嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

C 終極への序章プロローグ・1
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午後13:17  王都グランセル 南区───

 …昼下がり。
 広大な敷地を持つ王都は市民や観光客で賑わっていた。
 ほんの少し前に行われた女王誕生祭でも多くの人々がこの都市を訪れたものだが、このところは連日それに負けないほどの盛況振りである。
 立て続けに起こった災厄が報道として世に知られ、そして乗りきった事により、世間の注目がこのリベール王国へと向けられているのがその最たる理由らしい。

 これまで世間から見たリベールは、オーブメント技術に長けた小国という位置付けとしての認識しかなかった。しかし、今回の事件により報道として取り上げられる機会が増えた事で、本当の見所は名所の多さと気風の良さ、それに都会と田舎が無理なく両立している点だと知られたのだ。
 だから、観光名所としては穴場であったこの国が現在のブームとなっているのである。ゼムリア大陸広しといえども、リベールほど平和で、のんびりと休暇を楽しめる土地は珍しいだろう。

 観光が栄えるという事はどの国にとっても嬉しい事だが、それにより治安が悪化するというリスクも伴う。人々で賑わうという事は、同時に、稼ぎを得ようとする悪党までも呼んでしまうという側面があるのも事実だ。この盛況振りを狙って、様々な犯罪が横行してしまうというのは仕方がない事でもある。
 しかし、グランセルは何一つ変らない平穏を保っていた。人は確かに多いが、ほどよい活気に包まれた観光都市として旅行者達は安全に王都の観光に専念している。

 元来、穏やかで真面目な気質をもつリベールの民には犯罪に手を染める割合が少ないという事もあるが、一番大きな点は、新しく市街警備の担当になった隊長の力量によるところが大きいと言えるだろう。
 新しい市街警備の隊長はとても有能で、部外者が悪事を起こそうとしても、まるで起こる時間や場所まで察知しているかのように、そのほとんどを未然に防いでしまうのだった。だから、田舎の小国だとあなどった悪党達は総じて痛い目にっている。彼らにとっては、とんだ災難だろう。

 悪漢達が、リベールの新警備隊長の名を聞くだけで恐怖するのも、そう遠くない話であるのは間違いない。


 この日も、春うららかな日差しに包まれた平穏な時間が流れている。ただ一つ違うといえば、道行く人々の多くが、新警備隊長である「彼」を見て驚いている事だろう。
 彼、は普段と変わらない市内警備兵の服装で南区へと来ていた。目指すのは遊撃士協会に隣接する飲食店《サニーベル・イン》である。
 通報では、この店で騒動が起きているという話だ。大事に至ってなければいいのだが、と彼は心配しつつ店へと急いだ。


失敬しっけいな! ワシは食い逃げをしようというのではない! 料理の味が許せんのじゃ! これで400ミラとはけしらかん! なんだこのトマトリオサンドというのは? 苦くて喰えたものではない!! こんなモノを売り出した奴の気がしれんわい!」

 腕を組んで憤慨ふんがいしているのは一人の老人だった。彼はグランセルに住むビル爺さんというご隠居いんきょで、この食堂を愛用している馴染み客の一人である。
 彼はここに長く通っているせいか、ごくたまに味に関してのこだわりを見せる事があり、新メニューについて批評をする事がある。しかし、いつもは怒りだすような事などなく、これが初めての事。よほどこのトマトリオサンドの食材である「にがトマト」が気に入らないのだろう。

「あ、あのね、ビル爺さん、これはツァイスで栽培さいばいされた新種のトマトで、苦味があるのが特徴なのよ。」
 そう困った顔で答えるのは、カウンターで接客をしている女性クレディ。馴染みの客であるビル爺さんの怒りに困惑しながらも、一生懸命に説得している。

「僕は気にならないけどな。これは食べれば食べるほど病みつきになる味だよ。ビル爺さんはゆっくり味わって食べないから苦いだけしか感じないんじゃないかな?」
 そう言うのは常連客のペンサー。いつ訪れてもこの食堂にいる変った青年である。彼は食べるのが遅い分、味わって食べる事を心情としている。だからまったく悪気はないのだが、ビル爺さんにはその物言いが気に食わない。まるでこのトマトが悪いのではなく、自分が悪いように言われているではないか。こうまで言われて黙っている爺さんではない。泥沼になるとわかっていながら、売り言葉に買い言葉が飛び出してしまう。

