嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

H 歩く者達の思惑
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(ふぁぁ…よく寝た〜。それにしてもさっきの揺れはすごかったのだ…。でも、ぼくは男の子だから平気なのだ)

 草むらから飛び出した小さな影は、周遊道へと踊り出た。
 くりくりとした黒く幼い瞳は好奇心のカタマリ。クリーム色のふさふさの毛並みに、赤い上着を羽織った姿がとても可愛らしい。それはもちろん行方不明になっていた子犬、ジョセフィーヌである。

 大きな振動が怖くて隠れていたのだが、そうしているうちに睡魔が襲ってきて……いつの間にか眠ってしまったのだ。遊び疲れたせいでもあったのだろう。ジョセフィーヌは大きな欠伸あくびをしてから、眠気を飛ばすようにぶるぶると身震いしてみる。

 するともうすっかり上機嫌で、先ほどの元気を取り戻していた。あの振動にも慣れたのか、もうすっかり怯えは消えている。今は遠くで音がするがもう気にならない。それどころか面白そうだと感じてしまうのは子犬らしい冒険心とでも言うべきだろうか。

 そういえば…、どれくらい寝ていたのだろう? 先ほどまで空のてっぺんにあったお日様が、少しだけ傾き始めている。
 この子には知り得ない事だが、現在の時刻は15:00。あれから…、エルベでの激戦から約1時間強が経過していた。この季節の日暮れは真冬と比べて多少なりとも日が延びている。今の時間の日差しは、そろそろ夜への準備を始めようかという頃合で、まだまだ十分に明るく、心地よい午後といったところである。


(う〜、お腹すいたー)
 さて、そんな中でのジョセフィーヌは上機嫌ながらもすっかりハラペコだった。
 今朝方、お散歩に出かけた時にあの”空と飛ぶシッポ”を見つけたこの子は、遊ぶのに夢中で今日はまだ何も食べてなかったのだ。お散歩後のご飯はとても美味しいのだけれど、あの時はとても忙しかったのである。まだ生後10カ月の遊び盛りにとって、ご飯も大事だが遊びも大事なのだ。

(……しかし、あの兄ちゃんは失礼なのだ)
 ジョセフィーヌは先ほど、”空と飛ぶシッポ”で遊んでいた時の事を思い出していた。そしてとても不愉快な気分になっている。なぜって? それはもちろん───。

(僕がせっかく遊んでたのに、横から入ってきて取ちゃうなんてズルイと思う)

 はたから見ていれば救われたジョセフィーヌではあるが、本人にとっては襲われたとはつゆとも知らない事だったのだから、遊び道具を横取りされたと怒って仕方がない。メルツには可哀想だが、少しも感謝されていないどころか、嫌われているようである。

(失礼だから思いっきり噛んであげたのだ。いい気味なのだ)
 ワニシャークとの攻防、一進一退の戦いをしていたメルツ。助けたどころか、なぜかお尻まで噛まれて悲鳴を上げる事となった。
 当のメルツにしてみれば、あまりに切ない気持ちだったであろう事は想像にかたくない。


 あのお兄ちゃん…、今はどうしているのかな? まだあの”空と飛ぶシッポ”で遊んでいるのだろうか?
 ふと、そんな事を考えたジョセフィーヌではあるが、それよりもお腹がすいた。お腹がすいたものだから、そんな些細ささいな事はどうでもよくなってしまう。

(まあいいやー、おうちに帰ろうっと。お婆ちゃんが待ってるのだー)
 ちょこちょこと尻尾を振りながら道を歩くジョセフィーヌ。向かう先はもちろんグランセル城である。彼の言う”お婆ちゃん”とは当然、女王アリシアU世の事だ。この子犬にとっての一番のご主人様はやっぱり女王様らしい。

 いつものお散歩コースはグランセル城からエルベ離宮への長距離。普通の犬としての散歩とすると少々長いが、ジョセフィーヌはとにかく歩き回るのが大好きなので苦にはならないようだ。
 主に散歩を任されているデュナンからすれば大変な道のりではあるのだが、ペットかわいさと運動不足解消のために頑張っているというわけである。
 だから、ジョセフィーヌはこのエルベ周遊道をよく知っている。もちろん、自分一人で(一匹)でこの道を歩いたのは初めてだけど、道は目をつむっても歩けるくらいよく覚えているし、なにより、この辺りには怖い犬もいないから、ここ全部がジョセフィーヌのなわばり。だから、おおいばりで歩けるのだ。


クンクン……
 いっちょまえに鼻をひくつかせて臭いをぎ取る。すると、おうちであるグランセル城への道筋みちすじに、大好きな臭いを嗅ぎ当てた。

(あー、ちめ様の臭いするー)
 ジョセフィーヌの特に好きな人は3人いる。1番目はもちろん”お婆ちゃん”であるアリシア女王。2番目は”おかっぱ”で、これは一番遊んでくれるから。そして3番目に好きなのがその”ちめ様”であった。
 ちめ様は会う機会が少ないけれど、いつもとても優しくて、遊ぶ時はたくさん遊んでくれるのが嬉しい。だから、3人が遊んでくれる時はとてもシアワセだ。
 しかし、おうちの方向にちめ様の臭いがするのは珍しい。ちめ様はたま〜にしか来ないからだ。でも、今日は来ているみたい…。だったら迷う事は無い。とにかくお腹が空いたので早く帰ってご飯を食べて、それで遊んでもらうのだ。

 道を進んで行くと、やはりあの振動がまた響いてきた。おうちの方へ行くごとに音量が大きくなってくる。あれが居るという事は、さすがのジョセフィーヌでもわかった。

 あれ、というのは山のように大きな鉄の人形みたいなやつで、大きい音を出すとても怖い奴の事。遠目からしか見ていないけど、あまり近寄りたくない奴だ。振動には慣れたけど、あれはやだから好きじゃない。
 もし、もっともっと大きい音を出したら、さっきみたいに隠れる場所を探すのは大変だ。あんまりお友達にはなりたくないタイプなのだ。

 …でもやっぱり、
 ちめ様とお婆ちゃんがいるから帰る事にする。あの大きい音はまだちょっと怖いけど、やっぱり行くのだ。

 そう決めたジョセフィーヌは、てくてくと道を進んでいく。ほんの少しの冒険と、美味しいご飯、それに大好きな人がいる。だから、道草をせずに一生懸命に歩いていく。
 …そうして歩くうちに少しだけ変な事に気がついた。行く道には沢山の木が折れていて、まっすぐ歩く事もできない。時には倒れた木々を登り、大きな穴ぼこを迂回うかいし…、なんとか自分が歩く分には差し支えないけれど、とっても歩きにくいのも確かだ。
 いつもの道なのに、いつもと違う道。あんまり深くは考えられないけれど、やっぱり変だなぁ、と思うのだった。











「────っ、ここは……?!」
 意識を取り戻したクローゼは、飛び跳ねるように身を起した。その天井はにごった空。そして周囲の景色も同じで、そこは半透明のガラスのような材質でおおわれている。どうやら球状の内側のような作りの……狭い空間のようである。
 しかし自身が身を横たえた場所は確かに足場があるというのに、周囲は全て外の風景で覆われている。足はつけているのに、どこか宙に浮いているような不思議な感覚がする。
 クローゼは、自分がとらわれた事を思い出し、あの巨大人形兵器のいづこかに閉じ込められているのだとさとった。


「フフ…お目覚めですか? プリンセス……。」
 振動と共に聞こえてくるスピーカーからの声、それはまぎれもなくギルバートであった。とても落ち着いたその声はどこか暗く、深い悪意をはらんだ不気味さを感じる。


「あなたは──…、ここから出してください! みんなは?! アネラスさんは!?」
 必死に周囲にある壁を叩いてみるものの、低く鈍い音がするだけで大した反応はない。代わりに聞こえてくるのは、機体の振動と妙に落ちついたギルバートの声だけである。

「さあ? 誰がどうなったかなんて知りませんね。なにせ強すぎるものですから、このカプトゲイエンは」
「……カプト──ゲイエン?」
「そうですよ。トロイメライ=カプトゲイエン。リベールに残された古代遺産です。とっておきのね!」
 これまでとは違うギルバートの不気味さに、言い様のない不安を感じたクローゼは、焦燥しょうそうを駆り立てられるように周囲の壁を叩いた。

「くっ──、何処どこへ向かっているんですか! 何をしようというんです?!」
 周囲を探り、出口を見つけようとする。しかし、球状であるそこは人が2〜3人入るであろう程度の広さしかなく、どこへ手をついても、同じような球面を感じるのみ。また、ほんの少しの突起とっきさえも見当たらず、脱出の糸口になりそうなものは何もなかった。完全に閉じ込められているようだ…。

「はっはっは! 無駄だ無駄だぁ! 捕虜ほりょというものは大人しくするものですよ!」
 クローディア王女をつかまえた事、そしてそれがあせりうろたえる様をモニターを通して見た事で、ギルバートはさらに饒舌じょうぜつになっていった。


「ふふん……そこはね、トロイメライ・シリーズで唯一、このカプトゲイエンにのみが持つ捕虜を収容するためのドームなんですよ。…かつての指導者、貴方の祖先に当るセレスト・D・アウスレーゼに組する者を捕獲した時に使ったんだとか」
「………アウスレーゼに組みした者の捕獲…?」
 クローゼの初耳だという反応を面白いと思ったのか、ギルバートは静かに話を続けていく。

