嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

N 最終章・終極 人と共にあるべきもの
 
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BGM:--「-----------」(------・---)






 夜、それは漆黒の闇、天空を覆う黒のとばりが降りる刻。

 その世界にただ一つ存在し、ことわりが生み出す暗黒において常に天高く座し、黄金の光を放つもの。
 ………人はそれを月という。

 太陽のように明るく大地を照らす力はないが、闇夜を照らすその乏しくも微かな光があるだけでも、人は夜道を歩く事ができる。全てが暗澹あんたんたる状況においても、その加護だけで一縷いちるの望みをつなぐ事ができた。……時に、人はその光を喜び、とうとび、夜の世界に在る唯一の希望として空を見上げる。

 しかし、

 今この時、王都グランセルにその加護はなく、街は導力灯のわずかな灯火だけが細々と周囲を照らしている。見上げた空は曇天。すべてが厚い雲が敷かれて輝きは見えない。

 いや……、この日この時だけは、空に月は存在しなかった。
 代りに、月のような黄金の輝きを持つそれは、街並みの中でその身を大地に横たえている。

 琥耀珠こようじゅと呼ばれたクオーツ。それは使用者の防御能力を大幅に高めるという効果を持つもので、トロイメライ=カプトゲイエンの核をになっていた導力の元である。……その滑らかなる真円描く球体は、直径7.5セルジュという通常からは考えられない程に巨大なもので、それゆえに多大な防御能力を獲得する事に成功した。

 だが、それは兵器として生まれたというのに、大きな成果に反した致命的な欠点を2つ、ようしてもいた。

 一つは見た目通りに巨大である事。いくら高い防御能力を得たとしても、本体がそれだけ邪魔であれば、装備として組み込む自体が困難だ。また、大きさに比例した重さが加われば、敏捷性という言葉の一切を否定しなければならない。
 そしてもう一つは、エネルギー効率の悪さである。稼動用パーツを接続して防御能力を最大限に利用した場合、フル充電状態でさえ動かすだけで3時間。それは文字通り致命的な短さである。
 出撃するだけならそれで構わないが、作戦とは帰還も視野に入れなければならない。そうであれば、全ての作戦において効率が悪すぎるのは明白。しかもパーツそ装備させたそれは、本体以上に巨大であるから場所も取ってしまい、他部隊の展開にも支障をきたす。……これほどのデメリットがあれば、役に立たないのも当然だろう。

 実戦で十二分に役立てる防御能力を持っていたにも関わらず、そうした問題がために、あまりにも戦闘には向かないという判断を下された。つまり失敗作の烙印らくいんを受けたのである。そして不名誉にも掘削という仕事を担う事となったのだ。

 カプトゲイエンと名づけられたそれは、外の世界で活動するために必要な四肢として、掘削作業をするためのからを身につけることを余儀なくされた。
 セレスト=D=アウスレーゼが隠れ住む施設へトロイメライという戦力を送りこむために、鈍重なその身を引きずり、ただ黙々と壁を削る作業を続けなければならなかった。

 戦場での使用ではないため、背中にエネルギーチューブを接続し、エネルギー供給を得る。そうやって無理に稼動時間を延ばした掘削機械としてのカプトゲイエンは確かに役に立った。
 不意の落盤や攻撃にも無傷を保ち、ツインレーザーカノン、隔壁破砕ミサイルが障害物の全てを破壊する。戦闘で使えないのが悔やまれるほど、作業効率はどの機械よりも優れていた。

 そして、とうとう敵の潜む施設への道を貫き、掘削という仕事を真っ当したにも関わらず、《リベルアーク》そのものが封印された事でクオーツはその役目を終えた。苦渋くじゅうの日々を耐え、掘削だけのついやした労力は全て無駄に終ったのだ。
 その結果、長い間、気の遠くなる程に長い間、生まれた理由から遠ざけられ、そのほとんどを地下基地で眠るだけの時間を過ごさなければならなかった。失敗作は失敗作のままで、放置されたまま誰にも忘れ去られていた。戦闘という目的を果たせぬまま、全ての者達の記憶から取り残されたのである。

 しかし、この現代において、それはとうとう戦闘に役立てる事を許された。そして攻撃を受けた事でまとっていた殻を脱ぎ去り、全ての屈辱から解放されたのだ───。






 クオーツは今、天空の月に代り、大地で光を放っている。


 本物の月がそこに在るかのように輝き、暗闇を照らしていたが、それは、天空のそれと同じような純粋な輝きを持ってはいなかった。とても重たげな鈍さと暗さ。……同じ光というものではあるはずなのに、どこか重さを含んだ、鈍く禍々まがまがしい光だけを絶やさずにいる。まるで、屈辱を晴らさんとする意志ある存在であるかのように。

 それは戦いを待っていたのだ。生まれた意味を証明するため。
 屈辱に塗れた長き時間を払拭ふっしょくするため。
 これから行われるであろう、次なる行動に向けて。

 周囲の喧騒けんそうに包まれながらも、それ自身は静寂の中に身を潜めていた。

 まもなく始る最後のうたげ主賓しゅひんとなるため、いまはただ、その身を休めていた。





◆ BGM:SC「風を共に舞う気持ち SC」






 落とし穴の人垣の輪から少し離れた位置に、アネラスとクローディアはいた。それにナイアルに肩を支えられたメルツ、カメラのシャッターを切るドロシー。……そして、すっかり怯えた様子を消したジョセフィーヌがよちよちと周囲を走り回っている。

「わん、わんっ!」
「あれー、さっきまで震えてたのにー、なんだか平気みたいですぅ〜。」
 勝利の喜びを数枚のベストショットとして撮り終えたドロシーは、ついでに元気なジョセフィーヌもパシャリと撮影する。主に彼女が抱いていたジョセフィーヌではあったが、クローディアの心ある声に自分を取り戻したらしく、今はもうすっかり元通りになっていた。元の無邪気な姿のまま、誰彼構わずじゃれついている。やはり子犬はこうして無邪気に遊んでいる方が似合っている。

 ジョセフィーヌはそのまま、メルツの足元にいくと……、へふへふと息をしながら彼を見上げた。
「な……なんすか? なにか……ご用でも……?」
 恐る恐る子犬へと声をかけてみるメルツ。彼は今、とてつもなく、限りなく嫌な予感がしていた。ジョセフィーヌの嬉しそうな顔がとても意地の悪い笑顔に見えた。

 ガブリッ!

 ジョセフィーヌはとても嬉しそうに、そのまま足に噛み付いた。
「わう〜〜うう〜〜。」
「……あの……痛いっす。っていうか、こそばゆいっす。……なんでこの犬はボクを噛むっすか?」
「むぅうう〜。(やっぱりコレが噛みやすいのだ)」
 一度噛んだらやめられない。犬をとりこにするような噛みごこち。ジョセフィーヌにとってその小さな口にジャストフィットするメルツは、とてもお気に入りの噛み相手だったようである。

「ジョ、ジョセフィーヌちゃん、人を噛んだらダメですよ!」
 そんな気持ちなど知るよしもなく、いままで人を噛んだ事なんてなかったと、慌ててクローディアが引き離そうとするが……。彼女が手を伸ばすその前に、尋常じんじょうならざる恐るべきスピードで手を伸ばす者が居た! 女王たる彼女は、次の瞬間、かつてない戦慄せんりつをその身に刻む!

 明かに人間離れした反射速度と、人知を超えた捕獲能力。凄まじき野生の本能が獲物をとらえ、すみやかにつ、正確無比に目標物を確保する! 何者の追随ついずいさえも許さない、その捕獲者。それは当然のように───。

「か〜〜〜わ〜〜〜いいいぃぃぃぃぃぃぃ!」

 ………アネラスであった。

 まさに野生の獣を彷彿とさせる敏捷性を用い、有無を言わさずジョセフィーヌを抱きしめている。そしてその妙にだらけた顔は、もはや戦士たる者の気迫など皆無。もし彼女に”HP(ヒットポイント)”という体力数値があるとしたら、この時点で300%は回復していたであろう。回復しすぎて、あふれてだらだら流れていた事だろう。

 ふさふさの羽毛のようなクリーム色の毛並みと、くりくりとした瞳は好奇心旺盛、背中には赤いベストを着た………ジョセフィーヌは人見知りをしない子なのだが、さすがに、いきなり抱き付かれて困惑している。

「も〜〜〜やだぁ〜。本当はねー、さっき遊撃士協会でクローゼちゃんが抱いてた時から、すっごいすっごい気になってたんだよぉ〜〜〜〜。う〜ん、ジョセフィーヌたん〜。」
 顔をすりよせ、濃ゆい愛情をいかんなく注ぐアネラス。せっかくクローディアとの感動の再会をしたというのに、彼女よりもジョセフィーヌにくびったけ。もはや、全てを台無しにしてしまったようなセリフを吐くプリティ亡者もうじゃの浅ましい姿がそこのあった。

「いや〜ん! この赤いベストがプリティだよぉぉぉぉ〜〜。うんうん、しゅばらしいよ〜。」
「あのう……、アネラスさん……。」
 クローディアが呆然ぼうぜんとその姿を眺める。そして、いまの速度はさっき自分の元へ走って来た時よりも素早かったのではないか?…と微妙に負けた気分になった。まあ、これは仕方がない事なのだ。アネラスの暴走ぶりに手が付けられないのは周知の事実なのだから。

 ……ふと、思い出したようにアネラスがいきなり顔を上げ、クローディアへと向いた。そして友人たる彼女へと燃える瞳をむける。双眸そうぼうに宿る炎は絶対的な意志の象徴。揺るぎ無い確固たる決意と信念に満ちたものだ。この場の誰も、これほどに決意を固めた彼女を目にしたことがない。


「クローゼちゃん! お願いがあります!!」
「は、はい。なんで……しょう?」
 凄まじいまでの気迫! クローディアはとてもとても嫌な予感がしたが、とりあえず聞いてみる。

「この子、大切に育てると約束します!」
「………………確定事項?」

 アネラスの心は、すでに妄想世界と現実の狭間に入り込み、まったく帰ってきそうにもなかった。しかもお願いと言いつつ、持ちかえる気が満々である。実質、彼女の暴走を止められるのは先輩遊撃士のシェラザードくらいものなのだが、当然のごとく、いまここに彼女はいない。グランセルに危機は去ったが、………これはこれでピンチであった。
「ううう……。アネラスさんのばか…。」
 クローディアは無性に悲しかった。アネラスさんの中の優先順位がジョセフィーヌちゃんより下にされたみたいで、心に風が吹いていた。……こればっかりは女王の力でも、なんともならなかったし。

「おおお!! ジョセフィーヌ! 我が愛しのジョセフィーヌよおおおお!!」
「わんっ!」
 わざわざ拡声器を使って喜びを表現したのは、言わずと知れたデュナン公爵。惜しみない愛を注いだジョセフィーヌとの再会に涙を流さずにはいられない。そしてその子犬も、アネラスの腕からすりぬけ、大好きな飼主の元へと駆けて行く。

「ああああぁぁぁぁ〜〜、そ、そんなぁ〜〜。」
 遠のいていく小さな背中。しかも相手はあのおかっぱ公爵である。アネラスは完膚かんぷなきまでに心が砕けた。暗闇の底へと叩き落された。カンパネルラでさえ、ここまで彼女の心を折ることは出来ないだろう。さきほどのクローディア以上に重傷かもしれない。
 ぶっちゃけ、アネラスを暗闇のどん底に叩き落すのは簡単だ。可愛いものから遠ざければ一撃である。

 あれだけ(一方的に)愛を注いだのに、こちらを見向きもせずにデュナン公爵へと駆けるジョセフィーヌに、アネラスはクリティカル絶望する。一体、自分の何がいけなかったのだろう? 何が悪かったのだろう?(←全部だ) ……と、自分的にはどうしてもわからない理由にもだえ苦しみながら、遠のいていく子犬に止めない涙を流す。…もう涙で前が見えない。

「おおう! ジョセフィーヌよ!」
「わ〜う〜! わんっ!(わー、おかっぱー、お前も元気だったかー)」
 ちなみに、デュナンはジョセフィーヌをこれでもか、という程に愛情を注いでいるが、当のジョセフィーヌにしてみれば、どちらかというとマブダチという感じだった。彼的にはタメぐちである。

「……ううう……、おかっぱ公爵さんに負けた……もう誰も愛せないよ……。」
「はいはい。また頑張りましょうね。」
 ガックリと肩を落とすアネラスの頭を、よしよし、と撫でるクローディアはちょっとだけ嬉しそうだった。


「あ、そうっす。忘れてたっすよ。……クローゼさん、これ渡しておかなくちゃ。」
 ナイアルに肩を支えられたままのメルツは、思い出したように声を上げた。彼はポケットをまさぐると一つのクオーツを取り出す。それはジョセフィーヌが着ている赤のベストの背中のつけられていたものだ。魔獣の目から姿を隠すという希少な品である。
「あ、葉隠…ですか。……なるほど、これが取れちゃったからジョセフィーヌちゃんは襲われたんですね。納得しました。」
「うん。なんにしても、みんな無事で良かったっす。」
 メルツは傷を負ったとはいえ、遊撃士としての誇りを味わっていた。形はどうあれ、自分が動いた事で誰かが助かった。自分の力が役に立ったのだ。人のために何かができる。それが何よりも勝る報酬だと感じていた。

 一方、クローディアもそんな彼の努力にはげままされ、心の救われるきっかけを与えられた。彼女は勇気をくれたこの青年に、心からの感謝を述べたかった。何かができるわけではないけれど、いまこの場では、素直な気持ちを伝えておきたいと思った。

「あの……、メルツさん。」
「へ?」
「あなたのおかげで私は救われたんだと思います。本当に……本当にありがとうございます。」
 とびっきりの笑顔。彼女の素直な気持ちを乗せた、心からの笑顔でお礼を述べる。

 しかし、彼女は知らなかった。

 彼女の意図とは関係無く、彼へと向けたその笑顔は凄まじい破壊力を持っていたという事を。
 メルツはいままさに感じていた達成感と、かつてない満足感を味わっていたにもかかわらず、それら全部がブチ抜かれるほどの愛らしさに一発で撃沈した。それはそうだろう。クローディアは普段そういう事を考えた事がないのだが、彼女はリベール屈指の美少女なのである。しかも心のこもった笑顔となれば、メルツ程度の若輩者がその破壊力に耐えられるわけがない。……きっとその威力は、サンクタスノヴァの遥かに上をいくだろう。

「いっ! いえ! と、と、と、とんでも───ない、っす……。」
 頭から煙が出そうな程、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう青年。なんともわかり易い性格をしているようである。

「いや、その僕……ぼ───っ、うぎゃ!」
「ったく…。こいつ、肩借りてる分際で何やってんだ。」
 ナイアルは肩を貸していたメルツをそのまま捨てて、自分はタバコを吸い出した。これじゃあ、肩を貸している自分の方が間抜けみたいじゃないか、と嘆息たんそくする。
 せっかくだから、と久方ぶりの煙を肺に入れ、疲労を和らげるようにゆっくり吐き出す。いろいろあったが仕事の後のタバコは格別、とばかりに、もう一度煙を吸いこんだ。
 ちなみに、メルツはそのまま地面に額をぶつけて半ベソをかいていた。

