レン・ブライトの一日

その1 『蒼く広き空の下で』
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BGM:英伝・空の軌跡SC「銀の意志 アレンジ」(サントラDisk:2・06)




 …幼き少女レンは微動びどうだにせず、きびしい表情のまま敵との間合いを押し計る。
 そして類稀たぐいまれなる識力を有した聡明そうめいなる思考で、この困難な状況を見極めようとしていた。

 あざやかなすみれ色の髪が風でなびこうとも、豪奢ごうしゃな白いドレスが揺らごうとも、ただ一点だけを見つめ、集中力の全てを眼前の敵へとそそいでいる。そしてぎ澄まされた鋭利な感覚は、周囲の音の全てをかき消し、敵の息遣いきづかいまでもを読み取ろうと貪欲どんよくさを増していた。

 だが、相対する敵はこれまで刃を交えたどの敵よりも強い。容易よういに踏み込む事の許されない領域りょういきを持ち、そして圧倒的なまでの技量を、力量を持っていた。これほどレンに明確な”敗北”を意識させるこの敵が持つ戦闘能力には、驚きを越えて戦慄せんりつさえ覚える程だ。
 攻めあぐねているその数瞬すうしゅん、レンはこれまでの経験を生かし、思いつく戦術を脳裏に描く。たった20秒のにらみ合いで四十数手もの戦術を立てるその頭脳は、実戦経験を多くんだ熟練の戦士よりもさらに上を行くもの。まさに他にるいを見ない天分の才を実感させるに十分なものだ。
 だが…、それだけの戦術をみ出してさえ、すぐにその全てが通用しないと考え到る。どの手段を用いても、どこから攻めても、確実に切り返される映像が浮かんでは消えていくのだ。彼女の類稀たぐいまれなる戦闘センスがそれを確実に起こりうる結果として、彼女へと危機を伝え続けていた。

 戦闘開始より5分…、数度の打ち合いを経て、すでに三百を越える攻め手を考え出す事が出来るレンですら、その敵を前にすれば躊躇ちゅうちょせざるをえないのだ。

 いつの間にかひたいに浮かび流れ落ちる汗は、様々な分野において、そしてまた戦闘においても天才の名を欲しいままにしてきた少女の、滅多に見ることのない焦燥しょうそうしめにじませている。常に余裕を保ち、そして絶対の自信をたずさえているはずの彼女にはめずらしく、いまはその両方が消え去っていた。

 この相手と戦うのは二度目。一度目の立会いでは完全に手も足も出なかったと言えよう。彼女を含む4人がかりでやっと片膝かたひざを付かせた程度で、勝利と呼ぶには抵抗のある状況だったからだ。当時のレンも、まさかそこまでの力量差があるとは思いもよらなかった。

 しかし、今回は違う。あの勝負より随分ずいぶん、時が流れている…、自分としてはそれなりに力をつけているとの自負もあった。互角ごかくとまではいかないまでも、1対1で喰らいつける程度の自信はあったのだ。

 だが、その想定はあまりに甘く、敵の実力はそのはるか彼方の高みへといたっていた。ここまですきがなく、立ち入るべき間さえ与えない相手に、レンは手も足も出ず歯噛みするしかない状況だったのだ。どのような達人さえも互角ごかく以上に戦い、勝利できるはずのこの幼き天才が、まったく勝機を見出せずにいるのである。

 とはいえ、それが本心だとしても、態度で示せば敵は必ずそこに付け込んでくる。高レベルの戦闘において、弱点をさらすという事は自分の首をめる行為に他ならない。場合によっては命さえも左右する弱みとなる。だから、レンはいつも通りの口調で、まだ余裕があるかのように振舞ふるまった。

「さすがね、カシウス・ブライト。でも、そう何度もやられるレンじゃないわ。その螺旋らせんの動き、今度こそ見極めてあげる!」
「…ふむ。どこからでも好きに狙うといい。ただし、可能なら…の話だ。」

 今、レンの前に獲物をにぎって立ちふさがるのは、誰もが耳にした事はあるであろう程に有名な英雄、カシウス・ブライトである。遊撃士としてはゼムリア大陸の4人しかいないと言われるS級の実力保持者であり、現在はリベール王国において軍部の総司令という立場の男だ。

