボコボコにされたいらしいですよ。」
 男はその言葉にあわてることも無く、次いで意外な事を口にする。

「…水竜殿、せっかくですので”紋様の力”を使ってはいただけませんか? 一度は真近で拝見はいけんしたいと思っておりました。」
「む? 紋様? なんでお前にそんなもん使わなくちゃならんですか。生憎あいにくと今日は一回使っちゃったんで、もう使えないですよ。」

 その言葉に上から観戦していたマリアはおどろいていた。彼女も紋様の発動は何度か目にした事があるが、一日一度しか使えないという制約は初めてだ。あのクーの右足に宿る願いを叶える紋様、その力が強大な事は承知しているが、クー自身がそれを頼らずどこまで戦えるのかはマリアも知らない事である。クーがトラブルに巻き込まれた場合、基本的に紋様を使って、さっさと解決する場面がほとんどだったからだ。

 果たして、クーは紋様を使わず暗殺者を撃退できるのだろうか? そう考えると、急に恐ろしくなってくる。もしここでクーが倒されてしまうような事があれば、この国は大混乱におちいる。どこからどう見ても普通の娘であるクーだが、これでも神という立場なのだ。…そして国以上にユニスが苦しむ事になりうだろう。もちろん、マリア自身も友人である彼女が殺されて欲しくはない。
 マリアは、いざとなれば身を盾にしてでもクーを救うを覚悟をしている。それが友人である以上に、水竜神殿の司祭としての役目だ。何があっても、彼女が殺されてしまうような事態は避けなければならない。


「…フッフフフフフ…、そうだと思いましたよ水竜殿。貴方はこれまでの戦いでも、水竜殿は常に一度しか紋様を使いませんでしたからね。実はさきほどの連中、それにここ三カ月程の殺し屋は全て私がやとった捨て駒でしてね。貴方の個人の身体能力と、その厄介やっかいな紋様の力を見極めるために襲わせていただいたのです。」
「それはご苦労様ですよ。んじゃ、さっさと終わらせないと時間もったいないですよっ!」

 その言葉と共に、クーは駆け出した! しかし男は焦燥しょうそうする事なく、クーへと何かを投げつけた!
 さきほどと同じ爆弾だ!

 余裕をもって回避するクーであったが、その着弾と共に、ボンッ!というぜる音が響き、またたく間に火炎と煙が広がる! だが、この爆発は規模が小さい。変わりに炎と煙が周囲をおおっていく!
 これは煙だけを出す爆薬であるようだ。これ自体が攻撃手段ではなく、炎と煙を出し続けて対象の視界をうばうものらしい。炎が消えても煙が周囲に広がり、クーの視界を奪う!

「いかに強力な水竜でも、目でモノをとらえている限り行動は制限されるでしょう!」
 殺し屋アルガーの声が届いた瞬間、クーははじかれたようにそちらへと跳ぶ、にぎり締めた拳をブチ当てようと飛び込んだのだ! しかし、それも計算されていた事であった。

「ぬっ! なんだこれっ!?」
 いつの間にか、クーの腕や首に細い細い糸のようなモノが巻きついている。…それが徐々にクーの身体を縛り、身動きを取れなくしていった。完全に動きの止まるクー。それはまさに獲物を捕らえて逃さないクモの糸のようである!

「フッハハハハ! かかりましたね! 我がスパイダーエッジは鋼質の糸を魔法で強化した刃! いかに強靭な肉体を持っていようとも、動けば五体がバラバラです!」
 マリアは目をみはった。爆弾での発火、煙はこの鋼糸こうしを隠すためのカモフラージュであり、それに気を取られている間に、この鋼糸を張り巡らせていたのだ。彼自身が殺し屋と言うように、こんなモノで身体をとららわれたら、逃げ出す前に体が切り裂かれ、腕も足も胴も、…首さえも落ちる。

「クー様っ!! 動かないでください! いま、私がそちらに…。」
「残念だが、マリア司祭はすでに我が術中に落ちていますよ! その腕と首の鋼糸が見えませんか?!」

 なんと、大木の上にいるはずのマリアの腕や首にも、クーが巻かれているのと同じ鋼糸にからめ取られていた。その切れ味はやはりすさまじいもので、軽く触れているだけだというのに、袖口そでぐちが切れていた。魔法で研磨けんましているという事だが、それにしても恐ろしい切断力だ。ヘタに動けば腕だけでなく首もあっさり落ちることだろう。

「あ…、う……。」
 少しくらいは魔法が使えると言っていたものの、こんな相手を倒せる程の力はマリアにはない。まさか、これほど恐ろしい殺し屋が手を出してくるとは想像すらしていなかった。

