水竜クーと虹のかけら

第一部・03−02 「それぞれの戦いA バスタークの戦い」
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「───ですので、水竜様の御心みこころを広くたみに伝えるため、私達一人一人が信徒として、常に模範もはんであるべき存在にならなければなりません。」

 静謐せいひつな空気の流れるここは、ラファイナ王国東部に位置する水竜神殿。そして200余名をも収容できるという、すり鉢状ばちじょうの作りを持つ第3講堂こうどうは、多くの人が押しかけ入口まで埋まるほどであった。それは高位な司祭により、水竜信仰の理解を深める講義こうぎが行われているからだ。

 今日は、祭日という事もあり、その教えをこおうと、各地より人が集まっていた。
 近隣きんりんの者から地方貴族、旅の巡礼者、そして他国の者まで、実に数多くの様々な人々がここをおとずれ、司祭の講義に耳をかたむけている。

 ラファイナは魔法道具を精製する技術の高さで有名だが、それと同等に、水竜信仰が人気をはくしてもいた。
 なにせ水竜様は約50年前にハデな戦いをえんじている。当時の戦いの傷跡きずあとがまだ各地に残されており、なおかつ”にじ欠片かけら”という宝珠ほうじゅも現存するのだから、伝承ではない真実だとして話題にもなりやすいのだ。

 人間は印象に残りやすい”ハデなものが好き”というのは、悲しい事に、いつの時代も変わらないものだ。



「───では、本日の講義こうぎはここまでにしましょう。」
 司祭は静かに経典きょうてんを閉じ、ゆっくりと礼をした。講義こうぎの終了である。

 その司祭、…彼が頭を上げると、それが合図となって訪れた人々は一斉に席を立ち、それぞれが深くお辞儀をして退出していく。ありがたいお言葉とだと感謝しながら、各々のおもむく先へと足を運んでいった。
 ついで、壁面へきめん立哨りっしょうしていた神官達が司祭に一礼をし、規則正しく退出する。そしてようやく全員が退出する。

 彼はそれを確認すると、ようやく裏側の司祭用出口へと足を向けた。

 ……まだ24歳という若さで、神殿で6人しかなれないという”司祭”に就任しゅうにんした前代未聞ぜんだいみもんの男。
 その名をバスターク=ハンムリエと言う。

 他にるいを見ない、異質ともいうべき真白な長髪は、流れるきぬのようになめらかで、長身の割りに程よい体躯たいくととのった容姿もあって人気がある。とりわけ女性ファンも多い。
 それに、このように講義での礼儀正しい立ち振る舞いも加われば、水竜神殿の看板的存在となってもおかしくないだろう。…つまりは人気者なのだ。

 そんな彼が神殿を歩いていれば、世間と同じような反応が向けられるか、というと実はそうでもない。通路をすれ違う神官らに、羨望せんぼう畏敬いけい……とはイマイチ無縁な、諸々もろもろの眼差しを当てられながらも、彼はなんとポケットに手を突っ込み、鼻歌を歌いながら平然と、そして余裕よゆうを持って歩いている。

 司祭というと、周囲の者達の手本となるべく、威厳いげん礼節れいせつを身にまとい、話しかける事すらおそれ多いのが一般的なイメージだが、彼はそんなモノはどこ吹く風とばかりに、手にした経典きょうてんをぶらぶらとさせ、ついで、近くを歩いていた少年神官へと投げて渡した。


「わりーな兄ちゃん。それ、片付けといてくんない?」
「え、はいっ???」
 突然とつぜんの事に目を白黒させている少年を尻目しりめに、彼はふところから慣れた手つきで煙草たばこを取り出し火をつけた。周囲の事などまったくを気にする事なく、ごくごく自然に煙草たばこを吹かすと、大きくけむりを吸い込んで満足したように吐き出す。

 よもや司祭ともあろう者が、神聖なる神殿の通路で煙草を吹かすなどと誰が思うだろうか? 礼節を重んじる信徒にしてみれば、そんな破廉恥はれんちな事など考えもつかない事だろう。

