レン・ブライトの一日

その3 『難解、かくれんぼ』
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BGM:英伝 空の軌跡FC「四輪の塔」(サントラDisk:1・08)




 15:20──── ロレント市近隣マルガ山道 翡翠ひすいの塔


 レン達が目指したのは、古代文明の異物であり遺産である、翡翠ひすいの塔だった。

 遠くから全貌を見渡せば一目瞭然であるそれは、その名が表す通りの翡翠ひすいのようなみどり色をしており、土色の濃い山道の合間に静かにたたずんでいる。まるで老いた巨木が眠っているようにも見えるのは、自然と同化した色合いのせいかもしれない。
 …ここはかつて、リベールに眠る【七の至宝】の一つ、【輝く環】に関係していたため、秘密結社【身喰らう蛇】の作戦に使われたという経緯を残す遺跡である。調査により、その建造は1200年以上前だと判明してはいるのだが、それだけの時を経ても非常に強固な造りをしており、いまだ大きな崩落もない。所々が傷んでいるが致命的という程でもなかった。

 レンは移動中に考えたいくつかを一通りまとめると、すでに目の前までやってきていた翡翠の塔を見上げる。
 到着までに約50分。シャムシール団をなだめつつの移動だったため少々時間を取られたが、この程度は想定内。これから塔内部で隠れなければならない。つまり、ここからが勝負の始まり、といったところだ。

 まずは6Fにある屋上まで登り、その間の順路を確認して頭に叩き込まなければならない。そうしなければ、全体の把握というものは出来なくなる。効率的な逃走ルートを組み立てるのには必要な行動なのだ。時間を掛けて登るなどと遠回りなようだが、戦術を練るには地域情報を把握する事が先決なのだ。

 …そうして、静寂せいじゃくに包まれた翡翠の塔へと足を踏み入れる一同。さすがに長期に渡り人の出入りも無かったようで、内部には自然がかなでる草木の音などもなく、ひっそりと静まり返っている。中空にただよう空気はカビた臭いがした。しかし、密閉みっぺいされている割に明度は高く、古代文明の導力灯のおかげで足場もはっきり見れる。迷宮と呼ばれる遺跡の中では、めずらしく快適と言える部類だろう。

「思ったほど痛んではないようね。」
 レンは素直な感想を漏らす。これだけ明るさがあり、足場の確保ができて、しかも生息する魔獣も弱いとなれば、行動の制限もされずに済みそうだ。もちろん、それはカシウスにとっても条件は同じだが、かくれんぼにはもってこいの場所である。

 彼女の計画は、この塔内部で逃げ回り時間を稼ぐ事であった。

 この周辺に広がる「マルガ山道」は開けた山道で見渡しがよく、そのうえ高い岩山に囲まれた一本道でもあり、人目につかず隠れる場所といえば、ここしかない。それはレンでなくとも予想がつく事で、特に難しい事ではない。ましてやカシウスならば間違いなく気がつくだろう。そんな事は百も承知だ。

 しかし、翡翠の塔の内部は一本道ではない。階段や通路が侵入者をこばむように配置され、迷路のように入り組んでおり、加えて、あちこちくずれているために道がふさがれて素直に進む事ができない。つまり、順路を知っていたとしても、想定する事ができない難解な道順を辿たどらないと頂上まで到達できないように変貌へんぼうしているという事。まさに自然が生み出した迷路と化しているわけだ。
 いかに聡明そうめいなカシウスといえども、「自然の生み出した障害」という予想不可能な道順を進むには、相応そうおうの時間が必要なはずである。

 その点、レンは【身喰らう蛇】での作戦において、この塔の順路について少々は把握はあくしているため、カシウスよりも多少なりともくわしい。これがわずかなアドバンンテージである。
 とはいえ、それでタイムリミットまでの約2時間をねばるには無理があるだろう。なにせこちらは大人数であり、移動にも時間がかかる。もたついていたら途中で追いつかれる可能性だってある。そういう事を視野にいれるとすれば集団であるこちらが不利だ。

 だが、この複雑な内部通路を、全員がバラバラに逃げたらどうだろうか?

