ナイトメアがやってくる!

3章 『レジスト・ポイズン』
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BGM: 「荒野にそびえし威容」(3rd サントラ2・10)





 仕組まれた戦い。命を賭けた慈悲なき戦い。
 エステルは自身を貫くために、全員の命を救うために全身全霊を注いだ。

 そして誰の命も奪う事なく、完全に勝利を収めた…………。


 しかしその代償だいしょうは大きい。

 彼女の茶色く長い髪。それをトレードマークのようにくくっているはずの髪飾りは両側共なく、自らの血によって汚れた髪は、行き先を失くして扇状おうぎじょうに広がっている。また、左肩、脇腹、右足を穿うがったボウガンの傷はけして浅いものではなく、無茶をしてり出したSブレイクのために、体は痛み、きしみ、疲労の限界を超えて悲鳴をうったえ続けている。
 ……だけど、闘志までが失われたわけじゃない。それを示すがために、フルーレの仕組んだ戦いをくつがえし、信念をつらぬいてみせたのだ。だからさけぶ。

「さあ、出てきなさい! フルーレっ! あたしの勝ちよ! ヨシュアだけじゃない、ケビンさんもリースさんも殺さない! どんな相手が来たってレンを守るわ! 誰の命も奪わずに戦い抜いてみせる!」

 例えどんな無茶だろうと無理なんてない! どんなに厳しくとも、解決する道は必ずどこかにあるはずなのだ。エステルはその証明とばかりに声を張り上げる。この馬鹿げた戦いを仕組んだ少女へと、声高く叫ぶ!




 その叫びに導かれるように、暗黒ただようの中空から………とうとうフルーレが現れた。
 腰までのきらびやかな白髪を持つ少女。表情を崩さず、この闇世界の支配者として君臨する彼女…。

 戦いを始める前と変わりなく、戦いを仕組んだ者でありながら傍観者ぼうかんしゃとして振舞ふるまう彼女は、どこか他人事のように睥睨へいげいする。座り込むエステルへと視線を送り、次いで倒れるケビンへと向け…、そして羽毛のようにゆっくりと、浮力をともない地面へと降り立つ……。


「……トドメは刺さないのですか?」
「刺すわけないじゃないっ! もし、現実世界で同じように襲われたとしても、あたしは相手を殺さない! 殺すことで何も解決なんかしない! 何度来たって追い返すだけよ!」

 フルーレはエステルを見つめたまま、何も言わない。
 否定も肯定もせずに、ただ、無機質な視線をエステルへ向けるのみ。もちろんエステルも対抗する意思を持って元凶たる彼女へと視線を返すが……、彼女には自身の考えを読まれていても、フルーレが何を考えているのかを知るすべがない……。今はただ、支配者たる彼女の行動を見守るしかなかった。


「………では、私が始末しましょう。そういう約束ですからね。」
「────── なっ!!」
 淡々たんたんと、フルーレはそれを当然のように言った。自身の言葉に間違えはなく、決められた約束事を果たすだけだと言わんばかりに、ケビン達の方へ向かってゆるりと歩き出す。

「そ………、そんなこと! 絶対にさせないっ!!」
「……ふふ…、ルールを決めるのは私だと言いませんでしたか? 貴方の意志など関係ない。」
 フルーレは一歩一歩とケビン達へと近づきながら、いつの間にかその手に巨大な鎌を出現させた。それはまるで、レンが手にしている大鎌に、重厚の黒鉄色に黄金のラインが刻まれたあの禍々まがまがしき大鎌『ナインライブズ』と似ている…。いや、まったく同じものに見えた。
 エステルはその恐ろしさを知っている。あの鋭利えいりな凶刃は、狩るべき敵を寸分の狂いなく切り刻むだろう。

 レンが黒の世界の住民である象徴とも言える巨大な鎌。それと同じ物をフルーレは使っている。ゆっくりと歩くその後姿はレンを思わせるものだった。腰までの長さの、背に流れるあの煌びやかな白い髪が短く、紫色であったなら、きっとレンと見分けがつかなかっただろう。それ程に似ていたのだ。……あの執行者としての戦鬼と化したレンに。

「ケビンさんっ! 起きて! 目を覚まして!!」
 倒れたまま動かないケビン。まさかこのような事態になるとは想像していなかっただけに、今になって全力での攻撃がやまれる。でも、急所を外したのだってギリギリだったし、そうでなければ倒せなかった。仕方なかったとはいえ、今はそれがあだとなっている。これでは逃がす事もできない。

 そうである以上、自分がなんとか阻止しなければと、エステルは疲弊ひへいしきった体にむち打ち立ち上がろうとするが、……実際には指先を動かすことさえ出来ずにいた。戦闘により負傷していたのもあるが、そうではない。まるで、大きな呪縛にとらわれているかのように体が動かないのだ。

「動けませんよ? だから邪魔も出来ません。……言ったでしょう? 私はこの世界の《支配者》だって。」
 そう、彼女が全てを仕組んだ。そして彼女が全てを決める。それに対してエステルは何を決める事もできない。何も為す事ができない。今はただ、レンをあきらめない事を続けるだけで、ケビンを救う事をゆるされてはいないのだ。目の前にいるというのに!