 目の前の少年も当然そうだった。しかも入信してまだ日が浅いのだろう。目上の、しかも司祭という立場の彼の振る舞いに、呆然ぼうぜんとするばかりだ。

 司祭、……つまりバスタークは、そんな少年の態度に気がつくと、ニンマリと笑って、”それ”を取り出した。

「兄ちゃんも一本吸うか?」
 あろうことか、年端としはも行かぬ子供に煙草たばこすすめたのである。

「お、お待ち下さいっ! バスターク司祭! なんと不埒なっ!」
 その司祭にあるまじきヨコシマな行いを大声でせいする者がいた。バスタークは、その声の方へと面倒臭めんどうくさそうに振り向き、大声の主である女性神官に声を掛ける。

「よお、マリア。おめーは毎日元気なこったなぁ。でもよ、ちょっとばかし色気も足りねぇよ。そのローブ、もうちょい短くしねぇ? フトモモ見えるくらいによー。」

「ふしだらな発言はおやめください!! それより司祭こそ礼節を重んじてください! 私の容姿はともかく、そのような少年信徒に害物がいぶつすすめるとは! なんという悪戯あくぎですか!」

 憤然ふんぜんとしながら通路の中央に立ちふさがるのは、司祭見習の女性マリアである。まだ17歳という若さでの司祭見習いとは、かなりの修練しゅうれんと信仰心がなければならない。いうなれば大型新人(スーパールーキー)というべき才女である。
(ちなみに、普通はここからが大変で10年〜20年かかって司祭となるケースが多い。それでも17歳での司祭見習は異例の出世といえる)

 そんなこころざしの高い彼女は、立派な司祭になるべく、司祭見習という役職やくしょくとして司祭の補佐ほさをするべく配属はいぞくされたのだが、その配属先がよろしくなかった。この不真面目全開の男、バスタークの配下になってしまったからだ。

 そうして、彼の司祭にあるまじき破天荒はてんこうな振る舞いに毎日苦労させられている。

「さ、そこの貴方あなた、お行きなさい。仕事の途中なのでしょう?」
 マリアは少年の手から経典きょうてんもらい受けた。少年は我を取り戻したようにして、逃げるようにその場を去っていく。…その後姿を目で追うバスタークは、玩具おもちゃを取られた幼児であるかのように渋面じゅうめんを作り、さも残念そうにしている。

「あ〜、やだやだ。あの青少年もツマンネェ大人になるのかねぇ…。せっかく俺が色々教えてやろうってのによぅ。面白くねぇなぁ…。」
「バスターク司祭! どういうおつもりですかっ! 司祭たるもの信徒の模範もはんとなるべきと……、さきほどの講義こうぎでは御自身でおっしゃった事ではありませんかっ!」

「あー……、あれね。あんなの社交事例しゃこうじれいでしょ。司祭なんてえらそうセリフを言ってりゃOKなんだよ。実際そんな堅苦しい事してたらつかれんだろ? 息抜きしねーとよー。」
 バスタークはまた煙草たばこを吸いこみ、リング型の煙を作って遊んでいる。

「なんという言動ですか、司祭! それにその無節操むせっそう!! 信徒たるもの───」
 マリアは爆発寸前だ。これから説教せっきょうを始めんと声を張上げた時、バスタークは何気なく近寄り、マリアの藍色あいいろかみれ、指でやさしくいた。

「ちょ、ちょっ───、何を!?」
「お前さんの髪は今日もサラサラだな。…そんなに怒ると、綺麗きれいな髪がだいなしだぜ? 美人さんはしとやかに笑ってるのが仕事だ。」

「え、え!? バスターク司祭、何を……。」
「それとな、俺は後ろ髪をたばねない方が好みなんだ。面倒かもしれないが、わかないでくれねーか? その方が似合ってるしよ。」
「……あ、あの………その……。」
 これはどう考えても話題のすりえなのだが、バスタークの真剣な眼差しに、こういう事にれていないマリアには戸惑うばかりだ。なにせ、神殿育ちのお嬢様なわけだし。男性からこんな事をされたなど一度も無い。戸惑とまどって当然である。

