水竜クーと虹のかけら

第一部・02−01 「孤独な少年王子」
トップへ戻る

 



「母上! やめてください! なんで彼を殺すのですか! あの人はただ、僕に話をしただけです! 殺す必要なんて───」
 僕は衛兵に両脇を押さつけられながら、公開死刑場と化した闘技場におもむく母へと声を荒げた。しかし、母は……いや、この国、ラファイナにおいて最大の権力者、全てをべる女王イメルザは、僕の方を向くことなく結論を述べる。

「私が間違っている事をした事がありますか? あの者達は罰を受けねばならないのです。罪状ざいじょうは貴方も知っているのでしょう?」
「だからといって、なぜ殺す必要があるというのですかっ!」
 僕にはあの人が、あの温和で庭仕事を楽しむ老人が処刑される結果がわからない。あの人は何も悪くない。ただ僕と、話しただけなんだ。それなのに、なぜ殺されなくてはならないのか!?

「ユニス…。あなたも王家の血を受け継ぐ責務として、この瞬間を見届けなさい。」
「母上! やめてください! お願いします! やめてくださいっ!!」
 僕が半狂乱に叫ぶ先の闘技場に、女王イメルザが足を運ぶ。その先には、何人もの人々が鎖で柱にくくりつけられていた。そしてその中には、今まで生きていてたった一人だけ、僕に普通に話しかけてくれた人が、あの老人までもがふくまれていた。

 女王が死刑囚の前に立つ。ラファイナの歴史において最も強い魔力を持ち、最も法にじゅんじる者。イメルザ=クリム=ラファイナ。彼女の扱う雷の魔法は、いかなる者の反抗すら許さない。いかなる抵抗さえ許さない。

「さあ、この世との別れは終りましたか? このラファイナに仇為あだなす反逆者ども。我が名は女王イメルザ。天よりのさばきにより、己が罪をみ締めながらめっしなさい。」
 くくられた中の一人、首謀者と言われる貴族が張り裂けんばかりに冤罪えんざいうったえていたが、女王は微動びどうだにしない。ただ魔力を集中させ、最大破壊力にて彼らを滅するのみ。その圧倒的な破壊を意味する雷撃をくららえば、死体すら残らない。

 おおよそ1分ほどの、過度に編みこまれた魔法詠唱が終了する。あとは発動言語を唱える事で呪文は効果を生み出す……。その生死の分かれ目に、女王イメルザはほんの少しだけ口元をニヤリとゆがませる。そして、誰にも聞こえぬほどの声で、彼らの中の一人、息子ユニスを陥穽かんせいに落とそうとした老人へと向きささやいた。

「……私のかわいいユニスに危害きがいおよぼすクズめ。愛する息子をまどわせるゴミめ、俗物ぞくぶつどもと共に消滅するがいい。…安心なさい。貴方の血縁者すべて、すぐに後を追う事になるでしょう。さびしくはありませんからね…フフフ…。」
 そこに居たのは女王でありながら、女王ではない。ただ一人、狂おしいほど息子に愛を注ぐ、ただの母親であった。息子に危害を加えようとする者達を、彼女はけして許さない。
 イメルザにとって、今回の処刑においての首謀者など、ただの飾りのようなモノであった。この処刑は、最初から息子をだましていた「庭師を名乗る老人」を抹殺まっさつするために整えたのだから。

 魔力が臨界りんかいを突破する! そして放たれるのは、死を呼ぶ閃光!

「───イカヅチの使者、光の墓標をって愚者ぐしゃを撃て──、ライトニング・サンダーボルトっ!」

 大地すら陥没させる雷撃による鉄槌てっつい。それが生身の人間に降り注いだ。異常な光量、圧倒的な熱量、耳朶じだを打つ轟音ごうおんが死刑囚へと降り注ぐ。公開処刑場へと集まった人々が悲鳴を上げ、護衛を任された兵士すらも、その常軌じょうきいっする衝撃に動く事ままならない。

 そしてその中で、少年───ユニスは慟哭どうこくに暮れていた───。







 なんで……、なんでこんな事に……。
 何が悪かったのか分らない。なぜこうなったのかも理解できない。

 ただ、目の前で大切な人が死ぬという光景を、惨殺される光景を、



 …少年はただ見ていた。











 ───事の始まりは、1カ月前にさかのぼる……。

 あの頃の僕は、ユニス=クリム=ラファイナは、ただ大人しいだけの子供だった。




 ……僕は趣味の範囲で、よく古代史を勉強するのだけれど、おおよそ1000年以上前に栄えていたと言われる古代文明は、今とは比較にもならない程、卓越たくえつした技術力があったんだそうだ。