 フルーレはケビンの横を通り過ぎ、その背後で十字架に掛けられているリースへ向かった。
 彼女はまず先に……、リースを殺すつもりなのだ。その大鎌で………。


 幻影のように触れることのできなかったリース。しかしフルーレにしてみれば、それは詮無せんなき事だ。彼女がここへ呼びつけしばっている。だからこそ、彼女の攻撃は一方的に加えられるのだ。あの悪意の象徴であるナインライブズで切り裂かれれば、リースの命は簡単に消し飛んでしまうだろう。あまりにも簡単に、まるで蝋燭ろうそくの灯火を消し去るがごとく…。

「やめなさい! フルーレっ! なんでっ………こんな事をっ!!」
 どれだけ力を振り絞っても、体はまったく動かない。ケビンと戦った時はなんとかしのいでいたはずの強制力だが、今はほんの少しの抵抗さえできなかった。……だから、叫ぶしかない。
 しかし、どんなに叫んでもフルーレにはそれが届いていないかのようだ。躊躇ためらいなく、ただ、作業のようにリースを殺さんと歩み寄り……そのまま、彼女の前で止まった。そしてようやくその身をエステルへと向ける。

 緑色に輝くエメラルドの瞳が、再度エステルを向けられた。
 彼女は口元だけの極微な、そしてどこかはかなげな笑みを浮かべて……穏やかに告げる。



「貴方はまだ……、自分の法則下でこの世界を見ているようですね。 ここは貴方の生きる白の世界ではないのですよ? 叫んでも願っても希望ついえる闇なる世界。それが私やそこの彼、そしてレンちゃんが望まずして手に入れた黒の世界なのです。」
 彼女は闇の空が広がる天に向かって視線を向けた。まるで天空の星空をあおぐがごとく、無限の彼方かなたへと巡らせる。しかし星などという希望すらない天を見ながら、フルーレは言葉をつむぎはじめる…。

「……御覧なさい。この漆黒の闇におおわれた空間を。絶望となげきの想念が渦巻く世界を。」

「これは貴方の大好きなヨシュアさんが原因で生まれた世界。あの化け物に全てを奪われた事で生まれた私の世界なのです。彼が私の住む村を全滅させなければ、これは生まれなかった。」
 エステルは思い出す。リベル=アーク事件後、ヨシュアから改めて聞いた彼の罪を。そして、多くの人の命を奪い、一つの村を全滅させたという事を。だけど、それがこのフルーレにつながるとは、思ってもみなかった。

「………彼から聞いているのでしょう? 滅ぼした村の事を。そこに住んでいたのが私です。私には元々、両親はいませんでしたけど、……ひとりだけ、妹が居ました。二人だけの生活は厳しいものではありましたが、貧しくとも、寒くとも、支え合って生きる事ができた。ささやかな幸せがあったのです。」


「しかし、それはあの男によって奪われた。私は村を滅ぼされ、最愛の妹さえも失い、そして不幸にも人身売買の手に落ち、《楽園》という名の娼館へと流れた………。おかしいでしょう? まるで作り話のような流れで闇から闇を体験したんですよ、私はね…。ふふふ……まるで喜劇のよう…。」


「本当に……本当におかしな話ですよね? あの男は自分の住むハーメル村が滅ぼされて大切な人を失ったと嘆くのに、他人の幸せは平気で摘み取っていたのですから……。自分は壊れているから仕方がないと他人事のように抵抗さえせず、幾人も幾人も、平気で殺してきたのですから。……なのに彼は今、貴方との幸せな道を見つけてもう笑っている。それは楽しいでしょうね。本当に……こんな喜劇はありませんよね。」

「……………………………………………。」
 エステルには返す言葉が無かった。無責任に言えるなぐさめすら持たなかった。彼女の話が本当だとしたら、もう何を言う事もできない。ただヨシュアの、彼の過去が血塗ちぬられているという事実を改めて認識させられただけだった。



「………昔話を続けましょう。」

「結果として、私は娼館《楽園》で、地獄のような日々を生きなければなりませんでした。……いいえ、レンちゃんを含む21名もいた少年少女達は全てそこに居た。様々な理由で集められ、商品とされた子供達がそこに居たのです。」

「だけど、みんな精神を病んで死んでいきました。肉体をもてあそばれ、なぶられ、汚されて、文字通りの肉人形のようになって……それで皆、使い捨てられた。
 知りもしない男の欲望を満たし、服従させられ、意味も分らず殴られ、心さえも痛めつけられる。他者の嗜好しこうを満たすための道具となり、自我を持たぬ人形のままで死んでいく……。」





「……わかりますか? その絶望が、その悲しみが? 愛情や喜び、そして人とのきずなとうとび、学んでいくはずの幼子達が、そのように扱われる事の意味を、貴方は理解できるのでしょうか?」







 ───エステルにとって、レンを含む彼女達の話の真相を聞くのは、これが初めての事だった。この事件が起こらなければ、ヨシュアがあのまま宿屋でこれを語っていたはずだったからだ。……しかし、落盤事故から始ったこの闇世界との対峙により、話は中断された。

 そして今、それが最悪の形でエステルに伝わっていく。いや、包み隠しもしない当事者の言葉が、彼女へと地獄の様相としてぶつけられていた。ヨシュアの過去を悼む間もなく、レンや彼女の不幸を思い知らされる。そして自分が、いかに守られた生を享受していたのかも知っていく……。



「《身喰らう蛇》が”楽園”へと突入して来た時、すでに壊れていない子供達は片手で数えるほどでした。……そんな中で、私達がかろうじて精神を保ち、生きていられたのには理由があったんです。」

「レンちゃんは自身の人格を分裂させる事で精神を保った。自分を自分ではない他者と認識させ、乖離かいりさせた事で自我を守るという手段を取りました。無意識のうちにね……。」

そして私は、彼女を最愛の妹と思って依存した。村を滅ぼされた時に殺された、すでにこの世には居ない妹……彼女をいとおしい妹だと依存した事で、精神を安定させた。」





「私がレンちゃんを愛している理由、守る理由、……それは妹として、絶対に捨てられない絆を見出しているからです。彼女が妹ではないとわかっていながら、それでも幼く震える事しか知らない彼女を助けたいと思った!」


「それをとがめる権利など貴方にはない。それどころか後から現れて、それで彼女を勝手に見守ろうだなんて、ゆるせると思いますか? しかも貴方は世界の一部さえ知らずに、諦めないとだけ連呼する…。」


「痛みも知らない。苦痛も知らない。汚された事すらない貴方。白の世界でのうのうと生きてきただけの貴方…。だから、このような事実を耳にしたとしても、所詮は他人事でしかない! どこまで行っても第三者には変わりがない!……そう、第三者。たかが第三者なのです! ヨシュアさんの過去に対してもそうだったように、貴方は聞いて実感を得ないままで同情する事しかできない!」





「───── 軽いのですよ、あなたの”諦めない”は。」





「………………フルーレ……、あんた……そこまで………。」
 それが、彼女がレンを求める理由……。全ての苦しみを共に生きた彼女とレンだけに許された絆だとでもいうのか? 黒の世界を知っている同胞だからこそ、救えるのは自分だけだと言うのか?
 でも、少なくとも今のエステルよりもレンに近い場所に居ることだけはハッキリしている。フルーレはエステルよりも深く深くレンと関わり、レンの事だけを見て、考えて、いまこうして立ち塞がっている。それは事実だ。

「……私達がそうであったように、人はいかに努力を重ねようと覆せない状況があるのです。自分では何も選べない。それが”運命”だと諦めざるをえない事もあるのです。努力しても変えられない運命という非情が、現実として存在するのです!