「悪りいな〜。俺ちょっと用事があるんだよ。ちょっくら出掛けてくるぜ!」
「あ───、ちょ、ちょっと!」
 不意をかれたような形で、バスタークがけ出す。ここは追うべきなのだが、出遅れた事もあり、そのまま見送る形となってしまった。

 こうして、マリアはほぼ毎日のように、バスタークの司祭にあるまじき行動を目にし、配下であるという使命を胸に秘めつつ、今日こそは、と説教をするつもりでいどむのだが、やっぱり逃げられてしまう。むしろ一度も引きとめられた事がない。無念である。

「はぁ……、また逃げられちゃった……。」
 マリアの溜息ためいき。それには様々なねんこもっている。今日も説教できなかったとか、司祭なのにどうしてよこしまなのだろうとか、今日もあまり話せなかったとか…。

 司祭とはいえ人間失格。おおやけの場では聖人然せいじんぜんとしているが、それはねこかぶってるだけで実際はああいう人間だ。だから尊敬そんけいなどはないし、人間的に好きというわけでもない。むしろきらいなタイプである。いや、はげしく嫌いである。

 …ただ、マリアにも、あの型破りなバスタークという人物に対して、色々と思うところがあるようだった。

「……髪、どうしようかしら……。」
 そうつぶやいて、後ろ髪をたばねているひもれてみた。別に彼の好みに合わせるつもりではないのだけれど、言われてしまえばそれを気にする年頃としごろであるのも事実。

 どちらにしろ、気になる事は気になるのだ。

 あのバスタークという人が。
















 上質じょうしつ絹糸きぬいとの様になめらかな白髪の髪。碧色みどりの目。均整きんせいの取れた体躯たいく、それらをさらに際立きわだたせる長身。
 …そしてなにより、あのフザケた態度。

 それがバスターク=ハンムリエという男である。

 24歳という若さで全てが白髪というのは病気だからではない。それは遺伝によるもの。彼が特別の血筋ちすじであるという事のあかしである。ハンムリエ家でその能力を受けぐ者は、必ず白髪として生を受けるのだ。

 そして白髪である彼は、同時に”魔眼まがん”という特別の目を持っている。
 はるか昔、古代文明より発祥はっしょうしたという”魔眼”を持つ一族である。

 彼ら、ハンムリエ家の一握ひとにぎりの者は、そのひとみから通常ではる事ができない”不可視の情報”を得る事ができた。それは受け継がれた者により何が視えるかの差異さいがある。


 ───例えば、

 彼の父スラクロードは”野心を持つ者”を見極める力を持つ。

 自身が仕えるラファイナ王家に仇為あだなそうとするやから察知さっちする事ができるのだ。これにより、現女王イメルザは、即位そくいよりの長きにわたり、敵と味方の選別せんべつまどわされる事なく権威けんい維持いじする事ができた。
 そして後継ぎであるその息子、バスタークには”他者の寿命じゅみょうとその死因しいん”を見極める能力が宿やどっている。それはハンムリエ家の歴史上、一度も発現はつげんした事の無い”未来予知”であった。

 他者の寿命じゅみょう、そして死因しいんる。

 確かにそれだけの能力であり、未来予知というには大げさだと、あまり使い道がないかと思われるが、そうではない。
 その人物の死因しいん寿命じゅみょうを逆算する事で、起こり得る事態の対処たいしょをする事が出来るのだ。しかも彼はその予知をはずす事がない。100%確実に的中するのだから、まつりごとを取りまとめる上で、確実性を持つ能力ほど、役に立つものはない。父親同様に女王の手足として貢献こうけんしている。

 ……もっとも、彼が優れているのは、そういった能力だけではない。むしろ、その性格から来る、それ以外の部分によって成り立っているとも言える。

 では、それを見るために、彼の出掛けた先へと視線しせんうつしてみよう。
















邪魔じゃまするぜぇ、バフキーの旦那だんな。」
 茶色のカツラをかぶったバスタークがやって来たのは、王都をうら牛耳ぎゅうじる闇組織、盗賊ギルドの本部である。
 2階建ての、絢爛けんらんな作りの庭付き邸宅ていたく。成金貴族が住んでもおかしくないというその家から出てきたのは、腹の出た巨漢きょかんともいえる中年男性だ。