「わっはっはっはっ! おい、黒服小僧! お前、面白い芸を持ってるですよ。こんなに鮮やかだとは、クーも感激したです。」
「ほほぅ、まだ余裕があるといった感じですね。その程度では自分は切られない、と。」
「へー…。よく分かったですよ。」
 クーは口のはしを釣上げ、ニヤリと笑う。そして体中に巻きつけられた鋼糸を強引に引きちぎろうと力を込める。

「こんな糸、さっさと千切ってやるで───あれ? 切れないや。」
「フフフフフッ…、水竜殿、それを容易よういに引き千切れると思ったのならそれこそ甘いっ! この鋼糸は魔法力を注ぎ込む事でさらに研磨を増すのです! 切断力はいくらでも上がる! いかに貴方の肉体が強靭きょうじんであろうとも、スパイダーエッジの前では無力なのですよ!」

「ぐ〜〜〜〜ぬ〜〜〜〜。小癪こしゃくな〜〜。」
 その言葉と共に、クーの身体のいたる箇所に赤いすじが走った。鋼糸によって傷つけられたあとである! どうやら魔法力をそそいだ事で、切断力が格段に増したためらしい。殺し屋アルガーの言う通り、クーの肉体はその威力に対応できるほど強靭きょうじんではないようだ。

「痛い…ですよ。」
「クー様! あうっ!」
 マリアの手首に巻かれた鋼糸が彼女の身体を傷つけていた。しかもクー以上に糸が食い込み、かなりの出血をしていた。その痛みに気づき、苦痛の声を上げる。このままではマリアの腕が落ちるのも時間の問題。それは同時に、いまの彼女の命がアルガーの手の内にある事も示している。まだ首の糸はゆるくされているが、絞まれば御終いだ。

「……おい、糸巻き男っ! お前、クーの友達を傷つけたな? 聞いてるですか。この馬鹿黒!! さっさと糸をはずすですよ。いまならまだ許してやるですよ。」
「フハハハハハハハ! 強がっても無駄です!! 先に死ぬのは貴方なのですからね!」
 殺し屋アルガーの計画では、あと2、3日後にしかるべき場所に誘い出す予定であったが、まさかこれほどの好機が飛び込んで来るとは思いもしなかった。そして勝利を確信した事で歓喜かんきする。
 彼の経験上、すでに勝利はるぎのないものとなっていた。なにせ水竜は単独である! そして紋様の力もすでにない。あの頭の切れるユニス王子もいない! 妙なヌイグルミもいない! いるのは司祭とは名ばかりの小娘一匹、これほどの好機、そして約束された勝機をを喜ばすにいられようか!

 この水竜クーを仕留めれば、一生を金におぼれて暮らす事ができる。ざっと10億もの金が手に入るのだから。…あの男はそう約束したのだ。あまりの巨額にいぶかしんでもみたが、アイツが言うなら間違いは無い。なんせ───。




「すいませーん! 私、道に迷ったんですけど、お取り込み中ですか?」
 ───そこで、まったく予想もしない声が届いた。全員がそちらへと視線を向けると、そこには白い服を着た少女が笑顔で立っている。学生服のような白地の服に帽子、だいだい色の短い髪をした活発そうな少女だ。

 この光景を見て笑顔、というのがおかしな話だが、少女は動じる事無く話しかけてくる。

「あーーーーーーーーーーーーーー!! 見つけた! 変なヤツーーーーーー!」
 クーが目を丸くして声を上げた。どうやら、クーが探していたみょうな力を持っているという者が、この少女らしい。

「…私の独断場に茶々を入れるとは場違いな小娘ですね。見られるのは構いませんが…、まあ、祝いのついでに殺してしまいましょうか。あの世で水竜に詫びてもらうのだなっ!」
「えー? 私を殺すんですか? ん〜、どうしようかペリカング? 私、殺されちゃうんだって。」
 少女は独り言をつぶやくが、アルガーはまったく気に留める事なくふところから先ほどの爆弾を取り出した。今度のモノは爆破に向いた品なのだろう。

 だが、殺し屋アルガーがそれを投げる事はなかった!
 彼の顔面には、クーの吐いたドラゴンブレスが命中していたからだ!

 いつもの巨大な氷塊ではない、幅の広い皿のような円形のブレスだ! 確かに威力は下がるだろうが、これならば少し位ハズレても、どこかには当たる!!
 そしてクーの思惑通りに命中したそれは、男一人を吹き飛ばすに十分な威力だった。水分を飲まなければ発射できないはずの、加えて命中率0%のブレスを喰らうとは思っていなかった彼は、盛大に吹き飛び、地面をバウンドする!