「ふん! お前は食べるのが遅すぎて味も感じておらんのではないか? 先日もアイスクリームを食べ終える前に全部溶けてしまったと嘆いていただろう!」
「そ、それとこれとは関係ないですよ。僕は爺さんは早く食べすぎだって…」
「お前はいつもそうじゃ! 一言多い! 大した事でもないのにネチネチと言いおって」
 その一言にカチンときたペンサー。ちょっとだけ友人に言われて気にしていた事をズバリ言い当てられてしまった。それを否定しようと、彼も勢い余って言い返す。

「僕がいつネチネチ言いましたか? 僕はビル爺さんがゆっくり過ぎじゃないかって…。」
「なーにを言っとるか! 毎日毎日昼間っから同じ席に座って店終いまで入りびたり、それこそネチネチしとる証拠じゃ! 若い者が情けない!」
「な、なんて事言うんですか! 僕はレポートを書くのが仕事なんです。ここが一番落ち着くからいるだけですよ! ネチネチとは関係ないし、そもそも僕はネチネチなんてしてませんってば!」
「いいや、ネチネチしとる!」
「ネチネチしてません!」
「ネチネチじゃ!」
「してませんってば!」
 カウンター越しに二人の言い合いを眺めるクレディは、微妙に話題がズレているのが気になったが、それでもどんどんエスカレートしていく様子を見ている事しかできずにいた。さきほど入ってきたお客様が巡回中の兵士さんを呼んできてくれるといっていたのだけれど、まだ来ないのだろうか?

カラン コロン───
「…あ」
 ちょうどその時、扉につけた来客を知らせる鐘が鳴る。どうやらお目当ての警備兵がやって来たようだ。その服装から見れば一目瞭然いちもくりょうぜん。しかも胸のワッペンを見ると巡回警備の隊長である事がわかる。

「良かった! お待ちしてたんで………え?」
 しかし、クレディはその顔を見て固まった。
「失礼、こちらで騒ぎが起っていると聞きまして、事情をうかがいに参りました。」
「はひっ!……あの………ええええ!?」
 隊長の穏やかな口調。しかしクレディは彼を見たまま混乱した。もうオロオロと取り乱すばかりで、口を出す事もできない。

「ええい! このネチネチ男が! ワシの味覚を疑うというのか?!」
「この味が、わからないなんてどうかしてますよ! ビル爺さんももう年なんじゃないですか!」
 もうすでに物凄い剣幕で言い合う二人は誰も止められない状態になっていた。これでは誰が仲裁ちゅうさいしたって止まる雰囲気はない。それどころか、声すら耳に届かないかもしれない。

「お二人とも落ち着きましょう。私が話を聞きますので、ここは一旦引いてもらえないでしょうか?」
 彼はあわてた素振りもなく、紳士的な態度でそう言う。もちろんそんな口調では喧嘩腰けんかごしになった者が止まるわけがないのだが……。なぜか迫力といおうか、説得力を感じて二人が振り返る。
 そして、その顔を見ると同時に、クレディと同じように目を丸くして固まった。

「良かった。落ち着いて話しましょう。」
 あまりの驚きで入れ歯が外れそうになったビル爺さんは、まるで幽霊でも見たかのように口をパクパクさせる。

「申し遅れました。私は市街警備長のリシャールです。」
「は??」
「は??」
 呆気あっけに取られた二人の間抜けた声。それもそのはずである。国民的人気を得ながらも、クーデターの首謀者としてアリシア女王を拘束こうそくした張本人が目の前に、それも市街警備兵としているのだ。驚かないはずがない。二人は彼、リシャールを前にして今していた喧嘩すらも忘れて見入っていた……。











カラン コロン───
「……どうやら、穏便に済んだようでなによりです。ビルさん、お体大切になさってください。」

 警備服のリシャールはそう言い残すと、丁寧ていねいなお辞儀をして店を後にする。その後ろ姿は颯爽さっそうとし、とても下っ端したっぱの兵士とは思えない凛々りりしさをまとっていた。

「あ、ありがとうございました!」
「応援しとるぞ!! リシャール殿ぉ!!」
 クレディが生リシャールに会えた感激で、はらはらと涙を流し、一方でビル爺さんは盛大な万歳ばんざいで見送る。そしてペンサーは…
「僕は彼をまだ信用してないんだけどね。だいたい、クーデターの首謀者がなんで街の……もぐぉ!」
 彼は見送りに加わりながらもまた一言付け加える。ビル爺さんは間髪入れず、残ったトマトリオサンドを彼の口にねじ込んだ。

「ペンサーよ。リシャール殿は大した方じゃな。クーデターのつぐないのために下っ端からやり直すなど、そうそうできるもんではない。」
「ふぐ…むぅぐ…。」
「ふぉふぉふぉ…。ワシらはトマトサンドごときで騒いでおる場合じゃなかろうて……ペンサーよ、こんな目出度めでたい日は酒盛りじゃ! 今日は徹底的に飲むぞ!」
 すっかり気分が良くなったビル爺さんは店内へと戻っていく。