 彼の武勇伝は数限りなく多い。

 かの百日戦役では、その卓越たくえつした戦術でエレボニア帝国の侵攻しんこうけ、遊撃士としてはエレボニア帝国、カルバード共和国などの大国で起きた国家規模事件の即時解決を成し遂げている。さらに近年では瓦解がかい寸前のリベール王国軍の目覚しい構造改革と再編成など、どこを取り上げても感嘆かんたんに値するその活躍ぶりは、まさしく時代に選ばれし英雄と呼ぶに相応しい人物である。

 中肉中背ですらりと背が高く、やや痩身そうしんに見えるこの男は、茶色の髪を後ろに流し、鼻下には手入れの行き届いたひげを蓄えている。全体の印象を言えば、上品な紳士とでもいうべきだろうか。しかし、その表情は、これほど高度な戦闘の最中においてもほのかな笑みを浮かべてさえいる。

 それに対し…、レンは元・秘密結社【身喰らう蛇】のエージェントであリ、その実力はエステル、ヨシュア以上という程の実力者である。その強さは有無を言わさず誰もが認めるLVにまで至っている。…だが、そんな彼女が全身全霊を持って挑んでいるというのに、まるで仔猫でも扱うかのようにいなされ続けている。
 普通であれば激しい怒りに狩られ、敵意と殺意を増すはずの彼女が、この戦いに限っては不思議とそういう気が沸かなかった。カシウスの身体から発せられる気は、あまりにも安らかで大きく、どこか親しみが持ててしまう…そんなおかしな雰囲気を持つ中年であった。

 だからと言って、この戦いに手加減などという無粋が入る余地などない。和解も休戦も有り得ない。
 どちらかが地につくばるまで勝負は決しはしないのだ。


「なら───これでどうっ!?」
 膠着こうちゃく状態をだっするがため、レンが動いた。
 初速からトップスピードという驚嘆きょうたんに値する超高速で一気に間合いをちぢめ、正面に構えるカシウスへと裂帛れっぱくの気合と共に武器が振るわれる! それは容赦ようしゃの無い顔面へ目掛けての攻撃! それは瞬間にして、なんと8撃もの連続攻撃だ! しかも、さらにそこから地面よりのすくい上げるよな蹴りが放たれたっ!

 レンが放つ、まさかの体術!

 彼女が天才と呼ばれる所以は、武器だけがエキスパートだからというわけではない。一通りの武術、戦闘を全て会得し、他者を寄せ付けない強さを持っているからこその天才なのである。その気になれば、身喰らう蛇の執行者で、格闘術において無類の強さを持つヴァルターの得意技である破砕系Sクラフト”零インパクト”でさえ放つ事ができるだろう。

 確かに体術はグレートシックル(大鎌)の部類に比べれば錬度れんどは落ちるが、この男にはレンが体術を使うなど一度も見せた事がないはず。一撃入れられないまでも、きょを突く事は……できるっ!

「慣れない攻撃は無理が出る。さすがに当たってはやれんな。」
 だが、カシウスはその全てを難なく受け流した。そして次の瞬間、稲妻のような動きでレンの軸足じくあしを払う! 予測はしていたが、あまりの速さに反応すらできなかったレンは、横へ揺らごうとしていた運動エネルギーを利用し、わざと身体を空中で側転させ、身軽に一回転しながら飛びのく!

「───ちっ!」
 舌打するレン。そして同時に、回避しただけでは終わらない事を悟っていた。この体制をくずした好機を、カシウスほどの達人がが見逃すわけがないのだ。そしてこのタイミングでの追撃は致命的だと理解し、可能な限りの高速で間合いを開く!

 だが、カシウスは追い討ちをしてはこない。
 それどころか、さきほどから一歩も動いてすらいない!

 彼は自身を中心として防戦をしているだけで、自らは一度も攻めていないのである。

「いい反応だ。…だが、もう少し攻め切れていれば、俺に反撃の間を与えずに次の技へ接続できたんだがな。」
「くっ…、腹が立つわね…。けっこう本気で攻めたのに。」
「しかし、体術は基礎が出来ていなければ威力は出ないものだ。無理を強いれば成長の阻害そがいにもなる。いまはやめておけ。」
「…ご高説とは痛み入るわ。でも、お説教するのならレンを倒してからのするのね。」

 カシウスのすさまじいところは知力だけではない。戦闘においての個人技量も、卓越たくえつという言葉ですら生ぬるいレベルに到達とうたつしているところだ。それはけしてうわさなどではなく、今まさにレンが感じている圧倒的なまでの気は、確固たる現実として目の前にそびえている。

