嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

D 終極への序章プロローグ・2
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午後13:30  王都グランセル 東区───

「ナイアルせんぱ〜い。こっちですよぉ〜 こっちーー。」
「そんなに急がなくても逃げやしねーよ。ったく、こいつは仕事より元気だな…。」

 平穏な時間が流れる王都東区では、いかにも不機嫌そうな男と、いかにも楽しそうな女の二人が歩いている。男女といってもカップルという雰囲気でなく、元気な娘と疲れた顔のおじさん、と言った様子で兄妹のように見えなくもない。……そんな彼らは、このリベール王国において唯一の大衆向け新聞社「リベール通信」の記者だった。
 一人は上着の無いスーツをだらしなく着た男。黒い髪はボサボサで、しおれたタバコをくわえている。リベール通信を愛読している者なら、顔は知らなくとも名前くらいは聞いた事があるだろう。彼はリベールきっての敏腕記者ナイアル・バーンズという。

 いかにも徹夜明け、といった覇気はきのない表情でのっそりと歩いているナイアルは、たまに頭をわしゃわしゃと掻き乱し、眠気を晴らすように欠伸あくびをする。そんな彼を見た者は皆、声を揃えて「やぼったい」と思う事だろう。しかし徹夜明けはいつもこんな感じなのだ。これでも事件となれば、まったくの別人のような気力をみなぎらせ、遊撃士顔負けの行動力を見せるのだから、人は見かけによらない。
 しかも、記者や王宮関係者のみならず、遊撃士にも顔が利き、先日のクーデターの阻止、そして《輝く環》騒動を無事解決へと導いた者達との面識もあるという…考えてみれば凄い人脈の持ち主である。
 ぱっと見は冴えないが、敏腕と呼んで申し分ない記者。それがナイアルという人物だった。

 その前を行く満面の笑顔をたたえた少女、…いや女性の名は、ドロシー・ハイアット。肩までで揃えられた、ふんわりとした桃色の髪と少し小さめの丸眼鏡。そして、そばかすの目立つ顔立ちは少女のようで、少しだぼついた、桃色系のカラフルな上着を着ている。

 初めて見る者が彼女を見れば、誰もが17〜8歳か、それ以下の年齢だと思うだろう。しかし彼女はこれでも21才。まだ見習いながらも、同新聞社のカメラマンとして第一戦で活躍する女性だった。

 少々天然な、のんびりとした性格の彼女だが、その映し捉える写真は、まるで空の女神でも宿っているかのように鮮烈で、ベストショットをけして逃さない。写真を撮らせたらこのリベール王国で右に出る者はいないだろう。
 そういう凄い技術を持っているものの、どこを見ても凄さというものを微塵も感じられない脱力系の彼女。
 やぼったさならリベール一番だがスクープとなると、途端に目を輝かせるナイアル。

 このあまりに違うタイプの2人ではあるが、これがなかなかいいコンビなのは、近しい者なら誰もが知るところとなっているのは言うまでもない。



 ……さて、そんな二人だが、彼らはちょうど今、仕事帰りだった。

 こんな昼間で仕事帰りとは一般からしてみれば妙な話だが、徹夜で一睡もせずに情報収集をしていたのだから、今が帰りでもまったく問題がない。むしろ、そんな仕事をしてまでして記事に仕上げたいという意気込みはまさにプロ根性…、ご苦労な話である。

「あ〜! いっぱい並んでますよ〜。」
 徹夜明けとは思えない程にテンションの高い(彼女はいつもこんな感じなのだが…)快活なドロシー。彼女が指差す先にあるのは、グランセルでも有名となっているアイスクリーム屋である。東区のエーデル百貨店近くで屋台営業している小さな店舗ではあったが、その深くまろやかな味わいで季節を問わずの盛況せいきょうぶりをみせている。
 今日も今日とて、平日だというのに観光客や一般市民までもが長蛇の列を作っていた。