「…ああ、バスか。ヒマなやつだな、お前もよ。」
 この男の名はバフキー=ディンコース。この王都イスガルドの盗賊ギルドをまとめる団長である。

 盗賊と聞くと、せた体で目付きのギラついた小物を連想れんそうする市民は多いが、盗賊だからとイメージだけで見分けられれば苦労は無い。このように温和おんわな一般人らしき風体ふうていであるからこそ、あやしまれずに生活できているのである。

 ───王都の治安ちあんを守っているのは、警備兵の仕事だと思っている一般人は多いが、実際は、盗賊ギルドの采配さいはいによりたもたれている。警備兵は表向きの小事を取りまっているにすぎない。
 悪事の度合いや、その被害ひがい、闇商品の取り扱い、そして女王が表向きにはきんじている奴隷売買どれいばいばいですらも、全て彼らの中にある”節度せつど”によって仕切られているのだ。

 悪党のめ出しは、王都などという巨大都市においては不可能であり、悪党がいるからこそ、経済けいざいが効率良く循環じゅんかんする事を女王イメルザも知っている。
 盗賊ギルドが”やりすぎない”ならば、女王も彼らを排除はいじょしない。そういう約束事が、暗黙あんもく了解りょうかいとして成り立っているのだ。それが取引というもの。彼らもそれを知っているからこそ、女王のゆるす範囲内での”商売”に精を出しらしていられるというわけだ。

 もちろん、盗賊達は女王をあなどったりはしていない。むしろ、恐怖の対象である。あれに逆らった時点で、節度せつどえた時点で、確実に、慈悲じひの一切もなく殲滅せんめつさせられる事を知っている。だから絶対にやりすぎない。それが彼らの死守ししゅするべき節度というものなのだ。


旦那だんなもうけけてるみたいじゃねえの。売れてんだろ、奴隷どれいがよ。」
「まあな。エンジェランド方面のルートが独占どくせんできたんでな。ボロもうけよ。」
 見た目は、ただ温和おんわみを浮かべる愛想のいいオヤジ然としているバスキーだが、とんでもない。王都屈指の残虐性ざんぎゃくせいを持つ悪魔のような男だ。ギルドに歯向かった者は、徹底てっていした拷問ごうもんの上に惨殺ざんさつする。それが裏社会の秩序ちつじょを守る上で当然のことである。

 そういう部分で、女王イメルザと似た感覚を持っている人物だといえよう。…いや、組織のトップとは、てしてそういうモノなのかもしれない。


「で、バスよ。今日は何の用だ? 通りすがりの挨拶あいさつにしては物騒ぶっそうなヤツラを連れてたそうじゃねぇか。」
「おやま、そうだったかね?」
 不意の質問に、そ知らぬ顔で答えるバスタークではあるが、バフキーは彼がここまで来るのに、物騒な連中が尾行していると告げた。盗賊頭である彼に、知らぬ事などない。

「まさか、あのビリ女にうらみでも買ったか?」
「さ〜てね。そりゃあねぇと思うけどなぁ…。だけどよ、あれもこわい女だから。」

ちがいねぇ、こわいという部分には、俺も同感だがな。クッククク…。」
 バフキーは、バスタークを尾行しているやからが女王イメルザの手の者で、行動を監視かんしされているのではないか?とかんぐっているのだ。バスタークがなんらかの不始末を起こし、信用を落したため、始末しまつされるのではないかと直接的に聞いている。
 そしてバスタークはそれを否定ひていした。これはそういうやり取りである。

 ちなみに、ビリ女、というのは、ビリビリ女の略。…つまり、「雷撃を使う女」という女王の渾名あだなのようなものだ。かなり失敬しっけいな呼び名だが、これは盗賊としての隠語いんごである。(もちろん定期的に変更する)

 彼ら盗賊の世界では、どこで誰が聞き耳を立てているか、わかったものではない。だからこそ、会話のあちこちで隠語いんごもちいられる。バスタークは、そういった世界にすっかり馴染なじんでいた。それは性格からくる柔軟じゅうなん順応性じゅんおうせいというべきなのかもしれない。