「だから今、それを再現しているのですよ! そして貴方も味わってください。希望が摘み取られるという事を、望みが消え去るという矛盾を。貴方が信条とする努力による解決は、けして万能ではないという事を!

 フルーレは大鎌を振り上げる。命を狩り取る『ナインライブズ』が、十字架に縛られたままのリースを殺すために、振り上げられた。



「や、やめてっ! フルーレ! やめてよぉぉぉぉ!!」
「いいえ。貴方は知らなくてはなりません。くつがえせない世界というものを。」

 フルーレは……そのまま意識を失ったままのリースへと……、凶器を、……容赦なく…………、






 振り下ろした───。







 紅の鎖が弾け、十字架に張り付けられたリースから鮮血が飛び散る!

 引き裂かれる肉の音と共に、一瞬だけ見開かれたひとみ
 彼女はその身を袈裟懸けさがけに切り裂かれ、おびただしい赤の体液を周囲にビチャビチャと飛び散らせていく。そしてそれは返り血となってフルーレを紅に染めていく。真っ白な髪も、純白の服も、全てが朱紅あかく染まっていく。

 口から、
 体から、
 切り裂かれた傷口から、彼女のすべてを垂れ流し、命そのものを振りまいて………。



「─── リース…さん………、リースさんっ!! いやあああああああ!!!」

 ごぽり、と吐き出した血液の塊と共に彼女は目を見開いた。
 そこで初めて、リースは意識を取り戻し、混濁こんだくする瞳をエステルへと向けた。

 彼女には何が起こっているのか判らなかっただろう。
 なぜ、自分がこのように切り裂かれ、命を奪われるかさえ理解できなかっただろう。
 しかし、自身がどういう状況に置かれているのかだけは分ったのかもしれない。

 死に至る斬撃……。
 もうすでに、助からないと判るあと

 命の鼓動を脈打つはずの心臓は、もうない。
 すでに裂かれて機能などしてない…………。命を支える要素は何一つ存在し得ない。


 リースは最後の力でなんとか顔をあげて……ケビンを見る。
 そして、優しい瞳を向けた彼女は……、












 ほどなく…………呼吸を止めた……。













 残されたのは、
 もはや魂の宿る事の無い、傷つき血に染まった………肉体という”からっぽ”の器のみ。



 いや、すでに器としての役目もない、破れて血を流すだけのもの…………。











「貴方はレンちゃんに手を出すべきではなかった。安っぽい同情などというエゴは持つべきではなかった。エゴはエゴとして己の内で、昇華しょうかすべきだった。」
 半身を赤に染められたフルーレはそのまま、いまだ血液がしたたる大鎌を引きずるようにして、ケビンへと歩み始めた。
 そして、エステルの方も向かずに話を続ける……。

「貴方はどんな人にも優しく接する事ができるのかもしれない。でも、それでけではレンちゃんは救えない。優しさだけが彼女を守る術ではないのです。生半可な覚悟で彼女に接するべきではないのです。こういう結果を招くかもしれないという覚悟というものが、貴方には決定的に不足している。」

挫折ざせつを知らず、必死に努力すればなんとかなると、心のどこかで頼っている!」

 振り上げ、倒れたケビンへとそれを振り下ろす!



 地面へと突き刺さるかのように、ケビンの胸倉へ吸い込まれるナインライブズ。
 その肉を突き破る音は心臓への一突き……。


 気絶したはずのケビンは、その瞬間、リースと同じように目を見開いた。
 声にならない悲鳴をしぼりだし、無念の涙がほおを伝って落ちてゆく。
 そして、喪心そうしんしてゆく心に絶え、苦しみながらも、ゆっくりと、ゆっくりとエステルに顔を向ける。
 口から赤の鮮血を、大量の血液を吐き出しながらも、ようやく……つぶやいた……。




「……ごめん…な……エステ…ル…ちゃん……。殺そうとして……ごめ…………。」




「でも、オレ……。」

 無造作に刃が引きぬかれた傷口から、どろどろと朱の泉が吹き出る。
 それは取り返しのつかない心臓への一撃。

 先ほどまで力強く語っていたはずの彼は、すでにもう息する事さえも消えかけて。








「…………リー……ス……………。」










 そのまま、ケビンという人間は呆気なく止まった……。



 瞳から流れていた涙だけが残り、そこに宿っていたはずの感情を示す輝きはもうない。
 何も果たすことも出来ずに、何処どこ辿たどりつく事もなく、二度と動く事の無いむくろと化す。



 最後にただひとつ、エステルへの謝罪だけを残して。  彼は失意の中で、逝った………。







 そして最後に残されたのは、













 2つの死体だけ。

















「あ………………………………………………………………。」


















「……………ぅううう………ああああああああああああああぁぁぁ!!