「ナイアル先輩〜! 3段重ねでもいいですかぁ〜?」
「あぁ、好きにしろ。お前のオフ(休日)にまで連れ回したんだからな。約束通りなんでも好きなのを食え。いくらでもオゴってやる。」
「やぁ〜〜ったぁぁ〜〜!」
 そういうが早いか、ドロシーは嬉しそうに行列へと並んだ。ナイアルはそれを見届けると、まるで老人ようにのっそりと近くのベンチへと移動し、大の字に腕を広げて座り込んでしまう。その表情は心底疲れた…、といった様子である。

「まったく…、さっきまで眠い眠いって歩きながら寝てた奴が、甘い物が近くなったら取材前より元気になってるじゃねーか。」
 力ない笑みで空を見上げると、そこには雲ひとつない快晴が果てしなく広がっている。徹夜作業が響いてか、ナイアルは降り注ぐ日差しのまぶしさに目をつむった。そしてそのまま、様々な考えを巡らせる……。



 ───ほんの少し前まで、このリベール王国には様々な事件や災難が振りかかっていた。


 まず最初は王国軍情報部が起したクーデター。
 国民的人気を持っていたリシャール大佐の起した王国中を騒然とさせた大事件。
 それと連動するかのように行動を開始した《身喰らう蛇ウロボロス》よって各地にもたらされた現象、災厄、

 そして極めつきはリベールどころかエレボニア帝国全土のオーブメントを完全にマヒさせた、古代ゼムリア文明の遺産《七つの至宝セプト=テリオン》の出現、それに伴うエレボニアの軍事行動…。


「まったく、冗談じゃないぜ…。立て続けに事件が起りすぎだっつーの……。」

 王国軍や遊撃士の活躍により、それらは一応の解決へと繋がった。それは喜ばしい事だが、その多発する事件の数々は、記者達に不眠不休の取材を要求することを余儀なくされた。
 その忙しさは際限がなく、通常業務の30倍はあろうかという仕事量に忙殺される毎日。当然、休みどころか休憩すら取ることもままならず、寝る間も惜しんでの仕事漬け。考える余裕もない程に混沌とした状況がずっと続いていたのだった。

 おかげでリベール通信は号外に次ぐ号外と大幅な増刷、リベールのみならず大陸各地へと飛ぶように売れていった。目から火が出るような忙しさだとはいえ、自分達の手がけた記事がこれだけ多くの人々の目に止るのだから、記者冥利みょうりに尽きるというものである。

 もちろん騒動を儲け話にするつもりなど毛頭ない。あらゆる情報は開示されるべきなのだ。
 市民に真実を伝えるのがマスコミの勤めであり、記者の本分である。その結果、多くの市民が動揺と混乱を起さずに済むという事は、女王陛下も認めるところなのだ。
 そうでなければ、《七の至宝セプト=テリオン》の一つ《輝く環オーリオール》への突撃作戦の取材で王室巡洋艦アルセイユに同乗を許されるはずがない。

 このリベールという国が、自由な意思と発言を許された国であった事を感謝しなければならないと、ナイアルは時折思い出す。思想が制限されるエレボニアの記者でなくて本当に良かった。

 まあ……そんなわけで、
 あまりの忙しさに目が回っていた記者達ではあったが、最近になってやっと落ちついてきたので交代で休みを取ろうという事になった。
 そしてまだ新米のドロシーから休みを、……という事になったのだが、こんな時に限ってナイアルの元へ届いたのは緊急の極秘情報。その情報の裏を取るため、結局は彼女の手を借りる結果となってしまった。情報というネタは、腐る前に調理しなければ役に立たない。だから協力が必要だったのだ。

 せっかくの休日を使わせてまで付き合わせたのは申し訳ない事をしたが、彼女は眠い眠いと言いながらも、結局は最後まで付き合ってくれた。自分の用事でせっかくの休みを潰してしまったのだから、感謝のアイスクリームぐらいは当然というものだろう。

