嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

I 主役のいない物語
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 最大威力によるツインレーザーカノンの砲撃。それは絶対的な破壊の閃光。
 カプトゲイエンの狙う標的はまさに真正面、その先に雄々しくそびえ立つグランセル城であった。

 真の目的、それはリベールの象徴たる王城への直接攻撃であったのだ!



 発射と同時に、巨神の正面にあったはずの噴水は瞬時に蒸発し、光線の道筋と共に石畳が舞い上がり、一瞬のうちに砕けて消えていく──。
 南区から北区へ、大通りを駆け抜けた光の勢いは止まらず、そして立ちはだかる全てをなぎ倒しながらグランセル城へと到達した!
 城へ続く橋、そして鉄壁を誇る強固な正門を飴の様に曲げ、──いや、燃える紙のように焼き尽くし…、あろう事か城内さえも焼いて、そのまま抜けた

 それでもまだ勢いを緩めない閃光は、城の裏手に広がる広大な湖、リベールに存在する国の一つ分はあろうかという広さを持つヴァレリア湖へと達し、──なんと、その対岸まで伸びた先で、固い岩盤に塞き止められ大爆発を起して…、とうとう止まった…。


「あ……ああ……」
 その閃光を見るには一番の特等席とも言えるコクピット。そこでギルバートは、目に見える程に身体を震わせ恐れおののいていた。そのあまりの威力に恐怖以外の全ての感情を失い、ガチガチと歯を噛みあわせていた。強力な防御能力だけが取得で、レーザーカノンはそのオマケだと考えていたのが大きな誤認であった事を思い知らされた。

 これが、このレーザーカノンこそが機体の持つ真の力なのだ。


 古代文明において、アウスレーゼ一派の潜む施設へと続く通路を塞いでいた幾重にも及ぶ隔壁。それらを破壊するために、このカプトゲイエンは使用された。
 その隔壁がどんな素材で、どんな強度を持っていたのかはわからない。しかし、今の文明とは明らかな差を持つものであったのだろう。一枚を破壊するのに、想像以上の力を必要としたに違いない。


 だというのに! その力は、こともあろうに街という場所、生活の場で使用された。
 石作りの道、木材と微量の金属で作られた、防御にも値しない家屋が建ち並ぶこの「街」という場所でこの光が放たれたならば、そんなものが障害になるはずがない!


 ギルバートの目の先にあるのは燦々さんさんたる状況、これは紛れも無い惨禍さんかである。

 大通りに面した家や店、それらすべての二階に当る部分は、レーザーが通り抜けた事を表すように、通りを中心に綺麗きれいな円形を描いて削れていた。そして、地面に敷かれた石畳があった場所は全て土がむき出しになり、しかも黒く焼け焦げた長い光線のあとが、破壊の印として遥か先まで続いている。

 その痕跡こんせきの先にはグランセル城が見えた。その中心を完全に射抜かれ、その向こうの湖がくっきり目に映るほど巨大な穴が生じている。完全に貫通されていたのだ。
 城という頑強がんきょうな構造が救いとなり、倒壊とうかいだけはなんとかまぬがれたという有様で、もし、もう一撃でも喰らえば、それは砂の城よりももろく、跡形もなく消し飛ぶ事だろう事は容易に予想がついた。


 ……これは悪夢の力。使ってはならない破滅の光なのである。



「…僕……は…、こんな──、こんなものを使おうとしていた…のか……。」
 うつむき、気力なくうな垂れる彼の目には涙が流れていた。本当に、ここまでするなんて考えてなかった。最初に撃ったレーザーカノンだって、僕の力を示せればいいと思っていた。それでも兵は全滅。死人が出ていないかと慌てて……、あれでも強すぎたと思ったぐらいなのに。

 本当は怖かった。力は示したかったけれど、人殺しなんてやる勇気はこれっぽっちもなかった。自分のためにと思って戦って、人を傷つけるという考えは閉じ込めていたけど、本当は、心の奥底では傷つけるのはいやだった。
 エルベ離宮での戦いも、この戦いでも、……それどころか最初から……僕は人を殺すなんて事をしたいわけじゃなかった。それが……いま、わかった。



【 ─── 当機体の稼動限界に達しました。各種行動における全機能を停止致します。なお、コクピット、捕虜収容ドームの維持については、最小EPにより持続。これより361時間の後、完全に停止致します。 ─── 】

 カプトゲイエンから唸り声のように響いていた音が消えた。防御能力はもちろん、腕を振り上げる事も、移動する事もできない、完全な停止状態となっている。
「なんで…、回復したんだ? なんで勝手に動いたんだ……。」

 先ほど、エネルギーが切れるあの瞬間、完全回復したという機械よりの報告は夢でもなく、幻聴でもない。現にレーザーカノンを撃ち出し、ここまでの被害を与えたのだ。そうでなければ撃つ事などできずに、今のようなアナウンスが流れていたはずだからだ。

 心当たりはあった。漠然とそんな雰囲気はあった。でも、そんな事を考える前に、僕はカプトゲイエンの力に酔いしれて──。


「いい夢は見れたかい? ギルバート君。」
「───っ!」
 どこからか響く声、それはもちろん知っている声だ。最初からエネルギーが切れることを知っていながらそれを見て楽しんでいた、……あいつ・・・だ。
 彼は何事もなかったかのような笑顔で微笑みかける。ギルバートは言い返さなければいけない、と思いながらも、その全てを言葉にする事ができなかった。


「キミが望んだ通り力を示せて良かったじゃないか。誰よりも優れた力を持ちたかったんだろう? 自分が真のエリートだと認めて欲しかったんだろう? なんならもっと力を貸してあげるよ。そしたらさ、《真・漆黒の牙》でも《真・剣帝》でも、なんでも好きなだけ名乗ればいいじゃない?」
 それは親切から出た言葉ではなかった。協力を申し出る言葉でもなかった。こちらの心を見透かしながら、あざ笑っているだけだ。こんな事をするのは、あいつしかいない!