「まーまー、ナイアルせん〜ぱい。それで許してあげてくださいよ〜。それにしても、さすが王家の犬ですぅ〜。高価なクオーツ持ってますねぇ。」
 ドロシーが感心したように言うが、実はこれはリベルアーク事件の際に手に入れた戦利品である。一つだけしかなかったのだが、いつもフラフラしているデュナン公爵にどうぞ、とエステル=ブライトがくれた物なのだ。
 クローディアは葉隠れを手に、デュナンと遊ぶジョセフィーヌの元へと足を運ぶ。

「叔父様、ご心配おかけしました。」
 本当に申し訳なさそうに叔父へと頭を下げる。どんな理由があれ、自分が立場を放棄し迷惑をかけたのは事実だ。こればかりはいくら謝っても許される事ではない。
「ふん。やきもきさせおって。……しかし、ワシも今回はお前より先に逃げた張本人だからな。偉そうな事は言えん。───ほら、それを貸さんか。ジョセフィーヌに付けてやらねば。」

 デュナンはクローディアより葉隠れを受け取ると、ジョセフィーヌを抱いて、それを赤いベストの背中に一つだけ開いている穴へとはめ込んだ。ちゃんとロックをかけたので、もう外れる事はない。これで魔獣に襲われる事もないだろう。
「おお、良かったのう。ジョセフィーヌよ!」
「わ〜うう〜。(あうう、もっと遊ぶー! おかっぱー、放して〜)」
 とにかく遊びたくて仕方がないジョセフィーヌは、デュナンの腕でじたばたと体を捩ると、無理矢理に地面へと降りた。そしてまた、メルツの足に噛み付いて遊びだした。
「痛いっす。だから微妙に痛いっす。」
 クローディアは何も言わず、沈んだ表情でジョセフィーヌを胸元まで抱き上げると、消え入りそうな声で呟いた。
「でも、お婆様が私の代わりに…。私は自分のした事が───…」
 彼女のその声に、その場の全員が沈黙する。女王アリシアは石化されてしまった。
 今は人の目に触れられないように、閉鎖したグラン・アリーナへと運び込まれたのだが、未だ問題は解決していない。
「うむ。本来ならワシも陛下のそばに居たかったのだがな、そういう状況でもなかった。……陛下まだ回復されてはいないのだろう。きっと淋しがっておいでだ。」
「はい……。私のせいです……。」
 自分は勇気という力を取り戻したけれど、それで女王アリシアが元に戻るというわけではない。今はそれを追及しても事態が解決するわけではなかった。

 ただ、やる事は決まっている。カンパネルラが何処へ行ったのかを探し出し、全力で倒して女王を解放するのだ。しかし、カノーネの作戦の進行中、カプトゲイエンの爆破寸前で飛びこんできたクローディアは敵の行方を知らない。だから、まず先に突き止めるのは敵の行方だ。もしかしたら、ここで戦っていた者達ならば誰かが知っているかもしれない。

「それで叔父様、その敵の……執行者の居場所なのですが───。」
「わっはっはっはっ! それなら心配無用じゃ! なにせあの執行者とかいう敵のガキんちょは、リシャールとフィリップが相手をしておる! 任せておけば心配ないぞ。特にフィリップが力を貸しているのだからな! 陛下が戻るのも時間の問題というわけだ。」
「リシャールさんと、フィリップさんが……? 本当ですか?!」


「あ、思い出した!! クローゼちゃん、こんな事してる場合じゃないよ!」
 横から、いつの間にか立ち直ったアネラスが、真剣な面持ちで彼女の肩を掴んだ。

「すっかり忘れてたよ! それ本当! リシャールさんが執行者を押さえてくれてたんだよ! 私達それでなんとか持ちこたえられたんだから! ちらっと見ただけだけど、あとで執事お爺ちゃんも来た。間違いないよ!」
「そうですか、カンパネルラはやはり来ていたんですね?!」

 アネラスも彼らが加勢に来てくれた姿を見かけている。勝利の喜びで失念していたが、考えてみればこんな事をしている場合ではない。まだ戦っているのなら、応援に行かなければならなかった。

「叔父様、それにアネラスさん、場所の見当はつきますか?」
 クローディアは胸元でむずがるジョセフィーヌをドロシーへと頼むと、デュナンへと視線を戻して確認してみる。
「うむ! ワシは知らんぞ!」
 力いっぱい答えた彼は、全然知らないというのに、やけにえばっていた。そんな彼を押しのけて、アネラスが口を出す。同時に、口元に何かの錠剤のようなものを運んでいた。
「あ、私見てたよ。もし戦場が動いてないなら、だけど……。きっとまだ西区にいるはずだよ。私これから行ってみようと思う。」

 あれだけ戦ったというのに、その態度からしても、まったく疲れていないように見えるアネラスではあったが、過信は油断へとつながるという事を先輩達からよく教わっていた。だから、ちょっとした合間を見て【S−タブレット】という錠剤を口の中に放り込んでいた。回復力は低いが、錠剤であるため持ち運びに便利なのだ。彼女がいつも、ウサギさんの可愛らしいポーチに入れて持ち歩いている品の一つである。……実はその中に、いくつかあめを入れているのは自分だけの秘密だ。

 ……これは余談だが、彼女は前に遊撃士の仕事で徘徊はいかい魔獣との交戦中、回復剤と間違えて、飴を取り出して回復せずピンチになった事もあった。いや、あれは大変だった…。

「私も行きます! アネラスさん、いいですよね?」
 そんな彼女に声を上げたのは、もちろんクローディア。彼女は自分自身を取り戻し、戦う意欲を見せる。心配していたアネラスとしては、今のこの活力に溢れた姿が嬉しくはあったが、それでも不安が消えたわけではない。
「ん〜〜、どうしよっかなー。」
「お願いします。私は行かなくちゃいけま───、な、なんですか? その笑顔は…。」
 アネラスは思いついたような顔で、にんまりと笑っていた。その怪しげな笑顔に、少しだけ引いたクローディア。
「じゃあ、目をつむって。」
「は……はい。 ………??」
「じゃあ、次は口開けて。」
「??? 口…ですか?? は、はい…?」
 アネラスはその可愛い口に、飴玉を投げ込んだ。びっくりして目を開けたクローディアは、目を丸くして、それが飴だと知り、ころころと口で転がしてみる。口に広がるいちごの香りと風味は、疲れた体と気持ちを、やわらかく包んでくれるようだ。
 確かに体力は回復しないかもしれない。しかし、心は安らいでいく。張り詰めた心に余裕を持たせる事ができる甘い魅惑であった。

「それはね、怖くなくなるおまじないだよ。……効いてきたかな?」
「もう…。アネラスさんってば。」
 アネラスは彼女を心配もしていたし、不安がないわけでもなかった。しかし、友達が一緒に行くというのだ。何かあれば、自分が全力でなんとかすればいい。……でも、今の彼女なら、もう何にも恐れる事無く乗り越えていける。そんな気もしていた。
「じゃあ、いこうか。」
「行きましょう!」
 クローディア、そしてアネラスは、再び戦いへと向かう意志を固めると、互いの顔を見て取り、うなずく。

「ナイアルさん達は叔父様と一緒に港へ避難していてください。あと一人ではありますが、一番厄介やっかいな敵が残っているようですから。」
「あ、ああ。わかった。……頑張ってこいよ、姫さん!」
「はい! 行ってきます!」
「よぉし! 行くよ! ジョセフィーヌたん! またあとでね〜!!!!!」
 ジョセフィーヌはメルツに噛み付くのに夢中で気がつかないが、代わりにメルツがジョセフィーヌは任せて、とでも言わんばかりに、やるせない顔つきで手を振っていた。


 駆け出す2人は西区へと向かう。
 残された敵は執行者カンパネルラただ一人。彼さえ倒せば全ての悪意を取り除く事ができる。女王を元の姿に戻す事が出来る。そう信じて駆けていく。

 しかし、彼女達は知らなかった。すでにリシャール達との勝負が終り、その敵が本当にすぐ近くに居たという事を。───まさか、別方向から敵がのんびり歩いてこちらへ向かって着ているなど……、考えもしなかった。








◆ BGM:SC「陰謀」(SCサントラ1・09)







「俺達の勝利だ! グランセルをとうとう守ったんだ!」
「これで、陛下も元に戻るんだな?! よかった、本当に良かった…。」

 落とし穴を囲んで勝利の喜びを表現しているのは、作戦の当初から参加していた兵士や黒装束達。そして多くの市民達である。その誰を問わずが喜びを共有し、分かち合っていた。彼らは勝利と祝福の言葉を連呼し、勝利という事実を受け入れている。
 自分達が力を合わせ、戦い抜いたからこそ、ここまで出来たのだ。いまはただ、何もかも忘れて喜びをあらわにしてもいい時だろう。素直に勝利を祝って当然だ。

 しかし、つかの間の喜びはもうすぐ終る。
 闇に紛れて歩み寄る最後の敵が、喜びに水を指すように、ゆっくりと歩み寄ってきていたからだ。

 ”彼”は、西区での戦いを終えて、北区周りでやっとここへと戻ってきていた。……これから最後の仕上げをしなければならない。予想以上に伸びてしまった物語の結末を終らせなければならない。
「まあ、物語にはこれくらいのサプライズも必要だしね。」
 隔壁破砕ミサイルで全滅させたとばかり思っていたけれど、しぶとく生き残っていたリベール。予想外の戦力も加わり、クローディアまでもが舞い戻ってきた。……だが、それすらも、物語を彩る見せ場として彼は楽しんでいる。だからこそ盛り上がると高揚もしていた。

「さて、あれを見たらどんな顔するかな? ふふふ……楽しんでもらえるといいけどね。」
 そんな独り言呟き考えているうちに、彼はそこへと辿りついた。そして、目の前で喜びを露わにしている彼らに、いつも通りの落ち着いた口調で声をかける。


「悪いんだけど、そこどいてくれないかな? 通らせてくれる?」

 破壊されたカプトゲイエンが埋没する大穴。それを取り巻く一番外側で喜びの声を上げていた一人の兵士が、背中からのその声に気がつく。
 それはどこか幼く、まるで少年のようなソプラノボイス。勝利に酔いしれていた兵士は、この場にそのような子供はいないはずだという考えなど及ばず、ただなんとなく後ろを振り返ってみる。
「ん?? なんだ?」
「ああ、お取り込み中のところ申し訳ないね。そこ退いてくれない?」
 そこの居たのは笑顔の少年。見た事もない子供だった。紫のスーツを着込み緑色の短髪を揺らしている。齢の頃は13〜15歳くらいだろうか? 身長からしてそんな年齢に見えたのだが、子供らしからぬ落ち着いた雰囲気と風格が、彼の目には異様なものに映った。

 特に目に付いたのは奇抜な色のスーツ。その色もさることながら、至るところが刃で切り裂かれたようになっている。それらは全て縦に横に、真一文字の切り開かれていた。特に胸元が大きく切り裂かれており、どんな事をすれば、このように服が裂かれるのか、と一瞬だけ思考を停止させてしまう。
「聞こえないかな? 道を明けて欲しいんだよ。」
 だが、兵士はこの少年がこの作戦に協力した市民ではない事だけはわかった。他の兵達のような土にまみれたような汚れではなく、服自体はあまりにも綺麗なままだったからだ。むしろ、汗すらかいていないように新品同様に見えた。切り裂かれたスーツに、汚れ一つもない衣服。そして最も感じられるのは───。

「あ───、ああ。すまない。」
 どうしようもない威圧感。……どう見ても自分よりも年下、どう見ても子供だというのに、その兵士は素直に道を開けた。笑顔を崩さないというのに、なぜか逆らう事のできない威圧感のようなもので身をすくめてしまう。
 勝利の喜びで浮かれていた彼は、帯びていたはずの熱の全てを四散させ、その少年の不気味さにただ息を飲んだ。そして、すぐに近くにいた兵士へと声を掛ける。

「お、おい、そこの道、開けてやれ!」
 大きめの声で、周囲で騒いでいた仲間や市民達を少年の正面から退かせる。理由なんてない。ただ、この少年の歩みを邪魔してはいけないような気がした。
 今の今まで浮かれていた周囲の仲間達も、その勝利の場には似つかわしくない大声に振り返り、少年を見て同様の反応を示す。妙な雰囲気を持つ彼に皆が目を奪われ、勝利の言葉を止める。

 落とし穴の周囲に集まる人々の一角、ほんの少しのその場所だけが海を割るように、人垣が割かれていく。それが……周囲の全てに波及し、やがて穴を取り巻く全体に伝わっていく。少年の登場により、勝利に場が静まっていくのは必然であった。

 たった一言だけで一切の邪魔を退けたその少年は、歩調を変える事無く、実にリラックスした様子で穴のふちに立った。その視線の先には、あの巨大なクオーツ、琥耀珠こようじゅが横たわっている。少年は笑顔を崩さないまま、一人、こうつぶやく。

「さて、切り札を使わせてもらおうかな。……いや、違うな。今回の目的を果たすというべきか。」
 すると、少年は動作も少なく跳躍し、軽々とその巨大なクオーツの頂点へと着地する。穴の淵からそこへは少なくとも8セルジュ。助走もなく、人が跳べるような距離でもないはずだというのに、少年はそれさえも気にした様子なく、こなしてみせる。
 勝利の熱を中断された形で、周囲の者達すべてがその少年へと視線を送る。一体何が起ったのか、そして何が起ろうとしているのかを見守っていた。

 しかし、そのうちの一部より徐々に疑問が高まってくる。さきほどの牽引けんいん作戦で最前列を受け持っていた者達だ。彼らも遠目で見ただけだが、もしかしたらモルガン将軍と戦った敵ではないか?と少年を睨んでいる。牽引に必死だったとはいえ、こんなの奇抜な色のスーツを着た子供など見間違えるわけがない。

「おい、もしかしてコイツ、モルガン将軍を痛めつけた……。」
「俺もそう思っていたところだ。やはり、コイツが……こいつが元凶の……。」

 全ての者がモルガン将軍を見ていたわけではない。遠目で見て、彼が危ないという事には気がついていたものは多いが、なにしろ全力で牽引していたのだ。敵の詳細まで覚えているというのはほんの一部である。
 そしてなにより、あまりに唐突とうとつな登場であった。まさか敵がのんびり歩いてくるなど、誰が想像できようか? それが行動の遅れを招いたのである。

 そもそも彼らは元々、カンパネルラを知らない。少年が敵であるという常識外の事実を受け入れる事に抵抗があったのも事実だった。最初から判っていたら、少年がクオーツに取り付く前に手を出していただろう。牽引に手一杯で、なんの武器も持っていないのが悔やまれた。


「おや、一部のエキストラ諸君は気がついたみたいだね。……じゃあ、そのごほうびに、僕がいいものを見せてあげよう。」
 その少年、カンパネルラは円描く球面に難なく立ち上がると、右手の指をパチンと弾いた。すると、そのすぐ右側の空間がさざなみを打ったように揺らぎを持つ。彼はそれを確認する事もなく、そのまま右手をその揺らぎに突っ込んだ。