「んぐっ…ぷはぁ! ま、まだ昼じゃないですか! まったく…なんで僕が……。それに僕にはレポートというものが……。」
「あーわかったわかった。文句は飲んでからじゃ。」
 まだぶつぶつ言っている彼の肩をつかんで、さっそく飲み会を始めるビル爺さん。なんだかんだ言っても仲の良い友人なのであった。


「……どうやら、穏便に済んだようだな。良かった。」
 リシャールは一人つぶやくと、そのまま南区の巡回へ出かける。彼は騒動が何事も無く納まった事に安堵し、またこうした警備の仕事に、これまで感じたことの無い安心感を抱いていた。こうして街を眺めながら人々と接するなど、軍学校を卒業して依頼一度もなかった事だからだ。




 彼がクーデターという暴走を引き起こした背景には、様々な想いがあった。

 優秀であるがため、作戦や統率に関わる部署で精を出し、そして一時は軍部の頂点にまで立った。
 その時の彼が確信を持ち、悩んでいたのはただ一つ、戦争という慈悲無き力のぶつかり合いにどう対処すべきか、である。
 戦力で他国に劣るリベールは簡単に食い潰されるという事実。
 圧倒的な力の前では、自分を含む全ての人々は無力な存在であるという歴史的証明。
 そして軍備以上に必要とされる「英雄」が、今はもう居ないという動揺。

 それらが、とてつもないプレッシャーとなって彼を苦しめた。

 力を持つことで他国を牽制けんせいし、英雄と呼ばれる優れた者が、人々の前に立って未来という道へ導かなければ、このリベールという国はいずれ大きな力に飲み込まれる。それができなければ、人々は路頭ろとうに迷うだけだと思い知った。

 あの百日戦役という悲惨な戦争を体験した事で、彼はその真実へと辿りついたのだ。

 カシウス・ブライトという英雄が居ない今、エレボニアやカルバードの侵攻を食いとめる手段は何も残されていない。抵抗する何もかもがリベールにはなかった。それが重圧であり、そして怖かった。切り札のないリベールの現状と、英雄という遠い存在に追いつけない歯がゆさに追われ、恐れ慄いていたのだ。

 だから、それを誰よりも知っている自分が率先して動かなければならないと思い至った。情報部を設立した理由もそれである。

 その目的が封印区画へと向いてしまった事は敵に操られた結果であったが、その理念までも曲げられたわけではない。英雄の代理として、自らが動かなければリベールに未来は無い。他者に何を言われようと、どう受け取られようと、リベールのために身を捨てる覚悟をして挑んだのがクーデター計画だったのだ。


 ……しかし今になって、それがあまりに大きな錯覚だったと改めて知った。

 クーデターは導くべきはずの人々が力を合わせた事で阻止され、そして《身喰らう蛇》が女王拉致に動いた折にも、大事に至る事が無く守りきる事ができた。もし、自分がクーデターを成功させたとしても、《身喰らう蛇》の強襲にはどうしようもなかっただろう。それどころか、もっと最悪の事態に陥っていたはずだ。
 これらの苦難は、英雄という特定の人物ではなく、自分が一方的に守ろうとしていた「人と人とが協力する事」で困難を乗り越える事ができたのだ。

 ビル爺さんやペンサーにも和解を生んだように、人々と接する事で築くことが出来る信頼。軍においては軽視されていく人と人との絆。
 リシャールはこの警備兵という立場になってみて、初めてその重さと大切さを学んでいた。力を恐れ、力を力でなんとかしようとした自分に足りなかったモノ。それをこの仕事は教えてくれている。


 《輝く環オーリオール》騒動が収まった後、カシウスが再び軍を去る前に、自分にこういい残した。

「10年前、俺は自身の至らなさで妻を失い、娘を悲しませた。そして家族を守るために軍をやめ、遊撃士となったが、そこで気が付いた事がある。高い足場に居たときにはわからなかった、本当にささやかなもの……、それこそが人にとって本当に大切なものだと思い知った。だからお前にもそれを知ってもらいたい。
 もしお前にその気があるなら、女王陛下の護衛という任務をこなしながら、市街警備の仕事をやってみないか? そこで、そのささやかだが何よりも大切なモノを見つけられれば、お前がこれから進むべきこ道が見えてくるのではないかと、……俺は思う。」