「僕を───! 僕を利用したなっ!」
「へぇ、それはひどい言いがかりだね、自分で乗ったくせに。…それに僕は協力しただけ、望みを叶えてあげただけさ。……ただ、時間限定だっただけでね。あははははは!」
 ギルバートはコクピットの解放ボタンを押し、外に居るだろう”それ”へと掴みかかろうとした。しかし──反応がない。いくらボタンを押そうとも、透明キャノピーは開く事がなかった。


「ああ、無駄だよ。今この機体は僕が掌握している。そこから出るのは難しいだろうね。それよりも、…何を怒っているのか不思議だけれど、そんな些細ささいな事は忘れたほうがいいと思うよ」

「え…? あ…───」
 その言葉と共に、ギルバートは急に意識が薄らぎ始めた。ぐるりと視界が巡り、周りの景色が暗転する。
 体がおかしい。腕も足も言う事を聞かない。なぜか、急に眠気が…、それに……なんだろう…? 記憶が……曖昧あいまいに……なっていく……。


「ワイスマン教授程じゃないけど、これくらいは僕にもできるさ。簡単な記憶の操作くらいはね」
 ゆっくりと、滑り落ちる様に座席シートへとへたり込むギルバート。彼の目はうつろで、己の意思を示す光を失い、座りながらも夢を見ているような、そんな状態になった。

「くそ…、僕は………っ」
 それでも、ギルバートの腕は上へと向けられる。無駄であろうと、なかろうと、自分をもてあそんだその相手がどうしても許せなかった。

「おやおや、頑張ってるみたいだけど……そこまでだね。忘れたほうがいいんだよ。キミのような玩具おもちゃは面白いからね、何度でも洗って塗りつぶして、使ってあげるよ。壊れるか、僕の興味が失せるまで何度でも、ね。」


 遠くに聞こえるその声に、ギルバートはただ無力に落ちていく。
 限りない怒りと、やるせない悲しみの相反あいはんする感情を抱えて。
 忘れてしまう。あのやり取りも、女王に言われたあの言葉も、みんな全てが消えてしまう……。



 忘れてはいけない。これを忘れてしまったら……僕はまた、元に───。







 静かに、コクピットを覆う透明キャノピーが開いていく。
 座席にすえ付けられたシートベルトが、自動的にギルバートの体を固定する。その体には力がなく、ただ眠る彼の姿だけがあった。その瞳に残されていたのは一粒の涙。くやしさと、いきどおりと、思い出と、無念を込めた…、たった一粒の涙だった…。

 勢いよく! 空気圧の小さな圧縮音を残し、ギルバートはその身を預けるシートと共に、高い高い空へと打ち上げられた。遥か上空、砂利石じゃりいしのように小さく見える程の上空でパラシュートの傘が開く。

 そのまま……それは風に運ばれ、いずこかへと飛んでいく。
 ゆらゆらと、何処どこかへと。


 それを見上げる彼は、その飛び去っていく姿を見上げ、楽しそうな視線を送った。
「これで、【物足りない敵役】が去った。……いよいよ最終章の幕を開こうか」
 その目には、これから始まるクライマックスを楽しむ観客であるかのような期待感に満ちている。
 
 最終章、それがリベールという国が辿る「全ての話の終り」である事を、彼は知っていた。











 クローゼは、目の前に広がる光景にただ震えていた。まるで自分が、百日戦役の真っ只中にいるような、その戦場に置き去りにされたような感覚を覚える。
 あの忌まわしいと云われる戦争。自分はその戦場という殺し合いの現場など見ていないはずなのに、これがそうなのではないか、という気持ち悪さを感じずにはいられなかった。

 しかし、そんな想いにかまけている暇はない。みんなはどうしたのか? レーザーカノンが発射された瞬間、クローゼはそのあまりの閃光に視力を失い、最後までその後の姿を確認できなかった。…確か、お婆様を避難させたリシャールさんが、動けずにいたモルガン将軍達を助けに戻ったはず…。


 お婆様は無事だと思う。心配ではあるけれど、大丈夫なはずだ。
 だけど、他のみんなは? ユリアさん、モルガン将軍、リシャールさん達の姿が確認できない。

「みんな…! 無事でいて……。」
 閉じ込められ、助けに行けないこの身が歯がゆい。捕まってさえいなければ、きっと街もこんなになる事はなかっただろうに…。

 私が───、エステルさんのように強ければ、彼女のような行動力に溢れていれば…。今頃はきっと別の、もっと優位な状況にあったんじゃないか。こうなる前に、もっと何か出来ていたんじゃないだろうか?

 いつの間にか、クローゼの心は、あの太陽のように輝く友人、エステルへと語りかけていた…。
 今は居ないけれど、彼女の勇気を思い出すだけで、自分も努力できる気がしたから。




………ガン将軍! 大丈夫ですか!

 そんな矢先、小さな声が耳に届いた。機体の左下の方からかすかな声が……。
 気のせいじゃない、確に……ユリアさんの声がした。


「将軍! 手を貸します! 動けますか!?」
 いる。確かにいる! それを見失わないように、声のする方向へと注意を向ける。
 クローゼはその姿を捕らえるため瞳を凝らし集中する。深く強く視線を送る…。

 そして、その先に……彼らを見つけた!


 家の瓦礫がれきから這い出したユリアは、その近くで未だ体を横たえる将軍へと手を伸ばした。なんとか動いているその体を支え、木材の下に敷かれた彼を引っ張り出す。

「ぐっ…、す…まんな。ワシはなんとか大丈夫だ。体はあまり動かんが…、先ほどよりも意識ははっきりしている。お前が助けてくれたのか?」
 火傷を負った傷を押さえながらも、モルガン将軍は壁にもたれてその身を休ませる。言うほど大丈夫ではなく、体はそこかしこで悲鳴を上げているが、それでも意識が朦朧もうろうとしているわけではないのが救いだった。



「将軍、私達はリシャール殿に救われたのです。彼は身を挺して───」
「なに!?」
 その──すぐ近くで、身を横たえ苦しんでいるリシャールの姿を目にした。その体は自分よりもさらに酷い火傷を負い、脂汗を流して苦痛を訴えている。特に酷いのはその右足、表面が黒く炭化して地肌はボロボロ、内部へ達している傷は神経にさえ届くほど深手である。かなりの重傷であった。

 モルガンは、これが地獄の苦しみであろう事がすぐに理解できた。こうした傷を負って、戦場で死に耐えた者を何人も見てきたのである。……それをきっかけに、彼の脳裏には、あの凄惨せいさんな百日戦役の記憶がよみがえる。