 エステルは叫ぶ。苦痛と、嘆きに満ちた慟哭どうこくを─────。






 しかし、悲痛な声を上げようとも、彼女が守りたいと思ってきたものは残らない。
 理不尽な状況を突きつけられ、そして無常に刈り取られた。物言わぬしかばねが残っているだけだ。

 彼女なりの精一杯の努力などお構いなく、彼らは力尽きていった。
 理不尽だと思う状況を覆す事はできず、突きつけられた事実だけがその場に残る。
 あらがえない結果を示す”死体”というものだけが残されている。


「なぜ泣くのですか? それは誰に対する涙なのですか? 命を落とした彼らに? それとも不甲斐ふがいない自分に? それとも、さち薄い自分自身の生い立ちに? 泣く事でなにも解決などしないというのに、それでも泣くのは貴方が未熟だからです。」

 苦しい、心が痛い。エステルはこれほど叩きのめされた事はなかった。信じていたものが、こんなにも簡単に壊れてしまうという事が。努力しても、どれだけ努力しても結果は変わらなかった。彼らを救う事ができなかった。
 ……思い出すのは、あの『百日戦役』で母を失った時の事。ただどうする事もできず、押さえきれない哀しみが押し寄せてくるだけだ。これが努力の果てにあった結果……。

 努力しても何も為しえないというのなら、何に抗おうと結果は変わらないのだろうか?

「全てを諦めるのなら、いまのうちですよ。……そうすれば貴方は、自分の世界で生きられる。……その決意が消え去ったというのなら、ここで終わりにする事もできます。」




 レンを諦める…。諦めれば、こんな悲劇から解放されるというのだろうか? それでも諦めずに、このままレンが生きる黒い世界と向き合いながら、それでも自分は彼女を想い続けていけるのだろうか?

 諦めない。それだけの言葉にどんな想いを込めていたのだろうか?
 どれだけの覚悟があったというのか?
 その一言が、彼らの命を奪った事になるのではないか?


 エステルの中で様々な想いと葛藤が交差する。これまで生きてきた世界が、こんなにも否定され、自分を打ちのめしていくというのなら、黒くけがれた世界こそが真実だというのか? 自分の生きてきた価値観はこんなにも非情を味あわせるというのなら、それにおぼれて生きてきた自分のなんと浅薄せんぱくな事だろうか?


「呆けているひまなどあると思いますか? エステルさん。状況は待ってはくれないものです。」


 彼らをいたむ間もなく、涙を流す間も与えられず、フルーレは事務的な口調で言葉を発する。エステルにはそれに反応する力もない。……これまで、いくつもの大きな悲しみがあった。無力に感じた事も沢山あった。だけど、こんなにも理不尽に大切なものが消えてしまう事が、あまりにもショックで、苦しかった。

「耳には届いているようですから、話を続けますが……今度は、今の二人よりも大切な二人を天秤にかけさせていただきます。」
 その不穏な発言に、エステルは怯えながらも静かに顔を上げた。すると、目の前には、Yの字に分かれた2つの道が出来ていた。どちらも道以外の部分は底の見えない断崖絶壁で、歩くことのできないように築かれている。フルーレが構築したのだろう。
 気が付けば、自分の後ろに見えていたはずの十字架に縛られたヨシュアもいづこかへ消えている……。


「今度の選択は簡単ですよ。右の道を行けばレンちゃんがいる階層に出られます。そして左を行けばヨシュアさんがいる階層へ。どちらかを選んでいただきますが……。」

「……………。」
「でも、当然レンちゃんを選ぶんですよね? まあ、その場合はヨシュアさんには今のお二人のように死んでいただきますが。それも貴方の発言したこと。”諦めない”を貫いていただきましょう。」
 次いで、フルーレは………またもどうしようもない選択を迫った。レンを諦めないというのなら、ヨシュアさえも殺す、と言っているのだ。今度は回りくどい物言いではない。身を裂かれる以上の選択を、この場で下せと迫っているのである。

 それを呆然と聞いていたエステルは、思考を止めたまま、ぼんやりとその別たれた道へと視線を上げた。
 これまでの人生においてもっとも過酷で無慈悲な選択。大切な人を選ぶ運命の道。それが目の前にあった。

 死に掛けたヨシュア、闇に囚われているレン。……助けられるのは一人だけ。
 それはこの世界のことわりを支配する彼女が定めたルールだ。いや、フルーレにしてみれば、今後に起こりうる事態への選択だと言うのだろう。だからといって、そんなものを選べるはずがない。

 ケビンとリースの死を目の当たりにして、それでも後悔なく選べる者など、いるわけが……ない。









 ちょうど、その時だった。







 突然、周囲がゆがみ、ぐにゃりと湾曲する。


 そしてフルーレが自身を抱きしめ、苦しげに、その場にひざを落としたではないか!



「くっ! あああ……う…ううう………。」
 まるで発作でも起きたかのように苦しみだす彼女。エステルはこれまで完全無欠を誇っていた彼女からは想像さえしえなった彼女の苦しみの表情に驚いた。しかしフルーレは、それを堪えるように、大鎌にすがってなんとか立ち上がろうとする。

「な……なに……?」
 突然のその光景に、エステルは呆然としながらつぶやく。一方でフルーレは、激痛を耐えているようにして、脂汗を流しながらも、口調だけは変えずに答えた。

「………なんでも……ありません。貴方がレンちゃんやヨシュアさんを想うよりも、私はそれ以上の覚悟で挑んでいるという事です。私は、貴方よりもレンちゃんを想ってあげられる。見せかけだけの弱い貴方よりも、ずっと強く彼女を慕ってあげられる。………それだけの事。」

 立ち上がったフルーレは、まるで今の苦しみが嘘であったかのように平然としている。もう苦しむ様子を見せる事無く、元通りの態度で言う。歪んだ世界も元に戻っている。

「私はこれから、レンちゃんの相手をしなくてはなりません。……だから、貴方と話すのはこれで最後になるでしょう。……見届けさせていただきますよ。貴方の決意の行く末を……ね。」
 それだけを告げて、フルーレは迷わず右の道を進んで行く。迷いもなく、躊躇ためらいもなく、彼女は、レンに会うために道を進んでいった。大切な者のために、迷わずに。

 エステルはなす術もなく、その背中を見送る事しかできなかった。もう体への呪縛はないというのに、それでも行動を起こす力が残されていなかった……。
































「…………エステルさん……………。」













 ふと、道を行くフルーレが立ち止まった。そのままで、彼女はこちらを振り向く事無く、背を向けたままでうつむき、沈黙していた。それはほんの少しの間だったはずなのに、エステルには妙に長い沈黙のように思えた。