「ぐあっ! こ、こいつっ! ───な、なぜブレスをっ!」
 クーは海に飛び込んだ時に海水を飲んでおいた。それは、こういう時のための保険である。
 彼女は能天気だが、馬鹿ではない。

 アルガーは痛みをこらええ、急いで起き上がろうとするが、その正面にはすでに水竜クーが攻撃態勢を整えていた!

「なんだっ…と! どうやって抜け──!?」
「へへーん! マリアを傷つけた事を死ぬほど後悔させてやるですよっ!」
 大きく振りかぶったパンチがうなりを上げて、またもや顔面を目掛けて放たれる!! アルガーは咄嗟とっさに腕で防御したものの、そんなものはクーのパワーの前には関係ない! すさまじいパワーの鉄拳が炸裂した!


「ぶっとべっ!!」
「───ぐあぁぁぁぁぁっ!」
 まるでボールでも投げたかのように、を描いて吹き飛ぶアルガー! さきほどの爆弾など比較ひかくにならない程に盛大な轟音と共に廃材の山へと突っ込み、それでも勢いはおとろえる事無く、なんと山を貫通して地面に落ちてゴロゴロと転がり、隣の通路の壁にぶつかって、ようやく止った。

 …さすがに死んだかと思えるほどの激突ではあったが、奇跡的にも歯が半分ぐらい折れただけで、鼻血くらいしか出ていない。ただし、顔は蜂に刺されまくったかのように、ふっくらとふくれており、まるで焼きたてアンパンのようだ。…クーが手加減していなければ、廃材の壁を3か4つを貫通した上に、全身の骨が折れて死んでいた事だろう。さすがは水竜様、暗殺者が相手だというのに寛大かんだいな事である。


「な、なひぇだ…、わ…らしの…はの鋼糸から、ぼうやっへ抜け出したという…のだ?」
「そりゃあもちろん、願いの紋様を使ったですよ。【クーとクーの友達は鋼糸武器をすり抜ける】という願いですよ〜。」

「…い、一日に一度、…ひょれが制約れは…なひのか?」
「うん。制限あるですよ。」

「で、では…、なへだ? …なへ…お前は……。」
「そりゃあ前借りしたからですよ。明日使う分を今日使うことにしたです。」

「ま…、まへがり……?」
「明日は使えないけど、今日はその分二回使えるですよ。」
 普通、魔法の力は自身の気力が尽きればそれで終わりであり、前借りなどという概念はない。考えた事すらない。
 じゃあ、その”前借り”というのはなんだというのか!? これでは完全無欠ではないか!! これが水竜というラファイナの神だというのか!!?

 こんな奴、殺せるわけがない!!

 …自分がいかにデタラメな相手と戦っていたかを思い知らされた。想像の遥か上をいくどころか、そのさらにさらにさらなる上のメチャクチャさだ。彼の長期間かけて行ってきた調査は、まったくもって無駄だったのである。アルガーは驚愕に目を見開き、絶望を抱えたまま……気を失った。



「マリア、大丈夫だったですか? クーも油断したです。お前まで巻き込むつもりはなかったですよ。ごめんなー。」
「私は大丈夫です。それよりもクー様がご無事でなによりでした。」
 クーはマリアを大木から降ろすと、さらにもう一度、紋様の力を前借りして、その傷を完全に癒した。これで2日分を前借りした事になるが、今後いくらでも紋様を使わない日はある。そうして、いつのまにか正常に戻っている事だろう。
 ちなみに、クーの傷はとっくに完治しており、そのあとすら残っていない。竜の回復力はり傷など怪我けがの内に入らない。


「紋様の力を前借りしたって…聞こえましたけど、クー様の方こそ大丈夫なんですか?」
「うん。別に〜。ちっとも〜。」
 いつものように能天気な様子で生返事を返すクー……ではあるのだが、…実はこれには相当のリスクがある。今はまだ平気だが、それをはマリアに明かす事ではないと思い、クーは黙っている事にした。

 能天気ではあるが、馬鹿ではない元気娘の水竜クー。そんな彼女は、遊ぶべき場面と、そうでない部分はちゃんとわきまえている。ただ、いつもやりすぎてしまうのは、自由奔放ほんぽうであり、悪戯いたずらが大好きなだけ、天真爛漫てんしんらんまんなだけの事…。

 そして、そんな彼女でも、これだけは確実に言える事がある。
 クーは人のつながりを大切にする。…それだけは揺るぎようのない事実なのである。



「あー! それより、そこの白服の小娘! もう平気ですよ〜。」
 ほうけたように立ち尽くしている少女は、やっと気がついたように、こちらへと駆け寄って来た。その姿はまるで生まれたてのヒヨコが親鳥の元へ駆け寄ってくるのを想像させて可愛らしい。