「リシャール! おい! しっかりしろ! しっかりせんか!」
 あの時の光景が目の前にある。そう思っただけで叫ばずにはいられない。もうあんな、どうしようもなく立ち尽くすだけしかできない光景は見たくなかった。

「ぐっ…、モルガン将軍…無事でよかった…」
「女王陛下をお助けしたはずではなかったのか! なぜそのまま逃げなかった!? なんでワシを助けたのだ?!」
 邪険に扱い、ひと欠片の信用も置かない。そんな相手である自分をなぜ助けたのか? 助けなければならない理由など、どこに在ったというのか? 彼は知りたかった。どうしても知りたかったのだ。

「はは…、何を言っているんですか? …人の、命が危険に晒されていて、……それを……助けないほど、悲しい人間ではありま……せんよ。」
 苦しみながらも、無理をして笑顔を作るリシャール。モルガンは、それが愚かな質問であった事を知った。人を助ける。そんな当たり前の事に理由など必要ないからだ。

「───そうか、そうだった…な。そんな事は、当たり前だったな…」
 モルガンはその心の奥で思う。彼が、リシャールがクーデターを計画した事は罪である。しかし、自分はその罪とリシャールという人物をひとくくりにして、全てを否定してはいなかったか? 彼の人格を、彼の心を、その全てを全部───嫌ってしまったのではないだろうか?

 10年前、カシウスが遊撃士になってしまった事をただ恨み、それを遊撃士という存在そのものにぶつけてしまったように、自分は本質を見る事を拒否して、まとめて考えてしまってはいなかっただろうか?


「ワシの方が、もっと愚かだな…」
 罪は罪として憎むべきもの。しかし、必ずしもその過ちを犯す人間が悪であるわけではない。いつか女王陛下が言っていたように、繰り返す事が罪なのだ。
 誰もが知っているような事を、今になって気がつく。…ワシはこんなわかりきった事さえ、知らずにいたのか。






パチパチパチパチ…





 ─── ちょうどその時、かわいた拍手が響いた。
 何処どこかやる気のない、叩いているだけの音。それは上から、頭上から聞こえてくる。


「やぁ、拍手拍手。あれ? なんだ…、感動ゴッコは終わりかい?」
 誰もがその声を聞いた。それはカプトゲイエンの頭に位置する場所、周囲を一望いちぼうできる所。その場の全てを俯瞰ふかんし、把握する事が出来るそこに、彼は居た。


「はじめまして、というべきかな? リベールの諸君。会った事があるのは姫殿下ぐらいだもんね。」

 紫色のスーツを身にまとい、緑の髪を風に揺らすあの少年…。見た目の年齢とは裏腹に、微塵みじんの幼さも感じさせない面持ち。そこに浮かぶ笑顔はどこか寒々しく、横たわる者達を小馬鹿にするような態度に見える。


「僕は《身喰らう蛇》の執行者、《道化師》カンパネルラと言う。よろしく頼むよ。」
 少年はそう述べると、貴族がするような礼儀正しいお辞儀じぎをする。妙に大げさに、これから出し物をする道化のように。一見してとても丁寧ていねいなその振る舞い、それは挨拶あいさつとしては行儀の良い作法ではある。
 しかし、この場においてはあざけり以外の何物でもない。彼はそれを理解しながら、そうしているのである。


 執行者を名乗る少年、カンパネルラ。
 その場に居た全員がその姿を目にし、漠然ばくぜんとした不安を抱いていた。それは執行者だからという理由ではない。それ以上にかもし出される得体の知れない不気味さがあったからだ。
 何かが違う、何かがおかしい。……そう思わせるモノを彼は確かに放っている。その証拠しょうこに、その場に居た全員が気圧けおされ、誰一人として口を開けずにいる。



「おやおや、みんなどうしたんだい? 元気がないなぁ。それに…、こんな天気のいい昼間から寝そべるなんていい身分だね。僕にはちょっと出来ないかな。あはははは…。」
 そんな大胆不敵な態度に気圧されながらも、唯一、大きな負傷をしていないユリアは、少年を強くにらみつける。そして、近くに落ちていたモルガン将軍の大剣を拾って構えた。

 細剣を使う彼女にとってはあまりにも重く、実戦においては振るう事も難しいだろう重量級の両手剣。…しかし何もないよりはいい。今、敵の攻撃にさらさされれば、自分達が全滅するであろう事は承知している。そのためには牽制けんせいしなくてはならないのだ。


「少年…、一人で出て来た勇気は認める。だが、我々から逃れられると思っているのか?」
 ユリアは精一杯に敵意を込めた瞳を送り続ける。敵を近寄らせない、それだけの効果があればよいのだ。


「…一人で…出てきて……?? ぷっ! ふふふふふ、あははははは!! なにそれ! 何にも出来ないくせに、強がってるよこの人! あははははは!」
「くっ……!」
 腹を抱えて笑うカンパネルラ。そしてユリアは何も出来ない…。


 まったくその通りだ。虚勢きょせいを張るくらいの抵抗しか成す術がない事など、当然のように看破かんぱされている。
 しかしそれも仕方がないというものだろう。その少年を前にし、彼女は焦燥しょうそうき立てられたのだ。そうしなければ、そうでもしなければ…と思わせる威圧感に耐えねていたのだから。


「はー、は〜、おかしいや。……これだからサブキャラは面白い。せっかくだけど、キミみたいな【玩具おもちゃを貰って喜んでるだけの人】には興味ないんだよ。」
「な、なに…?」
 玩具を貰って…それは一体……どういう事だろう? 少年の言う事が理解できない。戸惑いの表情を浮かべたユリアに、カンパネルラは追い討ちを掛けた。

「あー、わからないかなぁ? アルセイユって玩具をもらって喜んでたじゃない? なのに全然、さっぱり何もできないから言ったのさ、喜んでるだけの人って。違うかな?」
 ユリアの心をえぐる一言。自身が抱えていた最大の汚点。それを言い当てられ、ユリアは剣を落とし、言葉を失った…。

「それにそっちの……。」
 カンパネルラはユリアから視線を外し、モルガン将軍へと向ける。数十年にも及ぶ長い間、様々な窮地きゅうち、戦場を知りえてきた猛者もさでさえ、その視線を外す事ができず、ただ少年を見上げる。



「アナタはただの【役立たずの老人】だよ。一体…60年以上も生きてて何を学んで来たの? ああ、そうか。たぶん偉そうにしてただけなんだね。
 …だってさぁ、なんにもできないでしょ? 百日戦役もカシウス=ブライトに任せて、クーデターもリベルアーク事件も他人任せ。そして今回は自分でやってみたけど大失敗? 自分でげた事って何もないじゃない。
 そ〜だよねぇ、百日戦役までは平和で、安穏あんのんとしていればそれで良かったんだもんね。偉そうにしていれば、それで済んだんだもんね。それじゃあ突然の事件で何も出来なくて当然だよ。

 ───結局はさぁ、傲慢ごうまんを自信と勘違いして出来るつもりでいただけなんだよ。威張いばれる要素なんて何処どこにもないっていうのに、それにも気がついてなかったんでしょ?