 生活水準はあまりに高く、都市はその全てが白亜の宮殿のような絢爛けんらんさを持ち、区画整備は精緻せいちきわめていた。人々の衣服は不思議な素材により重ねて着こまずとも寒暖かんだんの調節が出来たようだし、もちろん食料問題で困窮こんきゅうするような事もない。そして夜の明かりにはランプを使わなくとも、壁そのものが発光していたという。それ以外にも様々に便利な道具が当たり前のように使われていたという記述きじゅつがある。

 その時代からすれば、今の水準はまったく大した事のない、極めて原始的な生活なのかもしれない。
 想像や書物の曖昧あいまいな記述だけでその全てをうかがい知るのは無理だけど、大きな差があったのは事実だろう。

 そういう事実があったのだとすれば、未知に対する興味は尽きない。一度は古代文化に触れてみたいと思うのだけど…、それも無理なのだと理解している。

 ……とはいえ近年の、少なくともここ10年ほどのラファイナ王国では、魔法による目覚しい技術が進んだ事もあり、魔導灯火により夜でも明かりに不自由しなくなったし、昼間と変わりない生活を送るだけの十分な光量を確保できている。油を一切使わず、しかも部屋も通路も灯りで満ちているだなんて、本当に凄い事だと思う。

 僕も幼少の頃は、ランプの灯火しかなかったため、暗くなれば寝るという事が当たり前だった。今に一番嬉しく思うのは、夜でも本を読むことができる事かな。


 …でもそういう環境はこの城の中だけで、地方にはあまり普及するほどではない、という話を耳にする。便利な力なだけに、普及すれば一般の暮らしも楽になるのではないかと思う。
 多くの人々は日々の暮らしで精一杯で、ランプの灯りさえなく、いまの僕のように古代への思いをせる余裕などないのかもしれない。

 そういう意味では古代にあこがれていられる環境に生きる僕は、間違いなく幸せだと言える。


コンコン……
「ユニス、まだ起きているのですか?」
 部屋をノックする音。耳に届くのは母の声だ。僕にとっては唯一の肉親であり、そしてこのラファイナ王国の女王。唯一無二の統治者でもある人。

 その母がゆっくりと扉を開ける。いつものように。

 僕と同じ茶色の髪と焦茶の瞳。即位の頃から変わらぬ美貌をたもっているという美しい人。それが僕の母、イメルザだった。
 今日も、いや僕の知る限り一日も休まず、ずっと国の舵取りに奔走ほんそうしているというのに少しも疲れた様子はない。それどころか、このまま放置すれば徹夜でもしかねねない、…というほど精彩せいさいに満ちた表情でそこにいる。

「母上、政務の多忙と聞き及んでおります。御疲れではありませんか?」
「大した事ではありません。それよりもユニス、課題は終ったのですか?」

「はい。本日の分は終ってます。いまは古代史の勉強をしておりました。」
 母は笑みを浮かべる事無くうなづいた。これもいつもの事。僕に与えた課題を終えているのを承知しょうちで、その後の時間の使い方を確認している。だから僕は、あらかじめ用意しておいた答えをべた。もちろんその通りの事をしていたのだけれど。

「…では、もう寝なさい。体調管理も為政者としての勤めです。貴方も次期国王としての座が約束されている身なのですから用心することです。」
「はい、母上。」

「それと、貴方は古代史の勉強に片寄る傾向けいこうがあります。歴史学も王族としての知識の幅という点では重要ですが、それ以上に政務には算術さんじゅつが必要となります。今後、私が許可を出すまで、古代史の勉強は禁止します。算術を優先ゆうせんなさい。」
「………はい…。」

「返答は明瞭めいりょうつ確実に行いなさい。不安要素が見透みすかされれば、統治者としての質をうたがわれます。」
「はい。」

「ではもう寝なさい。明日は予定通り、朝食後にロギナ領カーレニンきょうとの謁見がありますからね。」
「はい。」

 それだけを言い残すと、母は表情一つ変えずに扉を閉めた。




 ───母はきびしい。
 僕は他の家族というものの姿を目にした事がないけれど、それでも厳格げんかくな方だと知っている。

 この世に生を受けてより15年間、来る日も来る日も変わる事のないつつましい生活を繰り返しながら、母と向き合っていただけあって、それなりにはれているように思う。

 だけどそれでも、時折とても息苦しく感じることがある。

 僕は友人というものを持った事がない。気楽に話すという人物もいない。僕は友人を持つ事を母上に許されてはいないから。…母からすれば、雑談さえ無駄な時間と映るらしい。

 けして機会がないわけじゃない。有力貴族をまねいての晩餐会ばんさんかいでご一緒する事が多い同年代の御子息や御息女はいる。
 彼らは話を聞いてくれて、一つ一つにうなづき、美辞麗句びじれいくをつけて賛同してくれるのだけど、残念な事に意見をべてはくれない。会話に肯定こうていしか返ってこないというのは、友達とのやりとりとは言わないような気がする。