 まるで、そこだけが別の空間へと繋がっているかのように、彼の手は何もない空間へと消えた。そこにあってそこにはない別次元へと接続されているとでも言うべきなのか? 少年はさきほどと同様に少しだけ探ると、そこから───、一本の杖を取り出した。

 朱紅あかい、血のような色をした宝珠をその頂きに宿した杖。それは、《身喰らう蛇》の一柱、ゲルオグ=ワイスマンこと、教授が”盟主”より借り入れた品。そして、さきほどカンパネルラがカプトゲイエンに何らかの力を注ぎ込んだ時に使用したものだ。
 カンパネルラは杖を持ち、さきほどカプトゲイエンやったように、また、杖の底をクオーツへと打ち付ける。……すると、これまで鈍く光っていたはずのクオーツは、その全体から凄まじいまでの黄金の輝きを放ち始めた。

「さあ、これで準備はOK。……結社が到達した”成果”を見せようじゃないか。」





「あら、あの子達……。」
 8割方墜落にも似た、無茶な着陸をしたアルセイユ。そのコクピットから外を覗いたカノーネは、歩けないユリアに肩を貸しながら、アネラス達が西区に駆けていく姿を目にする。きっと、最後の敵であるカンパネルラを倒すために、リシャール達の加勢に出たのだろう。

「姫様……お戻りになられた…のか。」
 ユリアはその後姿を目にし、なんとも複雑な気持ちを声にした。あの力強い背中を見れば、彼女が自身を取り戻したという事がわかる。しかし、戦いに行く事を止められないのも心苦しい事ではあった。

あきらめるのね、ユリア。彼女もあなたと同様にリベールを想う同士なのだから、いまここで止めたりすれば恨まれますわよ?」
「……わかっているさ。………そんな事は、な。」
 ユリアは、胴体着陸の衝撃で肩の怪我の傷口が開いたのに加え、足も捻挫ねんざしていた。捻挫といっても重度のもので、肩を貸してもらわなければ歩く事も覚束おぼつかない。折れていない事だけは幸いだった。
 他の操縦士達はすでに港へと向かっている。ルクス、リオンが軽傷を負ってはいたし、エコーが頭をぶつけて失神していたので、戦力にならないために避難する事となったのだ。

 ユリアはカノーネにもたれながら、アルセイユの外へと出た。
 二人は改めて傷だらけとなったアルセイユを見上げると、何も言わずに視線を戻す。想いは口にせずとも、彼女達の中に在った。この機体が竣工してからというもの、様々な事件に巻き込まれ、その度に世話になりっぱなしだった。そして無茶をさせすぎた。
 爆発の余波を受けて外装がボロボロになったアルセイユ。ユリアは心の中で告げる。
「(アルセイユ……。敵を倒したら、また、共に空を駆けよう。)」

「いきましょう。敵が待っているわ。」
「ああ、行こう。まだ戦いは終っていない。」
 なんにしても、これでアルセイユはその役割を負えた事となる。今はただ、ゆっくりとその翼を休めて欲しいと二人は願った。


 しかし、感傷を抱えた二人には、それを尊ぶ時間など与えられなかった。深夜だというのに、やけにまぶしいのはナゼか、とユリアが兵士達の集まる爆心地へと視線を送ると、そこには───。

「なにっ! ……あの少年……執行者があんなところに! 見ろ、カノーネ! 爆心地の中心だ。」
 穴より20セルジュの位置に在ったアルセイユのそばに居た二人は、その視線の先に最も警戒すべき敵がいる事を知る。まさかすでに戻ってきていたなどと予想もしていなかった。
 き出しにされた巨大クオーツは、闇夜を照らす光源として、いや、禍々しさを秘めた月光であるかのように眩い光を放っている。そしてその頂点に、カンパネルラが余裕の表情で立っていたのだ。
 クローディア達が探しにいったはずの敵がここにいる。完全に逆を付かれた形となっていた。

 それよりも一番の問題は、リシャール達がカンパネルラと戦っていたという事だ。
 しかしここに彼らの姿はなく、少年は平気な顔をして現れている。……それがどういう意味であるのか、ユリアにも、そしてカノーネにも理解できている。
「執行者!? ……あれが健在という事は……リシャール様が………。」
 ユリアに肩を貸しているカノーネがうつむく。敵だけがここに居るという事は、彼が倒されたということ。戦いに敗れたという事実の証明であった。そして、そうである以上、あの敵が破れた彼を殺さない理由がない。……つまり、もう彼が生きてはいないという可能性が高いのだ。
 そう想うだけで、カノーネの視界がぐらりと揺らいだ。心の支えが一瞬にして消え去ったからだ。

「そん……な……。」
 先程までユリアやモルガンへと進むべき道を照らし、気丈を保っていたカノーネ。しかし今、彼女は強いはずの心を傾けた。ユリアに肩を貸しながら、涙がこぼれそうになる。
 常に強気を見せていたとしても、人は全てに強くなれるわけではない。信念、信頼すべき人、重んじる事柄、そうしたもののために戦い立ち上がる。……カノーネもそうなのだ。過去に起したクーデター再起も、彼のために戦った。彼がいるからこそ、強くもなれたのである。
 それが崩れた。彼女にとって、心の大部分を占めていた彼が消えようとしていたのだ。崩れないわけがないのである。カノーネは体に震えを覚えた。事実が自分をむしばんでいくのがわかる。

「しっかりしろ! 君が彼の無事を信じなくてどうする? 彼は生きている。それを信じる事が君の仕事なのではないのか?」
 ユリアは確信を持って友人を励ます。もちろん、それは励ましだけではない。ユリア自身もそう信じたかった。リシャールという男がこの程度で倒れてしまうわけがない。彼という人物はここで終るわけがないと確信していた。だから、自信を持って言うのだ。


「前を向け、君はそんなに弱い人じゃない。」

 苦しかった。耐え難い苦痛を伴う苦しみだった。
 しかし彼女は”声”を聞いた。心許す友人が折れることを許さず、彼の戦死を受け入れてはいけない、と激励した。だから、ユリアを信じてみた。誰でもない、ユリアという友人の言葉を信じて、そして主たる彼を信じなければならない、と思った。

「…………ええ、わかってるわ。……そんな事、わかってるのよ。」
 カノーネは顔を上げた。彼のために、彼の愛するリベールのために。そして、自分も愛するこの土地のために、彼女は、再び前へ進むことを決めた。

 様々な想いを込めて、二人は爆心地に在る巨大クオーツへとゆっくり進む。そこに待つのは今回の事件の黒幕、元凶ともいうべき少年。いまの彼女らに戦う術は残されていないが、それでもまだ、敵と対峙する意志だけは挫かれていない。


 人垣にどよめきが起った。なんと、あの巨大クオーツが中空へ浮かびあがったからだ。それはもちろんあの杖の力によるもの。穴の深さより高く、周囲に集まる人々と同じ程度の高さまで浮上したその頂点には、あの杖を握ったカンパネルラが立っている。
 そして、歩み寄ってくる彼女達へに気がつくと、またあの嫌な薄笑いを浮かべた。嘲笑ちょうしょうにも似た笑顔を。

「カノーネ、気をつけろ……。あれが《身喰らう蛇》の執行者───カンパネルラだ。」



「おやおや、グッドタイミングだね。さすがの僕も、ここを取り巻いている”通行人その1”、”その2”……みたいなエキストラ達を相手に、口上を述べるのは物足りないと思っていた所だよ。」
 杖を手にしたカンパネルラは、睥睨へいげいする視線の先に彼女らを見つけると、両手を広げて歓迎した。
 その言葉に、怪しげな敵を前にして目を外す事ができなかった兵士達が一斉にそちらへと視線を向けた。そこには親衛隊副隊長ユリアと周遊道警備隊隊長カノーネ。彼女らの姿をその目に止めた兵士、そして市民達は一様に安堵のため息をつく。自分達を導いてくれる者さえいれば、まだ戦う事ができる。そう感じているのだ。

 カノーネに肩を借りていたユリアは、痛みを堪えて一人で立ち、姿勢を正す。そして、ルクスから借りた細剣を掲げ、カンパネルラへと敵意を向ける。

「執行者よ、我々はお前を許さない。……だから、───殺すぞ。」
 初めて対峙した時よりも明確な殺意。敵を殺すという事は、綺麗事でない事をユリアは知っている。しかし、大罪を犯した者を野放しにできる程、彼女は寛容かんようではない。リシャールがカンパネルラへ殺意を向けたように、守るべきものを見据えているからこそ、彼女も同様に覚悟を決めたのだ。相手を殺す、という選択をした。

 一度目に投げかけられた時とは違い、カンパネルラはその言葉に深く頷いた。その表情は、とても満足そうに見える。
「ふうん。…いい目になったね。そうでなくちゃ戦い甲斐がない。……でも、状況は見えてないようだ。こちらは切り札を持っている。しかし、君達にはもう何も残っていないんじゃないの?」
 カンパネルラの言葉に、カノーネが心の中で頷く。確かにもう戦力と呼べるものはない。もし、敵が”切り札”とやらを持っていたとすれば、今度こそ勝ち目はないであろう事は明白だ。

 だが、それは諦める事と同意ではない。それが証拠に、ユリアはその意志をその場の全員へと響かせた。


「グランセルの市民達よ! ここは危険だ! 港へ後退しろ! 駐留軍はその警護に当れ! 親衛隊、並びに周遊道警備隊はこのまま敵の迎撃に移る!」

 ユリアは敵から殺意を外す事無く命令を放った。それを聞いた全ての者達が弾かれたように動き出す。まだ敵が残っている以上、敵から市民を守るのは当然の事だというのに、多くの兵士達は少年を完全に敵と認識できなかったがために動けなかったのだ。
 カノーネもそれに呼応して、手早い部隊編成で残った戦力を集中させる。

 ユリアが分担させたように、残った兵士達にはまだいくらか戦う余力があった。しかし、最初から防衛にあたっていた王都駐留軍の兵達にはこれ以上の戦闘は無理と判断したのだ。彼らは最後まで戦う気力はあっただろうが、実質的にはカラ元気である。戦闘で足を引っ張ってしまう可能性があった。
 それに、市民を守る事も立派な任務である。兵士の大半である200名は、後方待機にあてるべき、と彼女は判断したのだ。

 カノーネもそれは理解している。だからこそ、迷う事無く実行に移した。打ち合わせするでもなく、ユリアが考えている通りに兵を動かす。指揮者として彼女がどういった行動を執るべきかを推察できるから、迷う事もない。

 指揮をする者がいなくては軍は機能しない。彼らは、ユリア、カノーネという有能な指揮者を得て、本来持つ動作を取り戻していく。……ものの数十秒、ほんのそれだけで、市民が避難を開始し、兵は陣形を整えた。
 これだけ短時間で、しかも効率よく、迅速に兵を動かせる手並みは、指揮者である二人の息が完璧に合わさっているからこそ出来る芸当だ。

 残る事を指示された兵士は残り100名ほど。戦力になると残された者達だ。彼らは一旦その場を離れ、武器を手に戻ってくる。残っている装備は全て導力銃やそれに類するモノしかなかったが、それでも戦いという場に選ばれた事で気を引き締める。いざとなれば、てきの攻撃をその身で受け止めなくてはならないと理解もしていた。

「おやおや、僕のセリフを無視して編成かい? まあいいや。とても迅速で、効率のいい再編成を見せてもらったからね、許してあげるよ。……しかし、優秀な指揮官ってのはいいものだね。ギルバート君にも爪のアカを煎じて飲ませたい位だよ。」
 カンパネルラは嬉しそうに呟いている。それは余裕があるからに他ならない。自身の持つ切り札に絶対の自信があるからこそ、笑っていられるのだ。


 だが、彼女達にも”切り札”はある。ユリアも、カノーネもそれをよく知っていた。今のリベールが持つ、最大の切り札。それを切らざるをえない。

 だから、カノーネは行動に出た。腰に装備してある銃を真上に撃ってみせる。


 それは先程の戦いで使われた信号弾だ。アルセイユや人々に指示を出すために使用した煙を出して周囲に知らせるものである。

 誰もがその突然の行動に、空へと登る煙の帯を目で追う。カンパネルラはその意味を知ると、口元をまたニヤリとさせる。ユリアも本意ではないが、自分がこのような有様では、もうそれしかないという事を身に染みて理解もしていた。
「……無事にお帰りになったのは素直に嬉しいのだが、王族を戦いに刈り出すなどと……やはり、王室親衛隊がやるべき事ではないな。」
「さっきも言った通り、ここで呼ばなければ一生恨まれますわよ。……それにもう一人、元気すぎなのが残ってるのよ。少なくとも彼女の元へ走る元気があるんですもの。徹底的に戦っていただきましょう。」

 彼女達は二人を待っていた。クローディアとアネラスという切り札を。
 いまグランセルにおいて、間違いなく最大の戦力を持っているのはあの二人だ。彼女達ならば、この状況に抵抗し得る戦力になってくれるはず。
 カノーネは心の底でリシャールも来てくれる事を願っていたが、それは口に出さずにいた。


「なるほど、彼女らを呼ぶか。順当だね。……じゃあ、ここに来るまで世間話でもしようか。」
 少年は彼女らの意図を理解している。その上で、来てくれた方が面白くなると見込んでいた。ラストバトルは華やかに、盛大に行うべきだと考えている。なにより、”作戦”を果たすにはちょうどいい相手が必要でもあったからだ。



「───実はね、僕は今回、作戦の一環でここにいるんだ。いま繰り広げられている”主役のいない物語”というのはそのついでなんだよ。ワイスマン教授がさ、厄介な仕事を全部残して死んじゃったじゃない? だから僕がその事後処理を押し付けられちゃってね……。」
「……ついで……だと?」
「そうだよ。ついでだ。」
 ユリアが歯軋りし、殺意を強めた。ここまでやっておきながら、これが”ついで”でやった事だなどと言う。なんと我々を馬鹿にしているのか、と憤怒の念をおさえられない。それは兵士達も同じだ。全ての目が、怒気をはらんで少年へと注がれる。
「ユリア。」
「───わかっている。そう何度も乗せられる私ではない。」
 カノーネの一言で精神を落ち着ける。ユリア自身、常に冷静を重んじて行動するタイプではあるのだが、それでも敵に対する怒りを沈める事には苦労している。敵はそれだけの事をやっているのだ。
 しかし彼女は、その敵意を力に変える術を学んだ。心は常に冷静に、力は常に最大限に。そうでなくては一軍の将は勤まらないという事を、今回の戦いで身に着けたのだ。