 それなのに……これで将軍? こんな程度の人が将軍なの? 嗚呼ああ、情けない! みっともないねぇ〜。どうせ否定ひていできないよね? 事実なんだから。」


「………それは…。」
 あの勇猛なモルガン将軍は歯切れ悪くその言葉を受け入れた。まるで、自身の心を見透かされたように辛いところを言い当てられたからだ。様々な葛藤かっとうと再認識。敵とはいえ、他人に言われた事で、自身の価値を思い知らされた。…その視線はいつしか下へと向けられる。


「それに…リシャール元大佐。いや、クーデターに失敗した【かませ犬】君。キミなんかそれ以下だよ。ワイスマンに多少なりとも操られた事を免罪符めんざいふにして正義屋気取りかい? 正義のため? リベールのため? そりゃまた都合のいい理屈だね。何をしたって罪人ざいにんには違いないのにさ。……それで、よくもまあ平気で街を歩けるもんだよ。」

「私は……免罪符などとは……。」
 リシャールはその言葉を力なく返した。しかし自信など毛ほどもない。

 本心では、心の何処どこかではそう思っていたのかもしれない。リベールを守るという口実こうじつで自分を守っていたのかもしれない。罪人ざいにんだというのに、未だに兵士として働けると思っている…。そんな資格などないというのに。


「それで……かませ犬の次は番犬だって? ……それにしては、ふふふ、なんて無様な姿なんだか。そんな状態で何をどう守るっていうんだい? この程度じゃあ唯一の番犬家業も失敗かな? 失敗してまた失敗、どうせ次に何をやっても失敗だよ。」
 カンパネルラの容赦ようしゃない言葉。モルガンも、リシャールさえも、ユリアと同じように言葉を失い、心を鷲掴わしつかみにされたように顔をゆがませた。


「そして────」
 カンパネルラは振り返り、カプトゲイエンの首の付け根辺りに視線を送った。そこに居るのは捕縛されたクローゼ。捕獲ドームの中にいる自分を、少年は当然のように見た。

 ドームの中からは彼が見えても、カンパネルラ立つ位置からは見えないはず…。なのにその視線は確実に彼女へと向けられている。そして、そのまっすぐに向けられた視線を彼女は外す事ができない。


「王太女クローディア。勘違いしているようだから言わせてもらうけど、キミは女王の器じゃないんだ。やめておいた方がいいよ。どんなに気取ってもせいぜいが【主役に華を添える脇役】なんだから。」
「───な、何を根拠に!」

 突然言い放たれたその言葉に反応するクローゼ。確かに、自分は女王の器じゃないかもしれない、……そういう不安は持っていた。あの偉大な祖母、女王アリシアU世の跡継ぎとしてやっていけるのか? 国という巨大であり、複雑なモノを、自分のような者が支えていけるのが…と。


だってキミは、いつでもエステル=ブライトに支えられてきたじゃない。先日の事件において、キミはエステルという少女に励まされた。だから様々な苦難を乗り越えていけた。……彼女がいたから頑張れた。違うかい?」
「あ………。」
 クローゼもその言葉に心を抉られた。クローゼにとって、エステルという彼女は特別な存在だったからだ。


 あの姿を見て、あの行動力に励まされ、どんなに勇気を貰ったんだろう? どんなに彼女を支えにしていたんだろう? 自分が強く在る時、いつも必ず彼女の姿があった。彼女が居ただけで頑張れる気がした…。


「キミは様々な難しい局面で、自分で判断して輝いたように思っているんだろうけど、それは違うね。それは彼女という”太陽”に照らされていたから、じゃないのかな? 様々な苦境においても、エステルという彼女がいたから頑張れた。彼女が居たから乗り切る事ができた。」

「…………やめてください。」


「それにさぁ、思うんだよ。事件の中心として動いたメンバーは凄かったってね。
 …太陽の輝きを持つ英雄の娘、《身喰らう蛇》での戦闘技術を持った戦士、二つ名を持つ優秀な遊撃士達、導力技術を受け継ぐ天才の孫、エレボニアという軍事大国を統べる王子…。いやぁ、考えればすごいメンバーだよ。まさしく選ばれし者達だね。」

「でも、キミはどうだった? あの中でキミは…、次期女王という【肩書き】以外に誇れるものがあったかい?」

「……やめ…て……ください……。」



「リベルアークに挑んだ時も、自分が彼女達の力になったって本気で思ってる? それぞれスゴイ力を持った彼らと共に居ただけ、一緒に居ただけなんじゃないの? 一緒に居るだけで、本当に役に立ってたって胸を張って言える?」

「もう……、やめて……くだ…さい…。」




「本当は大した事ないくせに、他の実力者に混じって目標を達成したように勘違いして…、それで女王になろうっていうのかい? それで本当に国なんてものを統治できると思っているのかい?
 本当の自分は弱くて、みっともなくて、隠れて怯えるだけの、肩書きだけの人間なんじゃないのかい?」

「もう、やめてください!」



 クローゼは耳を両手でふさぎしゃがみ込む。あふれる涙が止まらない……。
 私には肩書きしかない? 女王になるのもその肩書きがあったから? 自分は、たまたま王家に生まれただけでそんな資格なんて持っていない?

 みんなが居たから頑張れた? エステルさんが居なければ何もできない?