 彼は世界の”ことわり”を理解する者。レンの全てを凌駕りょうがしているのである。

 だが、レンは負けるわけにはいかない。必ず勝たねばならなかった。もう後がないのだ。
 英雄カシウスを倒す、それがレンに残されたゆずれない状況だったのである。

「ふん、いいわ。…そんなに殲滅せんめつされたいのなら、してあげる!」
 その言葉と同時に、レンの身体をまとう気が爆発的にふくれ上がった! それはレンが持つSクラフト、”必殺”の名に相応しい破壊技【レ・ラナンデス】の発動である。邪心を増幅させて放つその一撃は、敵対する愚者ぐしゃ容赦ようしゃなく一刀両断する。そしてこれは体術のように錬度れんどの低いものではない。彼女の一番使い慣れた武器で幾度いくどとなく炸裂させた、正真正銘、最大威力の攻撃である。レンの天才的技量を持ってすれば、狙われた相手はける事など絶対不可能! まさに一撃必殺、それがこの奥義の恐ろしさだ。

 その小さな身体より噴き上がる念は煉獄れんごくの闇。まるで彼女を王とあがめる闇の使途、蝙蝠こうもり達が主君を守り、おおい隠すかのように無数に生まれ、それら全てが強く羽ばたこうと翼を広げるがごとく、その力を強く激しく増幅させていく…。

「これなら避けられないわ!」
 絶対の自信を持つSクラフト。確かにこれならば命中させる事はできる。回避させる間など与えはしない!!
 …しかしながら、これは最大攻撃であると同時に、自身の最高威力を相手にさらす事にもなるという弱点もある。使ってしまえば、レンの実力は全て明かされたも同然であり、それ以上の攻撃ができない事も証明されてしまう。戦術としての切り札であると同時に、切る事の許されない技でもあるのだ。

 もちろん、普通の相手ならば、見切るどころかまばたきする間に両断されているだろうが、相手はあのカシウスなのだ。当然、彼ならば、この一撃でこの技を見切ってしまうだろう。
 それはつまり、レンの能力の最大値を相手に知られてしまう、という事に他ならない。だからこそ、切ってはならないジョーカーであり、諸刃もろはの剣でもある。

 だが、切らざるをえない。これまでの攻撃の一切が通用しないのであれば、この最大の一撃でねじ伏せる以外に方法がないのである。これこそが最上にして、最後の手段でもある。完璧に炸裂さくれつさせて倒す以外に勝利はない。

「さあ、殲滅せんめつしてあげるわ────っ!」
 先ほどの加速をさらに倍以上も上回る超高速…、まさに神速でり出されるその一撃は死をまねく邪神そのもの! 断末魔を待ちがれる邪悪なる悪鬼のごとく、レンが肉薄する!!

「ならば──…。迎撃させてもらおう!」
 カシウスはそれほどの技を目にしても動揺する事なく、流れるような動作で体制を低く構えると、Sクラフト「桜花無双撃」の型をとる。自身がその場を動く事無く、攻撃を迎撃するには最も適したSクラフトである。そしてその威力は巨大人形兵器をも破壊する程だ。
 現在はエステルが使っている技だが、元々それはカシウスの指導により会得したもの。彼が伝授した技である以上、技の熟練度がエステル以上なのは当然のこと。間違いなくエステルが放つ威力以上の攻撃力を秘めている!

 彼の修めた《八葉一刀流》は全ての武術に通ずる。そして今、その積み重ねられた力量が、英知の結晶が、この技に全て注ぎ込まれていく。レンの放つSクラフトを迎撃するため、全身の気を高めていく! 英雄という選ばれし者だけがまと覇気はきを高めていく!


「覚悟するのね! カシウス・ブライトっ!!」
「…残念だが負けられんな。俺にも意地がある。」
 神速と神速が火花を散らして激突するっ! 類稀たぐいまれなる幼き天才と、無数の勝利をつかんだ英雄が、今まさに交差こうさする!  共に放つその超一撃と化したSクラフト、その膨大ぼうだいなる威力は、周囲を取り巻く大気をもふるわせる!

 ぶつかり合う邪気と覇気が、───ぜる!!