 レンを入れて5人。この人数が個々で不規則に、バラバラで歩き回れば、捜索側にはさらなる時間を取られる。いかに英雄であっても、一人である以上、捜索そのものに時間を必要とするのは至極当然の事。カシウスをタイムオーバーに持ち込むには十分な計算だ。

 実に単純な作戦だが、ただ登るのではなく、探し回る事を目的としたならば、これだけ厄介やっかいな場所はない。確実に時間を消費するのは間違いないだろう。
 カシウスが”ことわり”に到達した者であろうとも、人である以上、制限は必ずあるのだ。

 レンがいかに常人離れした才能と、博士号を3つも持つような聡明な頭脳を持っていても、子供である以上、身長が低いのは仕方が無い事。こればかりは、いくら天才でも解決ができない無理というものだ。それと同じで、カシウスがいかに超常的な能力を持っていても、どうしたって無理な事はある。全知全能の神でも空の女神でもない以上、確実に無理というものは存在する。
 だからこそ、レンはそうした”時間的な無理”を用意し、カシウスを相手にしようとしているのだ。

 レンが目指す勝利とは、タイムオーバーを狙うという事。
 かくれんぼは、見つけられるかいなかだけが勝利条件ではない。時間制限をもうけたのはそのためだ。

 どれだけの天才であろうとも、どれだけの戦闘技術を持ち合わせていようとも、時間的に無理な条件までをクリアできるわけではない。カシウスがこの作戦に気づこうとも、手の打ちようがないのである。

 しかし、この”無理”にも盲点もうてんはある。せっかくの勝利に水を刺す弱点だ。
 だが、どれも利用される可能性はうすいものばかりでもあった。

 おおまかにまとめると次の通りだ。




1、塔にけむりを充満させ、いぶり出す。

 個別に逃げ回る全員を時間内に一網打尽いちもうだじんにするには、この方法が手っ取り早い。探しに行く手間も掛からず、まとめて塔からいぶり出せるのだから楽だろう。
 しかし、これは現実路線から言えば無理だ。これには塔全体をけむりで満たす必要があるが、塔自体が巨大であるため、その空間全てを満たすほどのけむりを作り出せない。仮にそれだけの煙を用意できたとしても、レンはともかく、素人のシャムシール団らが呼吸困難におちいる危険もある。そんな手をカシウスが使うとは思えない。だからこの手は却下きゃっかだ。


2、各階層の壁をぶち抜いて探す。

 カシウスならば可能である力技だ。立ちはだかる邪魔な壁を破壊して直進。そして少々の空洞や穴ならば、彼の身体能力で跳躍ちょうやくすれば、道なき道を簡単に進んでこれる。問題なのは入り組んだ迷路であり、それさえ攻略できてしまえば、1フロア自体の広さはそれほどでもない。探すのも容易よういになる。
 …だが、いかに強固な作りとはいえ、あちこち崩れている塔でそのような衝撃を与えるのは賢くない。現実的に考えればカシウスならその手を使えるだろうが、彼だからこそ重要文化財を破壊するような手を使うとも思えない。よってこれも却下になる。


3、レンを説得する。

 最も簡単な攻略法は、首謀者であるレンを降参させればいいわけだ。レンを説得できればシャムシール団がバラけていようとも遊び自体が終わりなのだから関係が無い。その時点で終了し、捜索に時間を取られる心配がない。
 だが、レン自身が引くつもりがない以上、これは却下だろう。エステルを連れて来られて説得されたら困るが…、それでは「一人で解決する」というこの勝負の条件が果たせなくなってしまう。だからカシウスはこの手を使わないだろう。プライドにこだわる人間ではないと理解できるが、約束を違う人物でない事も理解しているつもりだ。それに説得するがあったなら、出発前にそうしているハズである。

 そしてなにより、レン自身に連絡を取る手段が無い。エニグマは携帯しているが、電話に出なければそれで終わりだ。だからこの案も却下。


4、シャムシール団を説得する。

 確かに彼らを説得できれば、彼ら4人を探す必要がなくなり、レンだけを捜索すればいい。カシウスならば容易く捕まえられるだろう。
 だが、そもそも今こうして彼らを誘導しているのはレンなのだ。口車に乗せるにせよ、主導権を握っているレンが近くにいる時点で会話は通らない。レンが嘘だと言えば彼らは信じないだろう。
 拡声器を使って塔の外から直接語りかけるという手もあるが、普通の拡声器では塔の内部まで声が届くわけがないし、それ以上の機器がこのロレントで用意できるとも思えない。つまり、この案も却下だ。シャムシール団を篭絡ろうらくする事は不可能だと考えていい。
 当然だが、彼らがエニグマを所持していない事も確認している。