「せんぱ〜い! あと5人ですよ〜!」
 すでに前の方へと進んだドロシーがこちらへと元気に手を振る。それと同時に、並んでいる者達が一気にこちらへと視線を向けた。そのほとんどが子供連れの親子、もしくは女の子ばかりの行列である。ひそひそ話が始れば、その内容もだいたいの予想がついてしまう。
 特に女の子達からは、このベンチまで聞こえるくらいの声で、あの男の人が彼氏かしら…とか、歳が離れすぎてるわね…などの、失礼でどうでもいい声が届いてくる。

「あ、あの馬鹿! 勘違いされてるだろうがっ……。」
 ナイアルは珍しく顔を真っ赤にしてそっぽを向く。こういう時にポーカーフェイができないのも彼らしいところ。ここに知り合いがいなくて本当に良かった。

 ……ったく、仕方ねぇ奴だ。でもまあ、あれだけ喜んでくれるのだから、いくら薄給だろうとアイスクリームくらい奮発してやっても構いやしない。俺に言わせれば、金なんてものは貯めるもんじゃない。こういう時にこそ使うもんだ。
 我ながらカッコイイ事を言うものだ、と自我自賛して口元を緩めていると、ちょうどそこへ、アイスを手にしたドロシーが戻ってきた。

「ナイアル先輩〜 見てくださいこの3段重ね! アルティメット・ロイヤルバージョンに10種類のトッピングしたら3800ミラでした〜。」
「な、何ぃ! なんでそんなにバカ高けぇんだ!? 今月あと何日残ってると思ってやがる! 俺を餓死させる気か!」

「ふええ〜、せんぱ〜い……。」
「……あ、いや。冗談だ。お前がそんな事を気にすんな。さあ、これ食ったら帰って寝るんだぞ。明日も仕事だからな。」
「えへへ〜〜。」
 ま、まあ、約束は約束だしな。しかたねぇ…、編集長に来月分の前借を頼むか……。
 くそっ、少しくらい貯金しときゃよかった…。やっぱり金は貯めておくもんだ。

 ベンチの隣に座ってひたすら笑顔で食べるドロシー。そんな後輩を横目にしつつ新しいタバコに火をつけたナイアルは、大きく煙を吸いこむと、まどろんでいる頭を仕事へと切り替えた。頭にぎるのは、昨晩の徹夜で集めた情報の数々である。



 ちょっと整理しておくか。要点は全部で4つ。どれもこれも珍しい状況だな……。


 ───まず一つ目、S級遊撃士カシウス・ブライト、非公式でエレボニアを訪問…か。
 こんな時期だ、どう考えても私用とは思えねぇ。詳細までは確認できなかったが、会いに行った相手は皇帝ユーゲントが一子「オリヴァルト」か、それとも《鉄血宰相》の「オズボーン」辺りで間違いないだろう。
 だとしたら目的はなんだ? 先の《輝く環》事件で軍事行動に出たエレボニアに対する牽制けんせい…と見るのが正しいか……、あるいは…。


 まあいい。二つ目…、遊撃士アガット、シェラザードの両名がカルバード共和国へ遠征。
 実質的に見てもリベールでの「かなめ」といえる二人が揃ってカルバードの支部へ行く……。あの二人をを必要とする事態が起こったのだろうか? こっちは結局何も掴めなかったな。一体どんな問題を抱えているのか…。


 三つ目、ラッセル博士、クロスベル自治州の「エプスタイン財団」へ視察。

 財団はその名の通りラッセル博士の師、エプスタイン氏の影響によって設立された団体だ。リベールのみならず大陸にその恩恵を与えたラッセル博士の功績は多大なものだが……。しかし今回の視察には博士の孫娘、ティータも招待されている。各地でオーブメントの普及活動をしているというあの子の両親も招待されたという事だから、家族として招かれたのかもしれないが……。いかんせん情報が少なすぎる。いくら考えても答えは出るわけじゃないな。