「過去、リベルアークでの反乱。それにより貴方の祖先は同士と共に地下施設へと立てもった。しかし…、全員が無事だったなどと思いますか?」
「それは………。」
 過去の事をあまり考えても仕方が無い。それは事実なのだろう。アウスレーゼが導いた道には多くの犠牲者が伴ったのだろう。それくらいの事はクローゼにもわかる。

「その捕獲用ドームにアウスレーゼの子孫が収容される…。セレスト本人は捕まえられなかったにも関わらず、数百年後になって全ての事が終ってから……。ふふふ…、因果なものだと思いませんか?」
「…………………………。」


「まあ、捕虜収容はついでの機能なんですけどね。だって、このカプトゲイエンは元々、《七の至宝セプト=テリオン》の一つ”輝く環”が持つ【絶対防御システム】の試作実験機として作られたんですから。」
「絶対防御システム…?」
 聞き覚えのある言葉、輝く環に使われた…、あの戦いが彼女の脳裏によみがえってくる。

「そうです。…完成まで試行錯誤された絶対防御システム。そのデータを取るために作られた機体でしてね。まあ、結果的にこの機種での方式には問題があったため、採用されなかったようですけど。」
「輝く環の…っ! まさか、ワイスマン教授が使ったあれだというんですか?!」
 クローゼはその事実に驚きを隠せなかった。アネラスさんと自分とで与えた全力攻撃。それがまったく受け付けられなかった事の回答がそこにあったからだ。

 《身喰らう蛇ウロボロス》の一柱、ワイスマン教授が輝く環の力を使って展開した絶対防御…、どんな攻撃も効かなかったあのバリアの事は記憶に新しい。あの時は【執行者・剣帝レオンハルト】の持つ剣によって破壊されはしたが…。

「あれの──…、実験が行われたのがこの機体だとしたら───」
 ただの攻撃が効くはずが無い。あの時だって、自分達ではあの防御壁を破る事ができなかったのだから。


「ふふふふ……もちろん、欠陥けっかんがあったとはいえ、防御システムの形式が違うとはいえ、その防御能力は完全版のそれに劣らない。つまり、誰も僕に敵わないという事さっ! 誰もね!」

 言葉を失ったクローゼの視界に、見慣れた景色が映った。それは───。

「グランセル! まさかこれでグランセルを襲撃しようというんですか!?」
「その通り。誰も倒せない僕がこのままグランセルへと突入。…さて、どうなると思います? 誰が僕を止められると思いますか?」
 ギルバートは4本の腕を振り回し、周遊道の沿道に咲く木々、花々を手当たり次第に破壊していく。

「や、やめて──やめてください……、そんな事は………!」
「お断りしましょう。僕は僕のために進むんですよ。新ギルバートの名は伊達だてじゃない。僕はリベールを破壊し、《身喰らう蛇ウロボロス》で出世するんだ!」
 ギルバートは冷静なようで、高揚こうようという感情に支配されていた。誰もが認めてくれるエリートという存在。それがもう手の届く場所にあるのだから、それを我慢する必要などどこにもない。あと少しの辛抱しんぼうなのだ。

「お婆様…、みんな……。」
 そしてクローゼには、もう願う事しか残されていなかった……。











「伝令! 伝令です!」
 一人の兵士がモルガン将軍の元へとと駆け込んで来る。そして自らが持ち帰った情報を速やかに伝えた。

「敵、巨大人形兵器は周遊道を破壊しつつ、低速にて王都へと侵攻中であります! なお、クローディア姫が捕らえられたとの情報でしたが、姫殿下の姿はありません。敵内部に確保されているものと思われます!」
 モルガン将軍は無言で、その重い腰を上げた。後ろに立つユリア大尉はそれを見てとり、親衛隊各員、そして軍部の兵士達へと命令を下す。

 グランセル王都へ巨大人形兵器が進入。
 待ち受けていたのはモルガン将軍、ユリア大尉の率いる総勢300余名にも及ぶ防衛部隊である。
 敵は超大型人形兵器、トロイメライ=カプトゲイエン。それに対し、王国軍は正面から全兵力を結集して立ち向かうという作戦に出た。

 えて敷地内に踏み込ませる事で同時に攻撃ポイントに誘い込む。戦力の拡散を防ぎ、鉄壁の防御を誇るその人形兵器を集中砲火にて殲滅せんめつ、それがこの布陣ふじんであった。
 単体を撃破するならばこれ以上の作戦は無い。先日のリベルアーク事件の折、このグランセルを襲撃した《身喰らう蛇》との戦闘での失敗は、戦力を分散したことにある。小隊ごとに分散したことで各個撃破されたのがその敗因であった。だからこその一点集中である。
 もちろん、最初に狙うのは敵の移動手段であるキャタピラ。移動力を奪った後、王女を救出、そして破壊する、という流れだ。

 臨時召集にも関わらず、わずか10分で集った兵士達はそれぞれが熟練した力と、統率された動きを習得している。数々の失敗を踏まえた精錬度はかつて保持した戦力の比ではない。

 さらに武装はこれまで以上のものを用意している。導力技術の最先端をゆく銃火器、中には5人がかりで扱う移動式大型導力砲までも用意されている。《身喰らう蛇》による王都襲撃の教訓を生かした戦術強化により、様々な陣形による波状攻撃も可能であった。

 …まるで、軍事国家にも匹敵ひってきするほどの鍛度を持つ事となったリベール王国軍ではあるが、これも度重たびかさなる襲撃による結果と言えよう。もちろん他国へ攻める事などありえない。敵を追い払うだけの力として、人々を守るためにのみ力を振るう…。それは誰もが心に持つ越えることの無い一線である。

 使いたくは無い、振るわなければそれが一番だ。だが、今回のような襲撃にとっては必要な力でもある。敵を押しとどめる。兵士達は皆、それだけの覚悟を決めて立ち向かうと誓っているのだ。


 モルガン将軍は全兵士へと向かい、最後の指令を言い放った。


「よいか! 敵は1機なれどエルベ離宮を壊滅させた悪鬼である! それに、クローディア王女が敵に捕縛されたという情報は先刻伝えたとおりだ。王女救出作戦、ならびに敵の殲滅! ぬかるでないぞっ!」

「「「「「おおおおーーー!!!」」」」」


 敵は王都グランセルの敷地へと侵攻する。激しい振動、耳に響く駆動を唸らせ、真正面からぶつかってきている。兵士達はその姿を見ても怯えず、臆さず、武器と心を構えた。

 信念という心の刃を抱く300という兵士達、対するは絶対防御を誇る《身喰らう蛇》の刺客。
 その全面対決が今、開始された───!




 その最中さなか、グランセル城より一人その戦いを遠目にながめている者がいた。警備兵の制服を身にまとったその男は、城の最上階に位置する空中庭園と呼ばれるその広場にたたずみ、厳しい表情でついに始まったその戦いを観察していた。
 他の誰でもない、アラン=リシャールその人である。

 彼は女王の身辺警護という本来の役目を果たすべく、緊急時の城への常駐じょうちゅう余儀よぎなくされた。もちろん、彼以外にも選りすぐりの親衛隊員も何人か待機しているし、女王の身に何かがあれば即座に応援を呼べるようにされている。
 しかし、リシャールは王都の警備という役割も持っている。持っていながら、モルガン将軍の意向により防衛線への参加を認めてもらえなかったのだ。

「カシウスの決めた事にワシが口を挟むつもりはない。だからこそ、お前は女王警護のみに集中すればいい。」
 そう、モルガンは言い放った。それは正論であり、役割分担の問題として正しい事ではあるのだが、将軍はリシャールを自軍で扱わない、と遠ざけている証でもあった。自分達でなんとかする、だからお前は出てこなくてもよい。そう言っているのだ。

 もちろんそれは、クーデター事件による不信感であり、モルガン将軍がリシャールとの共闘を快く思わないという部分から来ているものだ。
 モルガンにしてみればリシャールの処遇は納得が行くものではなかった。しかし、カシウスが決めた事に反論する気もなかった。しかしだからと言って、許す気も信頼を置くつもりはない。そういう事を明確にしている発言だといえよう。

 リベルアークの事件を経て、確かに大きな事件は収まった。外面上の危機は回避された。しかし、人の心に残るわだかまりというものは、そう簡単にぬぐえるものではない。いまもこのように残り、くすぶり、影を落としているのである。
 …リシャールにとって、それは心苦しい事実ではあったが、仕方が無い事として諦める以外ない。自分は罪人なのだから。許されない事をしたのだから。

「防御を固めた、新たなトロイメライ…か。確かにあの巨体から繰り出される一撃は強力だろうが……。」
 深呼吸をして気持ちを切り替える。そして、先ほど受けた報告による情報と、ここからでも見える敵の影を見比べながら思案した。