 自然と…、エステル達と出会う前の自分が思い出される。
 あの頃は悩んでいた。女王というものへの不安、葛藤、そういった心が晴れずに、悩み続けていた。
 確かに、彼女達と会ったから自分はそこから抜け出せた。輝いていけた…。



 ───でももう彼女は居ない。旅に出てしまった。

 そして今、あの時の仲間は誰一人としていない。
 あの時のように強く支えてくれた仲間は…、誰も居ないのだ………。


「キミは支えられなければ、そんな程度なんだよ。あのメンバーには不釣合いだったのさ。犬のように付いていっただけ。そんな人間が女王になろうだって? 女王になれるって? ははは、勘違いもここまで来れば喜劇だよ…。ふふふ……あははははは!」

 心がぼろぼろと崩れていく…。
 弱い心の周りに精一杯に張った”自信”というもの。それがエステルや、みんなが居ないだけで崩れる、ただのハリボテだったという事に気付き絶望していく…。
 そうだ、最初から……怖かった。最初から逃げたくて仕方なかった! 自分の立場に怯えていた!



「お婆様みたいな偉大な人が統べる国を、私みたいな肩書きしかない子供が継げるわけがない!! 私は! そんなに優れた人間じゃないっ!!」
 何もかもが、たまらなく怖い。いくら泣いても震えても、そういう立場になり、いやがおうにも期待集めてしまう自分が……どうしようもなく怖かった。その心は声となって叫ばれる。今、それを認識してしまったクローゼには、そうした長く封じ込められていた想いを吐き出す事以外、何もできなかったのだ。


「気づいてなかったんだね。お可哀想に……。」
 …カンパネルラは、やれやれ、と溜息をつくような素振りをし、そんな彼女の姿を見て楽しそうな笑顔を作る。自身の言葉で傷つき、泣き崩れる彼女がいるというのに、まるで、どうでもいい他人事を眺めているような、そんな哀れみの欠片も持たない様子で。

 そして彼は、再び前を向いて一段と大きな声で叫んだ。



「クーデターを阻止し、そしてリベルアーク事件を解決した”主役達”は今このリベールには居ない! キミ達は所詮、【主役に華を添える脇役】なのさ。この戦いだって彼女達がいたら勝てていた。英雄カシウスさえ居ればきっと難なく解決できていた!」


 誰の心にも重いその一言。確かに的を獲た真実…。
 カンパネルラの言葉は誰の心にも深い傷を負わせていく…。


「リシャール元大佐、キミだってカシウスという優れた英雄がいない事をうれいてクーデターを決起したんだろう? ……確かにあれは失敗はしたけれど、それでもやはり、今現在においてもカシウス=ブライトの力が偉大である事は変わりがない。
 だって、クーデターでバラバラになった軍の指揮系統を立て直すのに彼の力が必要だったじゃないか。絆の力で解決とか言うけどさ、…最後には結局、英雄に頼っていたじゃないか。……所詮は、そういう事なのさ。」


 声を投げられたリシャールはもう反応もできない。確かにそうなのだ。クーデターは後悔している、しかし、それでも、今現在においてもカシウスという人物がこの国を支えている事も、どうしようもなく事実であるのだ。エステル君達あのメンバーが揃っていたからこそ、リベルアークの災厄は回避できたのかもしれないのだ。
 だからこそ、それを心から否定する事ができない…。この戦いに彼らがいれば勝てていたという事を。…それもまた真実なのだから…。



「英雄達の活躍! その後世に残るであろう武勇伝は伝説と呼ぶに相応しい。だから敢えて言おう、今繰り広げられるこの物語のタイトルこそ”英雄伝説”さ!
 それは間違いなく”英雄という優れた個人の物語”であって、キミ達のような凡庸ぼんよう極まりない脇役は、せいぜい華を添える事しかできないのが当然! 元々がそういう役割でしかないんだよ!

 主役が居なければ物語は成り立たない。主役がいなければ物語は終らない! 力がないキミ達では、この物語をハッピーエンドにする事はできないんだ。そんな事、当たり前じゃないか」




 カプトゲイエンから響き渡るその声に、誰もが心を闇へと落とす。

 優れた者、物事を動かす力を持った者達、それこそが英雄と呼ばれる者達である。自分はそんな事ができる人間ではない。
 過ちを犯し、怯え、悔やみ、悩み、絶望し…、ただ涙を流すしか出来ない弱い人間。それこそが自分であり、彼の言うただの”脇役程度”であるのだろう。彼らは居ない。今この場において英雄はどこにも居ないのだ。






 沈黙が流れた…。もう誰も反論せず、一言も発せず、ただうつむいていた。
 倒すべき敵は目の前におり、未だ脅威きょういは去っていないというのに、彼らの誰一人として立ち向かえる者はいなかったのである。
 それは無理もない事なのだろう。彼らにはもう、戦う意志は残されていなかった…。


 どうしようもなく、心が折られていたのだから…。




「つまらないなぁ…。主役のいない物語なんてやっぱりこんなものか。仕方ないからそろそろ幕を閉じるとしよう。時間の無駄だし。」

 カンパネルラは心底つまらなそうな表情で、右手の2本の指をパチンと弾いた。すると、空間がさざなみを打ったように揺らぐ。そして虚空こくうより現れたのは一本の杖。彼の身長よりも少しだけ大きいそれは、その天井部に血の様に朱紅あかい宝玉を有していた。


「っ! それは───」
 未だ涙を流しているクローゼだが、その杖には見覚えがあった。それは、あのワイスマン教授が手にしていたもの。間違いなく彼が持っていた杖だ。そしてリベルアーク根源区画において、彼が”輝く環”を封じたように見えた、…あの杖である。

「ああ、キミは知っているんだっけね。その通り、ワイスマン教授が我らが盟主より預かっていた杖さ。僕も今回、ほんの少しだけお借りしてね。」
 その杖を手にしたカンパネルラは、杖の底でカプトゲイエンを軽く叩いた。……すると、動きを止めていたカプトゲイエンが再び光を帯び始める!



【 ─── 補給確認。稼動時間、最大まで回復致しました。大口径集束型レーザーカノン・チャージ完了。命令より12秒で砲撃可能です。 ─── 】


 外部スピーカーがONになっているのか、その機械的な声は周囲に広まる…。
 そして、その内容は驚くべきものであった。


「そんなっ! どうして一瞬で!?」
 顔色が変わったクローゼ。さきほどギルバートが王国軍兵士達にレーザーカノンを初めて撃った際、発射にはとても長い充填時間が必要だという事を耳にしていた。あの時だって、ギルバートが随分苦労していたのだから、それが事実だとわかる。
 だのに、杖で叩いただけで充填完了するというのは合点がてんがいかない。信じられなかった。



「ちょっとズルいような気がするんだけどね。こんな欠陥品でも、これを使えば無限に動けるし、しかも今みたいなフルパワーで撃ちたい放題なんだよ。素敵でしょ?」
 あのレーザーカノンを…、何度でも、”無限に使える”!? それをしたら、そんな事をしたら!!