BGM:英伝・空の軌跡FC「旅立ちの小径」(サントラDisk:1・03)





「こら!! なにやってんのっ!!」
 激突したちょうどその時…、そこに登場したのはエステルだった。
 右手には布団叩きの棒を、左手にはブタさんの顔をかたどった可愛らしいクッションを持って、頭には三角巾をつけている。そして、元は白かったであろうエプロンは、ほこりまみれで灰色になっていた。

「あ、エステル。」
「なんだ、エステルか。今いいところなんだ、邪魔せんでくれ。」
 レンとカシウスは、邪魔が入ったとばかりに不機嫌な顔で互いに武器をおさめた。…武器といっても、ただのホウキであるが。

「いいところ、じゃないでしょっ!! 掃除はどうしたの?! 掃除はっ!!」
 なにやらメチャメチャ怒っているエステルは、怒りに任せ、布団叩き棒でブタさんクッションをバンバン叩きながら怒鳴どなっていた。なんせ今日はブライト家始まって以来の大掃除なのだ。とうとうやってきたレンのための部屋を空けるのに加え、カシウスの久しぶりの休暇きゅうかという事もあり、せっかくだから大掃除をしようと決めたのである。

 しかし、始めてみると床にも壁にも長年のちりや汚れがたまっており、想像以上の大掃除となってしまった。エステルいわく、遊撃士での魔獣退治よりもよっぽど大変だ、との事。


 ……何か勘違いされても困るのだが…、別にレンとカシウスは、憎みあって戦っていたわけではない。ただ単に、掃除をサボって、少々本気でチャンバラしていただけの話である。

 ようするに、遊んでいたのだ。

 そんなわけだから、エステルが怒るのも無理はない。彼女一人で奮闘したところで、にっちもさっちもいかない状況だというのに、主戦力のはずの残り二人が掃除しないどころか、よもやホウキでチャンバラなんぞして遊んでれば、それはご立腹だろう。そんな調子じゃ、いつまでっても終わりゃしない。

 …ちなみに、ブライト家最大の家事戦力であるヨシュアは、午前中だけ遊撃士協会の王都支部へ出掛けている。午後にならなければ戻らないのだ。  そういう事情もあり、このまま二人を遊ばせておくわけにはいかないのである。テキパキと掃除してもらわなければならない。


「だいたいねぇ、父さんは自分の部屋も終わってないでしょーが! 荷物すら運び出してないじゃない!」
「あー…、まあ、そうだな。そういう言い方もあるな。ハッハッハッ! ……すまん。」

 世間では伝説の英雄とはいえ、我が家に戻れば娘にはからきし弱いお父さんである。
 怒られて小さくなっているカシウスを、いい気味だとでも言うようにクスクス笑うレン…。

 しかし、エステルさんは容赦ようしゃしない。

「レンも笑ってる場合じゃないでしょ? あんたは部屋の掃除すらまだじゃないの! このままじゃ日が暮れちゃうでしょっ!」
「だぁ〜って、レンがそんなホコリっぽい事するなんて似合わないもの。部下でも呼んで、やらせておけば十分よ。」
「ど・こ・に・そんな部下がいるのよ! 自分の部屋は自分でやるの! とっくにうちの子なんだから、そういうトコはキッチリやらなきゃダメなの! いい?! ちゃんとやんなさい!」
「う……、しょ、しょうがないわね…。」
 さすがのレンもエステルの剣幕けんまくには太刀打たちうちできずに、カシウス同様すっかり反抗する気をなくしてしまった。

 …戦闘能力はさておき、ブライト家で一番立場が強いのは間違いなくエステルなのである。ブライト家の仕切りに関してみれば、これほどに恐ろしい支配者はいない。我が家の怒れる帝王の前では、時代に選ばれし英雄も、類稀なる天才も、肩身を狭くしてうなづくしかない。怒らせたらとっても怖いのである。

 しかもその剣幕は凄まじく、その恐るべき怒りのままに、バンバン叩かれるブタさんのクッションが可哀想に思えるくらいだ。逆らおうなどとは思うわけがない。レンもカシウスも生唾なまつばを飲み込むばかりである。

「待てエステル。俺達は遊んでいたわけじゃないんだ。これだ、これ。」
「そ、そうよ。レンも遊んでなんかないわ。これを運ぶのをどちらか決めようとしてただけよ。」
 しかし、カシウスもレンもは大人しく屈する気はないようで、いまの戦闘が必要であった事を主張し始める。二人が指差すそれは、10冊ほどの本がまとめられた、なんの変哲へんてつもない本束であった。