「もう乗ってこないんだ。……ふう〜ん。つまらないけど、まあいいか。」

「じゃあ、話を続けよう。さて、このクオーツこそ僕の切り札なんだけど、これは君達が知る琥耀珠こようじゅと同じような効果を持っている事は周知だと思う。だけど、琥耀珠でありながら、実はまったく違うモノなんだよ。正確にはカスタム化してあるとでもいうべきかな。」
「どういう事ですの?」
「エルベ周遊道には3つの石碑があるよね? あれら翠耀石すいきせきの石碑の地下にはトロイメライ=カプトゲイエンと同様の機体が眠っていたんだ。元々は全部で3機のカプトゲイエンが存在していたんだよ。」
「あれがまだ……2機もいるというのか!?」
 驚きの声を上げるユリアに、カンパネルラは残念そうな顔をして答えた。

「いやいや、もうとっくに研究用にバラして運んだよ。今は工房のいい玩具おもちゃにされてるんじゃないかな。あんまり役に立つとは思えないけどね。……だって絶対障壁なら、もう完全版が手に入ってるし。」
「完全版……?」

 言葉を返すカノーネが知らないのも仕方がない。あれはリベルアークの中心部、最終決戦が行われた根源区画での出来事だ。
 《身喰らう蛇》の一柱・ワイスマンが《七の至宝》の力によりその身を変えた時。身を守るために使われた能力。あの時、ワイスマンが使ったのがバリアのような不可視の障壁こそが、その絶対障壁と呼ばれるものである。カンパネルラはそれの事を完全版と呼んでいるのだろう。……確かに、欠点だらけの巨大クオーツよりも優れているのは事実である。そうであるからこそ、クオーツは失敗作にされたのだ。

「まあ、それはさておき。……残ったカプトゲイエンを僕が使うことになったんだけど、工房の研究により、この巨大クオーツは琥耀珠をカスタム化したバリエーションの一つだという事が判明した。他の2機を調べた結果、これは琥耀珠でありながら琥耀珠と同一のものではなく、一つの生命体のような側面も持っている事に気がついたんだ。」

「生命…体……?」
 ユリア、そしてカノーネも予想しない言葉に困惑する。クオーツが生命体? これが生きているというのか? 見た目は特に変わりがない。確かに巨大ではあるが、琥耀珠が大きいだけのもの、という感じではある。

「生命体と言っても呼吸をしているわけじゃない。自我を含む意志そのものを持っているわけでもない。……ただ、工房はそれを利用する事が出来る、という事に気がついた。まったくさ、古代文明の遺産って、楽しいと思わない? 次から次へと、何が飛び出してくるのかわからないもんね。」



「お待たせしました!」
 そこに、元気な声が響いた。全ての者達がその視線を向けると、そこには息を切らして横っ腹を押さえたアネラスと、それを追って走ってくるクローディアの姿があった。
 信号弾を見てから戻ったにしては素晴らしく早かった。二人は全力疾走してきたのだ、とわかる。

「はあ…はあ…、まさか、こっちに来ていたなんて……。」
「う…、私、横っ腹いたいよ。もうだめ…。カノーネさん、回復して、回復〜。」
「今、準備してますわ。お待ちなさい。」
 よほど全速力で戻ってきたのだろう。二人とも息を切らせて、戦う前からヘトヘトになっている。カノーネはある程度予想していた事もあり、言われるまでもなく、即座に駆動魔法【ティア・オル】を二人へと発現させた。
「いや〜、さすがカノーネさん。ついでに何か食べる物ありませんか? おなか空きました。」
「夜に食べると太るわよ…。」
「えー!」
 そんなアネラス達を余所に、ユリアが目の前の主たる娘へと視線を送る。その表情は複雑で、あまり嬉しくないようである。……先程、呼ぶ事に覚悟はしていたのだが、実際に目の前にすれば、やはり気持ちも揺らぐというものだ。

「クローゼ…。いや、クローディア王太女殿下。……立ち直られた事は素直に嬉しく思います。しかし、ここへ来させてしまった事は、親衛隊にあるまじき行いだと存じています。」
「いいんです、ユリアさん。私もリベールを守りたいという気持ちは皆と同じです。それを重荷のように言わないでください。……それに謝るのはこちらの方です。私が逃げ出さなければ、あなたや多くの人達に傷を負わせるような事をしないで済んだかもしれない。」
「それは我々の力が及ばな───! ……いえ、やめましょう。今はこのような問答をしていても始まりません。共に、戦っていただけますか?」
 クローディアは常に自分を思いやってくれる彼女に感謝しながら、力強く答えを返した。一方、ユリアもそんな主たる彼女が頼もしく、彼女に仕える身である事の喜びを胸に返答する。

「ええ、退けましょう。全力で!」
 ユリアは主を守りたいという気持ちに偽りはない。しかし強大な敵を前にし、共に戦い抜ける事の喜びもまた親衛隊としての本分であると思う。
 彼女達は、互いの意志を一つにすると、大切な人々のためにも負けるわけにはいかない、と、より一層、抗う姿勢を明確に強めた。

「ねえ、アネラス。」
 カノーネは何かを思い詰めた様子で、彼女に声を掛けた。
「貴方達……西区で───、……いえ、なんでもないわ。」
「リシャールさんの事…ですか?」
 彼女は何も言わず、頷きもしない。だが、それを口にしなくともアネラスにはそれがわかった。判ってはいたが、結果的には見つけてもいない。完全に無駄足であった事を正直に告げた。
「いいのよ。リシャール様はお戻りになるわ。フィリップもきっと無事なはずよ。」
「そうですね。ちゃっちゃと倒して、迎えにいきましょう!」


「姫様だ……。」
「おお! 姫様が戻られたぞ!!」
 兵士達が色めき立つ。待ちかねていた姿が目の前にある。指導者たる主君が、この戦いのために駆けつけたのだ。将たる者が前線に現れる。これほど士気に影響するものはない。彼らはもう、全ての疲れを忘れたかのように士気を高めた。
 ユリアがそれを望んでいたように、主と共に戦う事が彼らをさらなる屈強の戦士へと変えるのだ。この地を守るため、彼らの結束が高まっていく。徹底的に抵抗し、敵を退ける。それが彼らに共通する闘志である。

 ───そして、もう一人、彼女らの帰りを心待ちにしていた者がいた。


「やぁ、おかえり、クローディア王女。……こんなに早く戻ってくるとは僕も計算外だったよ。いい具合に弱い部分を突けたと思ったんだけどなぁ。」
 カンパネルラだ。暗闇の中、黄金の光に包まれた敵は、まっすぐにクローディアへと視線を向ける。計算外と言いつつも、彼女の登場が誰よりも嬉しいとばかりに、はしゃいでいる様にも見える。

「………確かに私は逃げ出すような弱い人間です。一人では何もできないし、エステルさんや、他の誰かに依存しながら生きているのかもしれません。でも、人々のために戦う覚悟もしてきました! 優先すべき事を見据えました。だからもう、あなたの言葉には惑わされません!」
 改めて、強い意志を明確にしたクローディア。しかし当のカンパネルラはあまり興味がないように、答える。

「それは結構な事で。……僕としては”主役のいない物語”という作品にケリをつけたいし、今回の作戦の方もさっさと終らせたいんだ。……それにさぁ、もうこんな夜中だっていうのに、深夜時間帯の超過勤務に報酬はないんだよ。もう疲れちゃってさー。」
 誰もがその無責任な発言に怒りを覚えた。先程から、これだけの事をしでかして、まだ悪びれた様子を見せない。これが敵の手口だと承知しているカノーネでさえ、冷静さは失わないものの、あまりに不快だった。


「ちょっと待ちなさい! カンパンニラさん!」


「ん? 誰だい、僕の名前を間違えているのは?」
 叫んだのはアネラスである。両手を腰に当てて、足は肩幅に合わせるほどに開いてその少年をにらんでいた。彼女にしては珍しく底知れない怒りを抱えていたのだ。それを、この場の全員が敵意を向けている中で、少しも我慢せずに口に出す。

「謝ってもらいます! あなたが誰だか知らないけど、ここまでした事は許せないと思います!」
「ああ、君か。………って、おかしいなぁ…。キミには二度も姿は見せてるっていうのに、名前も覚えてないのかい? 自己紹介までしたじゃないか。」
「へ? …二度も……会った………??」

 アネラスは確かにカンパネルラと二度接触している。一度目は先輩遊撃士アガット=クロスナーと共に調査をしていた時、野営中に襲撃してきた黒装束姿の人形兵器達と戦った際に登場した。二度目はジェニス王立学園の騒動で、だ。
 彼女はリベルアーク事件の際、少年が”英雄”と呼ぶエステル達とは行動を別にしている事が多かったが、カンパネルラとの遭遇回数は意外に多い。あのメンバー達でさえ、それほど会ってはいないというのに。……考えてみれば因縁深い相手である。


「ええと………、どこかで会いましたか?」
 でも、そんな事は関係なく、本人はすっかり忘れていた。かけらも覚えていなかった。


「ふふふふふ。いやいや、キミも面白い人だね。心底そう思うよ。」
 カンパネルラは静かに笑うと、意味不明といった顔をしたままのアネラスに向かって、こう続けた。

「最初はただのエキストラだったくせに、いつのまにか出番が増えて、とうとう英雄という主役の座まで登ってくる。……まったく、大したものだよ。」
「しゅやく???」
「アネラスさん! あの言葉に耳を貸したらだめです。言葉で惑わそうとしているのかもしれません。」
 クローディアが横から入り、アネラスへと注意を促すが……当のカンパネルラはそれをあっさり否定する。

「……いや、これは素直な感想さ。」

 これまで注目さえしていなかったエキストラ。兵士その1、その2のような扱いとしか考えていないような、いわゆるザコという程度の一人だった。なのに、いつのまにか、クローディアにも劣らない程の英雄として、自分の目の前に立ちふさがっている……。

 まったくのノーマークだった。ワイスマンに操られる程度の、大したことのない遊撃士の一人だとしか考えてなかったのである。カンパネルラでさえ、この物語を始めた時点での配役はエキストラにしていたのだから。まさかここまで残り、しかもクローディアと肩を並べるほどに実力を発揮するなど、計算外もいいところだ。

 しかも、このアネラスという遊撃士が厄介なのはそれだけではない。
 カンパネルラはアネラスを言葉で惑わす事をしなかった。いや、正確には通用しないと判っていた。

 経験上、彼女は言葉で篭絡ろうらくできないタイプの人間だと感じた。自分の事を忘れていたように、きっとこちらが弱みを突いても、あっさり受け流してしまう。
 たまにいるのだ。他者にされず、自分のペースを絶対に崩さない人間が。

 彼女は可愛いものが好きだが、これは他者にどうみられようとも、やめるわけがないだろう。それは容易く想像がつく。……見方を変えれば、それは意外にしんが強いという事でもあるのだ。だから、独自の世界とペースを持つ人間には、言葉での揺さぶりが通用しない。彼女は、そういうタイプの人間なのである。
 だからこそ、カンパネルラにとっては一番やりにくい相手であるのは確か。しかも、ノーマークだったため、彼女の素性さえも調べていない。探れば弱点はあるのかもしれないが、この状況では篭絡は不可能だろう。

 ───だが、今は彼女を篭絡する事に意味はないのも確かだった。


「心配することはないよ、クローディア王女殿下。無粋な真似はもう必要ないだろう?」
「………………。」
 すでに遊びの時間はもう終っている。ここで言葉により篭絡し、戦力を割いても意味はない。それに、だ。彼女が言葉による効果がなかったとしても退ける手はある。純粋に”力”でねじ伏せればよいのだ。自分はそれを切り札として使おうとしているのだから。

 カンパネルラは、手に握った杖をもう一度、足元のクオーツで叩いた。すると、さきほどより輝きを増し、まるで白色の導力灯であるかのように光を放ちはじめる。

「さて、中断しちゃったけど話を続けよう。───僕の物語はともかく、今回のこの戦闘も作戦の一環でもあるんだ。僕はそれに便乗して遊んでいただけだからね。さっきは試す価値もない状況だったから使わなかったけど、やっぱり命令を反故扱いにしちゃまずいから、これから目的を果たそうと思う。役者も揃ったようだしね。」

 カンパネルラは、懐からさきほどの戦闘で使っていた小刀を取り出した。アネラス、クローディア、そして周囲の者達が構える。カンパネルラの行動をその場の全員が警戒していた。

「そんなにムキにならなくとも、これは君達を傷つけるために出したんじゃないよ。」
 アネラスはすぐに動けるように、いまや頼もしい相棒である”おいしいカレー剣”を構え、クローディアはオーブメント駆動を開始、それにSブレイクの即時発動が出来るように身構えた。そしてカノーネ、ユリア、残された多くの兵士達が、カンパネルラの動きを逃さず、注視する。

「残念ながら。これは……こうするためのものさ!」
 いきなり、カンパネルラは自分の腕を切りつけた!





◆ BGM:SC「福音計画」(SCサントラ1・19)





 刃は容赦なく、血管に沿って切り裂かれ、血が吹き出るように深々と突き刺さる! 兵士達にどよめきが起り、息を呑む。なぜ自身を切りつけたのかの真意がわからない。

 流れ落ちる血液はどんどん足場である琥耀珠へとしたたっていく。白色の導力灯がごとく眩い光を放ち続けるそこに落ちた血液は、光が強すぎて流れて表面を伝っていく筋が見えない。カンパネルラは失血死してもおかしくない程に大量の血液を流してもなお、微動だにせず笑っている。

「何を……何をするつもりだ!?」
 その異様な光景が意味するものが何であるのか? まったく想像がつかないユリア、そして仲間達。だが、彼女にも、カノーネにも、一つだけ思い当たる単語があった。


「生命体……。」
 カノーネがつぶやく声に、ユリアが息を呑む。その言葉を聞いたカンパネルラの笑みの質が変わった。これまでのような軽薄な笑いとは違い、陰惨いんさんさを伴う微笑。それが正解だ、という肯定を意味する笑み。人を馬鹿にしていた笑いとは違う、殺意を抱いた狂人のそれが表情に浮かぶ。

 クローディア達が駆けつける前、確かにカンパネルラが口にした単語。それが生命体だ。琥耀珠であって琥耀珠ではない、似て非なるモノ……。
 その得体の知れない物体に、血液を注いでいる。それが意味するものはなんだというのか?

「───時に、クローディア王女。……君は古代実験都市《リベル=アーク》で様々な敵と戦ったよね? 棄てられた街では野生と化して凶暴化した生物を、地下道では光子生命体を、アクシスピラーでは異次元より飛来したという生物を。……あれらは僕達、結社のものではなく、リベルアーク自体が様々な要因から導く事となった生命体だ。」

「思い出してくれないか? ブルブラン、レン、ヴァルター、レーヴェ…。彼ら執行者と戦った時、彼らが護衛に使っていたのは結社の用意した人形兵器だっただろう? まあ、ルシオラは自前だったけど、……それは、あの時点での結社には、人形兵器以上に戦力を有した力はなかったし、扱う術もなかったからなんだ。だから当然、人形兵器が彼らの護衛に使われた。」

「しかし、僕達はあの古代都市から有益な知識を手に入れたんだ。これにより、獣人、不死者、亡霊、悪魔……そういった未知の生命体への研究も大きく進める事ができた。この意味がわかるかい?」



 《七の至宝セプト=テリオン》の一つ、リベルアークは古代のゼムリア文明においての”実験都市”でもあった。その大きな実験として、人が快楽を享受きょうじゅする事でどうく末路を迎えたのか?というものに結果を残した。……その末路はあまりにも悲惨で、人間の自我や矜持きょうじ、尊厳さえも失わせた。

 しかし、至宝とまで位置づけられ、実験都市を名乗ったリベルアークが、それだけを実験するためだけに存在していたと言い切れるのだろうか? あの空中都市には数え切れない程に様々なアーティファクトや、実験途中の研究が詰め込まれていたのではないのだろうか?
 それはただの仮説ではない。事実の証明をするかのように、崩壊したリベルアークの落ちたヴァレリア湖からは、多くの謎に満ちたアーティファクトが引き上げられているからだ。

 いくつもの実験を同時に行っていたと考えて然るべき状況証拠が残されている。
 実験都市の名の通り、規模の大小を問わず、様々な実験を行っていたと考える方が自然なのだ。


 もし、リベルアークで行われていた様々な研究一つに、未知の生命体を操るという実験も行われていたとしたら? リベルアークに多くの魔獣が住みついていた理由がここにあるとしたら?