5、特殊能力の発現はつげん

 そして最後になるが、これが現時点で想像できない部分だ。カシウスがレンの知らない何らかの特殊能力を用いて攻略するという可能性もなくはない。それとなくエステルらに話を聞いて探ってみたのだが、カシウスがそのような技を使うという話は匂いもしなかった。
 だが、英雄と呼ばれる人物で、しかも大陸に4名しかいないS級遊撃士であるわけだから、何かしらの超常能力を持っていても不思議ではない。レンの知らないなんらかの技術で攻略されれば、一溜まりも無い。

 …とはいえ、そういった攻略はないはずだ。確かに現状では確認できないものだし、ルールには触れていないが、これはいわゆるインチキである。知恵の勝負に特殊能力で挑むなど、大人気ない勝負でもないはずだ。…よってこれも却下である。


 以上が主に想定される攻略法である。

 煙や階層の自由移動は手段が違おうとも、似たような理由でおそらく実行できないはず。そして、これらとこれらに類似する行動がないのであれば、原始的な単純作業…つまり、しらみつぶしという手段を取らざるを得ないはずだ。だとすればカシウスがレンに勝利できる可能性は極めて低い。
 もちろん、シャムシール団が独自の判断でレンを裏切るという可能性もあるが、あの調子ではそれもないだろう。


 しかし、さすがのレンにも、大きな計算違いが一つだけあった。


「うおおおおおおお! こええーーーー! 超怖ええええ!!」
「虫だ! ぎゃあ! 虫がいるよ!!」
「リーダーー!! 怖いよ〜!」
「し、心配するな! お、お、俺がお前らを守ってやややる…。」

 シャムシール団が思った以上にヘッポコだった事だ。…これにはレンも頭を抱えそうになる。どうにもこの連中の行動は予想ができない。この様子では一人一人バラバラに行動させるのは骨が折れそうである。ずっと怯えたまま、まとまって動かれては目論見もくろみが外れてしまうわけだし。

 だが、このままノンビリともしてはいられない。そろそろカシウスがロレントをスタートする時間だ。彼がここへ到着する移動時間内で、彼らを説得し、どこかへと隠れなければならないのだ。

 カシウスに与えられた3時間のうち、1時間が待機、そして塔までの移動が自分達と同じ40〜50分だとして、残りは1時間強…。捜索そうさく側である彼に与えられた時間はあまりに少ないが、それはこちらも同じ事。ほぼ対等の条件でいかに勝利するか、それがこのかくれんぼの主旨しゅしである。

 文句を言うシャムシール団をなだめて、ひたすらに最上階を目指すレン。その間に、行き止まりや崩落した通路なども確認している。あとでシャムシール団を配置する場所も目星をつけていた。


 そろそろ塔の五階へと到達する、というところでレンは自身の持つエニグマを開く。そして時間を確認した。  ロレント出発より1時間10分が経過、カシウスのスタートより10分経過している。

 彼はこちらと違って単独行動な分、早く到着できるだろうが、どれだけ急いだとしても相応の時間は必要だ。レン達からすれば、いまからさらに20〜30分程度は隠れるための時間的余裕が生じる、という事。
 こちらが十分に隠れた後からの捜索そうさくとなれば、いかにカシウスであろうと時間がかかるはずだ。大丈夫、まだあせる必要はない…。

 レンはこの勝負を本気で勝つつもりでいる。
 なぜならば、さきほどの戦闘では完全に負けていたからだ。

 あのまま戦っていても、倒されていたのは自分だったろうと確信している。扱う武器が、自身の大鎌【ナインライブス】であったとしても、結果は動かないに違いない。
 そして勝てなかったからこそ、このかくれんぼという知力戦でだけは勝とうとしていた。なんとしても負けるわけにはいかない。レンにだってゆずれないプライドがあった。いくら英雄だろうとも、レンが全てにおいて敗北するなど、あってはならない事だからだ。
 なぜなら、自分という存在は、誰よりも優れていてこそのものだからだ。知力で負けたなら武力で圧倒あっとうし、武力で負けたなら知力で翻弄ほんろうする。そうする事で自分のアイデンティティは成り立っているのである。両方共に敗北するなど自分を否定するようなものだ。だから、負けるわけにはいかないのである。