 エルベ離宮での戦闘報告を見るに、あれと戦うあらば数で攻めてはダメだと感じる。今、モルガン将軍が行っているあの戦い方は、一見して最適なようだが、最も損害が大きく、また犠牲者が増えてしまうのではないかと考える。
 これは女王宮付けを言い渡された事を根に持っているわけではなく、ましてや将軍に反発していたからそう考えたわけでもない。ただ純粋に戦術家としてのみの視点で捉えた時、あの正面からの数での激突は、あの敵に有効ではない、と考えていたのだ。

 密集した集団は強くもあるが、同時に機動力に劣るというマイナス部分も強い。敵が1機、そして高い攻撃能力を有しているのであれば、正面から当れば削りあいになってしまう。敵の長所に合わせた作戦はリスクが高いものと、あのカシウス=ブライトに身をもって教わった。
 だから、もし自分が指揮するならば、その歩みが鈍足という事を考慮し、機動性を重視した戦略を執るだろう。

 しかし最大の問題はその防御能力にある。エルベでの戦闘では、遊撃士とクローディア王女が連携攻撃を与えたという事だ。遊撃士の名は記憶にないが、クローディア王女は誰もが認める術者である。それをもってしても敵わないのであれば、術の無効というのも事実として認めるべきだろう。…つまり、導力装備にかたよった今の軍装備では決定的な打撃を与えるに至らないのではないか、と推測すいそくできるのだ。


 それにもう一つ、気になる事があった。
 これはまだ予想の段階なのだが…、今回の襲撃は女王の捕獲が目的ではないのではないか? そうも思えてくる。奇襲にしてはあまりにもお粗末そまつだからだ。もちろん確信はないのだが、これまでの敵の行動をかんがみると、それはあまりに──…。

「今回の敵の目的は私ではない、と考えておられるのですか?」
 思案を巡らせていたリシャールに声を掛ける者がいた。それはもちろん…。

「じょ、女王陛下、お部屋においでではなかったのですか?」
 女王アリシアU世は、普段と変らぬ穏やかな笑みを浮かべてリシャールの元へとやってきていた。後ろには女官長のヒルダを控えさせている。
 リシャールはカシウスの命により、女王警護を受け持つ事が許されたものの、女王その人と会う事は避けていた。周囲の反感を買うと共に、自身が会う事の許されるような人物ではない、と考えていたからだ。


「私にも思う所がありましてね。それよりもリシャール殿、貴方は今回の襲撃を不審に思っているのでしょう?」
 リシャールはまとられて驚く。まさか考えている事が見透みすかされているとは思いもしなかったからだ。いや、しかし…、逆に言えば女王もそう思うところがあるという事なのだろうか?

「貴方の意見を聞かせてください。率直に思ったことを、で構いません。」
「い、いえ…。私の推測など陛下にお聞かせするようなものでは……。」
 もちろん、口に出せるような事ではない。陛下が安全だと公言してしまうような物言いをするなど、身辺警護どころか、兵士として有ってはならない。
 しかし女王は、そんなリシャールを笑うでもなく、変わらぬ微笑で言葉を続ける。

「敵の行動については、私も報告書に目を通させていただきました。…その上で私は確証が得たいのです。貴方の思った事が私の予想と同じならば、と考えているのですが……。」
「確証……ですか? それに私の言葉を参考にするなどと…。」
 自分はそんな事を言える人間ではない。みにくく、汚れた魂を持ち、人とその信頼をを裏切るような者だ。それを、確証を得たいなどというのは、まるで自分を…。


「ええ、私は貴方を信頼しているのですから。」
 一点の曇りなく、よどみもないその表情、そして心、それが女王の本心である事は誰も疑う余地の無い言葉。リシャールはかつての罪をいている。しかし女王はそれさえも許し、信頼を寄せているのだ。

「あ………。」
 リシャールは何も声にならず、出せずに、ただ深く頭を下げた。それ以外に感謝を示す行動が見つからなかった。それだけが彼のできる最大の感謝を表すものであったのだから。

「恐れながら、陛下に今回の敵襲撃の要点を申し上げます。もちろんこれは私の予想の範囲であり、確信は持っておりません。」
 まっすぐな瞳で女王を見据えた彼は、迷う事無くその意見を述べた。それが正しいのかは関係が無い。信頼に対する真摯しんしな態度として、それを語るべきと彼は思ったのだ。

 彼の意見はこういうものだった。

 敵が奇襲をかけたのがエルベ離宮であり、クローディア王女は囚われたものの、そこに彼女が現れたのは偶然である事。報告書にはその場に駆けつけた、とある事から、会議に出席した彼女はすでに公務を終えた後に敵が出現したのであり、そこから離れていた彼女は逃げる事も容易だったと推測される事。王女を狙うなら、会議中に狙った方がいいに決まっている。

 そして、デュナン公爵が目的であったならば、犬の散歩中、人通りのない道で狙えばそれで済んだ。なのに、わざわざ巨大兵器を使用している事、さらに襲撃後に彼が無事であるのが確認されている事。それがあまりに不可解なのだ。
 それに別動隊がいないという事もある。混乱に乗じて陛下を狙うのなら、戦力が王都正面に集中している今がチャンスであるはずが、そういった動きが確認できない事…。

「───ですので、以上の事より現状を加味かみした極論を述べるとするならば、今回の敵襲撃は王家の人間を狙っているようで、狙いにむらがある。とにかく、全ての行動に無駄が多すぎるのです。…現在の交戦状況から判断しても……。」

「なるほど…。──敵は人質にしたはずのクローディアを盾に使わない事から見たとしても、私への執着しゅうちゃくが薄い…と。」

 女王は彼の解釈かいしゃくみ込んだ上で、その言葉を付け加えた。そうなのだ、人質にしたはずの王女クローディアは盾に使われていないのである。彼女を使って道を開かせる事も、女王の身柄を要求する事も容易たやすい事なのに…。

 リシャールは自らの考えを終えると、女王の発言を待った。陛下が今の言葉に何を思い、どんな思惑を描いたのか。
 あのクーデターを起した自分が愚かだったのは言うまでもない事ではあるが、もう一つ見誤っていた事がある。それは、この女王アリシアU世の類稀たぐいまれなる知略であった。最近では外交手腕が取りざたされてはいるが、それは彼女の見えている部分にすぎない。改めて見る女王の采配は感嘆かんたん、鮮やかの一言に尽きる。

 今にして思えば、この方の存在がこれほどまでに卓越たくえつしたものであるとは……。あの時の自分はどこまで目がくもっていたというのか…。
 そんな時、少し思案していた女王は、こんな事を言った。


「もう一つ確認したい事があります。今回のあの巨大兵器に乗って攻撃を仕掛けているのは、先の王立学園襲撃事件で首謀者であったギルバートという青年だという事ですが、その情報は正確でしょうか?」

「……は、王立学園の事件…ですか? はい、確かにあの事件の報告書なら私も目を通しましたし…、今回の襲撃においてのパイロットがその様に名乗った事は確認されております。ただ、その人物個人についての詳細は、……存じません。申し訳ありません。」
 同じ人物である事。さすがのリシャールもその点については考えが及ばなかった。敵の能力をまず分析するあまり、そういった部分への考慮が抜け落ちていた事は否めない。

「なるほど、話は判りました。では、もう一人に話を聞いてくる必要がありますね。」
「は? 話を…ですか? 誰に聞くと…? もしや陛下は…何か…知っておられるという事ですか?」
 何かはわからない。しかし女王は自分の知り得ない”何か”を知っているのだと感じた。今回の事件について、個人的に何かを掴んでいるのではないか? そういうニュアンスを受け取らざるを得ない。
 そう思案するリシャールに、女王はさらに驚く事を口にした。

「では、出掛けるかけるとしましょう。リシャール警備長、随伴ずいはん願います。」

 ……………っ! 今、なんと言われたのか? 出掛ける? この戦火の広がるグランセルを出歩く!?

「この戦火に見舞われるグランセルに出るというのですか!? 十分な護衛も揃えられないまま、そうまでして、その何者かに話を聞きに行かれると…?」
「護衛は貴方だけで構いません。それに、私が動く事でより多くの者を救う事ができるというのであれば、そうするべきです。守られているだけで解決する平和など有り得ません。必要であれば、行動する事もまた女王の勤めでしょう。」

「し、しかし…」
 そんな事、そんな事は出来るはずがない。許せるはずが無い。

 力ずくでも止める事はできた。しばり付けてでもこの場に留める事も出来たかもしれない。しかし、それを前にしたならば、如何いかなる者でさえ逆らう事など出来ようはずも無い。

「行きましょう。時間がありません。」
 この女王、アリシアU世という者が持つ威厳いげんという存在感、有無を言わさぬ迫力…、それをさえぎる者など、このリベールには存在しない。リシャールはその毅然きぜんとした姿にうろたえながら返答するしか出来なかった。例えあのカシウス=ブライトであろうと、反論の余地よちを残さないであろう。


「───は………、はっ! お供させていただきます。」
 アリシア女王は、リシャールを共にグランセル城を後にした……。カプトゲイエンの侵攻を止めるため、多くの人々を救うために。女王だけが知る、あの人物に話を聞きに行くために…。











(た、たた、大変なのだ。大変なのだ! みんないっぱいヤラレちゃったのだ!)