「……まあいい。今日はなんだ? コウモリ役か?」
 バフキーが笑顔のまま、そう問う。しかし目の奥に渦巻うずまそろのように薄汚うすよごれたやみは、バスタークの挙動きょどうを一瞬で見逃さないようにとねらいをさだめていた。

 しかし、バスタークは気の抜けたままで答える。

「いんや、平和のハトってトコロさ。……2匹の子豚が逃げ出した。無傷なら高値だとさ。」
「ほう。そりゃあ、ハトだな。」
 これも隠語。コウモリ役ならば、女王から盗賊ギルドへの悪影響の知らせ。逆にハトならば、それは女王よりの依頼という事だ。2匹の子豚というのは、先日、女王が処刑しょけいした元貴族、ラザイ卿の子供達2名が逃げ出しているという意味。

 女王イメルザは、彼らを無傷でとららえて、親と同様に処刑しょけいするつもりなのだ。そうする事で、権威けんいという名の恐怖支配はさらに磐石ばんじゃくなものとなる。だからこそ、裏から盗賊ギルドに依頼しにきたのである。
 もちろん、世間に公表して捜索する事は容易たやすいが、それでは王家が2名を取り逃がしたと公言こうげんするようなもの。メンツがつぶれるのである。…だから盗賊ギルドへの依頼をしたというわけだ。

 イメルザはバスタークにその役目を負わせた。それはつまり、信頼されているというあかしである。バフキーからの疑惑ぎわくは、この依頼いらいにより払拭ふっしょくされたのである。

「……承知しょうちした。機嫌をそこねないうちにおりに入れてみせる。」
 彼ははそう答えると、挨拶あいさつもせずに、さっさと家に入ろうとした。そしてバスタークも用は済んだとばかりに帰路きろにつく。
 すると、門を出ようとしたバスタークの背中越しに、バスキーの声がとどいた。

「今日のお前さんの背中をねらってるのは、ウチの管轄かんかつじゃねえ。お前さんが知らなきゃ、好きにすればいいさ。」
 バスタークは振り向く事無く、手をひらひらとげて答えた。

 彼は今日、何者かに監視かんしされている事を承知しょうちしている。その相手は、女王の手の者ではない。そして今、盗賊ギルド側でもないという確証かくしょうを取った。
 バスタークが気付く程度ていどの尾行だったので、大した事のない小物こものなのだろうと思ってはいたが、もしもヤツらが盗賊ギルドの人間だったとすれば、後々に話がこじれる。

 バフキーは自分の指示無く動いた馬鹿者だと言うだろうが、ギルド所属しょぞくのメンバーはそう思わないだろう。もしも尾行者が盗賊ギルドの者だった場合、勝手に制裁せいさいを加えれば、彼らは女王側の人間に悪い感情をいだくかもしれない。

面倒めんどうくせえなぁ…。」 
 彼のいう通り、いちいち確認かくにんが必要。本当に面倒な事なのだ。なんらかの組織の一員であるという事は、しがらみからのがれる事ができない。からまったひもきほぐすような、細かな処理しなければならないのである。これを面倒めんどうと言わず、なんと言うのか。
 バスタークはわざわざ裏道を通り、スラム方面の路地ろじを進んだ。気配は確かにあり、殺気となって距離きょりめてくる。尾行する者達の目的は実にシンプルだった。


 ───そして到着したのは、廃屋はいおく立ち並ぶ広場。貧民ひんみんの住むスラムという場所である。

 バスタークはポケットに手をつっこんだまま、振りかえった。

 何者の姿すがたはなく、周囲には廃屋はいおくあららされた雑草ざっそうのみ。遠くから耳にとどくのは雑踏ざっとうの活気。大通りでの活気がどこからか別世界の事のように、この隔離かくりされた空間を戦いに相応ふさわしい場であるかのように演出えんしゅつする。