 その実験が、なんらかの形でこの琥耀珠の力を秘めた球体に盛り込まれていたとすれば?






「全部で3体残されていたトロイメライ=カプトゲイエン。この最後の1体の核に、僕はこの杖で細工をした。生命体が最も必要とするモノをプラスする事で、爆発的にその力を高める事ができるように。生物が持ちうる力を最大限に活用できるように。……そのために一つ足りないものがあるんだよ。」


「───生命が活動を始めるために、最も必要とするもの……それはなんだと思う?」



 光輝くクオーツへと注がれていくのは、カンパネルラの腕から流れる血液。それがしたたり落ちていく。だが、それは球面を流れ落ちる事なく、クオーツの中へと吸い込まれていった。生物が喉をうるおすのと同じように、その生命のしずくを身に吸収していたのだ。

 それと同時に、クオーツ自体が波打つように不気味な音を発していく───。

 ドクン、ドクン……という生物が最も必要とする器官、心臓というものが力強い脈動するように。右心房、左心房が奏でる命の鼓動というものが、はっきりと耳に届いてくる。あまりにも不快で、気持ち悪いその音は、戦場に立つ者達への不安を煽り立てていく。

「だからって、それがなんだと言いますの? 脅しは通用しませんわよ!」
 カノーネはその言葉を吐きながらも、これがハッタリではない事を理解していた。敵が口にしたその意味を理解していた。カンパネルラの血液、それこそがこのクオーツに似たモノへの”起爆剤”であるのだ!


「僕らは手に入れた。人形兵器だけにしか頼れなかったというのに、あの実験都市で素晴らしい”力”を手に入れた! 命の力、命を自在に操る力、生命のスープをチョイスし、まったく別のモノを生み出す神の業を!」

 やがて、球体そのものが心臓であるかのようにうごめいた。輝きが途絶えたかと思うと、その表面には紫色の血管のようなものが浮き出し脈を打っている。しかもそれはどんどん増えて、球体そのものをおおっていく! 鼓動は激しく、速く凄まじい脈動と共に打たれ、呼吸でもしているかのように縮小と膨張を始めた!








◆ BGM:SC「解き放たれた至宝」(SCサントラ2・04)







「こ、これはっ!」
 クローディアは絶句する。クオーツにまとわり付く肉片が蠢いている! しかも呼吸音のような耳障りな音が周囲にこだましているのだ。
 確かにそれは、リベルアーク中心塔で見た未知の生命体のような、見た事もない異形の魔獣を思わせる。魔獣というにも生ぬるい正体不明の敵。それがより強大な力を得ていくかのように、これまでの威圧感をさらに越えていくのがわかる!

「みんな! 逃げて! 早くこの場から逃げてください!」
 魅入っていた者達がその言葉で我に返った。兵士達は慌てて銃を構え、容赦なく発砲する! 一部のアーツを得意とする兵士達もアースウォールを準備し、どのような攻撃にも耐えられるように体制を整えていく。
 だが、嵐のように続く銃撃にもビクともしない。敵はまるでそれを意に介さず、変化を進めていく。

「だめです! 逃げて!!」

 その瞬間、巨大クオーツの右側部から何か長く、太いモノが飛び出し、アースウォールを唱えていた者達へと襲い掛かる! 8人が一斉に魔法を使った事で、全ての攻撃を一瞬だけ防ぐ事が出来る障壁が8層生まれる。しかし、その攻撃は、展開された全てをブチ抜いて魔法を使う者達へと炸裂した!

 土煙を巻き上げて元の位置へと戻っていくドス黒いそれは、中間で2つに折れて、先端が人間の指のように枝分かれした。7本の指がそこに出来ている。───これは、腕だ! 間違いなくあのクオーツから生えた腕だった。


 攻撃は兵士達には当らず、なんとか地面へと突き刺さったが、それは奇跡ではない。クローディアが咄嗟とっさにサンクタスノヴァを当てた事で、攻撃の軌道がわずかにずれたのだ。彼女の機転が兵士達を救ったのである! 本来ならばいまの一瞬で、兵士は瞬殺されていたのだ。
 しかもその腕の色は紫ではあるものの、肌といい、作りといい人間の腕に酷似こくじしている。あまりに長く、そして巨大な人間の腕。間接があり、爪があり、そして妙に長い七本の指がある! ───これを異様と称するより、生理的にみれば誰もがこう言うだろう、気持ちが悪い、と。


「くっ! 全軍後退だ! 敵から距離を取る! 中心部まで退くんだ!!」
 ユリアの号令と共に、兵士達はその光景を畏れ、命令に背中を押される形で後退。その驚異的な攻撃力、そして攻撃範囲もさることながら、武器が効かないどころか魔法も通用しないのだ、想像以上に恐るべき力を持っていると知れた。
 だが、一番彼らを恐れさせたのはそれではない、あまりにも不気味なその生命体に、人々は底知れない恐れを感じたのである。人形兵器には感じない、生物としての本能が警鐘を鳴らし続けている事を誰もが知っていた。

 恐怖する心が波紋を呼び、高まった士気さえも越えて恐怖という想念が兵士達を支配する。誰一人として例外などいない。恐怖に飲まれない人間など存在しないように、ユリアでさえ、アネラスでさえ、クローディアさえもその衝撃に縛られている。

 命が生まれる。しかも最悪の形で邪悪が目覚めるその光景は、人が体験したことのない ”おぞましさ”を持っていた。まるで人間を生きながら解体するかのを目の当たりにするかのように、クオーツを中心として肉片が乱れ、弾け、型を為して成形されていく。
 全ての者達が後退していく中、それでも敵は変化を続けていく。

 黄金の球体からは、飛び出した腕と対照的に、逆側にも同じようなモノが生えて中間で折れる。体液のようなモノを滴らせ、先には小さな手のひらと、逆側と同じ7本の指が生えて枝分かれをする。両側に、やけに細長い腕が誕生した。しかも動きは滑らかで、機械が持つそれとはまったく違う繊細さを秘めているように思えた。

 次いで、こちらを向いているとするならその裏側である脊髄せきずい、背骨に当る部分に、人のそれと同じような骨格が生まれ、果てには胸骨が、肋骨ろっこつまでもが体を覆う。まるで人間の骨格そのものである。肋骨は中心に位置する大きすぎるクオーツ、それを守るかのように取り巻き、左右に10本づつ牙のように身を覆った。

 そして、いつの間にかその頭部には、巻貝のような、ドリルのように逆巻いた突起が生まれていた。カンパネルラが居たはずの場所を覆い隠している。





《ふふふ……あはははははは!! これが、研究の成果さ。》

「なっ! 言葉が───、声が頭に響くだと!?」
 ユリアが絶句する。これは間違いなく、古代竜レグナートが用いる意志伝達方法である! 変化していく巨体が、それと同じ方法で会話をしているのだ!

 そして、巻貝のような場所が中央で開かれた。そこに在るのは───目玉だ。飛び出さんばかりで収まりきらない目玉が、ギョロリと左右を向き、クローディア達を視界に納める。体からは絶えず、どろどろとした体液を滴らせ続けており、まるで胎児が生まれた瞬間を連想させる。








《グゥルルルル………、ヴオオオオオオオオオオォォォォォォ!》
 刹那せつな、獣のごとき咆哮ほうこうが轟いた───。
 そしてそれはリベールに住む、全ての者達の頭へと響き渡る!




 誰も聞いたことがない、古代竜レグナートでさえも及ばないであろう悪魔の声が恐怖をもたらした。各都市で戦う遊撃士達が振り向き、レイストン要塞を守る兵士達が空を見上げ、マノリア村の運送屋達が動きを止める。
「ねえ、兄貴! なにこの頭の中に響く獣みたいな叫び声!? なんか気持ち悪いよ!」
「い、いや……わからねぇ……わからねぇが……こりゃ、やべぇぞ……。」


「……この叫びは……?」
 ロレントで戦うモルガンや兵士が、エルモ村で戦うキリカが残りの1機を相手にしながらもそれを聞いた。

《凄まじい”力”だ…》
 そして、村人に感謝されていたレグナートが顔を持ち上げ、聞き届ける。





 ───それは、リベール全ての者達へ聞こえた。
 全ての者達への恐怖の宣告として、それは解き放たれた。



《ワイスマンは《七の至宝》の力を使って天使に化けた。ならば、僕はこの身、トロイメライ=カプトゲイエンの核を為していたクオーツを媒体とし、悪魔になろう。僕は道化師を名乗る者。───ゆえに、神にも、悪魔にも、何にでも化けてみせよう!》
 闇を照らす細々とした月の灯りは、人々を照らす希望の光であった。しかし、いまここにある月は、希望など欠片も持たず、ただ目の前の全てを破壊する生命体へと化していた。 絶望という闇をたずさえ、彼女らの前に姿を現したのだ。切り札、として。

「これが、生命体……。琥耀珠に似て非なるものの正体だというの?!」
 震える足を堪える事もできず、言葉をつむぐカノーネはその切り札の正体にどうしようもない恐怖に囚われていた。機械相手では感じることのない、生物だけが感じる圧倒的な殺意を身に受け、思考も体も全てが停止していた。
 これはもう、人間が立ち向かえるレベルの生物ではない! まさしく、───悪魔だ。





《基礎がトロイメライなのだから、変化したこの姿はジェノサイド・モードを名乗るべきなのかもしれないが……考えてみれば、殲滅ジェノサイドなんて当然だ。》




《君達にしてみれば、これは現実とさえも認識できない程の───、悪夢ナイトメアさ。》




 心臓部たる核が黄金の輝きを放ち、そして自らの肉体として生まれた部位はドス黒い紫をしたものだった。やけに長い人間の腕、先端には7本の指を滑らかに動かしている。それは明らかに人形兵器のものとは違う生物たる繊細さを有する。

 人形兵器の唯一の弱点はその判断速度にある。
 強靭きょうじんな兵器を有してはいても、人間や生物の判断能力と機械では大きな差がある。攻撃を察知してから行動を起こす咄嗟とっさの判断においては、機械は生物に追いつく事ができない。だからこそ、弱点を突いてカプトゲイエンを破壊する事がで来たのだ。
 しかし、これは違う。脳に当る部分にカンパネルラが入り込み、そして腕の動きは人間以上に素早い。なにより、忘れてはいけないのがその圧倒的な固さ。グランセルの全ての爆薬を集めても傷さえつけられない固さは健在である。

 さらに最悪な事に……。

「魔法をかき消すから、アースガードも効かないのは当然………。」
 恐怖に呑み込まれそうになりながらも、クローディアは敵の能力を分析していた。カプトゲイエンが機械の腕を飛ばしての攻撃を仕掛けていた時は、その腕自体が巨大クオーツの加護を受けていなかったために魔法の効果があったのだろう。
 しかし違う。飛ばす必要もないほど長い腕は、そしてゴムのように伸縮、むちのようにしなる腕は体と直結しており、魔法をかき消す能力を残したままで攻撃してくる。

 生物の持つ判断能力、生命のそれを超える攻撃速度、そしてどんな攻撃でも跳ね返す完全無欠の防御能力。………まさに悪魔の力である。もしかしたら、彼女が戦ったワイスマン教授の化身、アンヘルワイスマンのそれを越えているかもしれない。少なくとも、この反応速度はアンヘルワイスマンの比ではない。

 人が危険を察知した時、思考より先に瞬間的に手を動かすのと同じように、この悪魔にも人が持つ反応速度を有している。圧倒的な固さ、恐るべきりょ力、完全なる魔法防御、そしてそこに攻撃速度が加わった。弱点と呼ぶべきものは完全になくなっている。


《さあ! 変化が終るまで、時間がないよ! どうする!?》


 兵達が後退を続ける中、しんがりを務めるのは、クローディアとアネラス、ユリア、カノーネの4人。

「………こ、こんなの……無理…だよ。こんなの勝てないよ……。」
 そんな中、一番元気そうに見えたアネラスが、なんと逃げる事も忘れて怯えていた。彼女もある程度の力を持っているからこそわかる。先程、兵士達を攻撃した時に理解してしまったのだ。……これは……無理だ。絶対に勝てない!と。
 これまでに見た、どれよりも恐ろしく速く、そして強い。それに怯えてしまったのだ。

 それは彼女の持つ”最大の弱点”の露呈ろていでもあった。


 彼女はこれまでの戦いでもわかるとおり能力は高い。新人の中でも軍を抜いているのは確かだ。……しかし経験が圧倒的に不足していたのだ。戦いの経験が浅く、”強大な敵”と相対した事がないのである!