 またエレボニアが侵攻を始めた時、軍の力は確かに必要だ。それは間違い無い。しかしもっと大切なモノがある。

 信じること。
 英雄とは誰もが持つ心の強さである事。
 人と人とが協力し、力を合わせることのできる結束の力。絆の強さ。

 ……リシャールは今ようやく、それこそがが何よりも大切なモノだと確信した。
 しかし、頭では理解しているつもりであっても、自分はその意味をたがえてはいないという自身がない。クーデターの頃のように正しいと信じ込んでいるだけではないだろうか? また過ちを繰り返しはしないだろうか?
 彼の中での答えはいまだ見つからない。
 自分のような悪人には、及ばないほど先にあることわりなのではないか、思考だけがぐるぐると巡る。


「…………?」
「あれ〜、りしゃーるお兄さん、どうしたのー?」
「リシャールさん、どうなさいましたか?」
 それを感じたのは、ちょうど巡回中に出会った二人と話している時だった。

 目の前で不思議そうな顔をしているのは、モルガン将軍のお孫さんのリアンヌちゃんと、住みこみで働いているメイドのダリア。巡回中、買物で南区へと足を運んでいる二人と出会った。モルガン将軍の招待により、何度か自宅へと招かれていた事もあり、二人とは顔馴染みの仲であった。

「ああ、すまないね。なんでもないんだ。それより二人共、もう買物は終りかな?」
「うん! おーぶめんとの修理も終ったのー。」
「これから屋敷に戻って、奥様にお茶を淹れて差し上げようかと…。あ、リ、リシャールさんもよろしければご一緒しませんか? エレボニア産のいいお茶が届いたんですよ 。」
 ダリアは少しだけ顔を赤らめてうつむく…が、リシャールは穏やかな笑みで答えた。

「ありがとう。気持ちはありがたいんだが、仕事があるからね。また機会があれば寄らせていただくよ。」
「あ、そうですか〜…はい。仕事がんばってください。」
 咲いた花が突然しおれたように彼女は気を落としてしまう。リシャールは自分がどう思われているのかまったく気が付かないが、そうした態度に申し訳ないと心の中で詫びるしかなかった。
 そんな隣で、無邪気にしているリアンヌ。リシャールは腰を落として目線を合わせると、その小さな頭をそっと撫でながら優しく言った。

「もう二度と、怖い目に遭わせたりしないからね。リアンヌちゃんもいい子にしてるんだよ?」
「うん。いい子にしてるー。」
 撫でられるのが嬉しいのか、リアンヌは気持ちよさそうにしている。…それを横目で見ているダリアは、なんともうらやましそうな顔をしていた。

 二人を見送ったリシャールは、誰もいなくなった路地に一人、誰ともなくつぶやいた。

「……済まないね。私は女王警護という仕事はあれど、モルガン大佐の前に顔を出せる立場じゃない。お茶の誘いには答えられそうにないんだ。」
 なんとも苦々しく、寂しそうな顔で空を見上げる。そこに在ったのは、果てしなく蒼く、どこまでも澄んでいるだけの空間……。
 過去の過ち。今となっては二度と戻れないあの頃。
 こうした何気ない会話が、自分の罪を改めて教えてくれる。

 彼女達がいるのはもう遠い世界。咎人とがびととなった自分には手の届かない場所で暮らしている。
 だからこそ、自分はその暮らしを守るために、努力しなくてはならない。
「このリベールに危機が迫るというのなら、私は命を賭してそれを守ろう。…それが私にできる唯一のつぐないだ。」

 揺るがない決意を胸に警備巡回へと戻ろうと、来た道を引き返す。これから西区への見回りをしなければならない。そして北区グランセル城。この数日、小さな犯罪が後を絶たない。まだまだ気は抜けないだろう。

「…………。」
 ふと、何か心が騒ぐ感覚を覚えた。胸騒ぎ、というものだろうか?

 何もない、街の雑踏だけが遠くに聞こえる路地で、彼は確かな何かを感じとった。それは彼だからこそ感じたもの、戦士だけが持つ鋭敏な感覚でのみとらえる事ができる予感のようなものだった。

 確信はないし、確実に何かが起こるとも言いきれない。ただ気になっているというだけの感覚…。
 取り越し苦労ならばそれでもいい。ただ、何かが起こった時のために、なんらかの準備だけはしておくべきだろう。
 リシャールは西区へと向けた足を警備隊詰所へと急ぐ。警備兵達の配置を確認すると共に、そこに置いてある剣を手にするために。

「気のせいならばよいのだが……。」

 彼の感じたそれが、破滅へと向かう物語の幕開けである事に気が付いている者は誰もいなかった。しかし、物語は終極へと向かい、着々とページを進めていたのである。







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