 唐突とうとつに、高速と化した石のつぶてが彼をおそった! それはスリングと呼ばれる盗賊の武器によるもの。投石用とうせきようの原始的な武器だが、人間に当れば相応そうおうのダメージを与えられる! しかも狙いは頭だ。十分に致命傷ちめいしょうねらえる場所。殺意さついかくさない一撃である!
 だが、バスタークは首を横にしただけで、それをけてみせる。まったくあわてる事なく、頭をボリボリといている。……そしてどこか楽しそうに、口のはしを釣り上げた。

「おいおい、そんなんで俺を殺すつもり? ちょっとそれはないんじゃねーの? せっかく待ってやってんだからよ、出て来いって。」
 彼がその視線を向けた先には、驚愕きょうがくに目を見開いている者がいた。尾行がバレているどころか、位置まで的確てきかくに当てられていたのだ。しかも、投石で攻撃した仲間も当然ながら位置を特定されているだろう。
 尾行者……暗殺者のリーダーは、今回のターゲットが自分達の見積みつもり通りの相手ではない事を知った。この司祭を名乗る男が、並みの盗賊ですらおよばない熟達じゅくたつした技の持ち主である事を思い知ったのだ。

 暗殺者のリーダーは指示しじを出した。
 もうかくれている事に意味は無い。今回の目的は、あの白髪の男を殺す事なのだから。


 …出てきたのは、どこにでもいるような女であった。
 安い布地の服に目立たない顔つき、頭の上まで結い上げた髪は、貧民街ひんみんがいの主婦層で流行はやっている髪形だ。娼婦しょうふというより、きわめて普通の主婦そのもの、という印象いんしょうが強い。
 そして逆方向、スリングを持って出てきた若い男は、なんと水竜神殿の信徒しんとの服装である。同じ信仰しんこうを持つべき信徒が攻撃をしてきたのだ。

 だが、バスタークはそれに動じる事もなく、欠伸あくびをして待っていた。考えればすぐ分かる事だが、暗殺者が暗殺者らしい格好で獲物えものを狙っているわけがないのである。彼らの服装が主婦や信徒しんとであるだけで、中身までそういう身分であるとはかぎらないのだ。服を着る事など誰にでもできる。
 目の前にいるのは、主婦しゅふの服を着ただけの女と、信徒の服を着ただけの男でしかない。バフキーの見た目がただの中年オヤジであるのと同じことだ。


「尾行してたの、やっぱお前ら二人だったわけね。…で? あんたらドコから来たの?」
 命をねらわれていると知りながらも、彼はまったく気に掛ける事もなく問う。だが、相手はそうではないようだ。ふところからナイフを取り出すと、問答無用もんどうむようで斬りかかってくる!

 バスタークは身軽にけて距離を置く、しかし敵は攻撃の手を休める事は無い! 猫のようなしなやかさと、きたえられた跳躍力ちょうやくりょくで獲物であるバスタークを強襲きょうしゅうする! 彼らはナイフの使い方、戦い方を心得こころえていた。その動きは盗賊ではない。暗殺者のそれである!

「ああ、そういう事。質問に答えてくれないのね。そりゃあそうか。」
 だというのに、悠長ゆうちょうな口調で語るバスタークだが、彼は2人の猛攻もうこうに対して、なんと両手をポケットに突っ込んだそのままで、次々とけているのだ!


「じゃあ、俺から一つ教えておいてやるよ。」
 大ぶりされた短剣を、跳躍ちょうやくで避けたバスタークは、二人に向かって言った。

「あんた達の寿命じゅみょう、残り約17秒。死因しいん咽喉のどにナイフが刺さるから。」
 その瞬間! 両手をポケットから抜き出し何かを投げた。果物くだものナイフである! それは吸いこまれるように二人の暗殺者の首へと刺さった! 逃げ回るだけの男から、予期よきせぬ反撃を受けた彼らは、その一瞬の攻撃に反応する事ができなかったのだ。

「ああ、悪い悪い。あんたら殺すの俺だったみたい。そりゃあ宣告せんこく通りに17秒で死ぬよな。その場にいるんだからよ。」
 そして17秒後、暗殺者は何を語る事もなく絶命ぜつめいした。彼らが誰のし金であったのか、永遠に判明はんめいする事はないだろう。