「最後にひとつだけ言っておきます。………貴方は一番大切な事を忘れてますよ。それを忘れてるから、こんな選択で迷うんです。」

「……………………え?………。」
 エステルがその言葉の意味を咀嚼そしゃくする前に、フルーレはそれだけを言い残すと、もう歩みを止める事なく道を進んで行った。道を行く彼女の背中は何かを語っているようにも見えた。


 しかし、ただ背中を見つめるだけで、呼び止め問いただす気力さえないエステルには、彼女の残した言葉の真意がわからなかった。そしてそれを考える余裕もない。道を選ばなければならない事には変わりがないからだ。
 エステルには比べられない程、ヨシュアもレンも大切な人だ。それに甲乙をつけるなど出来るはずがない。だけど選ばなくてはならないのだ。……そうでなくては二人とも失う事になる。

 ヨシュアか、レンか………。
 フルーレの思惑がどうであれ、エステルは答えを出さなければならないのであった。











◆ BGM:「レクルスの方石」 (3rd サントラ1・05)









 斬────!!



 邪気を宿した自分が、執行者を名乗るレンが巨大な鎌を振るう。悪魔の刃を向けられる先には赤子……。それが切り払われる!
 レンが守りたかったのは小さな命。真っ白で純粋で、どこまでもキレイな命。何色にも染まらぬ赤子だ。それも自身との血縁かもしれない子である。全力で駆けたのだ。死に物狂いで手を伸ばしたのだ。

 だけど、わずかに届くことはなく───。
 その決定的な斬撃音と共に……、周囲の全てが一変していた。


 小さな命を救いたいと願い、手を伸ばした先には何者の姿もなく、周囲に築かれていたはずの死体の山も、血と雨に濡れた街並みも、全てが消え去っている。いつの間にか周囲はすべて闇で包まれており、そこにレンだけが一人、その場に立ち尽くしていた。


「………………何が……、起こった………の?」
 突然消えたあの悪夢なような光景、なぜ自分はこんな闇の中にいるのだろうか? 目の前にいた執行者を名乗る自分はなんだったのだろうか?
 次から次へと急変する事態についていけず、ただ闇の中にたたずむレン…。そして、その闇の中から自分へと投げかけられた声があった。ささやくようで、はずんだ声。



「こんにちわ、レンちゃん。お久しぶりね……。」
 そこに居たのは見知った顔だった。
 昔、もうずっと前に知り合いだった子。あの《楽園》という娼館に居た頃から知っている顔。……何かと自分へ話しかけてきた同年代の子だ。あの頃と同じ、白い髪に白の服をまとった少女。確か名前は……。

「フルーレ……。」
「そう……ね。やっぱり覚えてたんだね………。」
 そう答えたレンではあったが、どこか妙な感覚があった。彼女を知っているはずなのに、よく思い出せないのだ。彼女は確かに古い知り合いだったはずだ。まわしき《楽園》で同じ部屋だったという事、そして同じく身喰らう蛇に入って、執行者候補生として過ごしたという事だけは覚えているのだけれど……、それ以外や詳細が霧に覆われたように思い出せない。
 それだけの長い間一緒だったというのに、彼女とどういう関係だったのかさえ、ぼんやりとした記憶にしか残っていなかった。霧に閉ざされた木々達の繁茂はんもする森のように、底の見えない深い深い穴であるかのように、見通す事ができなかったのだ。

 しかし、話しているうちに、だんだんと呼び起こされた記憶があった。それは、彼女が執行者候補生として高めた能力が【脳波コントロールによる幻術】だという事だ。

 一口に幻術といっても無数の種類がある。《幻惑の鈴》を名乗る執行者ルシオラは、道具を使った誘導催眠に類する技術を扱うし、《怪盗紳士》ブルブランは人の認識力の錯覚を利用した手品に類する技を用いる。
 だが、フルーレの扱うそれはどちらのものでもない。ワイスマン教授やヨシュアの用いる【魔眼】の一種、その最たるものだ。視線を交わした相手を自身の世界に引きずり込み、支配する。これは技術ではなく、超常能力に付随ふずいするもの。……精神的負担はルシオラ達のそれよりも大きいというデメリットがあるようだが、それでも効果は絶大である。なにせどんな達人でさえ支配できるのだから。

「いままでのは……フルーレ、あなたの仕業ね! そして今も使ってる……。そんな姑息こそくな手を使ってレンに一体何をするつもり? もし戦うっていうのなら、あなたなんかがレンには勝てるわけないわ。例え、幻術を使えたとしてもね。」
 あくまで強気で対峙するレン。いつ視線を合わせたか、という問題は残るが、それでも、これまでの不可思議な光景は彼女が見せていたと考えて間違いないだろう。あの光景、赤子を切り裂こうとした自分自身も、フルーレが見せていた幻だったのだ。
 だから、というわけではないのだと思うが、レンは目の前の少女に敵意を感じていた。あの惨劇を別のレン自身がやっていたように見せ、仕組んだ、というのが我慢ならない。自分がいつも以上の過剰な怒りを感じているのがわかる。先ほどの血塗られた街並みを見ていたのと同じように……。

 一方で、フルーレはそんなレンを見据えながら、なんら変わらぬ様子で答えを肯定する。満足そうに目を閉じ、薄く笑みを浮かべて答えた。

「………そうだね。私はレンちゃんには勝てないと思うよ。……でもね、今日はそれよりも、貴方に話があって来たの。とっても大切な話……。」

「大切な…話?」
「そう。とても大切な話よ。……大丈夫、そんなに警戒しなくてもいいよ。この件に結社は関係ないから。これは私個人で起こした事。有体ありていに言えば……我侭わがままかな。」
 幻を見せておいて、支配する気はなく、しかも結社は関係ないという。あからさまな矛盾に怪訝けげんな表情をするレンに、フルーレは微笑みかけて、こう言った。

「ええっとね、ヨシュアさん達に会ってきたの。久しぶりだったけど、色々と変わりなかったわ。」
「えっ! ヨシュア達に……会った……の!?」
「うん。さっきまで一緒だった。……それにエステルさんには初めて会ったけど、とってもいい人だと思うよ。貴方の事を想ってくれる人。……だからね、余計にずるいなって思うの。」