 王都へとたどり着いていたジョセフィーヌは、その目であの巨大な影と、兵士達とが戦う姿を目にした。初めて見るそれが、戦闘だという事を知らなかったジョセフィーヌは、興味本位でそれを見ているうちに、倒れた兵士達の表情が苦痛に満ちている事を感じ取っていた。
 それが、戦闘というもので、命のやり取りをするものだという事は、誰に聞くでもなく、彼の獣としての本能が教えてくれた。

 生まれてから初めて見る戦闘というもの。それがあんなにも激しく、傷付き、身を削るものだと知った。とても怖い事だと知った。
 だから、ジョセフィーヌは急いだ。お城に居るお婆ちゃんに知らせないといけない。このままだと、あの悪い大きい奴に…、緑髪のお姉さんも、白いヒゲのおじちゃんも、優しくしてくれた兵士のおじさん達も、みんなみんなヤラレちゃう!!

(急げ、急げ! 早く早く!)
 戦場となっている南区、その入口付近を迂回し西区へ、ニオイと記憶をだけを辿ってグランセル城へと走るジョセフィーヌ。小さな足を一生懸命に動かし、大きな瞳に力を込めて全速力で進んでいく。

 具体的に会ったらどうしようとか、そんな事はわからない。内容が伝わるとか、伝わらないとか、そんな事もわからない。…だけど、一生懸命に走ってお婆ちゃんに会う、それでなんとかなると思った。

 だから、今までで一番頑張った。お散歩の時よりも、ちめ様と走り回った時よりも、たくさんたくさん、頑張ったのだ。
 僕はみんなが大好きなのだ。だから、あの大きいのが暴力を振るって、お婆ちゃんを、おかっぱを、ちめ様をいじめるのは絶対に嫌なのだ。


 ただの犬、それも生まれて10カ月の子犬。
 それはちっぽけな存在だ。吹けば消し飛ぶような小さな小さな存在。しかし、彼もまた身近な者達を愛し、この土地に生きる命である。なりは小さくとも立派にリベールという国の一員なのであった。


 街に人がいない事など気がつかず、振動でまともに歩けない事さえ気に留めず、ただ真っ直ぐに走っていく。いつもなら出歩くだけでその全てが楽しい街を、わき目も振らず、今はただ全力で走る…。
 すると、路地を曲がったところで人影を目にした。もちろん、止まる必要なんてないはずだった、無視して先を急げばよかったのだ。
 しかしそこで、ジョセフィーヌはそれと出会ってしまった───。


「へぇ、こんな所に王家の犬がいるなんてね。逃げるついでに見捨てられたのかなぁ?」
 全身紫色のスーツに、緑色の髪をもつ妙な色彩のファッション。いつも笑顔を保っている少年…。ワイスマン教授の《福音計画》の監視者として、また執行者ナンバー0、《道化師》の異名を持つ者…。

 カンパネルラは一人、誰もいない街を悠々と出歩いていた。

「まあ、キミは王家の者といってもアウスレーゼじゃないから、殺さないけどね。あははは……。」
 子犬相手にふざけた対応をする彼。独り言とも言えるその態度。他から見れば、とんだ戯言ざれごとだと思うだろう。

 しかしジョセフィーヌにはそうではなかった───、
 幼くとも、知恵はなくとも、獣という瞳を通して見た目の前のそれは、そんな奇抜な服を着ただけの少年には見えなかった。……いや、獣だからこそ、気がついてしまったのである。


(な ん だ… コ レ は ?)

 おかしかった。間違っていた。人に見えているのに、人とは違うモノが目に映った。
 とてつもない異常な危険を発する、明らかに違うモノ。

 それは本能の底から来る警鐘、鳴り止まない狂気の意志。
 関わってはいけない! すぐにでも逃げなければならない!

 彼は見たのだ。初めて目にしたのだ。

 バケモノというものを───。




「さて、どうしようかな。せっかく見つけたんだし───?」
 嫌な微笑を浮かべ、それが近づいてくる。こちらへと近づいてくる! 震えが止らず、逃げる事もおぼつかない。どんなに念じても、どんなに恐ろしくても、足が動かないのだ。

(怖い…! 怖いよ! お婆ちゃん! ちめ様!!)
 ジョセフィーヌはただ、道端に置かれた意志なき人形の様に、硬直する事しか許されなかった──。











「ナイアル先輩〜! 待ってくださいよぉ〜!」
「あ〜もう、取材だ取材! 戦場なんだからな、怪我じゃすまないんだぞ?!」

 かなり…どころか、とても危険な場所への取材。無事に帰れないどころか、命を落すかもしれない。なにせ、あんな巨大な人形兵器など見たことがないのだから。
 しかし、戦場の真実は伝えなければならない。新聞記者の魂を振るわせたナイアルは、後ろから追いかけてくるドロシーを振り払おうとする。

「行かないで〜 行かないでください〜!」
「ああ、もう付いてくるな! いいかドロシー、俺に何かあったらリベール通信はお前に任せる。俺はな、俺は西区の禁煙活動で……俺の喫煙場所がどこにも無くなっちまったんだ。もう死ぬしかねぇ!」
 ナイアルはしょーもない事で泣きそうになりながらも、世間的な禁煙の波が悲しくて泣いていた。

「先輩、違うんです! 違うんですよぉ〜。」
「何がだ?」
「カメラ〜、ポチ君を返してく〜だーさーい〜!」
 やっと追いついたドロシーはナイアルの手にしているオーバルカメラを指差した。それはドロシーが初任給の全てをつぎ込んで購入した最新式カメラである。これを持っていかれたら、ドロシーはただのオトボケ娘な上に仕事も出来なくなってしまう。それはもう……救いようがない。

「わぁ〜い。ポチ君おかえりー。」
「なんだよ…、そっちかよ……。」
 ドロシーにカメラを取り返され、ナイアルは溜息をついてタバコに火をつけた。息一杯に吸い込み、吐き出された煙はどこか疲れた彼の表情のように力ない。これでも少々、傷ついている。てっきり先輩の危険を見過ごせないのかと思った。…っていうか、俺はカメラ以下かよ…。

「でも〜、取材どころか出歩くのも禁止って、兵士さん達が言ってましたよぉ?」
 ドロシーは周囲を見渡し、誰も歩いていない事を改めて確認する。そうなのだ。今は敵の襲撃による避難勧告の発令がされ、市民は全て港へ退避しているのである。ナイアルを含むリベール通信の記者達も一度は避難したのだが、彼だけが一人抜け出し取材へ行こうとした。そこで、手持ちのカメラが無かったため、ドロシーのものを拝借した、というわけだ。

「いいじゃねぇかよ、ケチくさい。それしかカメラがねぇんだし、それにお前を連れて行ってケガでもされたら、新人は大事に扱えって編集長にどやされるだろうが。」

「でも〜ポチ君は貸しませーん。それにポチ君は私と一緒じゃないと機嫌悪いんですよ〜」
「あー、くそ。わかったよ! じゃあ本社に戻って別のを取ってくるから、お前は港に戻ってろよ。それでいいな?」
「えー、それも嫌ですよ〜」
 ドロシーがふてくされてほおふくらませた。こういう時の彼女が口にするのはただ一つ。


「連れてってくださいよ〜、ポチ君もいい写真撮りたいって言ってますしー。」
 満面の笑顔でそう答えるドロシーにナイアルは軽く舌打ちして答えるしかなかった。
「まっったく…、お前はやっかいな奴だな。」
 こんなやり取りを何度した事だろう? こう見えてもドロシーは新聞記者なのだ。自分とスタイルは違えど、その取材魂というものは確かに持っているのである。怖いもの知らずで、行く先々で危ない目に遭うことも度々あるが、なぜか必ず悪い結果に終ったことがない。
 これが奇跡だの、悪運などと言ったところで、記事にはならない。ただ決まっているのは、何を言ってももう帰らない、という事だろう。

「わかったよ、じゃあもう仕方ねぇからな、とっとと出掛けるぞ。今の戦闘は南地区で行われているそうだから、このまま西区を通って迂回し、南へ抜けるぞ。」
「あれー、なにあれ?」
 そんなナイアルの話をさっぱり聞いてないドロシーは、通りの向こうに妙な光景を見た。こちらへ向かって走ってくる子犬、そしてその後ろを悠然とした歩調で追う紫色のスーツを着た少年であった。子犬はこちらを見つけると、ドロシー目掛けて凄い勢いで飛び込んでくる。

「ひゃあぁ!」
 危うくカメラを落しそうになったドロシーはしっかりとその子犬を抱きしめる事となった。子犬はなぜかとても震えており、彼女の腕の中で丸くなっていた。小さくて、まだ幼い子犬はどこかで見た事のある赤の上着を身に着けている。

「あー、すまないね。急にそれが走りだしちゃってさ。追いかけてたんだよ。」
 奇抜な色彩の服装をした少年は甘楽かんらと笑いながら、こちらへと近づいて来た。片手をポケットにつっこみ、軽く手を上げて挨拶あいさつをする余裕の態度。ナイアルもドロシーも見た事がない少年ではあったが、避難勧告の出ている街中でずいぶんとくつろいているものだと思った。

「おい、避難勧告が出てるんだぞ。それともこんな時に、一方的に犬で遊んでたってか?」
 ナイアルはぶっきらぼうに口を出す。この子犬がこれだけ震えてるところをみると、きっと虐めていたのだろう。王都にもそんなガキが増えたという話題は、先日紙面でも小さく取り上げたばかりだ。