 そして、なによりも彼らの瞳を見るとわかってしまう。彼らは僕と話しながらも、瞳の奥では何一つ肯定してくれてはいない。…なぜか、そういう事が分ってしまう。母との会話に慣れているせいか、場に流れる空気から、僕はそれを察する事ができた。

 御息女の方々はちょっとすごくて、目の色を変えて…、と言うと失礼かな。いれいた瞳で僕にせまって愛を説く。つまり、求婚そのものを要求ようきゅうして来る事が多い。
 子息の方々と同様に、彼女らにも親しげな態度の中にうそが混じっているのがわかってしまうから、どうしても心許す事ができないでいる。

 …きっと全ての原因は、僕が次期女王の婿に確定しているからなんだろう。王位が確定している僕と友好であれば、地位と権威けんいを約束されると思うだろうし、女性が僕と婚姻こんいん関係となれば、自動的にその女性が女王となる。
 この国では必ず「女王」がラファイナの全権をになう統治者となるから、自然とそういう行動になってしまうのかもしれない。権力という不可視ふかしの力を持つ事が様々な障害になるのだとわかる。

 彼らも彼女らも、そういう僕の立場を知っているからこそ、そのようにしか振舞ふるまう事ができないのだろう。だから、僕からも彼らを友人としてせっする事もできないでいる。



 きっと…、僕が王子でなければ友人が出来ていたのだと思う。
 悩みを打ち明け、楽しみや苦しみを共有できる相手がいたのかもしれない。

 でも、今の僕にはそれをろんじる以前に選択肢がない。
 母がその一切を拒絶きょぜつするから。




 母は何をするにも僕の意思を尊重そんちょうしない。必ず母が考えた通りになる。

 そうやって積み重ねられてきたのが僕だ。
 15年という歳月をついやして、何も変わらない決められた道を進んでいる。

 ……母はこの国を支えている。それは理解している。
 毎日、本当に毎日、朝晩問わず仕事をこなしている。

 体調をくずそうとも、一日たりとも休む事無く、多くの案件あんけんを処理している。
 達成すべき目標があるからなのだろう。


 僕も母のことを心配はしている。このままではいつか体を壊してしまうのではないか、と思う。
 …だけど、それでも母は自身の目標に邁進まいしんできている。

 僕には何も許されてはいないのに。 

 僕はこの城という世界に生きている。このラファイナの王城という場所だけが僕の生きる世界だ。
 明日の食べ物を心配する事はない。雨露あめつゆを気にして眠った事もない。どんな服を着る事だってできる。庶民しょみんの方々よりあきらかに裕福だとわかる。


 だけど、何も許されない。何も選ぶ事はできない。
 そして僕には、それを打ち明ける友達さえもいない。


 …これを孤独と言うのだと、僕は思う。

 こう言っては不謹慎ふきんしんだと思う。ふざけるな、となぐられるかもしれない。
 それでも僕は思うんだ。







 僕は、普通の人として生まれたかった────。

















 とある日の、午後の休憩時間…。

 この1時間だけが僕に許された自由の時間だ。午前の起床きしょうと共に始まる勉学からの息抜きをするために、このイスガルド城の敷地内であれば散策さんさくを許される。…といっても昼食時間込みなのだけど。

 とはいえ…、この時間を使って何かをしたいか?と問われると、さしあたって何もない。自分の時間というものにえんが薄い僕には、たった1時間という、あまりに短い時間を有効に扱うすべを知らなかった。

 情けない事だけど、したい事がなかった。
 何かを始めても、母がそれを知ればやめさせられる事がほとんどだから。

 昨晩の古代史のように……。



 もちろん、散歩をするにしても、女王付きの衛兵、そして侍従じじゅうが付いて回る。完全に一人で回れるのは、母の目が届く城の前にある庭園くらいだ。

 そして、僕が彼らに話しかけても、まともな会話にはならない。

 女王の命により、不必要な会話はしないよう厳命げんめいされているからだ。もっと小さい頃の僕は、そういう理屈がわからず、何度も話しかけてはあやまられる、という事をり返していた。