 これまで様々な苦難はあったが、それはいつも自分の手が届く程度の敵であった。これほど自分の強さとかけ離れた強大な敵を相手にしたことがなかったのだ。
 カプトゲイエンの時は相手が人形兵器であった事や、事前にトロイメライの情報を仕入れていた事で恐怖はなかった。友人エステル=ブライトから教わっていた事で戦う心構えは出来ていた。

 だが、エルベ離宮での戦いでクローディアが敵に捕まり一人にされてしまった時、動揺してしまったのと同じように、このように強大な相手とその悪意にさらさされてしまうと、彼女はそれに対応できない。”経験のなさ”という反動が、この敵を前にして吐き出されてしまったのだ。

 だから彼女は恐れてしまった。心の底から震え、いつの間にか涙が流れていた。
 とてもじゃないけど、自分みたいな未熟者が勝てる相手じゃないとわかった。

「こんなの…、きっとエステルちゃんやヨシュア君だって、……それどころかカシウスさんだって敵わない。どうやっても勝てるわけないよ!」
 もう終りだ。誰も勝てない。リベールは今度こそ、完全に消えてなくなるだろう。国という枠組みどころか、人の存在の全てが消し去られてしまうのだ。

 まるで自分達の運命が決したかのように、アネラスが膝を折る。
 全てを諦めてしまうかのような圧倒的な力に、ただ屈するしかなかったのだ。


「ユリアさん、カノーネさん。全員、港に退避してください。」
「ク、クローゼ! 何を言って───。」
 そんな時、一人遅れたアネラスの元へと駆け戻ったクローディアが二人へと声を投げる。彼女にもわかっていた。アネラスがこういう状態である以上、戦いを強制する事はできないと。そして、彼女の戦力がいなければ戦う事も許されず、一人で立ち向かうしかないのだ。……だが一人では勝てないと理解もしていた。

 アネラスとクローディアの違いは、戦闘経験の差にある。クローディアだって恐怖がないわけではない。しかし、敵の強大さに晒された事は何度となくある。その差が彼女に気丈さを失わせないでいたのだ。
 そして、その冷静さを保つ事で、優れた頭脳が最善の策をはじき出す。アネラスと同様に、その一撃でどれほどの力を持っているのかも判ってしまった。もうこれ以上に、取れる作戦は残されていない。……選択肢がなかった。

「全軍、全市民はグランセルを放棄。船で逃げる準備にかかってください。……それと、アネラスさんをお願いします。」
 クローディアの突然の言葉に、痛みを堪えて歩くユリアがなんとか反論する。彼女もその恐るべき力を理解していた。しかし、いくら敵が悪魔の力を持っていたとしても、主を置いていくなど、それは許されない。

「……そ、それは、できま───。」
「そんな怪我で何が出来るというのですか?! 下がりなさい! これは女王としての命令です!」
 クローディアがここまでユリアを強引に制した事は一度もない。しかし、歩く事すら難儀している彼女にとって、自分が完全にお荷物だ、という事もわかっていた。このままではクローディアの足を引っ張るという事も理屈では理解できる。
 だが、理屈では消化し切れない感情だってあるのだ! クローディアを置いて逃げるなど!

「───ぐっ!」
 その時、ユリアは腹部に衝撃を受けた。カノーネが拳を繰り出し、鳩尾みぞおちを狙ったのだ。
 不意を突かれた事で、さすがの彼女も完璧に決まった一撃に意識を失う。もうそれでしか、彼女を立ち去らせる事は出来なかった。
「ユリア……ごめんなさい…。」
 カノーネは小さくつぶやくと、その背中にユリアを背負った。後で彼女に殺されたとしても、自分はそれで構わない。ただ、ユリアがクローディアを大切に想うように、クローディアもユリアを大切に想っているのだ。それだけは判って欲しかった。
 カノーネは様々な感情を心に留めながらも、出来るだけ表情を作らないようにつとめた。全ての想いと、全ての罪を背負う覚悟をし、主たる少女へと向く。

「姫様、ユリアと市民はお任せください。アネラス、立てるわね? いきますわよ?」
 あまりの恐怖で身動き一つできなくなっているアネラス。カノーネに腕を引かれても、放心したままで動く事すらできないでいる。

「アネラスさん。」
 敵がいまだ変化を続けている中、呆然とするだけのアネラスを、クローディアはとても優しく、子供の頭を抱えるように慈愛の心で抱きしめた。

「今度は私が言います。───いまは逃げてください。ここは私が引き受けますから。」
 アネラスはその言葉に目を見開く。この状況で逃げる、それは敗北どころか、たった一人残されるクローゼが死ぬ覚悟をしているのだとわかる。
「そして、みんなが……、エステルさん達が帰ってきたら、その時一緒に倒してください。私は、アネラスさんが無事でいてくれれば、それで───」

「だめ! それは絶対だめ!!」
 アネラスはあらんばかりの声でその提案を却下きゃっかする。怖くて仕方がない。足も震えて仕方がない。だけど、それだけは承諾しょうだくできない。もうこれ以上、悲しい気持ちをさせてしまうのも、悲しい気持ちになるのも、どちらも嫌だった。自分ならまだしも、他者を犠牲にして自分が助かるだなんて、それは違う。間違ってる!
 それが友達なら、なおさらダメだ。いくら怖くても、勝てなくとも、何があっても置いてはいけない!

 アネラスはクローディアに包まれた体を、今度は自分から手を回して力強く抱きとめた。彼女の肩に顔をうずめ、包み隠さず正直な気持ちを打ち明ける。
「私、怖い。本当に怖いよ。……だけど、クローゼちゃんまでいなくなったら嫌だから! それだけはもう嫌だから!!」
 もうあんな思いは嫌だ。彼女の身を案じて戦いに望む。心細く、頼りたい気持ちを抑えて戦うのはもう嫌だった。彼女だってそれは同じはずなのだ。
 アネラスは両手は彼女の肩へ置き体を離す。そして震える自分の膝を拳で叩いて叱咤しったする。動け、動けと無理矢理におびえを消して、失われた闘志を引っ張り出した。その双眸は色を取り戻しながら、真っ直ぐに彼女へと向けられる。

「だから戦うよ。私は、大切なものを守るために、戦う。───勝てないかもしれない。そうかもしれないけど、私は負けないつもりで戦ってみる。私だって、みんなを守りたいから…。負けたらだめだって、思うから!」

「ごめんなさい……。でも、ありがとう……。」
 再び、二人は互いの体を強く抱きとめ、互いの決意を確かめた。一人では無理かもしれない。だけど、二人でやればなんとかなるかもしれない。彼女達は今、最後になるであろうこの戦いに全ての力を費やそうと決めた。

 そして必ず二人が無事で、勝利しようと誓った。


「カノーネさん、ありがとう。私はたぶんもう大丈夫だから、……行ってください。」
「アネラス………、そう。いいのね?」
 カノーネは自分の腰のポーチを外すとクローディアへと手渡す。そこには様々な回復薬が入れられている。オーブメントのEP値を減少させていた彼女にとっては大きな助けとなった。
「姫様、残念ですけどこれは戦略的な一時撤退です。今は後退したリベール軍ですが、貴方達という犠牲を作って逃げ出す者は誰もいません。あれに対抗できうる手段を用いて駆けつけます。どうか、それまで耐えてください。───道は細くとも、まだ何かあるはずです!」

 真剣な表情の中には悲壮感はない。彼女は戻ると言った。何があっても救援に駆けつけるのだ、と。クローディアがいくら女王たる資格を持っていたとしても、リベールを想う同士として、それを撥ねつける事はできない。きっと、何を言っても戻る者はいるのだろう。
 そして、カノーネは砕けた様子でこう言った。

「まったく、死ぬ覚悟なんてナンセンスですわ。デュナン公爵も言ったとおり、敵を倒したらまず祝賀パーティなのですから、主賓しゅひんがいなくては始まりませんのよ。」
「カノーネさん……。」
 クローディアはそれが嬉しかった。戦うのは二人だけじゃない。みんなの心はここにある。それを改めて知っただけでも、恐怖は抵抗する意志に抑えられていく。立ち向かっていけると思った。

「あ、えーとぉ……カノーネ警備隊長さん?」
「あら、いたの? アネラス。姫様の足を引っ張るような事は許しませんわよ。」
「ち、違いますよ。そうじゃなくて……。」
 アネラスは彼女がいた事でここまでこれた事を知っていた。戦いのサポートをしてくれた事、敵に倒され、起き上がった時に掛けてくれた言葉、その他、多くの冗談や会話。……自分では気がつかないうちに助けられた様々な事を、身にみて感謝している。
 彼女に支えられて、いまここに立っているという事にお礼を言っておきたかった。

「ふふ…。祝賀パーティでは食べ放題よ。お腹を空かせる程度に暴れてらっしゃい。」
「あ………、はい!」
 アネラスは、敵わないなぁ……と、張り詰めた想いの全てを晴らした。もう迷いも恐怖も消えている。隣にクローディアがいるだけではなく、今はカノーネを始めとした、たくさんの人々の心が共に在る事を知ったからだ。


「二人とも、待ってて頂戴。きっとユリアと、多くの仲間達と共に駆けつけますわ! 空の女神の加護、あらん事を───。」
 カノーネが戦場を去っていく。残された二人は心に希望と、暖かさを秘めてそれを見送った。戦いの準備はもう十分だ。これ以上に望むものはない。





《がはぁっ! …はぁ…はぁ…はぁ…、これで準備は……整ったよ。》

 変化の苦しみから解放されたその声、敵は脊髄から流れる背骨のような先に、さらにさそりのような団子状に連なる尾を生やしていた。そして、頭部の巻貝のような場所に、もはやカンパネルラがいるような気配はなく、あるのは巨大な血走った目玉だけである。

 とうとう、変身を完了したカンパネルラ。いや、もはや別の生命体が完成していた。
 悪夢の生命が、脅威となって具現する。



《二人か。……逃げ出さなかったのは立派だね。でも容赦はしないよ。》
 元は少年の声だったとは思えないような黒く重く響き渡る声。しかしその口調はカンパネルラ自身のものだとわかる。完全にこの悪魔と同化しているのだと知れた。

「アネラスさん。作戦は今伝えたとおりで行きます。負荷がかかりますから、スピードに翻弄ほんろうされないように気をつけてください!」
「うん。やってみる。もう逃げないよ。大丈夫……、行けるよ!」



《作戦は決まったかい? ……それじゃあ、この国の全てをほふろう。それで僕の物語は真に完成する。》


 そして、たった二人の最終決戦が幕を開ける。
 敵は世界と、そこに住む全ての人々をほふるためのだけに存在する悪魔。───世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイ


 それが、どれだけの力を持っていても、どれだけの悪意をはらんでいようとも、負けることは許されない。ここまで戦い抜いた人々や、力を貸してくれた全ての人達のために、そして愛する者達、友との絆を絶やさないために、彼女達は今ここに剣と魔法を振るう事を誓った。

 それぞれが想う守るべきもののために。ただひたすらに、立ち向かうと決めた。





 ─── 最終章・終極の幕は、いまここに開かれた ───。














◆ BGM:SC「The Merciless Savior」(FCサントラ2・15)















 黄金の胴体は輝きを放ち、
 巨大な、紫色をした人間の腕が左右に1本づつ、それは伸縮自在のむちのようなモノ。
 その先には7本に枝分かれした細く長い腕が在り、
 頭部には巻貝のように逆巻く円錐えんすいのドリルを思わせる。その中央には大きすぎる目玉。
 背には脊髄せきずいから流れるように形成された背骨、そしてさそりのような尾を持つ生命体。

 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイが動き出す。
 底知れない恐怖と、絶対無比の能力を秘めて、たった二人のちっぽけな人間を相手に、狂ったような笑い声を奏でる。それは悪意と脅威を含んだ邪悪なる旋律せんりつだ。


《ははははははは! あはははははははははははは!!》
 しなる腕が中空で停止、そのまま七本の指が裂けるように開かれ、前に出るアネラスへと伸び、降り注いだ! その攻撃速度はカプトイゲイエンの比ではない。目視すらできない高速の破壊力が彼女を屠らんと迫る!



「───空間は加速する! 刹那の世界を突破せよ、駆動魔法【クロップアップ改】!」
「───紅蓮の力解き放て、研ぎ澄まされしほむらを剣に! 駆動魔法【フォルテ】!」

 アネラスの後方、ギリギリ魔法が届く範囲でクローディアが魔法を駆動させる。行動速度の上昇、攻撃力の上昇、それがたて続けに付与される。これらは通常能力を50%も飛躍させる魔法である。アネラスの力はふた周り以上にも増していた。
 この戦い方はカノーネがとった作戦と同じものだ。クローディアは戦いを見ていないにも関わらず、再会した時のアネラスの状態を見ただけでその戦術を知り得た。魔法を一切寄せつけない敵に大して、最も有効な戦闘方法であるという事をさとったのだ。


《そんな程度の速度で、何をしようっていうんだい!?》

 だが、それさえも通用しない。

 先程のカプトゲイエンから比べれば速くとも、世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイにしてみれば遅すぎた。瞬間的な反射能力は人間のそれを超え、しかも伸縮自在の腕はゴムのようにしなやかで、それに伴う速度も半端ではないのだ。そんな相手にとって、たかだか通常の50%程度の能力UPでは間に合うはずもない!


《そら! 右かい? 次は左だろ? どうした?! それで速いつもりかぁ!!


「───なんて速さっ! これじゃあ避けるだけでも精一杯だよ!」

 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイの攻撃は怒涛の攻めとなって押し寄せる。指が独自で伸び、7本の細い槍が彼女の小柄な体を狙う。しかもそれでも、敵は片手での攻撃だ。完全にナメられている。50%上げた程度では遅すぎて相手にもなっていないのだ。

 常人なら目視することさえ難しい速度だというのに、敵はそれ以上の速度と攻撃回数で攻め立てる! アネラスは避けるのに精一杯で息する事すら間に合わない。片手だというのに繰り出されるそれは全てが一撃必殺! しかも怒涛どとうの連続攻撃だ。
 真上から振り下ろされる伸縮する腕、そして7本の指は、まるで空から隕石が次々と落ちてくるかのごとく、アネラスへと降り注ぐ。しかも、肉体の持つ腕である事から、打ち下ろす瞬間に方向の微調整すらやってのける。軌道を変えて着実にその身を叩きつけようとする!

 とてもじゃないが、速すぎて攻撃どころじゃない。それどことか、まったく追いつかない!! しかも今度は一度だけの完全防御魔法【アースガード】も無意味だ。攻撃を受けた瞬間に肉体がバラバラにされる!


「これで遅いというのなら───、アネラスさん! 行きます!」

 さきほど、アネラスのサポートを行っていたカノーネは同様の戦闘方法を選択し、能力上昇させていた。しかし戦闘のフォーメーションは同じであっても、使い手がまったく違った。
 そもそもカノーネは駆動魔法が使えるだけで戦闘のエキスパートではない。だが、今アネラスに魔法を使っているのは、誰よりも魔法に長けた者であるという事を忘れてはならない。

「さっき言った通り、オーブメントのリミッターを外します! 一気に200%まで上げますから、翻弄ほんろうされないでください!」
「お願い!! もう持たないから、早く!」
 クローディアは躊躇ちゅうちょなく、能力上昇魔法の禁忌きんきを破ろうとしていた。

 なぜ、能力上昇という魔法が、5割増し……【+50%】までしか上がらないのか、という理由を知っているだろうか?
 それは、魔法の対象者の体がその負荷に耐えられないからである。能力上昇魔法の効果時間が短いのも、使用者の肉体への負担を考慮してのものだ。連続使用はあまりにも負担が大きいからである。

 人の体は戦うだけで、攻撃を仕掛ける事でさえ疲弊する。それに負荷を加えれば無茶な事はわかるだろう。しかも、近年ではオーブメントの加護により、常時から能力の上昇している者が多い。なのに、それ以上に能力を上げてしまえば、体への負担は多大なものになってしまうのだ。
 どのように優れた人間でも、どのように鍛えた人間でも、人という生命である事に変わりはない。酷使すれば、やがて体は朽ち果ててしまう。

 だから+50%、つまり150%までしかUPさせる事ができない。いや、それ以上への上昇を禁忌としてオーブメント自体が制限されていると言ってもいい。

 そして、多くの者が攻撃系魔法を好んで使う。これは効率面から見て、敵に打撃を与える手段として都合がいいからだ。無茶をして能力上昇魔法を使い体に負荷をかけて、戦いを続行できなくなるというデメリットがあるならば、攻撃魔法で一撃したほうが効率よく戦闘を進める事が出来る。だからこそ、能力上昇という系統が敬遠されてるのは事実だろう。

 しかし、この敵に魔法は効かない。こちらの能力を上げるしかないとすれば、その禁忌自体を破らなくてはならない。そしてエキスパートであるクローディアは、オーブメントで強制されている”リミッター”を故意に外す術を知っている。150%をという限界枠を超えなければならないと悟ったのだ。

 肉体の限界を超える事を承知で、
 それが、どういう結果が待ち受けているのかをも承知で、

 通常能力200%上昇という、”倍速”まで引き上げる。



「───迅速なりて緩やかなる時を刻め、刹那の理を超越し、突破せよ! 駆動魔法【クロックアップW】!」

 クローディアの詠唱にオーブメントが反応する。大きな歯車、小さな歯車がこれまでとは比較にならないほど速く駆動を開始、そして生じたエネルギーを速度という力に変換し、対象となるアネラスへ送り込む!