 すると少年は、肩をすくめて心外そうな表情をする。

「いやぁ、僕はただ飼い主のところへ連れて行こうかと思っただけさ。虐待なんてしちゃいないよ。」
「そおかぁ? こいつを見てると、俺にはそう見えねぇけどな。」
 子犬の震え方は尋常ではなかった。目で見て振動がわかるほどガクガクと震えるなど、人間でもないのに、こんな怯え方はいくらなんでも異常である。これを見れば、誰であろうとわからないはずが無い。
 外傷がないにしろ、ナイアルはそういう陰湿な事は大嫌いである。どこのガキかは知らないが、大人として一言キツく言ってやらねばならない。

「お前な! ウソつくの───」

ピロロロロ… ピロロロ…
 ちょうどその時、少年の胸元で妙な機械音が鳴った。彼はその話を聞いていないかのようにそれを取り出し、耳元に当てる。

「ああ、もしもし───ああ、そう。────そうだね、了解だ。じゃあよろしく頼むよ。」
 ナイアルもドロシーも彼がその機械に向かって独り言を口にしているのを不審に思った。何をしているのかさっぱりである。
 手短に用件を終えた少年は、上機嫌な様子で機械を元の位置にしまうと、こちらに笑顔を向けた。

「さて、どうやら時間みたいだ。悪いけど失礼するよ。それよりも、僕の代わりに飼い主に届けてくれないかな、それ。」
 それ、とは、もちろん震え続けるジョセフィーヌである。少年はそのままきびすを返し、元来た道を戻っていく。何かとても楽しみな口ぶりで歩いていく…。

「おい! こいつの飼い主って誰だよ? それにお前、何者なんだ?」
 ナイアルの記者根性…、というものだろうか、なんとなく気になりツッコんだ聞き方をしてみた。しかし、彼は特に気にした様子もなく、首だけをこちらへ向け、微笑を浮かべて答えた。

「そうだね、僕は今回の……シナリオライターって所かな。リベール通信記者、ナイアル=バーンズ君」
「な、なんで俺の名を───」
 突然名前を言い当てられ、動揺するナイアルだが、尚も食い下がろうと声を出す。しかし少年は今度は振り向かず、手だけをひらひらとさせて、さよならをした。

「……あー、ナイアル先輩。」
「ったく…、なんなんだアイツ。ん? どうした?」
 ドロシーは子犬の胸元についたプレートを見て驚いた。そこに書かれていた連絡先はあまりにも意外な場所だったからだ。住所【グランセル城】、飼主【アリシア=フォン=アウスレーゼ】…。

「どこかで見たことあると思ったら〜、この子、女王様の犬ですよぉ。」
 ナイアルが目を丸くして驚いたのは言うまでも無い。











 ユリア=シュバルツはさらに、さらに加速する。細身の剣を使う彼女が最も得意とするのは高速戦闘。しかしその上の速度へと加速し、限界を超えた神速へと達した。もう、誰の視覚でさえもその身を捉える事は至難だろう。
 これは、親衛隊副隊長を名乗る彼女が誇る最大奥義への昇華である。

 彼女の駆け抜けた道筋には三角形の陣が浮かぶ。それは虚空こくうへ、蒼いほのおを描いて舞い上がる。凄まじい剣閃と神速により形成された領域テリトリーが示すものは、彼女が持つ最強クラフト発動の証。

「我があるじと義のために────」
 ユリアが放つ最大攻撃の対象は鋼鉄の魔神。三つの角を起点として形成された陣は、その威力を範囲限定する事で破砕集約率を最大限に発揮させる。それが奥義と呼ばれる程の威力を持つこの技の力。まさしく、敵を殲滅させるための一撃!

「覚悟っ!」
 破壊力が限定された三角陣、その範囲には光が立ち登り、三角錐さんかくすいとなって空へと伸びる。この空間に存在するどんな敵、どんな相手であろうと、きらめき押し寄せる破壊の洗礼に、屈しないモノなどありはしない───。


「チェストォォ!」
 気合と共に叫ばれ、放たれた技の名はトリニティクライス。光ぜるそれは、極大の爆裂とともに完成した。閉ざされた陣に在るものを完全に無力化する、まさしく”奥義”と呼ばれるべき秘技である。

「これで……どうだ!」
 轟という爆裂は幾重いくえにもまたたき、衝撃は悪鬼の全体を多い尽くしていく!
 手加減など一切ない、全身全霊の一撃は完璧に決まった。

 味方でさえも震え上がらせる程の轟音、そして光点が収まっていく。強めの風が破壊と共に生じた土埃つちぼこりが舞い、巨神の姿をおおい隠していく。


 そして一瞬の静寂せいじゃく───。


 グランセル武術大会でも優秀な成績を収め、また、親衛隊を束ねる実力者ユリア=シュバルツ大尉。その剣の技は、剣聖カシウス=ブライトにさえ認められている。文句無く、リベールでも5指に入る使い手といえよう。
 その彼女の放った技は、所有する中でも最大、最強と云われる奥義。敵は巨体とはいえ、これをまともに食らったのだ。言葉を挟む余地などなく完全な破砕をもたらすであろう一撃を与えたのである。

 だが──、沈黙を破り繰り出されるのは金属の豪腕、ユリアは大きく飛びのいてこれを避けた。これだけの攻撃を繰り出してもなお、その鎧にはさしたるダメージを与えられずにいた。

「くっ…、化物め! あのタイミングで発動させた完璧なトリニティクライスだというのに…、これほどの強度が有り得るのか?!」
 王都グランセルの南区、噴水近くで繰り広げられるユリアと巨神の大攻防戦。

 あれほどの数で立ち向かったにも関わらず、その他全ての兵士達は遥か後方にいる。力尽き、倒れてグランセル入口付近にその身を横たえている。そして通じる事がなかった銃器や導力砲の数々が散乱していた…。
 つまり、いまこの場で力を残しているのは、ユリア=シュバルツたった一人。あれだけの数で、あれだけの物量で立ち向かったにも関わらず、……残っているのは彼女だけしかいなかった。敵である王国軍兵士達を殲滅し、先を進むカプトゲイエンに対して喰らい付いてこれたのは、ユリア一人しかいなかったのである。

 圧倒的な強度、それに加えたアーツ攻撃への絶対的な耐性。
 これを倒すために、これだけの兵士を投入して尚、足止めがやっとという状況。

 トロイメライとユリアだけが戦場に居る。今や遠く見える兵士達から聞こえるのはうめき声のみ…。周囲には誰もいない。もう誰も、自分以外には止められる者がいないのだ。引くことも、倒す事もできないユリアにとって、次の一手をどうすべきかを考える余裕は無い。
 ユリアの額に流れる汗がこのかんばしくない状況を色濃く示していた。全ての攻撃が通用しない今、彼女にはもう打つ手が残されていないのである。

 右手に持つ細剣「カレードウルフ」にもかなりの負担をかけていた。これは岩をも貫くとわれた伝説の名剣で、先のリベルアーク事件の最中に入手されたものだ。それだけに一般的に出回っている剣とは、その強さも強度も比べ物にならない。並みの相手であれば、一撃の元に倒せる程の代物である。

 ……が、これだけの強度を持つ相手に20分以上も攻撃を仕掛けているのだ。いつ折れてもおかしくないだろう。そもそも、細身の剣というものは、対人戦闘に適した武器である。このように固い相手との戦いには圧倒的に不向きなのだ。
 あと一度か二度か、トリニティクライスを放つことに耐えられるのかどうかは怪しいものだ。
 そんな状況下で、ユリアはカプトゲイエンから目をそらさず、口元だけを苦々しく歪め、笑みを浮かべた。

「……まったく、私は今まで何をやっていたというんだ。陛下の言われた”有り得ない状況”が目の前に在るというのに…、アルセイユの事ばかりを気にかけて…。」
 彼女の口から出たのは自嘲じちょう。自身が信じて疑わなかったものは、今この場においてなんの役にも立っていない。その事への後悔が笑みとなってあらわれていた。

 アルセイユを使い制空権を得たとして、この敵に何の意味があるというのだろう? この敵のように地を這う相手に対し、アルセイユはあまりに無力だ。しかも上空からの攻撃を仕掛けようにも、アルセイユの主砲は導力砲、この相手には通用しない。
 もちろん主砲以外にも炸裂弾の装備はあるが…、まだ人の残っているかもしれない街中で使う事など、できようはずがない。自らで街を焼く事など、出来るはずもなかった。
 この戦いにおいて、自身が絶対の信頼を置いていたはずのアルセイユは無力。そして私はこういう時の対処を失念していたのだ。陛下の言う、出来る事、出来ない事の把握をする事こそが何より大切だったというのに。

 それが泣き言だという事はわかっている。後悔したところで、何にもならないという事も理解している。しかし、もう全てが手遅れであった。

 唯一救いは、敵パイロットが狡猾こうかつではないところだろうか。

 クローゼを人質に取りながら、それを盾とせずに兵士達との正面衝突を挑んできた。裏返せばそれは絶対に倒されないという自信の表れだと言えるのだが…。
 さきほどまで聞こえたパイロットの声からは、何か手柄を急ぐ兵士のような印象を受けた。若くして多くの部下を抱える彼女にはそうした行動を取る兵士を目にした事がある。この敵パイロットもそれと同じような印象を持っていた。
 だからとて、状況が変るわけではないのだが、…それが少しひっかかっているのも確かだった。