 そして最後に、エステルとヨシュアが旅に出た事……。
 確か《身食らう蛇》に関連した事だって話だが…。あいつら俺にも詳細を話して行けってんだ。どこにいるかも見当がつかねぇ。とにかくリベール以外の何処かを旅している。
 まあ、2度と帰ってこないわけじゃねぇしな、そのうち戻ってはくるんだろうが…。今は不在という事だな。


 以上4点だが……、これら4つには共通する点がある。
 考えるまでもない、あまりにも不自然すぎる状況…。



 それはこの全員がリベールに居ないという事だ。なんでそろいもそろって皆、リベールを離れているんだ?

 遊撃士ジン・ヴァセックやケビン神父、そしてオリビエは国に帰っただけだからいいにしても、あの《輝く環》の戦いに挑んだ奴らが、なぜこうも同時期にリベールを離れている? この一致がただの偶然だっていうのか?

 カシウスが呼び出され、シェラザード、アガットは遠征、ラッセル博士とティータは視察、そしてエステル、ヨシュアは旅へ出た。他のメンバーは帰国している。
 つまり、現在あの時のメンバーで残っているのは親衛隊や技師を除けばクローディア姫ただ一人という事になる…。
 これが偶然であればそれでいい。しかし、あまりにも出来過ぎている。
 もし今、このリベールに何かが起こったら………。



「ナイアルせんぱ〜い、タバコの灰がもう落ちそうですよ〜。それにここは禁煙です〜。」
「ん? ああ、悪い悪い。そういえば東区は全面的に禁煙になったんだったか…。くそぉ、禁煙ブームが進み過ぎだぜ。グランセルに俺の居場所を無くす気かよ。」
 ナイアルは吸う前に燃え尽きてしまったタバコを足で消し潰し、立ち上がった。

「ドロシー、俺は編集社に戻るからな。お前はこのまま帰っていいぞ。手伝ってくれて助かった。」
「え〜、じゃあ私も行きますよー。」
 随分ずいぶん考えこんでいたのか、ドロシーはすでに8割ほどアイスを食べ終わっていた。そして口の周りにアイスをつけたまま、追いかけようと急いで立ち上がる。

「なんだよ、いいから帰れっての。俺も少し疲れたからな、編集長に報告して帰るつもりだ。付いて来ても面白くねぇぞ。」
「じゃあ、報告終ったら一緒に帰りましょうよー。」
 その顔を見てナイアルは溜息をつく。そしてポケットからしおれたハンカチを取り出してドロシーの口元を拭いた。

「お前なぁ、ガキじゃないんだから食ったら拭けよ。一応は女なんだぞ。」
「はぁ〜い。」
 ナイアルは様々な問題を通り越して、妙な気苦労で余計に疲れてしまった。そして、そのままトボトボと無言で歩き出す。疲れ切った背中を楽しそうについていくドロシー。

「あれ〜? ナイアルせんぱ〜い。」
「今度はなんだ? 俺は疲れたぞ。」
「えーとぉ、ハトさんがいないんです〜。」
「ハト?」
 ドロシーはエーデル百貨店に隣接する休憩所に視線を向けながら言った。確かにハトの姿は見当たらないが……それくらい珍しくもなんともない。ナイアルには何が何やらさっぱり不明だ。

「ハトなんか居なくても…。どうせ、どっか飛んで行ったんだろ?」
 いかにも面倒くさそうに、ナイアルは欠伸あくびをしながら答える。この時のドロシーが感覚でモノを言っている事は気にも止めなかった。
「おかしいなぁ〜。そこだけじゃなくて、どこにもねー、居ないんですよー。」
「あ〜、わかったわかった。おら、付いて来るなら早くしろ。置いてくぞ。」


 ナイアルは結局、適当に相槌あいづちを打って編集社へと足を進める。その間、ドロシーはしきりに何処を見てもハトがいない事に騒いでいた…。






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