「………ずるい…?」
 そのように、フルーレは不満を漏らした。

 レンは、その違和感を覚える語り口をおかしいとは感じている。だが、フルーレの真意が読み取れない。
 あんな幻を見せて、こんな世界にまで引き込んで、用があると言ってエステル達の話をし出す。一体、何が言いたいというのだろう? 連続性がない。とりとめがないため会話が成立しない。
 彼女の事自体があまり思い出せないというのはあるけれど、それでも、不可解な会話であった。

 レンは単純な戦闘だけでなく、状況判断にも推察にもまったくすきはない。余念を持たずに戦闘や会話を組み立てている。だが、彼女、フルーレの言葉はまったく予想できなかった。彼女の狙いがわからないから、それをどうさばくか、という推論を進められないのである。

 ヨシュアやエステルに会ったというのが本当かどうかはともかく、フルーレの会話の先にどんな目的が隠されているのかがわからない。彼女が口にした通りの嫉妬しっとに類する感情論? それともエステルを、もしくはヨシュアを人質にとっての交渉こうしょう…?

「……う〜ん……どちらかというと、感情的な話かな…。」
「─── っ!」
 思考が読まれている!? さすがのレンもその事実にだけは一瞬の躊躇いを生んだ。思考制御は出来ないことはないが……、それを行っていると戦闘での反応速度はどうしても落ちる。

「戦いの事なんて考えてるの? そんなに警戒しなくてもいいよ。確かにそれはあるけど、私がこれからする事には変りはないから。」
「一体……何をしようって……。」

「うん。簡単な話。……エステルさん達はきっとレンちゃんの新しいパパとママとして家族になってくれる。……ならね、もうパテル=マテルはいらないって思うの。だからね、返してくれないかな?

「────え?」
 レンの驚きをよそに、フルーレは片手を掲げ、その名を呼んだ。

「来て、パテル=マテル。」
 同時に、地響きのような音と共にそれが現れた。それは赤の人形兵器。全高15.5アージュ、重量55トリムの巨人である。圧倒的なパワー、その凄まじき戦闘能力を持って、立ち塞がる者を打ち倒す意志なき人形。だが、常にレンの声を聞き、守ってきた強き父、優しさを持つ母のような存在だ。
 それがフルーレによって呼び寄せられた。いづこからともなく、闇まとう天より飛来する見慣れた赤の機体、レンが最も、何よりも、誰よりも信頼を寄せるパテル=マテルが、自分でない者によって呼び出されたのだ。

 そしていつものように、ブースターより噴出する気化熱を浮力にして、ゆっくりと地面へと降り立つ。
 ただし、フルーレの側に。

「パ、パテル=マテルっ! なんで……そっちに───っ!」
 いくら冷静さを崩さないレンでも、こればかりは普通でいられなかった。自分以外が操る事ができないはずのあの機体が、フルーレの側にいるというのか? まさか、これも彼女が見せている幻術の世界だから?

「残念だけど、それはハズレ。レンちゃんは勘違いしているもの。」
「かん……違い……?」
「そう、勘違いよ。レンちゃんがパテル=マテルを初めて起動させた時、何があったか思い出してみて? きっと様々な事がひとつにつながるはずよ。」

 フルーレの問いかけがこの状況を理解する上での唯一の手がかり。そう考えたレンは、未だ霧の中にある古い記憶を呼び起こす。



 ……あれはもう5年以上も前の事だ。《身喰らう蛇》の執行者候補生として、レーヴェとヨシュアに見守られ、そしてもう一人の誰かと共に切磋琢磨せっさたくましていた時期があった。

 恵まれた才能が開花し、様々な知識を獲得、そして戦闘能力においてはヨシュアをしのいだレン。そして、身体能力は低いものの、【魔眼】を易々と会得し、さらにその先を、超常能力の先を手に入れた少女。その彼女は、人の最も重要な機能を果たす脳を外部から一方的にコントロールする技を得意とし、その絶対無比な特殊能力の前には、執行者でさえも右に出る者はいなかった。

 それが……いま目の前にいるフルーレだ。

「………あの頃、レンちゃんは確かに優れてはいたけれど、今みたいに快活な魅力を持つような人格ではなかった。まだ、全てを持つ”執行者のレン”という人格は完全ではなかったもの。……どちらかというと、まるで楽園に居た頃の人形のような、言われた事をこなすだけのような人格、貴方が『クロス』と名付けた彼に似ていたわ。」

 レンでさえ、無意識下の中で認識しているだけの存在、深層心理に形成された別の人格の名を、なぜ彼女が把握している? いくら思考が読み取られるからとはいえ、そんな深淵までが筒抜けだというのか? あてずっぽうでは判らない事なのだから、それほどの力がフルーレにあるという事になる。
 さすがのレンも、ここまで他人に心を見透かされるという不気味さに戦意が削がれている。そんなレンに構わず、フルーレは話を続けた。

「ちょうどその時、行き詰っていたゴルディアス級機械人形兵器の問題が、操縦者不在の話が持ち上がったのよね?」

 レンがゴルディアス級機械人形兵器、後にパテル=マテルと呼ばれるその機体の操縦者となる少し前、操縦者が見つからず、その起動実験テストを行った者は次々と廃人と化してしまい、研究は暗礁あんしょうに乗り上げていた。そして、闇雲やみくもに犠牲を生むことを中止し、素質ある者を使うことが決められたのだ。

「そうよ! レンはパテル=マテルの起動に成功したわ! だけど……あ……あれ?」
 パテル=マテルは自分の物、それを宣言するかのようにレンは声を上げたが……言いかけて疑念を抱いた。自分がパテル=マテルを動かした。それは現在において紛れもない事実だ。しかし思い出す。……フルーレが消えたのも、この時期だった………。

 確か……起動テストを受けたのは彼女が先で、自分は後だった。いや、自分は命じられるままに先に起動実験を行おうとしたのだが、彼女が先に行くと順序を変えたのだ。その後、彼女は姿を消した……。その辺りの記憶が…やけに曖昧あいまいで思い出せない……。