 だが、今はそれを気にかけている場合ではない。この足止めがいつまで続けられるかわからないが、続けなくてはならない。この身がどうなろうと、この先へ進ませる事は許されないのだから……。





「くっ、このワシがこれほど老いたという事なのか、ユリア一人に任せる事になろうとはっ!」
 モルガン将軍は、すでに立つ事すら覚束おぼつかないという不甲斐ふがいない自身に歯噛はがみしながらも、未だ戦いを続けるユリアへと視線を注いでいた。
 昔ならば、この程度で力尽きる事はなかった。自身はこれほどおとろえたのか、と思い知らされてしまう。
 しかし、それよりも、そんな事よりも考えが甘かったと思い知らされる。自身の立てた作戦は浅はかだったと言わざるをえない。

 エルベでの戦いの分析をしたつもりで、その上での集中砲火であった。しかしこの有様はなんだ? 導力に頼った結果、なんの効果も上げられずに全滅させられた。

「正面に陣取った我々が……あのレーザーカノンでまとめて…、一網打尽とは……。」
 カプトゲイエンの最大最強兵器、2門同時に発射する【大口径集束型レーザーカノン】により部隊は壊滅させられてしまった。密集していた事で逃げることも出来ず、大半の兵士達がその身を焼かれる事を余儀なくされてしまったのだ。

 明らかに、作戦ミスである。
 モルガン将軍自身の戦歴、経験をアテにし過ぎたばかりに、兵士達を犠牲にする事となった。

 自分さえもっと多角的に物事を見据えられたならば、こんな不手際は起こさなかった……。古い戦場ばかりに固執こしつした自分が戦局を危機におとしいれた。
 それに気がついた時、彼の中に渦巻く感情が噴出ふきだして来た。それは、彼が心の底で抱いていた、語る事のなかった想いであった…。

「フフ…、なにが…退陣して、若者に任せる事が怖い…だ? 自分が居ないせいで過ちを犯したら、だ?」

 女王宮でのお茶会の席で、自分が退陣し、若者に後を任せる事を彼は嫌った。自分が指揮を執っていればクーデターのような過ちを起さずに済むと思っていた。
 しかし、それは違った。根拠こんきょの無い妄想からモルガンは逃げていただけなのだ。

 そう、自分が居れば上手くいくはず。長い間、軍を支えて来た自分さえ居れば、それが最良であるというのは妄想だったのだ。現に、私が指揮を執ろうとも、なんの打開すらでないではないか? 見るも無残に全滅させられているではないか。


 ───ああ、そうだ。あの時もそうだった。
 あの忌まわしき百日戦役でさえ、カシウスに頼らなければならなかった。そして彼の妻を、そして多くの人々を犠牲にする事で、辛くも勝利を得たのだ。

 エレボニアの襲撃に対し、私の命令が迅速ならば、初動が早ければ、ラヴェンヌやボースを戦火に焼くこともなかった。
 そして先日のリベルアークの時でさえそうだ。自分はただ待つことしか出来なかった! 地上から彼らの戦いの無事を祈るだけで自分は何もできなかったのだ。

 あの事件を解決したのは、自分が不満を当てつけるだけの相手でしかなかった遊撃士であり、カシウスの子供達である。
 私は将軍と言われながら、結局は何もできず、その多くを任せきりにした。


 これのなにが将軍だというのか? 何のための将軍だというのか?
 私は大事な局面でいつも他人任せだ。そして私自身は…、何も救えていない──。



 齢を重ねただけで偉くなったと思い込み、戦線を経験した事でなんでも出来ると信じていた。……しかし違う! 偉くなったのは肩書きだけで、私はリベールを守る事など一度もしていない…。



「私は何も、守る事などしていないではないか……。」

 この状況を作り出してしまった事に、
 守っているつもりで何も守れていない事に、
 老いただけで実を得ていない自分に…。


 彼はただ、震えていた。











「くそっ! 見えない! 僕には無理なのかっ!?」
 敵の姿が捉えられない。さきほどの老紳士と同じように、この女兵士の攻撃が自分には見えなかった。ギルバートは鉄壁の鎧を身にまとっているものの、その胸中は少しも穏やかではない。

 攻撃しても当らず、かすりもせず、何度も何度も衝撃を加えられる。王都を攻めているのは自分だというのに、逆にただ一方的に攻められ、為すがまま…。これではまるで…。
 ギルバートは昔の、学園時代に虐められた時のように、ロッカーに閉じ込められて周りから叩かれた時の事を思い出す。あんな事を思い出させるのだ。あれは本当に嫌だった。怖かった。

 しかし、僕はそれでも負けなかった! 学園を主席で卒業したし、ルーアン市長ダルモアの秘書にもなれた。劣等生達なんかよりも、遥かに上の事ができる人間なんだ。僕に無理なんてあるものか! 不可能などあるものか! 僕は誰にも劣ってなどいない!!

「僕が優れた者である事を…、僕がエリートである事を! 証明するために! 認められるために!」
 必死に戦っていた。敵と、自分と。
 たった一人でも勝てる事を、たった一人でも出来る事を知らしめる。それが、それだけが望みだったのだ。

 しかし、現実は過酷だった。
 カプトゲイエンのエネルギー残量、それは限りなくゼロに近い……。
 この巨体は、残り10分もせずに動かなくなるのだ。


 そう、このカプトゲイエンが輝く環の防御システムとして実戦配備されなかった理由、琥耀珠こようじゅによる防御方式が採用されなかった理由、完全防御を持ちながら破棄はきされ、掘削くっさく用に成り下がった理由……、それはエネルギー効率の悪さに他ならない。つまり、燃費ねんぴが悪すぎたのだ。

 フル充電から約3時間強。防御に対する消費に莫大なエネルギーを必要とするため、それしか動けないのである。しかも出力を抑えたとはいえ、ツイン・レーザーカノンを一度撃ってしまった事で、たった2時間すらも活動維持できないという事態に陥ってしまった。

 だから、もう残り数分で活動が停止する。負けが確定してしまうのである!
 ギルバート自身もレーザーカノンを撃って、初めてこの悪夢に気がついた。…まさかそんな事態になっているなど、想像もしなかったのだ…。

 《身喰らう蛇》がグランセル襲撃にこの機体を使わなかった理由は、活動時間が短すぎるからであり、進軍するにもデカくて邪魔だから、そういう事だったのだ…。
 いくら強力でも所詮は失敗作。機動性のある執行者がいるならば、こんな程度のモノを持ち出す意味が無かったのである。(完全防御を得るために、無駄に巨大でなければならないのも失敗の理由である)


 別に、ギルバートが初めてこれを見つけたわけではなく、周遊道に3つ存在する石碑のうち2つからは、すでに実験用として同タイプのカプトゲイエンが持ち出されている。ギルバートはそれを知らずに、自分で発見したと喜んでいただけ…。

 それすらも知らされず遊ばれていた。それだけの話だったのだ…。
 最初から、彼の勝利など用意されてはいなかったのである。



「くそっ! こいつ! こいつっ!!」
 外部スピーカーはすでにスイッチを切ってあるため声は漏れていない。しかし、その涙交じりの声はクローゼのいる捕虜収容ドームにも届いていた。
 クローゼは彼の独り言を聞いていくうちに、状況が呑み込めてきている。彼の野望がもうすぐついえる事、グランセルの危機がもうすぐ終る事…。それがわかったのだった。


「───もう、やめましょう。きっと最後までやってもユリアさんは倒せません。貴方は負けたんです。」
 敵ではあったが、彼のすすり泣く声を聞いていると、どうしても、心から憎い相手とは思えなくなってしまうクローゼ…。あわれみはしなかったが、彼がたばかられたという事はなんとなくわかったからだろう。
 さいわい、レーザーカノンの出力を抑えた事で死者は出ていないようだ。ちゃんと罪をつぐなえばやり直す事ができるはず…。きっと出来るはずだ。

 こんな自分を甘いと思う。女王であるならば、時には法に従い、残酷ざんこくな決断をしなければならない時もあるのだ。悪人に対し、毅然きぜんとした態度でのぞまなければならないはずなのだ。


 お婆様なら、こんな時どうしただろう?


 私のように悩むことなく、彼の行った行為を厳粛げんしゅくに処罰するのだろうか?
 それとも、心優しくいさめるのだろうか?
 そうではなく、もっと別の方法で解決するのだろうか?