「申し訳ありません。女王より王子との会話を許可されておりません。御許し下さい。」
 それは何度聞いた言葉。僕がいくら求めても、救ってはくれない。
 孤独をいやしてはくれない。とても悲しい言葉だ……。

「では、僕は庭園を散策します。貴方達は入口で待機してくれればいいです。」
 従者達が承諾しょうだくの意を込めてお辞儀じぎをする。彼らもここなら僕の後ろを歩く事はない。そのせいか、僕の休憩時間といえば、もっぱらここで時間をつぶす事が日課のようになっている。

 やっと一人。……と言っても1Fの会議室からは母の視線がある。そして背の低い庭園は入口で待機する従者達にも丸見えだ。
 だけど就寝前の部屋以外で一人になれるのはここしかない。僕は孤独ではあったけれど、それでもここに一人で居られる事は、数少ない自由なのだと思う。

 夏の始め…。この季節で最も好まれるのは、深くあざややかなオレンジが美しいユファタの花だ。基本色はだいだいなんだけど、その花弁のは部分的に赤や黄色の斑模様まだらもようがある。その一つ一つに見所があり、観賞用として貴族内でも好まれる花の一つでもある。

 これは母の趣味なのだけど、この花は僕も好きだ。それぞれが自由な命に満ちているように思えるから。


 僕の自由時間は、毎日このように、ただ何をする事もなく流れていく。花のように自由にき乱れる事もなく、無為むいな時間だけが過ぎていくだけだった…。





「おんやまぁ、王子様でないかね?」

 ……そんな事を考えていた時、横のしげみから老人のようなしわがれた声がした。そこには声の通りの年老いた男。麦わら帽子をかぶり、首に手ぬぐいをいた、背中が少し丸まった老人がいた。その手には手入れ用ハサミと、切り落とした部位をまとめたかごを持っている。

 庭師らしき老人が、ほがらかな笑みを浮かべていた。

「いやぁ、これは始めまして。王子さんですかね? ワシは一昨日からここで働かせてもろうとるローテンという者ですわ。こんな格好で失礼しますだ。」
 僕は目を見開く。僕に向けられたのは、かがやくような笑顔だった。なんの打算も無い笑顔。僕が他者との会話を許されていない、という事を知らないであろう、屈託くったくのない笑顔がそこにあった。

 それは、なんでもない事のはずなのに、とても新鮮で、まぶしく輝いて見えた。

「ワシみたいな田舎者が、王子さんと話すだなんてのう…、こりゃあ孫に自慢できそうじゃわい。」
「…あ、えっと……。」
 何かを話してみたい。いまなら話してもいいはずだ。僕は強くそう思ったのだけれど、こういう場面に出くわした事がないから、何を話していいのかわからない。情けない事に、僕は普通の人と会話をした事がない。…だから、なんでもないはずの事にあせりを感じていた。

「おんや、どうされましたかの? 具合でも悪いんですかね? あ、それともワシみたいな身分で話かけちゃまずかったべか?」
「…い、いえ、そうじゃないんですよ。何を聞こうかって考えてしまって……。」

 これはチャンスだった。この人は僕と話す事に疑問を持っていない。それにここは母の庭園だ。僕が母の好きな花の知識を得るなら問題はないはず。なら、ここでこのご老人と雑談をしても構わないんじゃないか?

 少しでもいい。僕は誰かと話したかった。他愛の無い話をしてみたかった。それはきっと、母の言うような時間の無駄じゃない。いまの僕にはきっと忘れられない思い出になる。だって僕は、会話にえていたのだから。


「庭師さん、……いえ、ローテンさんでしたね。ぼ、僕に、この花の事を教えて欲しいのです…けど…。」
「おや、嬉しい事を聞いてくれるでねえかい。…ええですとも。なんでも聞いておくんなさい。花の事なら、ワシにもお教えできる事もあるでのぉ。」

 かしこまる事のない会話。本当に打算のない会話。これが僕が求めていたものだ。大げさと言うかもしれないけど、僕には初めての事だから、嬉しくないはずがない!