「まあ、これも借り物だからね、リベールを滅ぼすくらいで止めておくけど。それでもこんな都市くらいは軽いものだよ。」
 カンパネルラはこれまで以上に意地悪くみえた。そして、楽しくて仕方がないとでも言うような心おどる雰囲気をあらわにする。破壊する事を心より喜ぶその少年の冷笑……。その悪鬼の笑いに凄まじい悪寒おかんを感じるというのに、少年から視線を外す事ができない。

 やけにうるさく聞こえるのは自分自身の鼓動こどう。いつの間にか、彼女の背中に冷たい汗が流れていた。



「…確か避難民は港に集まっているんだっけ? じゃあ方向を変えて撃ってみようか。きっと面白い事になるんじゃないかな?」
「あ……あ…………。」
 絶望を感じた。どうしようもない破滅への宣告に、クローゼは言葉を発する事も忘れて呆然とする。目の前の少年は口だけの脅しなどしない。あっさりと、なんでもない事としてやってのけるだろう。
 そしてこちらの反応を見て笑い、攻撃した惨状をながめて笑い、………全てを消滅させてまた笑うのだ。



 こんな──、邪悪な顔で笑う人間というものを、彼女は見たことがない!


 これは人ではない。……悪魔だ。
 ワイスマン教授どころの悪意とは比べようもない、最悪の悪魔なのだ!



 ユリアも、モルガンも、そしてリシャールさえも動けない。この絶対的な悪魔に対し、自分達があまりに無力だという事を感じている。もう、終わりなのだと諦めている。英雄のいないこのリベールは、もう何者の破壊も防げない。それを認めていた。
 カンパネルラに言われた通り、自分は英雄ではない。優れたる者にすがるだけしかできない、弱い人間なのだ。



 ………そんな事は、当たり前なのだから……。



 カプトゲイエンはゆっくりとその方向を変えていく。体を左へと旋回させていく。それは港へ、避難民が集う港への方向へと動いていた。もうすぐ、この王都グランセルは死の大地へと変わる。全ての人々が死に絶え、残るのはこの悪鬼と笑い声のみ…。


「さあ、カプトゲイエン。方向修正が終ったら撃っていいよ。」
 無邪気に響く悪魔の声。それは最後の言葉…。



 ”終わり”の言葉だ。










「───撃つ前に、一つ取引をしましょう。カンパネルラ殿。」




 皆がその声に振り返る! ……そこに居たのは、女王アリシアU世であった。
 先ほどの砲撃でリシャールに退避させられたものの、それから姿が見えないので誰もがその存在を忘れていた。もちろん、気にかけられる状況でもなかった、という事もある。



「ふふ…、皆さん。私の事を忘れているなんて、酷いですね。」
 今までの会話を聞いていたのだろうか? その割には自然であった。先ほど、ギルバートの前に現れたのと同じく、彼女は変わらないまま会話している。…だが、今回は少し違った。温和な雰囲気のその奥に、計り知れない気迫が込められていた。

 敵と対峙たいじする女王。もちろん戦力であるわけがないが、戦わずとも近寄れない威厳いげん、圧倒的な威圧が存在している。誰もが口を出せずにただ彼女の行動を見守った…。間違いなく、この危機を打開できる者、英雄は彼女しかいない。皆がそう感じていたからだ。


「へえ、女王か。確かに今リベールに残っている豪傑ごうけつではあるけど…、取引というのは気になるな。───この僕と、何を取引しようっていうんだい?」
「簡単な話ですよ。要求は2つあります。一つは私とクローディアが人質役を交換する事。彼女を解放し、私をとりこの身としていただきたい。」
 クローゼと人質を変わる。それはリベールの崩壊をさらに加速させるであろう条件だった。

 グランセルが陥落かんらくすれば、リベールの各地、各国は半狂乱となってしまう。どんなに軍が統制とうせいしても、押さえきれない大混乱を呼ぶだろう。それを支え、食い止めるには優れた指導者の姿が必要だ。女王というカリスマなくして、民心の全てをまとめることなどできはしない。

 いまのリベールにおいて、女王アリシアの存在は何があっても欠かせない絶対的なもの。もしクローゼが同じ立場で呼びかけても、同様にはいかないであろう事は目に見えている。王太女というだけで、新人のクローゼには、まだまだ手に余るのが実情だろう。
 だというのに、その彼女が人質に代わる。…それはあまりにも理解できない提案である。


「へぇ…、国を犠牲にしても孫が大切かい? 人の子らしい事だね。」
 あきれた顔をする少年に向かい、女王は逆に呆れた顔で返す。

「……何か勘違いしているようですが、私はね、私以上の者と代わりたい、と申しているのですよ。私ではこの危機は乗り越えられませんからね。素直に負けを認め、実力ある者に任せたいのです。」

 その答えにカンパネルラの表情が動いた。まるで予想もしていなかった答えだと言わんばかりに、彼はみるみるその興味を移していく。


「へぇ……それがこの肩書き王女だと? そうは見えないけど…、なるほどねぇ…。まあいいや。じゃあ聞こう、もう一つの要求はなんだい?」
 その場に居た誰もが女王に視線を向ける。まったく予測できないその交渉に耳を傾けられない者などいなかった。しかし女王はさらに余裕な態度で、そして動じずに次の条件を述べる。



「もう一つは休憩をしようという事です。もう午後3時を過ぎてしまいました。普段ならお茶の時間ですからね。…せっかく皆が揃っているのですから、今日くらいはどうかと」

「お茶…ですと……?!」
 モルガンがその目を飛び出さん限りにして驚く。そしてユリア、リシャール、クローゼまでもがこれまでで一番、いや、これまで歩んできた人生の中で最も驚いた瞬間だった。