 自分はまだ王太女、女王見習いという立場にある。だからといって安穏あんのんとしているわけにはいかない。一刻でも早く、あの偉大な女王のようにならなければいけないのだ。
 なのに、謀られた罪人を前にして躊躇ちゅうちょしている自分がいる。こんな事ではいけないはずなのに、その答えが見つからない。
 ギルバートが足掻あがくその姿を見て、クローゼはそれが今の自分の写し身であるかのような錯覚さっかくとらわれた。



「まだだ! 僕はまだ出来る! まだ終らないんだ!」


【──── 搭乗者に再度警告致します。当機体の稼動限界EP、残り7200を切りました。速やかに補給するよう願います。また、充填が行われない場合、完全に機能停止するまでの実時間は5分です。繰り返し警告致します。当機体の稼動限界EP、残り───】


 エネルギー残量、稼働時間にして約5分。彼の健闘も虚しく、その戦いは終りへの秒読みを開始する。クローゼはただ、その時を待つしかなかった。それと共に、その必死な姿に彼の身を案じ、戦う者、戦った者達の身を案じ、……そして、自分自身が受け止める責任の重さを案じた。



「くっ、剣が……折れるっ!」
 神速のユリアの一撃、その最大威力を叩き込み続けた結果、レイピアという細身の剣はその負荷に耐えられなかった。岩をも砕くという伝説の名剣と云われた「カレードウルフ」でさえ、この巨大人形兵器には太刀打ちできなかったのだ。
 渾身の一撃と共に、それは甲高い悲鳴のような音と共に砕け散る…。

 ユリアにはもう後が無い。他の剣で代用しようにも、一般的なものではすぐに折れてしまうだろう。やはりこれが細身の剣の限界である。カレードウルフだからこそ、ここまで持ちこたえたというべきだろう。


「ここまでか…。だが!」
 ユリアは折れた剣を投げ捨て、懐から予備の短刀を抜いて構えた。もちろん、こんな果物ナイフと同等程度では何にもならない事は承知している。しかし戦う意志を貫くためには、こんなものでもないよりはいい。

「そうだ…、まだ…終るわけにはいかん。終れないのだ!」
 ユリアのつぶやきの横で、大怪我を負ったモルガン将軍がゆっくりと歩み寄っていた。レーザーカノンで焼かれた火傷の激痛に耐え、歩くのにもままならない彼は、自らの大剣を支えにして、この戦場まで歩いてきたのだ。
 他の若い兵士達のほとんどが地に伏せ、激しいダメージにより昏倒、もしくは戦う意志を根こそぎ奪われた中で、彼は老いてなお、その闘志を燃やして気力のみで立ち上がってきたのである。

「モルガン将軍! 無理です! その体では───」
 ふらつくその体をあわてて支えようとするユリア。しかしモルガンはそれをこばみ、剣を握り締めた。そして、巨体へと視線を送る。

「ワシは、何一つ守ってなどいないのだ。だから、守らなくてはならないっ!!」
 息が切れる、焼かれた半身が痛む。しかしそれがなんだというのか? いまここで立ち上がらなければ、どうなる? グランセルはどうなるというのか?!



 カプトゲイエンの残り稼働時間が3分を切る。やっと敵の攻撃が止んだことで、ギルバートにとっての最後の、そして最大のチャンスが訪れた。
「僕は…、手加減しないぞ! 稼働時間が少なくたって! お前達くらいならぁぁ!」

 カプトゲイエンの4本の腕が同時に振り上げられる。全ての腕による繰り出される最大攻撃、それは圧倒的な質量しつりょうによる物理的衝撃、───つまり、打撃という単純な攻撃である。
 …単純ではあるが、原始的な棍棒という打撃武器が、導力文明の進んだ今日こんにちにおいても有効である事は紛れも無い事実。それは物理の法則という何者もくつがえすことのできない絶対的なことわりによって成り立っているからだ。
 だとしたら、人の体の何百倍の大きさの、何万倍の質量を持つ金属のかたまりがその身に落ちてきた時、生き延びられる生物が存在し得ないのも道理どうりである。

 その中でも特に脆弱ぜいじゃくな身を持つ人という肉体は、当然のように残酷な結果を生むだろう。
 脳漿のうしょうをぶちまけ、肉塊にくかいすら残さず、地面を朱の鮮血で汚しながら。人は死ぬのだ、どうしようもなく。

 尊厳さえも押しつぶされ、跡形も無く───。



「ユリアさん! モルガン将軍!」
 捕虜ドームから叫ぶクローゼ。しかしその声は届かない。その鉄塊が身を砕く様を見ている事しかできない。

「将軍! 早く逃げ───」
 モルガン将軍を支える事に意識を取られ、敵の攻撃を避ける事を失念したユリア。そして朦朧もうろうとする意識だけを保つモルガン将軍。もう振り下ろされるだけのそれを避ける事もかなわない。

「やめて! やめてください! ギルバートさん! もうやめてくださいっ!!」
 クローゼの必死の声は届かない。もうギルバートの耳には、何の声も聞こえていないのだ。


「潰れろぉぉーーー!!」
 ギルバートの咆哮、それは最後の一撃だった。
 敵との戦いの、
 情けない自分と決別するための、
 そして、人を殺すという一線を越えてしまうという…戻れない道への最後の───。




「そこまでにしましょう。ギルバートさん。」


 穏やかで、りんとした気高さを持ち、戦場という争いの舞台には似合わない落ち着いたその声…。
 蒼のドレスを身に静かに歩いてくる初老の女性、

 その後ろには警備服を身にまとった金髪の男。女性に従うようにゆっくりと歩いてくる。


「お婆様っ! どうしてここに──!」
「じょ、女王陛下っ!」
 そう、そこに現れたのは紛れも無く女王アリシアU世、そしてリシャールだったのである。

 誰もがその出現に驚いた。女王は当然、グランセル城という鉄壁の守りの中いるものとばかり思っていた。国の最高権力者が、こんな場所に、こんな戦場へ出てくるなど有り得ない事だったからだ。
 それは無論、ギルバートとて例外ではない。まさか国家元首たる女王自らが出てくるとは予想もしていなかった。しかも、自分の名前を呼ぶなど───。


「それに乗っているのは、元ジェニス王立学園の生徒だったギルバートさんですね。そしてルーアン市、ダルモア市長秘書だった貴方ですね?」
 この巨体を前にしても、女王は少しも恐れる事は無かった。それどころか、普段の会話と同じように敵であるギルバートへと話しかけている。しかも、その口調はまるで彼を知ってさえいるように聞こえる。…その場にいた誰もが口を挟むことさえできなかった。
 もちろん、脇で控えるリシャールさえも同様に驚いている。会うこととなった[あの人物]との会話を聞いていたというのに、未だその係わりが判らない。余計に混乱している始末だ。

「な、な、なんで…、僕を…。なんであんたが僕の名前を知っているっ!?」
 つとめて冷静に話しかけようとするギルバートだが、その声は上擦うわずってしまう。女王はそれも気にせず、話を進めた。
「そうですね。不思議かもしれません。しかし私は貴方を覚えていますよ。」
 女王は思い出すように目を瞑り、静かに話し始める…。その鮮明な記憶を、当たり前のように語り始めた。


「もう随分ずいぶん前になります。私がジェニス王立学園の視察しさつに出かけたときの事です。生徒の代表で文化祭を案内してくれたのは貴方でしたからね。」
「あ………。」

 ギルバートでさえ忘れていた事だった。無理もない。何年も前の、彼がまだ学園に入りたて頃の話だ。百日戦役後のジェニス学園を女王が視察に来た事があった。しかし……案内したといっても、生徒代表で10分いたか、いないか程度で、誰だって忘れてしまうような事である。

「た、確かに……そんな事もあったが…。」
 言われてやっと思い出したギルバートではあったが、自分でさえ忘れているような事を、この女王が覚えていた事を恐れおののいていた。どうせ、覚えていると言っても、会ったくらいにしか覚えていないのだろう。いや、資料かなにかで調べた程度で口に出しているのかもしれない。


「だ、だから何だっていうんだ! 懐かしいか? まだ幼かったか?! 何が言いたい!!」
 僕の事を見ていた奴なんかいるわけがない! 僕はどうせ頭が取り得なだけの───。


「あの時、貴方はとても緊張していましたけれど、間違えながらも最後まで諦めずに必死に説明してくれましたね。笑顔を浮かべながら、はっきりとした口調で嬉しそうに話していました。…私にはそれがとても印象的で、あの学園視察はよく覚えていたのです。」
 ギルバートは言葉を失った。言われて気がつき、思い出していく過去の風景…。


 百日戦役という悲しい戦争が起り、終結してもなお、みんながどこか沈んでいたあの頃、僕はそれでも、女王への説明係という大役を請負うけおい戦々恐々としていた。

 そういえば…、女王陛下に案内すると決まった日は飛び跳ねて喜んだ。当日の朝は緊張で階段から転げ落ちた。学園に入ったあの頃、そして視察の瞬間。とても嬉しかったし、緊張した。毎日毎日に色々な事があった…。世間には悲しいことも沢山あったけれど、それでも未来を夢見ていた…。


「貴方が卒業し、ルーアン市の市長秘書になった時は私も喜んだのですよ。これから努力して自身の人生を踏みしめていくのだと。立派になっていくのだ、と。……確かに、会う機会はありませんでしたけれど、見知った者が成長する姿は嬉しいものなのです。」

 本当に、自分の事のように嬉しそうに話す女王アリシアU世。ギルバートは反論も否定も出来ず、ただ、固まっていた。昔の僕を知っている。この女王という人が僕を知っている。
 そして、努力を重ねて出世した事、それを喜んでくれている…。まさかと思うような事を、なんでもない事のように語っている。


「いま、私はダルモア元市長に会って来ました。貴方の話を聞くためにね。」

 モーリス・ダルモア。ルーアン市の市長でありながら公金を使い込み収監された元貴族の男である。ギルバートは彼の元で秘書をし、そしていつのまにか、悪事に荷担する事となった。

「彼はまだ裁判中で保釈された身ではありますが、グランセルで仕事を始めたと聞きまして、旧友として会いに出かけたのです。確かに……道は間違えましたが、とても長い間、共にリベールを支えてきた友人でしたからね。」
「ダルモアに…、あの男に会った……? な、何を聞いた? あんたはあいつから何を聞いたって言うんだ!」

 形ばかりの抵抗が叫びとなって叫ばれる。しかしその胸中では女王の言葉が待ち遠しい、何を言われるのか? ダルモアに何を聞いたというのか?
 あの男とは収監された牢の中で喧嘩が絶えなかった。自分勝手に騒ぎ立て、全ての罪を僕に押し付けようとした。本当に最低の男だった…。


 僕はあの男の秘書となり、精一杯に努力したというのに。
 いつも、少しでも落ち度が無いかと常に気を配っていたというのに!