 しかし、バスタークにはどうでもいい事であった。死体をそのままにして、何事も無かったかのように帰っていく……。彼の戦いはひとまず終りをみせた。何を解決す事もなく。

 どうせ証拠しょうこなど、次の日には欠片かけらも残ってはいない。彼らの持ち物は全て乞食こじきうばっていくからだ。
 そういう意味で、スラムというのは便利べんりであり、同時に、ろくでもない街でもあるわけだ。
















「よう、シンシア。今日も可愛いな。今晩どお? ベッドの中で教義を説かねえか?」
「し、司祭様…。 私、こまります〜…。」
 翌日、講義こうぎを終えたバスタークは、相変わらずの様子で、水竜神殿の廊下ろうかにて信徒の娘を口説くどいていた。

「バスターク司祭っ!! なんという不埒ふらちな事をっ!!」
 そこへ現れたのはやっぱりマリアである。すでにそのいかりは頂点ちょうてんたっし、このまま放置ほうちすれば説教3時間コースになるのは間違い無いだろう。しかしバスタークは、どこ吹く風とばかりに、平然へいぜんとした顔をしている。

「おいおいマリアちゃんよ、お前さん教義をちゃんと勉強してるか? 水竜信仰では愛し合う事を禁じてねぇだろ? 子供ができりゃ信徒も増えてるんだから、バンバンザイじゃねーの?」  

「こ、子供ができっ──?! ……ななな、なんという不潔ふけつなっ!」
 バスタークの司祭にあるまじき言動に、頭にのぼった血がうずを巻いているかのようだ。火山が噴火ふんかする直前というのは、まさにこんな感じなのだろう。

「それとも、お前が俺と寝てくれるか? 俺はいつでも待ってるんだぜ?」
「え? ………ええええ!? ちょっと……。」
 いつのまにかバスタークに軽く抱きとめられているマリアは、怒りで頭に上った血が、こんどは頬に集中。頭の中が大混乱だ。

「じゃあ、俺はちょっと出掛けてくるからな。シンシア、マリアを頼むな。」
「はい。いってらっしゃいませ〜。」
 マリアが混乱こんらんしている間に、バスタークはいつものように、どこへともなく遊びに出掛けた。今日もまた、マリアは彼にしてやられたのである。シンシアに介抱かいほうされるマリアは、今日もまた敗北した事を知ったのである。

「………ねぇ、シンシア。バスターク司祭とその……。あの……本当に……。」
 ふと、マリアは何を思ったのか、友人であるシンシアに聞いてみた。その問いに笑顔をくずさないシンシアは、さらりと答えてみせる。

「そうねぇ…。司祭様の地位と名誉めいよ魅力みりょくよね〜。」
「そ、それじゃあ!!」
 まるでOKしちゃうのか?とでも聞くような態度たいどのマリアに、シンシアは変わらぬ笑顔のまま、言う。

「マリアちゃん次第しだいかな〜。」
 そんな友人の答えに、マリアは彼女が何を言いたかったのか、よくわからないままなのであった。


「そういえばマリアちゃん。後ろで髪わくの、やめたんだねー。なんで?」
「……うん、えっと……ちょっと。き、気分転換……かな?」
 そう答えるマリアの顔は、複雑ふくざつそうで、しかし満更まんざらでもない表情をしていた。







 バスターク=ハンムリエ。

 他者の寿命じゅみょう死因しいんる事ができる魔眼を持つ男。
 しかしそれは、彼の力の一端いったんでしかない。

 彼にとって危険と平穏へいおんとなりり合わせである。いつ何時なんどき、命をねらわれるやもしれない。そして誰とも知らない相手に命を狙われ続けている…。盗賊ギルドだって、明日にはどう転ぶかわからない。

 毎日が危険と死と平穏へいおん

 常人じょうじんであれば、えられるはずもない精神的な圧迫感をともなうだろう。気がくるってしまうやもしれない。

 しかし、彼はそれをどこかで楽しんでしまう。
 そういう豪胆ごうたんさこそがバスタークの本当の力なのだろう。



 彼が生きる以上、戦いの日々は続く───。

 そして彼はその生き方を変える事をしない。



 それこそが彼である証だからである。





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