 …これまでのお茶会より小規模ながら、これまでで最も厄介やっかい賓客ひんきゃくむかえての勝負はとてつもない緊張を呼ぶ。絶対に負けないために、知識と知力の全てを注ぎ込み、作戦を練っていく…。

「なぁ、お嬢ちゃん。まだ登るのかい? 俺もう疲れたよ〜。」
「怪盗Bすら足元にも及ばない天下に轟くシャムシール団なんでしょう? だったら、この先にある屋上での素晴らしい景色は、あなた達にピッタリだと思うわ。強者は高いところが似合うものよ。」
「そうかなー?」
「ええ、間違いないわ。」
 そんな緊張感の中で、こちらはこちらで気の抜けた会話が進行している。たまに魔獣に邪魔されたりもしたが、いちいちおびえているシャムシール団が、なんだかんだとしっかり守ってくれて、割と簡単に片がついた。この4人、チームで戦うと実は強いらしい。…本当におかしな連中である。

 そういう事情もあり、レン達は思ったよりも早く最上階である屋上へと到着できそうだった。
 到着後にシャムシール団へと指示を出した後は、いよいよレン自身が最後の作戦を実行する。



 レンの考える作戦、その最後にして最高の、勝利のためのダメ押し、

 それは……、


 レンが塔から飛び降りて、一人でロレントへと向かうというものである。


 ───そう、カシウスから勝利するには、5人がバラバラに行動すればいい。
 ならば、レンはこの塔の中を逃げ回るよりも、一人で別の場所にいた方がいいに決まっている。

 カシウスがシャムシール団の4人を確保したとしても、その上で一人行方知れずのレンを見つけ出すのは、彼に残された少ない時間では絶対に不可能である。そして彼はこの結果が最初から予想できていながら、この手に対し対抗する手はない。そもそも、スタートした時点で負けが確定していたのである。

 これこそが”時間的な無理”というもの。
 どうひっくり返っても、レンが負ける事は有り得ない。これは非常にズルイ手なのである。


 作戦はこうだ。

 屋上にてシャムシール団を指示、塔内部をバラバラで散開させ、指定の場所まで移動させる。理由は適当に、その方が目立つとかで構わない。彼らは簡単に従ってくれるだろう。レンはもちろん屋上で待機、そもそもが人質役なのだから、屋上で一人で待つ事の方が自然だろう。

 彼らが塔の各所へ赴くと共に、カシウスが塔へと到着するのを待つ。

 そして、屋上より彼が塔へ入るのを確認した後、屋上から飛び降りてロレント市へと戻る。

 レンの技量ならば、この程度の高さから飛び降りてもカスリ傷一つ負う事はない。地表近くでうまく外壁を蹴り、勢いを殺すコツは、元執行者の同士であるヴァルターから教わっている。実際にはやった事はないが、天才である自分には、そんな芸当など出来て当然である。問題ない。



 カシウスは塔の探索でシャムシール団の4人を探さなければならない。
 レンはその間に彼と入れ替わるようにロレントへと逃げ、さらに時間を浪費させる。
 彼は塔を回り、その上でレンを追わねばならない。

 こんな無理、無茶な事をどう攻略するというのか?
 そう、出来るわけが無いのだ。

 …そしてカシウスは時間的にレンの考案した作戦にいどむしかない。
 いかに英雄といえども、これをくつがえせるわけがないのだ。むしろ、人間である以上これはくつがえせない。無理なのだ。対等の条件での勝負を挑んではいる。しかし、勝敗は最初から決しているという、えげつない手口でもある。

 もし、それでもなお、彼が勝てるとというのなら、それを目にしてみたい。
 彼の名声が一体どれだけのもので、どれほど優れた戦術家であるのかを見極めてみたい。


 だが、それ以上に彼に勝ってみたい、いいや、勝ちたいのだ!


「これで、あのカシウス・ブライトに勝てるわ。」
 …レンはほくそ笑みながら、確実な勝利を思い描きつつ、屋上へと続く最後の階段を登っていく…。

 ここから先は、完全勝利へ向うだけだ。









 …などと、すでに勝利にひたっているレンには悪いのだが、実を言えばこの後、あっさり負ける事になる。


 はてさて、一体どんな手で負けるのだろうか?









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