 お茶にする!? この壊滅に等しい状態で休憩を入れる!?
 ありえない。あまりにも想像を超えたその提案に誰もが息を飲む。



「………女王…陛下…、どうして──────……」
 ユリアは呟き、モルガン、クローゼもただ戸惑う。そしてリシャールでさえ、痛みも忘れて言葉を失った…。女王のその要求に対して、なんの思考も働かなかったのである。
 しかし、彼の知略家としての頭脳はそれを許さない。彼女が発したその言葉に、どんな思惑おもわくが含まれているのかを深く吟味ぎんみする…。





「休憩を入れる………、休憩…っ! ……くっ、そういう事か! だが……それだけでは…っ!」
 そこでリシャールは気付いた。彼だけが、誰よりも早くその意味を理解した。


 ……これは、言い方が違うだけの単純な時間稼ぎだ。この絶対的苦境を立て直すために時間が欲しい、女王はそれを妙な言いまわしを使っただけなのだ。
 確かにクローディア様を救出し、時間を稼ぎたいのは山々だ。時間があれば体勢を整えられるし、あのカプトゲイエンの攻略法も見出せるかもしれない。

 しかし! しかしだ、敵がこんな条件を承諾するはずがない!


 これは単に敵が一方的に不利になるだけのもの。なのに、ここまで優勢だというのに、それをくつがえす可能性を与える。そんな条件を承諾する意味が無いのだ!! 勝利を目前にして手放す、そんな提案をのむ理屈がどこにあるというのか?

 ……女王陛下、貴方は何をお考えなのですか!? どんな思惑を描いてそんな提案をしたというのですか?!  拒否きょひされる事など当然だというのに!



 知略に優れたリシャールでさえ、その考えの真相を理解する事はできなかった。あの卓越たくえつした才覚を持つ女王がえてそう言った事の真意がわからない。承諾されないはずの要求など、なぜ言い出すのか?
 だから、彼は答えを握るその敵、カンパネルラへと視線を送る。あの尋常じんじょうではない少年、いや、執行者もそう考えるだろう。──そして彼はなんと答えるのか?

 少年は少しの身動きもせず、女王だけに視線を送っている。これまでのやり取りの中で、唯一の真面目な表情、一番真剣に見えた瞬間だった。



「………ふん。僕がその要求を飲むと思うかい? 時間をあげて、体勢を整える間を与える。それで僕に何のメリットがあるというんだい?」
 当然の回答を返すカンパネルラ。しかしその瞳は女王の真意をはかねたように、どこか釈然しゃくぜんとしないものを含めている。リシャールと同様に、あの賢王、名君などと称されるアリシアU世が、なぜこんな提案をしたのか理解できない。そう彼は言っているようにも見える。

 そして女王は、そんなカンパネルラへと、少しおどけたように……こう言った。









「その方が、貴方は面白いのでしょう?」









 絶句───。全ての者が、その瞬間、無になる。その敵、カンパネルラでさえ言葉を失った。




「女王…陛下─────。」
「お婆……様…………。」
 モルガンが、ユリアが、リシャールが、…ただ女王へと視線を向ける。しかし、女王アリシアU世はその交渉相手から視線を外さない。カンパネルラへと送る視線は、”これでどうだ”と言わんばかりの不敵なものである。


 …そう、これは挑発なのだ! 圧倒的優位にある敵に対し、今述べたような惰弱だじゃくな相手にさえ、ほんのわずかな時間を与える事が出来ないのか?と、挑発しているのである。


 これまで女王が登場しなかった理由、それは安全の確保から来るものではなく、事態を把握はあくする事に専念していた事に他ならない。
 皆が心をえぐるような言葉を投げかけられている間、彼女はただ敵の性質を探り、また、どうすれば有利にもっていけるのか? それを読み取っていた。あのやりとりを観察していたのだ。
 そして見抜いた! あの短時間で、最も効果があるであろう言葉を選び、投げかけたのである! それどころか、この普段ではしないような表情でさえも、計算の内であるという事なのだ。


「……これが…、女王アリシアU世……か……。」
 リシャールは心の底から震えた。なんという力を持っているのか……と。






 ────沈黙するカンパネルラ。







 だが、女王の読み通り……………彼は、笑った。




「ふふふふふふ……あはははははははは! すごいや! こいつは一本取られたよ! あははははは! これじゃあ僕は断れないな。…嫌な奴だね、女王! ふふふふ……いいさ、乗せられてあげるよ!」
 カンパネルラの表情に闇が増す。まるで、いままでの少年らしい振る舞いが嘘であったかのように、彼は今、かつてない邪悪さに満ちていた。


「特別サービスで時間もあげよう。日没まででどうかな? まあ、どうせ…そうなるように仕向けるつもりだったんだろうけど。」
「左様ですか。お分かりなら話が早いですね。」
 お互いに、口元は笑っているが目は少しも笑っていない。これが、これこそが女王の真の力なのだ。

 舌戦を制した女王アリシアにとって、これは大きな賭けであった事は言うまでもない。もし失敗していれば自分どころか、クローゼも、そしてグランセルのすべての人々がその命を奪われる事となっただろう。後がない絶対回避不可能なこの状況下で、女王アリシアは敵を出し抜く事に全てを賭けたのだ───。






 カプトゲイエンのハンドアームが捕虜収容ドームへと伸びた。閉鎖されたその空間から、クローゼは外へと開放される。しかしそこに喜びは微塵みじんもない。そこに居たのは、困惑と怯えが同居し、凛々しさの片鱗へんりんさえうかがえない、普段らしからぬ彼女の横顔であった。

 ゆっくりと地上で待つ女王アリシアの、その前に彼女は降ろされる。


「お婆様───っ」
 そして地面に降り立たされたのと同時に、祖母の胸へと飛びこむクローゼ…。
 幼い頃に親を亡くしていても、立派に成長している彼女。常に冷静で、気丈な態度を崩さない優等生然とした彼女。誰からも頼りにされる才女としての彼女。それが外から見たクローゼという人物の姿である。

 ……しかし今この場に居たのは、心を折られ、悲観に暮れる年齢相応の少女であった。あまりに弱く、あまりにもろい、精密なガラス細工のように危うい、ありのままの彼女であった。


 気丈に見えても誰より強いわけではない。皆に頼りにされていても、頼りたい事だってある。特別に優れているわけではなく、卓越した天才でもない。…次期女王である前に、まだ16歳という幼さを持つ少女なのだ。時にはくじけ、時には涙を流して、何が悪いというのだろう?