「……そうね。だっていくらレンちゃんが天才だからって、これを操るのは無理だったもの。いくら優れていたとしても、幾人もの大人が廃人になるような脳波を、天才だから、なんて信頼性のおけない言葉だけで、 子供の脳で処理できると思う? ……無理だとわかっていたから、私は先に実験を受け入れた。」

「だって、私は脳波を操るスペシャリストだもの。貴方より成功の確率が高いのも道理。……それでもね、あの波形はめちゃめちゃだったから、とても苦労したわ。普通の人じゃ廃人になるのも当然。……さすがの博士も、脳の処理能力限界という機能把握には至らなかった、というわけね。」

「じゃ……じゃあ! なんでレンが動かせたの!? あなたがそのまま動かせば良かったじゃない! レンなんか放っておいて、あなたが使えば良かったじゃないの!」

「だって、あの頃の私はこれはいらなかったけど、レンちゃんは欲しそうにしていたもの……。だからね、貸してあげる事にしたの。」
 フルーレの能力を考えれば納得せざるを得ない結論。彼女はレンよりも先にパテル=マテルを動かせる立場にあった。しかし、動かさなかった。

「そのうち返してもらえばいいと思って甘くみたのかな。ちょっと油断したの。そしたらね、体、壊れちゃって……。動かなくなっちゃった。頭から下の全身麻痺。……だから、結社に居ることも出来なくなったの。馬鹿みたいだよね。」
「……………………。」

「でも、体はもう治ったし、新しいパパとママができたレンちゃんには必要ないんじゃないかなと思ったから、返して貰いに来たのよ。……もういいよね? ヨシュアさんとエステルさんがいるのだから、──── これは必要ないわ。」
「そ……そんなの………。」
 信じられない、とは言い切れない。だけど、レンにとってパテル=マテルは心の支えになっているもの。共に過ごすことで安心を得る事ができる存在だ。

「パ、パテル=マテル! こっちに来───」
「無駄よ。……当然だけど私はパテル=マテルを動かすことができる。先んじて意識を潜り込ませておいたから、操作系は全て私が掌握しょうあくしているわ。貴方よりも優先して動かせるの。……もし、ここが現実世界であったとしても、レンちゃんと私なら、命令を与えられるのは私の方。それは決定的な事実。」

 彼女の言う理屈や過程がどうであれ、レンにはこれから彼女が何をするのか、もう予測すらできない……。そして、パテル=マテルという自身の支柱を奪われたレンは、想像以上に────もろかった。

「か、返してよ! レンのパパとママ……、返してっ!」
「言ったはず、貴方にはエステルさんとヨシュアさんという親が居る。だからこれは要らないのだと。」

「そんな事ないんだからっ! パテル=マテルはいつだってレンと一緒だもの! 絆があるもの!」
「いいえ、これはただの機械よ。血の通わない人形。絆なんかあるわけがない。それこそ貴方の妄想なのよ。こんなものに依存したって意味がないわ。」

「違う違う! パテル=マテルはいつだってレンの事を考えて────」
「こんな玩具に人を思う知能なんか存在しない。貴方の思考に反応して解析装置が正確に命令をこなしただけの話。……命令されれば、レンちゃんにだって躊躇なく攻撃するわ。こんな風にね。」

 フルーレの答えと同時に、パテル=マテルの双眸そうぼうが赤い閃光を走らせる。それは戦闘モードへの移行を示すもの。その攻撃対象はレン。いままで守り、共に過ごしたはずの少女である。機械は命令を聞く道具なのだという事を証明せんがため、彼女がそう仕向けた。

 歩き出す。攻撃対象へと。
 レンと名乗る対象を殲滅せんがため、操縦者の意向通りに忠実に動き出す。

 大地踏みしめるその轟音はけたはずれな破壊能力の高さを誇示こじし、体の隅々までを構成し駆動する全機構が振動を奏でる。頭部にえられているのは、操縦者の意志をみ取る事で反応速度を大幅に上げる、技術力の粋を結集した感応型思念集積しゅうせき知能。
 この世界の全てにおいて、間違いなく最高LVに到達した人形兵器、その巨体は、今まさに破壊の権化ごんげとしてレン殲滅のために動き出す。その意志なきひとみに赤の閃光を宿し、いかなる敵をも粉砕すべく駆動を開始する!

「や……やだ………、パテル=マテル!! レンに答えてよ! パテル=マテルっ!」
 レンがどれだけ叫んでも、どれだけ操つろうと念じても、巨人は反応すらしない。巨大な腕を振り上げ、その小さな体目掛けて、フルパワーで殴りつける!

 その瞬間 ────、レンの目に映ったのは大きな絶望だけだった。











◆ BGM:「想いの眠るゆりかご」 (3rd サントラ1・15)









 僕は─────、ひざをかかえていた。
 誰も居ない、誰も居ない暗闇で、ただ小さくうずくまり、膝をかかえていた。





 どれだけ時が経とうとも、罪を犯したという事実をくつがえす事はできない。

 エステルがくれた気持ちや、レーヴェが教えてくれた強さ。それが自分を支える力になったとしても、罪が消えたわけではない。そんな事はわかっていたはずだった。

 しかし、目の前に現れた彼女は、当たり前の事を言った。
 家族を殺された。自分が殺した人達の遺族。彼女はその生き残りであったと。

 逃げるつもりなんてなかった。隠すつもりもなかった。ただ、彼女がそうだと知らなかった。全ての罪に重さの違いはないけれど、それでもあの村の事は悔いても苦しんでも片時も消える事はなかった。

 つぐなう。命を奪った彼らに対して、僕は償う事しかできないのだから、例え命を失う事になったとしても、奪われた彼らの問いに答えるつもりでいた。命を差し出す事を要求されたのなら、応えなければならなかった。

 そう、確かに僕は化け物なのだから、殺されてしかるべきだった。
 殺されることが当然だったんだ。

 ハーメル村が戦争の犠牲になって滅んだというのに、奪われることの苦しみを知っていたというのに、僕は他者の幸せまで摘み取っていた。そんな自分が許されるはずがないのだから。ハーメル村やカリン姉さんの事をいたむ事すら許されるはずもない。………そんなこと、はなはだしいにも程がある。