 ……それから僕は、夢中になって花の話を聞いた。一言一言が身に染みる。きっとなんでも良かったのだろう。僕には、ほんの少しの会話だけが必要だったのだから。


 僕はきっと、初めて”人”と会話をしたんだと思う。
 母の前、授業でも、侍従と話す時でも、僕は王子という仮面をつけていた。

 だけど、その仮面を被らず話す事ができる。相手も気にせず話してくれる事が、こんなにも自然だなんて知らなかった。

 こんなにも素晴らしい事だなんて、本当に知らなかったのだから。

















 ───それから4日後、落日。


 いつもいそがしい母と僕とでは時間帯が合わない事もあり、日中は会う事もまれだ。そのため、晩餐ばんさんだけは母と一緒に食事を取るようにしている。その時に必ず、母から話しかけてくるのが日常的なやり取りだった。
 不器用だけど、これは僕らなりの親子のコミュニケーションだ。母の体調も心配している僕にも母の様子を知る唯一の機会でもある。

「ユニス。ここ数日、庭園で何をしているのですか?」
 当然のように僕の行動を把握はあくしている母。その質問に、僕はかねねてから用意してあった答えを簡潔にべる。

「はい。母上の好きなユファタの花についての勉強をしておりました。花の知識ともなれば無駄にはなりません。城を訪れる賓客ひんきゃく来賓らいひんに対しての雑談にも役に立つでしょう。」

 用意しておいたのは正論。もちろん客人に対する雑談というのは表向きの社交事例で、僕が求めるものじゃない。だけど、貴族には必要な言葉遊びだと理解している。
 そして花の知識であるなら、古代史よりも万人の興味を引くことができる。母を説得できる文句としては充分だろう。

「なるほど。一理あります。無駄とはいえ雑談は手札が多いに越した事はありませんからね。…しかし、あのような品格のない、ただの庭師になど学ぶ事があるとは思えません。庭を手入れする能力があるので雇い入れただけの者です。それに……それ以外の不必要な会話が耳に届くとすれば、貴方の品格にも影響が及ぶでしょう。必要とあらば相応に釣り合いの取れた人物をあてがいましょう。」

 これは予想していた答えだった。母ならこう返してくるだろうという事はすでに計算済み。ここで反論できない答えを返す必要があった。もちろん、それも考えてある。

 僕は極めて冷静に、母へとさらなる正論を返してみせる。

「…いいえ、母上。それには及びません。その庭の土を知らない者に、正確な花の気持ちは理解できないでしょう。どのような賛辞さんじを述べたとしても、それは本質を知らぬ者の上面うわつら。いかに雑談とはいえ、他者の心にひびく言葉が編まれるとは思いません。」
 僕はこうした言葉遊びも正論もまったく好きじゃない。だけど、母にはこうした物言いでなければ…、感情論だけでは納得してもらえないんだ。だからこれは仕方なく用意した反論だけど、……的を得てはいるはずだ。

 僕としては、ただ普通の人と普通の会話をしたいだけなのだけど、母は僕のそうした意図を理解はしていないはず。…だとすれば、ここで慌てたりせず、大らかな態度で望めば会話は僕に優位になる。

 ……はは、どうやら僕も、知らないうちに政務的な話し方を修得していたみたいだ。きっと、貴族の間ではずっとこんな会話が続くのだろう。腹の探り合い。
 こんな人形のような会話は、やっぱり好きじゃない。きっと僕は社交界には向いていないのだと思う。出来る事と好きな事は違うはずだし、違うと思う。


 僕の反論に対し、まったく考える素振りを見せずに、口へと食事を運ぶ母。きっとそういう動作の合間に、切り返す言葉をまとめているはずだ。ここから先の返答も何パターンか考えてあるけれど、母がどう口撃こうげきしてくるかは未知の領域だ。勝てるのぞみは薄いかもしれないけれど、頑張ってみよう。

 ワインを口にした母は、少し微笑んで言葉を続けた。

「…いいでしょう。貴方の言う事ももっともです。なにより私の好きな花について勉強してくれているのですからね。自由になさい。」
「はい。ありがとうございます。」

 意外にも、母はそれ以上の交戦を仕掛けては来なかった。驚きつつも、僕は何事もない様子で礼を述べる。もちろん心の中では、とても喜んでいるのだけれど、それをここで表現しては台無しになってしまうから、あくまで冷静に、他愛のない用事であるかのように振舞う。

 僕は母の許しを得て、あの庭師のローテンさんと話す権利を得た。
 こんなに嬉しいのは、いつ以来だっただろう?


 ……だけど、この時の僕は、まだ子供だという事をあとで思い知らされる。
 母という名の女王が、どれだけの、どういう人物であるかを、僕は知る事となった。







NEXT→ 第一部・02−02 「雷の女王、イメルザ」
トップへ戻る