「わ、わわわっ!」
 アネラスの体にかかる速度が変わった。いや、見ている世界の全てが変わった。通常の2倍の速度、人間が全力で走る時、その時速は40セルジュ以上になるという。それが倍になる。これまでとはまるで違う、時速80セルジュという世界。
 人の身にとって、加速というには生ぬるい程の限界を超えたスピードがアネラスへと圧し掛かる。それを制御しなければならない彼女は、もはやこの大陸の誰よりも、どのような達人さえも越えた速度を体感していた。

「まだ慣れないけど、まずは一撃っ!」
 恐るべきスピードを手に入れた事で、反撃に転じるアネラス。襲い来る腕、伸びる指の全てを避けて、初めて本体へと一撃を入れる。加速する世界が、彼女に新たな戦闘力を与えていく。
「そして───気持ち悪い腕にも一撃っ……だよ!」
 地面を蹴る事で、さらなる速度を手に入れ、伸びきった腕を走りこみながら、袈裟懸けさがけで切り払う! 右から逆の手が迫るが、それもスピードで逃げてみせる。
 だが、忘れてはならない。世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイは片手でしか戦っていないのである。そのスピードは、敵を本気にさせる事に拍車をかけたのだ。


《なるほど、じゃあこちらも答えよう。最大の攻撃による洗礼を与える!》

 ついに両手を使った攻撃が開始された。
 両手を使う。それは単純な倍の攻撃とはワケが違う。人は片手では出来ない事を両手で扱う事で簡単に何かを出来るが、……2本ある事でさらに様々な行動を取る事ができるのは誰もが知っている。それと同じ事が敵にも言えた。

 例えば、片手で物体を持つ時より、両手で持った方がより大きな物体を持つ事ができる。

 突然、巨体の腕がゴムのように伸びた。そしてその先には、中破のまま置き去られているアルセイユがある。敵はその先端を片手でひきつけると、自分と同等の大きさを持つそれを両手で持ち上げる!


 動かないアルセイユを持ち上げて、投げる───など、そのパワーを持ってすれば造作もない。


「うひゃああ!!」
 まさか、考えもつかなかった敵の行動に度肝を抜かれたアネラスは、軽々と持ち上げられたアルセイユから全力で離れてる。いくらスピードが上がったとはいえ、逃げられる範囲がなければ避ける事もできない。

《さあ、こんなのはどうだい!?》
 あの全長42アージュにもなる飛行艇が今まさに、アネラスへと投げられようとしていた! いくら戦場が広くとも、これだけの巨体が投げられたらどうしようもない。
 だが、こういった事態でさえも想定していたクローディアは、それよりも先に行動を起こしている。


「───させませんっ!!」
 ここでサポート魔法をかけていたクローディアが駆動魔法をキャンセル。魔法を使い続けていた事で蓄積ちくせきした闘志を解放、必撃のサンクタスノヴァを世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイへと与えた。ダメージを与えるには至らないかもしれない。だが、いくら防御力が高くとも、これまでと同様にその衝撃までは殺せない。持ち上げる腕自体を狙った一撃により、手からアルセイユが弾き飛ばされる!

「アネラスさん!」
「了解!」
 そしてその間を逃がさない。敵がアルセイユに気を取られている今こそが攻撃のチャンスである。一気に走りこんで、その腕を狙って攻撃を繰り出す! 金属のような固さを持った肉と剣が交差し、弾ける甲高い音と共に一撃は完全に決まった。
 しかも、恐るべき防御能力を誇っていたはずの体をやすやすと切り裂き、大きなダメージを与える。

《……な、馬鹿な! なぜ攻撃が通用する? 並の固さじゃないはずだぞ!?》

 必死で戦っているアネラスは、いま握っている剣の刀身が異常な熱を帯びている事に気がついていない。まるでグツグツと煮えたぎるような赤色にきらめいている事にも気がつかない。それよりも、攻撃あるのみだ!
「たああああぁ!!」
 そしてそのまま追撃する! 敵を駆け抜けた足を止めずにそのまま迂回し、逆手に握った剣で胴をぐ! またしても、激烈なる一撃が大きな傷痕きずあとを残していく。

「アネラスさんのあの剣……、すごい…。」
 魔法を唱えていたクローディアが感嘆かんたんの声を上げる。確かに、カプトゲイエンが誇る防御能力が並みではない事は彼女も把握はあくしていたが、それを越えて威力を発揮できる武器があるなんて思いもしなかった。
 そんな事はアネラスだって知らない。練習用程度の攻撃力しかないはずの剣、ただ固いだけと言われたその”おいしいカレー剣”と呼ばれた剣は、確かに魔法を付与された以上の攻撃力を持っていた。さきほどまでなかったはずの威力が、いつのまにか備わっていたのである。理由はわからない。しかし、これは予想外の大きな助けとなった。
 そして終らない攻撃。敵の周囲を駆け抜け、すきを見て一撃を加える。ヒットアンドウェイ、本来、敵を翻弄ほんろうする攻撃が速度を得た事で連撃となって敵を襲う!

「はぁ…はぁ…はぁ…。」
 だが、加速を得た事で、アネラスは体力を削っていく。これまでは自前の体力で補ってきたが、これだけの速さで動き回れば、疲れる速度も当然のように増す。しかし、サポートしているのはクローディアだ。それも十分承知している。

「───今だ! …光よ、その輝きで傷付きし翼たちを癒せ……。」

 クローディアを中心とした蒼の光が天へと登る。それは円を描き、慈悲なる力となって活力を失いつつあるアネラスへと降り注いでいく。傷つきし翼が空へと舞うために、戦うために必要な力を取り戻すため、そのわざは大いなる【空の女神エイドスの力】を発動させた。

「───リヒトクライス!」
 クローディアが二つ持っている神の業、Sブレイクと呼ばれる達人だけが使いこなせる強大なもの。その多くは破壊を呼ぶ力であるが、彼女のそれは癒しを呼ぶ。円を描くその中に居るものの力を最大限まで回復させる業だ。
 アネラス一人を対象にした最大技は、通常の回復魔法の比ではない。たった一人に全てを注ぎ込んだ事で、体力どころか、能力を上げた事で疲労した体をも癒していく。その効果は凄まじく、完全に戦う前の状態まで戻していった。

 アネラスはクローディアを信じていた。必要以上の力を出す事になっても彼女が支えてくれるから、なんの心配もない。それを判っていた。だから限界を超えて速度を上げても構わないと思った。

 連携は完璧。二人は、それを確認しなくとも、信じあう事で知っているのだ。

「でも、まだ遅い───。」
 アネラスは回復したというのに、悔しそうに奥歯を噛み締める。一撃は与えた。隙を狙っての再攻撃もできたが、それでも敵は揺るがない。膨大な耐久力を持っているだろうという予測はしていたが、それを越える力が、敵には秘められていた。

《凄い! 凄いよ! 面白いじゃないか! 僕が最大の力を出せるなんて思わなかったよ!!》

 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイはさらに攻撃速度を上げた。これまでの攻撃にプラスした両手での攻撃、一方は7本の指を槍のように伸ばして攻撃し、残る片手は地面をなぎ払うように仕掛けてくる。しかもそれだけに終らない。背中から生えるさそりのような尾がアネラス目掛けて突き刺さろうとする!

 蛇のようにうなる破壊の鉄槌。アネラスはそれを身体能力だけで避けていく。全てが紙一重かみひとえ、肩のアーマーが砕け、腰当てさえも吹き飛んでいく中、それでもアネラスは走り、避ける!

「なんて……攻撃! これじゃあ避けきれない!」
 サポートに徹しているクローディアは、自分もそれなりの剣の技を持っている事は知っていたが、それでも、エステルや仲間達、それにアネラスに比べれば、かなりの差がある事を承知している。いま行われている怒涛の攻撃も、自分なら能力を上げたとしても避けられないだろう事がわかった。
 それを、能力を上げているとはいえ、あれほどの連激を全て避け、しかも攻撃を加えているアネラスは、自分など足元にも及ばない凄まじい程の身体能力の持ち主である。きっと、その実力はエステルや仲間達に劣らないだろう。

 だが、敵はさらにそれを上回る。200%でさえも、通用しないのだ。



 しかも、ここで不意打ち!
 まったく考慮に入れていなかった、頭部のような逆巻く円錐からの、───雷撃だ。


 アネラスが息を切らしながら避けた先に、閃光がほどばしる! 敵から放たれる虚空切り裂く紫雷が、彼女めがけて穿うがたれる!! いくら速くとも、光の速さには追いつかない!

「あああっ!」
 直撃はしなかったものの、その衝撃波だけで吹き飛ぶアネラス。体はその威力に弾き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。完全な不意打ちに、クローディアさえ反応することができなかった。
 これはかつてワイスマン教授が使った技。あの杖から発せられた紫雷は、異常な破壊力を持っていた。あの剣帝と言われた執行者レオンハルトでさえ、一撃で立ち上がれなくなる程に大きなダメージを受けてしまった威力を有していたのである。



《まったく…ちょこまかと動いてさぁ。さすがに光よりは遅かったようだね。》

 さすがのクローディアも、雷撃という光の速さには反応し切れなかった。同じ杖を持った相手だという事で考慮には入れていたが、他の魔法を使っていた事で、注意力が削がれてしまったのである。
 この戦いは二人のうち、どちらが欠けても倒せない。アネラスが倒れている以上、なんとしても立ち上がるまでの時間を稼がねばならなかった。

 しかし、


《ふふふ……やはり、そうだった。》
「え?」
 その時間稼ぎは、敵自らの言葉によって行われた。


《やはり君達は、最後には英雄という力に全てを任せて戦っている。最も賢き英雄たるクローディア、英雄たる成長を遂げたアネラス。……これまで様々な協力はあったにせよ、結局のところ、最後に活躍するのは英雄たる君達だ。力を持つべき存在が全てを左右している!》

 戦うために残った二人は、確かに力を持っている。英雄たる資格を持つ力の持ち主であった。……だから、世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイはそれを指摘した。自分が言った通りではないか? 結局、最後には英雄が必要になっているではないか、と。


《今一度問おう。リベールは英雄によって支えられた国、それを違うと言えるのか?》

 英雄とは力を持つ者。優れた才知と実力を持ち、誰にも為しえない苦難を乗り越えられる者。だからこそ、この国はそれでしか支えられない。敵の言う事は真実だろう。それは間違いなく、正しい物の見方だ。

「……いいえ、違います。」
 クローディアは静かにそれを否定した。彼女もそれは正しい答えだと一度諦めたが、それは違っていたという事に気がついた。少なくとも、それはいまここで論議されるべき英雄ではないという答えを知ったのだ。



「お婆様が言われた、”英雄の意味を考えろ”という言葉。……それがわかりました。───英雄とは、その功績に対して後からつけられた呼称にすぎません。最初からの英雄なんて、いないんです!!」

「確かにカシウスさんや、エステルさん達は優れた力を持っています。私も魔法を使うという意味では、秀でていると思います。アネラスさんだってそうでしょう。……だけどそれを、力があるだけで英雄と呼ぶその行為は間違っています! 人は、誰もが英雄たる資格を持っているはずです! 特定の個人を決め付ける事ではないはずです!」

「人は弱い。だから、助け合い、力を合わせて困難に立ち向かう。英雄なんて枠組みで語ること自体が過ちで、その言葉に囚われてしまっては何も生まれない。何も解決しないから。……私はそれを理解せず、英雄という言葉だけに振り回されてしまった。」



「この国が始まった当初は、セレスト=D=アウスレーゼが中心となって形作っていったのかもしれません。でも、そこからの長い、長い歴史は人々が作り上げたものです。英雄と呼ばれる人だけで、ここまでの歴史が生まれるはずはないんです!
 一人一人の努力が、一人一人の汗が、このリベールという国を作ってきました。そしてこれからも守っていくんです! この戦いにおいて、誰が欠けてもここまでこれなかった。全員が最大限の力をあわせたから、私やアネラスさんが、いまここにいる! それは英雄なんかじゃなくて、歴史を作ってきた人の力ではないんですか!?」


「もし、英雄を定義するなら、それは”人と共にあるべきもの”。……人と人とが絆を持ち、支えあえる事。英雄とは個人ではなく、英雄の心を持つべき者! それは誰もが持っている勇気という、苦難を越えて進んでいく力なんです!」

 クローディアの叫びは、何も飾らない正直な気持ちだ。理論も理屈も必要がない、彼女がそう思える大切な事である。もしそれが、敵の言う英雄の定義と違ったとしても、それはどうでもいい話。
 彼女はこれまで力を合わせてきた仲間達こそが英雄だと言う。それを否定したとしても、彼女はそれを覆す事はない。信じているのだ。アネラスがまた立ち上がると、みんなが来てくれる、と。

「うう〜、効いたぁ……。でも、さっすがクローゼちゃんだよ。」
 彼女がゆっくりと立ち上がる。破壊されたアーマーを捨てて、腰につけた剣のさやも捨てる。土埃つちぼこりにまみれた体をパンパンと叩いて、いつも通りの微笑みを浮かべる。
「いい事言うね! もうお姉さん惚れちゃうよ。」
 軽く握った拳から、親指だけを立てて可愛く片目をつぶって見せるのはアネラス。衝撃で混濁こんだくしていた意識を再び取り戻して、友人へと元気さをアピールする。


《ク…クククク……。もう少し頭がいいと思っていたが、そんなものはただの子供の理想論だ。現実問題として提示されている状況は、英雄が敵意に立ちふさがるものでしかない。》


「なんか、ちょっとウルサイよね、この人。」


《な───、うるさい……だと?》


 その声はアネラスだった。その顔は闘志みなぎらせた、というよりも明らかに不機嫌そうである。壊れた鎧を全て捨てさった彼女は、カレー剣の背を肩に乗せたままで、クローディアに話しかける。
「もういいよ。私、なんだか面倒になってきちゃった。……ねー、クローゼちゃん、こんなの乙女パワーで吹き飛ばしちゃおうよ。」
 しかも、目の前の凶敵、世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイへ向かって指を挿し、”こんなの”呼ばわりしている。クローディアはその、なんともアネラスらしい緊張感の持ち込み方と……なにか聞いた事があるセリフが気になっていた。