「…これが、何?」
 エステルが、さっぱり意味不明だというしぶい顔で聞き返す。

「いや、実に重そうだろう? 俺もいいかげんいい歳だ。重い責務せきむは次の世代の若者に任せるべき時代の到来を感じてな。だから、近くにいたレンちゃんに頼もうと思ったんだ。」
「ふん、か弱いレンがそんな重い物を運ぶはずないのに。いきなりジャンケンを仕掛けてきて、勝ったんだから運べ、なんて言うんだもの。承諾できるわけないから戦闘になったの。レンのプライドにけて負けるわけにはいかないもの。」

 それを聞いたカシウスは真剣な顔つきで腕を組み、リベール王国軍部総司令さながらの貫禄かんろくで思案にふけりながらつぶやいた。

「…確かに不意打ちでのジャンケンというのは公平性に欠けたな。そうなるとだ、その勝利が百歩譲ってドローだとすれば、今回の戦闘はやむを得ない選択という事になるな。」
「ええ。列記とした順序じゅんじょね。レンはその事態の流れという法則に翻弄ほんろうされ、したがったにすぎない。むしろ被害者にあたいするわね。」

「避けられない運命の悪戯いたずら、時にそれは人の選択を必ずしも正しい方向へと導くとは限らない。時に人は争い、雌雄しゆうを決する必要性を持つ場合がある。」
「そう、歴史は常にその積み重ねよ。人は予定調和の中で生きているのではなく、いくつもの偶然によって成り立っている。その完全なる予測は、人の身には到底理解できるものでもないわ。だからこそ、人は試練を乗り越え続けなければならない。」

「つまり、これは起こるべくして起こった────」






「ど う で も い い か ら、 さ っ さ と 掃 除 し な さ い ! 」

 我が家の帝王、エステルが笑顔で怒っていた。
 こめかみに青筋を浮かべて笑うその形相は、2人がこれまで見たどんな敵よりも恐怖であった。

「「はい。」」
 そういうわけで…、わかりやすくふくれ顔のレンと、イマイチやる気のないカシウスが同じような生返事をした。しかし正直言ってやる気ゼロである。あれだけ戦闘に込めた気迫と気力は、一体どこへ消えてしまったのだろうか? それを掃除に向ける努力はないのだろうか?

「うん? …いや、これは無理だな。」
 そこで気がついたのはカシウスだった。自分のホウキを持ち上げてニッカリ笑う。

「いまの激突で折れたようだ。残念ながら、これじゃあ掃除はもう出来ん。」
 ちょうど真ん中でポッキリ折れているホウキを見せ付けるように、肩の高さまで持ち上げてみる。続いて気づいたレンも同じように持ち上げて、これじゃあダメね、とばかりに、どこか嬉しそうな溜息ためいきを付く。ホウキなんぞでSクラフトぶちかませば、木製のなど簡単に折れるに決まっている…。むしろ、どこの世界にホウキでSクラフトの撃ち合いなぞをするやからがいるのか問い正したいものである。

 だが、彼らはあやまちをおかした。ささやかな反対意見など語るべきではなかった。
 エステルの顔を見て、それはただ、怒りという火に油を注いだだけだと気づいてしまった!


「だったら…代わりのホウキを…、買ってきなさい!! いますぐっ!!」

「よし、逃げるぞっ!」
「賛成ね!」
 カシウスとレンは、折れた箒をほっぽり投げて一目散に逃げていった。類稀なる天才の全能力と、時代に選ばれし英雄の真の力を駆使し、最大速度で逃げる逃げる! ゼムリア大陸広しといえども、ここまでの逃げっぷりを見たのはエステルくらいだろう。

 …まったくもって嬉しくもないが。

「こらぁ!! 寄り道しないで帰ってきなさいよ!! 分かってんの!?」
 木々の合間から届くエステルの怒声におびえながら、二人は小道を走っていく。

 向かうはこの先、ブライト家から程近ほどちかい地方都市ロレントである。





 この物語は、ほんの少し先の未来に起こるかもしれない、レンの些細ささいな日常をえがいた物語である。
 あおく広い空の下で、幼き少女はいまこの時を精一杯に生きていた。

 家族というものにかこまれて…。








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