 だから、誰かに抱きとめて貰いたかった。これまでずっと抱いてきた苦しみや悲しみ、様々に入り混じった気持ちを受け止めてくれる、その祖母の胸に顔を埋める事しか出来なかったのである。それを誰が非難できるというのだろうか?


「クローディア。無事でなによりでした。怪我はありませんか?」
 そして、孫を抱きしめるその姿も女王としての彼女ではない。ただ家族を想うだけの初老の女性である。この危険極まりない戦場において、子を抱きしめるその姿は美しくあり、またその後に待ち受ける運命をうれうなら、あまりに悲しい再会ともいえた。


「さあ、そちらの出した要求通りだよ。これで満足かい? 女王。」
 カンパネルラには感動の再会など興味がない。もちろん待ってやる気も さらさらなかった。譲歩じょうほ……、いや猶予ゆうよを与えてやったのだから、会話さえもさせてやる義理もない。

 その片隅で、ユリアが懐刀ふところがたなを手に体勢を整えている。また、モルガンも傷付いたその身をして、なんとか大剣を手にした。
 タイミングを見計らい、飛び出す準備をする。今ならば女王陛下と共に姫殿下も取り戻せるかもしれない。今こそが大きなチャンスであったからだ。


「お二方共、それはなりません。」
 だが、それを制したのは女王だった。二人が飛び出そうとするのを予想していたように、優しい笑顔のままでその言葉を発した。
「陛下……どうして……。」
 そう、口にするユリアだが、彼女にも、モルガンにも、そして身を起こす事さえ厳しいリシャールさえも、その意味は理解できていた。


「これは取引なのです。」
 女王の普段となんら変わりが無い微笑、それは、それ以上を口にしなくとも行動は許さないのだと告げている。これは取引であり、自身が囚われる事はその代償であるのだ。だから守らなければならない。
 例え、その身が大きな危険に晒されようとも、これだけは守るべき約束事なのである。……そうしなければ、いまここで全滅させられる。そう、決まっているのだ。


「それは……わかっては、いるのです……。ですが──っ」
 ユリアの苦しげな返答、そして言葉無く目を伏せるモルガン、そしてリシャール。
 もちろん、理解はしているのだ。そうしなくてはならない事は頭ではわかっている。ただ悔しかった。このような取引を強いなければならなかった事、それは自分達が至らなかったからなのである。自分達にもっと力があれば、英雄という者のような力があったなら、解決できていた事だったのだから。

「ふぅん、せっかく時間をあげたっていうのに、…今のおイタは気に食わないなぁ。僕は脇役がでしゃばった真似をするのは好きじゃないんだ。やれやれ、せっかく素直に閉じ込めようと思ったけど、やめたよ。……どうせなら、もっと面白くしよう。」
 その行動に気分を害したカンパネルラは、手にした杖を空高く、あまねく大地に陽光を散らす太陽へとかざした。輝きに包まれた杖は、まるでその光を吸収するかのようにきらめきを宿す。それと同時に───。



「っ! 女王陛下!」
「お婆様!」
 彼女の足元がだんだんと白くなっていく。靴から足へ、そして胴へと、またたく間にそれは上がっていった。

「なるほど……、こうきましたか…。」
 石になる。彼女の体が急速に無機質な石の塊へと変化していく。
 杖に眠る強大な力により、肉体が、血液が、その身に宿す全ての細胞が、そして服さえもが石化する! 自然の摂理せつりを大きくじ曲げ、女王の身体はモノ言わぬ石へと化していく。


「捕まえるより、こっちの方が面白そうだ。」
 カンパネルラは女王の申し出を精一杯楽しむ事にした。さらに事態を緊迫させた方が必死になってくれそうだ。ただ捕まえるよりも、もっと面白いだろう…。
 だから、脇役がどう動こうとも石には変えるつもりだった。むしろ、勝手に動いてくれたのだから、ちょうどいいとさえ思っていたのだ。

 どこまでも人を陥れる事を愉快ゆかいと感じる少年。ほくそえむその悪鬼に対し、誰も、何もする事ができなかった。完全に石になるという術に対し、どのような解決策も見出せないでいた。


「これはオーブメントの石化みたいな”体が岩の様になる効果”とはわけが違うよ。まったくの別の仕組みの、完璧な石化だからね。どうやっても元には戻せないだろうね。……僕以外には、だけど。ふふふふふ…。」
 女王の体は急速に変化していく。もう腰から下は完全に石となっていた。恐らく、残り十数秒もしないうちに全身が石と化すだろう。


 今、最も頼れるべき人物は、この物語から強制的に退場する運命を与えられたのだ。



「クローディア、いつまでもこうして抱きとめてあげたいところですが、今は時間がありません。」
 石へと変わりゆく女王は、いとしき孫の肩に手を置くと、いまだ戸惑いと困惑の中にあるクローゼへと優しく、そして厳しくさとした。


「一つだけ答えを探しておきなさい。……”英雄”とは何です? 敵の言葉ではなく、自分でその意味を考えるのです。」
「……英雄の……意味を……考え…る…?」
 女王はそれだけを言うと、もう首まで白くなりつつある顔を傷ついた3人へと向ける。会話するだけでもつらそうな表情に、皆がすがるような目でその言葉を待った。


「──皆さん、また…後で会いましょう。」

 それを最後に、女王は完全な石の像となった。もうその身体は温かみもなく、優しい言葉を話す事もない。そして同時に、地に伏せる者達が最後の希望を託した”英雄”への救いさえも、………むなしくついえた。



「ふふふ……さようなら。最後の英雄。二度と会う事はないだろうけどね。」
 この物語のシナリオライターである少年は微笑みを残し、静かに目を伏せた。そして女王という英雄の退場を心より感謝する。
 残された【脇役】達が演じてくれる”ささやかな抵抗”、これから始まる最高の最後の舞台を期待するその瞳は、喜びに満ちていた。










 ───こうして、戦いは一時中断という形に終った。

 状況は極めて劣勢、そして残された時間はあまりにも短い。
 起死回生の手はなく、……それどころか、心に大きな傷を穿うがたれた者達だけが残された。








 だが、時間だけは容赦なく過ぎていく。
 日没まで約2時間30分。たったそれだけの時間しかない。


 力尽きた者達の苦悩を余所よそに、
 リベールの運命を握る最後の時間だけが、ただ静かに時をきざみ始めた。










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