「……アネラスさん、それ、どこかで聞いたようなセリフですね。乙女パワーって。」
「あ、もしかしてエステルちゃん言ってた? あはは〜、気に入ってくれてなによりだよ。」
 その、なんだかよく分からないパワーは、アンヘルワイスマンとの最終決戦でエステル=ブライトが口にしていたものだ。あの時は特に意味を考えたりもしなかったが、それがアネラスの口から出たのに、クローディアが意外な声を上げた。
「もしかして、あれ、アネラスさんが考案?」
「うん。っていうか、研修中に二人でお風呂入ってた時に考えて、笑ってたんだよ。」

 確かに、クローディアの言う人と人とが絆を持つ事の大切さは彼女も知っている。それは大いに賛成だ。しかし、それにゴチャゴチャと文句を言う敵は正直言うとしつこい。きっと、口ばっかり達者で、あんまり女の子にモテないタイプだと思う。
 敵が語る英雄がいるとか、いないとか理屈なんかどうでもいい話で、悪い事をした敵が目の前に居る。だったら懲らしめてやらなければならない事は決まっている。


「そこの、丸くて頭がトンがってる人! 言っておくけど、これから凄いよ。」
「アネラスさん……、いいんですか? 最大まであげてしまって……。」
 クローディアが扱う事ができる駆動魔法【クロックアップ】の最大は350%程、しかしそれはあくまで使うことが出来るだけであり、人体に付与していい速度ではない。きっと、アネラスは口では勢いよく言っているけれど、敵に雷撃がある以上、200%では遅いと言っているのだろう。

「───やろうよ。たぶんそれしか、選択肢はないんじゃないかと思うし。見せ付けてあげなきゃ! 私やクローゼちゃん、それにユリアさん、カノーネさん、それに兵士さんや街の人達。みんなの力がどれだけ凄いのかって事を!」
「はい。………そうですね。見せてあげましょう!」

 クローディアがオーブメントを駆動させる。それは今までの速度とはまるで違い、構成された歯車が凄まじい速度で回転する。クロックアップによる速度上昇値、350%という想定外の魔法。いくら第二世代の新型として支給された戦術オーブメントだろうと、ここまでの過重を与えては長時間持たない。勝負は、───数分だ。


 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイの体が大きく膨れ上がった! そして天さえも貫くような”声”で世界そのものへと叫ぶ!



《いいだろう! そして証明してみせろ! その戯言ざれごとが真実であるという事を!! 自己の理論が正しいと力でねじ伏せてみろ!》



「───閃光の果て、刹那せつなさえも穏やかな刻、あまねく世界の唯一を越えて、駆動魔法【クロックオーバー】!」

 それは、EPの全てを費やす事で発生する駆動魔法。オーブメントに貯えられたEPをつぎ込んだだけ速度を上げる事ができる特性がある。カノーネに貰った回復剤があったからこそ扱う事ができたもの。

 その叫びと共に、アネラスの速度が爆発的に跳ね上がる! 通常ならば、全力でも時速40セルジュであったというのに、それが200セルジュという人が出せるはずもない限界さえも突破させた!

 同時に敵の速度もさらに上がる! 両手が空高くかざされ、合計14本の指が一斉に降り注がれた! それはここまでの攻撃など問題にもならない速度を秘め、指そのものが意志を持つ触手であるかのように、曲がり、角度を変えつつ、立ちはだかる障害物をも砕いて彼女へと迫り来る!

 だが、その時点ですでに彼女の姿はそこにない。彼女がいま、居る位置は───。

「こっ! これっ! すご───、わわわわわわ!!!」
 敵の遥か向こう側だった。あまりに速すぎて思考速度が付いていかないのだ。足を動かせば通常以上に早く回転し、気がついた頃にはもう走り去っている。速度が上がれば風よりも速く、しかも空を飛ぶように駆けられる。……ここまでくると、感覚なんてもうめちゃめちゃだ。
 完全にスピードに翻弄されている。限界を超えて速度を得たからとて、本人がそれを扱えなければ意味がない。350%という速度は、いまの彼女にとってやりすぎもいいところ。まったく扱き切れていない。

「も、戻らなくちゃ! じゃあ今度は……。」
 足の回転を調節し、今度は通り過ぎないように敵へと迫るが……、それでもまた、通りすぎて攻撃どころでもない。速度とスピードを把握できないでいた。

 それでも───。


《な、なんだ、と? どこへ行った!? 姿が見えない!?》

 驚愕きょうがくしているのは敵の方だった。彼女が速すぎて、視覚で捕らえる事ができなくなっているのだ。自分も速度を扱えていないが、敵は見えてもいない。ならば、この速度を使いこなせば、それで勝てる!
 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイがめちゃめちゃに腕を振るい、指を伸ばして攻撃とも言えないような破壊を広げた。当りさえすればそれで倒せるからだ。
 だが、今のアネラスにしてみればそれも遅い。周囲の速度があまりに遅すぎた。飛んでくる恐るべき速度の攻撃は、目で追えば速い気がするのだけれど、のろのろとした感覚が付きまとう。正面に迫った攻撃を、彼女は軽く体を避け、そして攻撃を繰り出してみた。

 カレー剣を振るいスピードを乗せる。それが大きな破壊力となり、その威力は加速度的に増していく。大きく振り回した敵の紫色をした腕への一撃は、その肉体をバターのように切り裂いた!
「なんとか一撃! ……あれ?」
 敵の体に攻撃を加えたというのに、まだ余裕がある。しかも敵はその反応すら遅く、やっと仕掛けてきた攻撃自体は単調で避けるのも苦ではない。……彼女の感覚は350%に馴染んできていた。天性の知覚力と、柔軟な姿勢が特異な状況を把握してきていたのである。これなら───いけるかもしれない!

 アネラスは、今度こそ全力で攻撃を仕掛けていく!

 一撃、二撃! 三、四、五!! まだ続く、まだまだ余裕があるから攻撃を続けられた!


 七回、八回、─── 十回!!

 敵が攻撃に気がついて仕掛けて来た頃には、すでに彼女の姿はそこになく、後ろに回りこんで一撃し、さらにジャンプして頭部に一撃を加えていた。それでも敵が最初の攻撃を終えた程度で他2箇所を攻撃された事にさえ追いついていない。
 攻撃が五十を越えた頃、彼女はとうとう気がついた。完全に敵の反応速度を越えてしまっているという事を。これならば、倒せるという事を。

「だったら、───全開でいくよ!」
 その瞬間、アネラスの姿が消え去り、それは始まった。

 長い槍のような指を切り裂き、次の瞬間には背後からの十五連撃! そして真正面から二十四連撃が叩き込まれる。そこでやっと反応した敵は、なんとか腕を伸ばすが、その頃には頭、右腕、そして正面にありったけの攻撃が叩き込まれている!
 右側を攻撃されているというのに、そちらを向けば姿はなく、まったくの逆側からの衝撃が来る。真正面から攻撃を受けて、こちらも攻撃を展開させても当らない。なのに、正面からの攻撃は続く!!

《な、なんダこれは……? 何が起っている!?》

 敵は地面を撫でるように両腕を振るうが、それでもその速度さえ、アネラスにとっては遅い! 腕が回るよりも速く駆け抜け、また前に回って恐るべき連撃を繰り出す!

「無駄だよ…、いまのアナタは遅すぎる!」
 まるで旋風だ。刃を有した異常な風が吹き付ける度に、その体が削られていく! しかしそれ以上に恐ろしかったのは、彼女が持つ剣である。それは異常なまでの切れ味だった。カプトゲイエンとの戦いではそんなきざしはなかったというのに、その剣はこれまでのどんな名剣よりも凄まじい威力を持っていた。そうでなければ、鉄壁の防御能力を持っている体に傷をつけることなどできるはずがない!

 世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイはここで初めて恐れた。敵対するただの小娘が、明らかに自分の戦闘能力を越えていたからだ。攻撃さえ当たれば一撃で倒せるはずだというのに、かするどころか、姿さえ目視できない。

《グオオオオオ! キ様ぁーーー!!》

 アネラスの鮮烈せんれつなる連撃に、いつのまにか激情した敵は、巻貝のような頭からの紫電しでんまたたいた。もちろんそれは光の速度。彼女がどれだけの速さを持っていたとしても、これに勝るスピードなどない!

 だというのに! その全てが避けられていく! 狙わずに滅茶苦茶な放電を繰り返しているというのに、それさえも避けられていた。まさか、駆動魔法で補強したとはいえ、ここまでの戦闘能力を発揮するとは考えもしなかった。カシウス=ブライトすら越えたと思ったこの身を、さらなる速度で叩き伏せるこの小娘の存在が、次第に恐れへと変わっていく。

 アネラスは全ての電撃を斬った。
 どういうわけか、疾走するアネラスの耳元に声が届いたのだ。

 右に振れ───、縦に切り裂け───。彼女は今、人智を超えた高速で動いているのだから、声など耳に届くわけがない。なのに、声は体全体を包むように、彼女に染み込んでくる。

 次は左より水平に一閃、そして真正面に突き出せ───。

 言葉は続く。光の速度であるはずの雷撃、それを全てさばいていく。アネラスがそれに素直に応じる事で、攻撃はさらに鋭く、激しくなっていく。何者をも寄せ付けず、何者をも恐れないその剣の一撃は、強大であったはずの敵を叩き伏せていく。

「誰? さっきから私に声を聞かせてくれてるのは?」
 後方で魔法を援護をし続けるクローディアへと視線を向けると、彼女はリヒトクライスを自分に掛けているところだった。そういえば体が疲れていたような気もしたけど、それを忘れて戦っていた。きっと彼女が気にさせない程に絶妙なタイミングで魔法を掛け続けてくれたのだ。きっと彼女でなければ無理だっただろう。本当に、これほど頼もしい事はない。
 しかし、声の主は彼女ではなかった。彼女は自分以上に必死になっていて、魔法詠唱する事に全精力を注ぎ込んでいる。アネラスは外見が崩れ始めた世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイへと跳躍し、さらなる一撃を与えた。その威力は途方もなく、一撃で剣跡が巨体に残された。
 ……なんでここまで破壊力が増しているのか。この剣を使っている彼女でさえ謎だったのだ。

「でも、これならいけるよ! おいしいカレー剣さん! 次の一撃で決めるよ!!」
 アネラスは敵の状態から、すでに勝ちが見えた事を悟り、最後にして最大の一撃を与えるべく距離をとった。長距離から走りこんでの一閃。真正面からの零距離・真光破斬をお見舞いする!! 闘志を投げ掛けられた剣は、まるで呼応するかのように闇夜を紅に染めて光を放つ。



(コの、僕が……負ける? マサカ、そんな事は……)
 目視した先にとうとうアネラスの姿を見つけた世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイは、驚愕の目を持ってその姿を捕らえた。剣が真っ赤に輝き、しかも刃自体が元々の刀身より大きく広がっている。まるで、剣の周囲にエネルギーの刃が取り巻いているかのようだ。まるでそれは、赤く燃える翼のようである。

 ……どう見ても、タダのアーティファクトではない。あまりに奇異で、異常な能力だ。まったく、次から次へと予想外ばかりが振ってくる。これまでの膨大な知識の中には、あれほどの武器は数えるほどだ。なのに、その彼さえも見た事がない大いなる力がリベールに味方するなど、誤算もいいところだ。


《くっ……、なんトカ、しナくてハ……》
 このまま一撃を喰らえば、それで完全に終る。認めたくはないが、あの一撃を受けたとすれば、完全に体は崩壊してしまうだろう。このままでは敗北してしまう! せっかく自由な意志を手に入れたというのに、全てを失い、またあの暗闇に閉じ込められるのか!?

 その意志は、融合した当初はカンパネルラ自身の意志と記憶を共有し、引き継いでいた。しかし時間が過ぎていく中で、杖によって力を与えられたクオーツは、その自我を覚醒しつつあった。今のこの世界を屠る者ワーズ・オブ・デストロイは、カンパネルラでありつつ、琥耀珠でもある。言葉使いが変化してきたのは、そのせいであろう。

「リベールから出て行ってもらいます。この、一撃で───っ!!」
 アネラスが駆けた。これまでの最高速度、そして闘志をまとい、疾風よりも速く、神速すら生温い、そのスピードで剣を振り上げる!


 クローディアは後方で、その動きを捉えて魔法に集中する。最後の一撃であるという事はさっしがついた。察し、とは彼女のにしてみればひど曖昧あいまいな物言いだが、それほどまでにアネラスの速度が速すぎてフォローしている彼女でさえ、動きを見る事ができなかったのだ。魔法の照準はアネラス個人にターゲットをしていたおかげで、どんなに速くとも魔法を掛け損じる事はなかったが、それでも彼女自身も、その戦闘能力には驚きっぱなしであった。……しかし、とうとうこの戦いも終るのだ。

「アネラスさん、お願いします! これで、終わりにしましょう!」
 クローディアは目を閉じ、これまで以上の集中をした。そして終る戦いを前にし、自分の事や、祖母の事、叔父の事、友人や多くの人々の顔を思い出す。これからのリベールを支えていく人々と共に在ろうと、彼女は心に誓った。


「やあああああああ!!」
 アネラスが駆ける。全ての力をその剣に込めて、最大の一撃で敵へと迫る! 二人は、全ての力を注ぎ込んで、その悪魔へと挑んだ!


 その時! クローディアは足元の光に気がついた!
「───えっ!」


 アネラスの剣が敵へと迫る! もう一拍の呼吸の間に最後の一撃をお見舞いできる位置にいた。しかし、まったく予期せぬ異変が彼女を襲う!

 スピードが突然、落ちた。

 彼女にかかっていたはずの駆動魔法【クロックオーバー】が突然解除されたのだ! アネラスはその速度変化についていけず、体ごと地面へと転がった。
 クローディアの身に何かが起った、咄嗟とっさにそう考えたアネラスは、彼女の方へと視線を送る! そこで見たものは……。

「! ク、クローゼちゃんの体が───消えて、いく……?」
 何かを必死に叫んでいるクローディアの姿が、みるみるうちに消えていく。まるで、光の中に閉じ込められていくかのように、彼女の全てを消し去っていった。


《クッ……ククククク……アハハハハハハハハハハハ!! どんナ達人でさエも、大地があるという事で生じる唯一の死角、”真下”からの攻撃だ。シかも僕の尾の一撃は、対象ヲ異空間へと跳ばす!! コの技を【バニッシュ】と言うんだよ……。》

 それは、《七の至宝》の力を得たアンヘルワイスマンが使用した技。尾の一撃により、人間の体そのものを空間から消し去り、一切の手出しをさせなくする技だ。一度これを受けてしまえば、残った者が勝利しない限り、二度とこの空間には戻る事はない。
 クローディアは集中に専念していたがために、その攻撃を察知し切れなかったのだ。

 初めてみるその攻撃に、アネラスが気をとられた瞬間、彼女の剣が伸ばされた指で弾き飛ばされた! 彼女自身はなんとか避けたが、それでも肝心の武器を失くしてしまった。


《ククククク………形勢………逆転………ダ。》










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