「えーっと、こんにちわー。お姉さん強いんですねー。」
「ふふん、それほどでもあるですよ。」
 駆けてきた少女は、思ったよりも幼いようで、年の頃は12〜4歳くらい。言葉はハッキリと話すものの、幼さが抜け切らない雰囲気だ。その笑顔が可愛らしい。

「お嬢さん、大丈夫? 怖くなかった?」
 マリアが今の戦いを見ていた少女を気遣って声を掛けるが、少女はまったく動じていない様子だ。
「なにがですかー?」
「いいえ、気にしていないのなら、いいんです。」

「えーと、お姉さん達に道を聞きたいんです。私ここ初めてなので迷っちゃって〜。」
「む…、お前、ナカナカ凄いですよ。なんとも驚きですよ。」
「???」
 クーはその幼い少女に感心していた。どうしてかというと、若いのに敬語が出来ていて立派だからだ。なにしろクーは170年も生きていて敬語がわからない。それはそれで非常に問題であるのだが、それは言わぬがはなである。

「では、クー様、この子も道に迷ったそうですし、出口を探しながら一緒に行くとしましょう。あなたもそれでいいですね?」
「うん! じゃなくて、こういう時は、はい!です。」
「ぐぬぬ…、やはりこの小娘は敬語がペラペラですよ…、なんという天才少女…。あ、そればっかり気にしても仕方ないですよ。」

 クーは当初の目的を思い出し、目の前の少女に直接聞いてみる事にした。

「ところで、お前は魔神ですか? それとも竜とかそういう系統?」
「はへ?」
 あまりにも単刀直入に質問をぶつけるクー。…この娘から感じている妙な力。それは魔神に近くもあり、魔法力によるものとも思えた。しかし、そのどちらでもあり、どちらでもない。だから本人に聞いている。普通の人間であれば、そういう疑問は遠まわしに聞くものだが、クーの辞書に遠慮という言葉はない。

「えーと、なんですそれ?」
 少女の表情は変わらず、目をぱちくりとさせてクーを見るその目は純粋そのもの。無知なものであった。少女の言う通り、彼女自身は何も知らない。自分がそんなものを持っているとは知りもしないのだ。

「ふむ。本当に知らないですか?」
「うん、知らない。…じゃなくて知りません。」
「じゃあ仕方ないですよー。」
 本人が知らないというのだから分かるわけない。クーはあっさり引き下がる。
 それにしても面白いほど単純明快な会話である。疑念、権謀けんぼう、悪巧み、心理戦、そういう言葉がまったく存在しない。この二人の間には、単純と純粋しかないので、会話の裏を考える事すら意味がない。

 しかも、面白いのはここからだった。おおよそ常人にはできない会話がそこにある。

「…ふむ。ところでお前の名前はなんと言うですか?」
「うん。ファリアです。」

「じゃあファリア。お前はラファイナに何をしに来たですか?」
「えーと、兄様が家出しちゃって、どこ探したらいいのかわからなかったんで、有名な水竜様なら分かるかなって思って頼みにきたの〜、じゃなくて来たんです。」

「ほほう。それはこの水竜クーをアテにして来たという事ですか!」
「お姉さんが水竜さんなの? じゃなくて水竜さんなんですか?」

「その通り! クーはあの有名な水竜なのですよ!」
「わぁ! 早く会えて良かった。…じゃなくて良かったです。」
「望み通りお前の兄とやらをクーが探してやるですよ!」
「ありがとー!!」

「あの…、私にも口をはさませていただけませんか?」
 ようやく、口を挟めるようになったマリア。いまの、あまりにも簡潔で自然で流れるような会話にはツッコミを入れる事もできなかったが、何か不穏な事を口にしていたように思えてならない。また無茶をしでかすのではないか? そのような予感がよぎったマリアは、それを再確認しようと口を開いた時、クーが先んじて彼女に言う。

「んじゃマリア、式典の日になったら、とりあえず帰ってくるから、ユニスの母ちゃんによろしく伝えておくれですよ。」
「ああ、はい。………………って何がです? クー様はどこかへ出掛けるのですか??」

「聞いてなかったですか? クーはこいつの兄貴を探しに旅に出るですよ。たぶんユニスも一緒に行くですから、あとは任せるですよ。」
「はぁ!!?」
 たったあれだけの会話で、クーがファリアの兄探しでラファイナを旅する事にしたなどと誰が本気にするだろうか?
 しかし、クーとはそういう娘なのだ。それが分からないのだから、マリアもまだまだである。






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