 だけど、彼女の言葉でさらなる罪を知った。
 今になって、ようやく気付くかされた。





 レンの事だ。








 僕とレーヴェは結社の作戦において、とある組織の本拠地、《楽園》を名乗る館に突入した。子供に売春をさせ、金持ちから金を搾取さくしゅする下劣な組織だった。レンとは、そこで出会った。

 薄暗い部屋、客の男はとっくに逃げ出し、残され倒れた彼女を見て、僕は確かにこう言った。


『レーヴェ、この子が生きているところを見たい。』
 自らに傷を科し、それでも自我を保とうとした彼女を、生きていたいと願っていた彼女を見て、興味を引かれた。あの頃の僕自身には感情がなく、ただ、なんとなく、…そのようにしてまで望みを捨てない彼女に興味を引かれたからだ。



 結果的に………それは彼女の命を救った言葉だったのかもしれない。
 話だけを聞けば、これがきっかけで彼女が救われたと思うかもしれない。





 だけど、真実はそうじゃない。







 彼女は《執行者》になった。そして結社の命令により、僕のように人を殺した。
 殺して、殺して、数え切れないくらい殺した。

 でも彼女は、そんな生を望んではいなかった。人を殺める事など望んではいなかった。
 本当の彼女は、人を殺したくなんかなかったはずだ。





 もし、望んでいたのなら……、なぜ《執行者のレン》という人格を作り上げた?

 彼女が望み、求めている生を受けられていたら、そんな人格は作らなかったはずだ。

 望んでいなかったから、違う人格を作り出して逃げ込んだんじゃないのか? 《楽園》に居た時と同じように。





 彼女は望まずして人殺しにされたんだ。………そう、この僕によって。
 『レンは強い』───そう言った事で、僕は彼女を縛り付けてしまったんだ。強さというものに。










 レンの望まない状況を与えた。
 僕が彼女の生きているところを見たいと願ったから、彼女は結社にまねかれた。

 きっと、レーヴェなら傷を癒した後、彼女を然るべき施設に預けられたはずだったんだ。
 僕が望んだから、レーヴェはレンをそうせずにいた。だからレンは人殺しにならなければならなかった。

 本当の自分になれなかった。
 本当の彼女は、いま僕やエステルの見ている《執行者》のレンとは違うものなはず。
 自分のからに隠れ、未だ姿を現していない本当の彼女がいるはずなんだ。


 だというのに、僕は彼女をさらに狂わせた。




 ──── 僕は彼女を救ってなどいない。違う地獄へ突き落としただけだ。





 彼女は《楽園》にいた時、何も選べない状況にあった。
 僕は僕のために彼女にこだわった。だから彼女は僕と同じ人殺しにされた。

 ……僕は彼女の運命をまたも狂わせた。


 下劣だと感じた《楽園》の人間と同じことをしたんだ────。



















 ………なのに僕は、そんな彼女へ、またも手へと差し伸べた。
 彼女にそのような仕打ちをしておいて。救うような事を言ってみせる……。






 きっと僕は…………、
 家族という絆を持つことで、知らないうちに、彼女への贖罪しょくざいを考えていただけなんだ。
 自分のために巻き込んで、それで今更いまさら……贖罪を果たそうなんて……。



 フルーレの言う事は少しも間違ってはいない。彼女は悪でもなんでもない。
 なぜなら、僕こそが元凶だからだ。過ちの根源だからだ。どう考えても非は僕にしかない。


 ならば、僕は生きていてはいけない。
 今後、また誰かの運命を狂わせるかもしれないのだから、生きていてはいけないんだ。








 胸の傷。
 フルーレが与えてくれた傷。


 彼女が引導を渡してくれるなら、それがいい。それでいいはずだ。
 あとはもう………………逝くだけだ────。



























 目を閉じようとした時、気が付く。……いつのまにか、隣に誰かが立っていた。
 見上げて驚いた。それは十年前に失ったはずの人。……かけがえのない……僕の………姉。





「カリン………姉さん………?」
 姉さんは、あの頃と変わらぬ優しさで、僕を見下ろしていた。
 晴天の空のように清んだ微笑みも、黒くたおやかな黒髪も、何一つ変わらない。

 ああ、姉さんはあの頃と何も変わっていない。あの優しい笑顔で、僕の事を見守っていていた。







「─── 膝をかかえてふさぎこんでるなんて……、あなたはいつもそう。何かあると、いつもそうやって泣いて……。体は大きくなったのに、変わらないのね……。」
 あれからずっと会うことのなかった僕のたった一人の姉、カリン姉さん。レーヴェと共に3人で、家族として暮らしていたあの頃を思い出す。いや、今でも鮮明に覚えている光景。

 僕は、また涙を流した。



「久しぶりね……ヨシュア…。迎えに来たのよ。」
「迎え…に?」
 カリン姉さんは僕と目線を合わせるためにしゃがみ込み、手を伸ばす。あの頃のように、家に帰ろうと手を引こうとしてくれる。何もかも昔のまま……。何も変わらない穏やかな日々のように。幸せだった日々を再現する。

「レーヴェのように貴方に会いたかったけれど、私にはもう無理だったから……。いま、この時だけ許されて……、ここに来られたの。」
 間違いなく姉さんの手だった。見間違えるはずもないカリン姉さんの手だった。……それにもし、これがフルーレの術だとしても、こんなに優しい最後なら構わない。文句なんかあるはずもなかった。一番会いたい人と会えたんだ。お礼を言わなければならないくらいだ。

つらかったでしょう? でも、もう大丈夫よ。むこうで……レーヴェも待っているから。」

 また、3人で暮らせる。
 そして、この苦しみから解き放たれるというのなら、何も迷うことはなかった。




「さあ、逝きましょうか。」
 カリン姉さんより差し伸べられた手。幸せを取り戻す一番の選択。











 僕は、ゆっくりと手を伸ばした─────────































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