 僕は完璧に秘書としての仕事をこなしていた。誰よりも有能に動いていたはずだった。
 必死に頑張って! 努力して! なのになぜ僕を否定するのか?


 努力した! 努力したんだ!

 誰よりも、誰よりも僕は………………────あれ?



 ………そういえば…、


 それがいつの間にか、壮大な公金横領計画に手を貸す事となり、いつしか孤児院の締め出しを手引きするようになっていた…。そうだ、僕はいつの間にそんな悪事をしていたのだろう? それって、本当に秘書としての仕事だったんだろうか…?



「………彼はね、最初は色々と素直でない事を言いましたが、最後には”まあ、秘書としては中々だった”と横を向いて言っていましたよ。ふふふ…、あの方はいつも言葉に衣を着せて話しますが、……本心は素直じゃないところがありますからね。」
 ──ギルバートは思い出す。秘書として働いたあの時、最後は間違いだらけだったけど、それでも、充実してはいなかったか? やりがいのある仕事だと思わなかっただろうか? 秘書としての仕事に、誇りはなかったのだろうか?


 僕は市長に…、ダルモアに協力して、何がしたかったのだろうか?
 人を騙して、人を利用して、それでその先に何をしようとしていたんだろう?


 そうだ、僕はエリートになりたかった。エリートになれば、誰も認めてくれると思った。いつも僕を認めてくれる人達がいる。だから僕は、優れた人物になりたかった。

 でもそれは…、本当に選ばなければならない選択だったんだろうか? それはエリートになる道だったんだろうか? 誰かが僕を見ていて、認めて欲しかった、それだけの事じゃなかったんだろうか?

 あれ…、おかしいな。 ……なんで今の僕は、……こんな事をするようになったのだろう?




「貴方は十分に、立派な事を出来る人なのですよ。こんな事をしなくとも、《身喰らう蛇》に身をやつさなくとも、貴方は貴方のままで信頼されていたのです。」

 百日戦役後、国中の何処もが疲弊ひへいし、希望を失いかけていた時だった。
 女王アリシアはそんな時、ジェニス学園を訪れる。心に大きな負担を抱えているであろう若き世代を見舞うために出かけた。しかし彼女自身、まだ多くの悲しみや多くの問題、悩みを抱え、潰されてしまいそうになっていた時であった。
 そんな中、視察で見かけたのが彼、まだ幼さの残るギルバートだった。あの時の、希望に満ちた少年の姿を目にした事で逆に勇気を貰ったのである。もう一度、未来という希望を目指すきっかけを与えてくれたのである。

 そんな彼が、王立学園占拠事件での首謀者であったという事実、それを一番うれいていたのは誰でもない女王だったのだ。なつかしい人物の顔が、手配書として回って来た時、とても残念であり、悲しい気持ちになったのである。

 だから、色々と調べてみて、彼がそうなってしまった過程を察した。そして今回の事件を起した彼をすぐにそうだとわかったのであった。
 そしてダルモアと話す事で、彼がいかな仕事に携わり、歩んでいたのか、それを確かめたかったのだ。


 ───自分は女王として国を束ね、悪しき者には厳しく対処せねばならない。法の名において、常に正しい道を示さなければならない。
 しかし、女王である前に一人の人間なのだ。このリベールという国に住む一人なのである。

 希望をくれた者を案じ、闇の底から救い出したいと願う事の何がいけないのか?

 自分が完璧だと思った事は無い。それどころか女王であろうとも、人である以上過ちは犯すのだ。今までだって様々な失敗をしながら、常に恐れながら国を支えて来たのだ。
 しかし彼女はこうも思う。過ちは犯すことが罪なのではなく、繰り返す事が罪であるのだと。


 だから、同じ人として、道を誤った者を救いたい。繰り返さないように伝えたい。
 そう考えた。彼には元の笑顔を取り戻して欲しかったのだ。

 それは独りよがりな傲慢ごうまんなのかもしれない。真に正しい答えではないのかもしれない。
 しかし、少なくとも今、形創られたリベールという国では、そうであって欲しい。…できるならば、その精神をクローディアにも受け継いでくれればと思う。
 国とは、国という場所そのものの事ではなく、人と人とが折り合い、助け合う形の事を示すのだから。




【 ─── 搭乗者に通達致します。当機体の稼動限界EP、残り700を切りました。速やかに補給するよう願います。また、充填が行われない場合、完全に機能停止するまでの実時間は25秒です。繰り返───】


 ………………時間だけが過ぎていく。

 ギルバートの葛藤を追い詰めていくように、ただ時間だけが流れて落ちていく。誰も口にしない、誰も口を出せない。そんな状況の中、永遠に続くようなこの瞬間だけが、彼に選択を迫っていく。

「貴方は人質にしたクローディアを殺せなかった。砲撃の盾には出来なかった。……貴方にはそんな事は出来なかったのではありませんか? 本当の貴方は、誰かを殺したくは無かったのではないでしょうか?」


【 ─── 搭乗者に通達致します。当機体の稼動限界EP、残り300を切りました。速やかに補給するよう願います。また、充填が行われない場合、完全に機能停止するまでの実時間は10秒です。繰り返───】

「やめましょう、ギルバートさん。貴方には似合いません。」
 女王は変わらず、空に舞う春雪の花びらのよう、たおやかに言う……。まるで、それで終わりにするべきだ、という結論を導きだすかのように。

 ただ、いつものように穏やかに。


【 ─── 当機体の稼動限界EP、残り140を切りました。カウントダウンに入ります。─── 】




【 ─── 5  ─── 】



「僕は……。」



【 ─── 4  ─── 】



「この人を………。」
 力なく、操作レバーより腕を落し、目を閉じる。



【 ─── 3  ─── 】



「傷つける事はできない。」
 ……もう終わりにしよう。終らなければならない。
 今ここで、終るべきなのだ。



【 ─── 2  ─── 】







【 ─── 補給確認。稼動時間、最大まで回復致しました。大口径集束型レーザーカノン・チャージ完了。これより目標へ向け、最大出力にて発射致します。 ─── 】



「………えっ?」
 有無を言わさず、胸部に装備されたツイン・レーザーカノンがエネルギー集約を開始する。しかも最大出力での発射による危険表示! 計器類のゲージを見ると、その全てが振り切れんばかりの数値となっている!



「なっ! なんで! なんで勝手に!!」
 ギルバートは何が起ったか理解できなかった。操作レバー、スイッチ、手動で動かすべき全てのギミックが彼の意思とは別に、勝手に動き出しているのだ。



「っ! まずい! 陛下、ご無礼っ!」
 最初に動いたのはリシャールだった。カプトゲイエンの微妙な変化を察知し、女王の体を抱えて全力で飛び退く! そして振り向きざまにユリア大尉へと声を投げた。
「ユリア大尉! モルガン将軍を!」



【 ─── ツイン・レーザーカノン最大出力、発射準備完了。 砲撃致します。 ─── 】



 身体能力を最大限に使い、路地の向こう側まで女王を運んだリシャール。しかし、まだユリア達はそこから動けずにいた。将軍とユリアでは体格差がありすぎたのだ。
 年老いたとはいえ、大柄な上に両手剣を持ったモルガン将軍の体を抱えて飛ぶのは、女の身では荷が勝ちすぎたのである!


「間に合えっ!!」
 砲撃が行われる瞬間、彼らを助けようと戻り、飛び込んでいくリシャール。何があろうとも、この身が朽ち果てようとも彼らは助けなければならない!


「やめろ! カプトゲイエン! だめだ、撃っちゃだめだ! 止まれ、止まれよっ!」
 慌てて操作をするギルバートだが、どう操作してもまったく反応しない、彼の操作の一切を受け付けないのである。データで見た最大出力。あの、どう見ても必要以上としか思えない恐るべき破壊数値! それを撃ったなら、撃ってしまったならば───。



「やめろぉぉぉ!!」









 その瞬間、グランセルは光に包まれた。
 これまで見た事の無いような輝き、全てを焼き尽くす悪意の力。

 その光の帯に立ちはだかる全てのモノ、その何もかもが、瞬時に消滅していった……。






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