嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

B 周遊道に犬一匹
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 穏やかな風が撫でるように通り過ぎる。
 ジョセフィーヌを探して歩くアネラスとクローゼが歩くのは、午後の暖かな日差しに照らされる「エルベ周遊道」。グランセルからエルベ離宮を繋ぐ観光道である。

 石畳いしだたみにより舗装ほそうされたここは、離宮と共に観光名所として有名で、春という息吹の季節ともなれば、沿道を取り巻く木々は桃色の花を満開にさせて人々を出迎える。季節いろどる満開の花を咲かせているそれらは、なんでもカルバードより寄贈きぞうされた春雪しゅんせつという種類の樹木で、薄い桃色の花びらが枝先を覆い隠す程の満開となると、その後に雪のように舞い散る様からそのように名付けられた、という話だ。

 あまりに見事な、その散り行く春雪が見られるこの時期になると、観光客はもとより、リベール市民の多くが鑑賞に来るようにまでなっていた。とある地方の若き女性達の間では、この春雪が舞い散る中を意中の男性と歩くと二人は結ばれる、……という逸話まであるくらいだ。

 そしてこの場所、周遊道の各所にある行き止まりはちょっとした広場となっており、ベンチも用意された休憩所となっていた。
 中心には「翠耀石すいきせきの石碑」という、巨大な石材らしきオブジェが置かれている。それは見た目からしてかなりの大きさがあり、胴周りは大人3人が両手を回してやっと届く程、高さも石碑が乗る台座をあわせれば、大型導力搬送車2台分ものサイズがある。
 とても古いモノらしくかなり錆びれており、表面に刻まれていたであろう文字はかすれてみえなくなっている。この周遊道が整備される前から置かれていたもので、グランセルに住む市民の、誰に聞いても昔からあったと答えが返ってくる。…そんな当たり前のモノであった。

 これが何の目的で置かれた石碑なのかは、今をもってまったくの不明である。50年以上前、この周遊道が舗装、整備された折にも調査団が組まれ、様々な視点から研究されたのだが、「先人達の残したもの」という事以外わからなかったため、取り壊されず現在もそのままになっていた。
 著名な研究者によれば、1200年前のゼムリア文明崩壊の頃から残っていた、などという説まであるのだけれど、結局は何も判明されてはいない。一時は舗装のために撤去という計画もあがったのだが、周遊道のシンボルのような石碑をわざわざ壊す事もない、という市民の声により保存されることとなり、今はただ、憩う者達を見守る存在となっている。
 だから、周遊道が妙に曲がりくねった道になっている理由が、無理に石碑を残したまま周回コースを作ったからだ、という事を知っているのは、老年を迎えたごく一部の者しか知らない話であった……。


 さて、そんな石碑が置かれた行き止まりの休憩所には、現在誰の姿もない。居るのは「ワニシャーク」という魔獣が一匹だけであった。

 ワニシャーク……。見た目そのままの空を飛ぶワニ、そんな奴だ。顔はワニで体が魚、そんな体を持つ冗談みたいな魔獣ではあるが、周遊道で一番凶暴で、人を襲う事も珍しくない。
 最近は警備隊の魔獣駆除のおかげで、周遊道で魔獣を見かけること自体少なくなったが、この心地よい陽気に散歩でもしにきたのか、どこからか迷い込んだ1匹が悠然と中空を泳いでいる。

 そんな、自由気ままに春の恵みを享受きょうじゅしているワニシャークだったが、彼は今、彼なりに少々悩みを抱えている真っ最中だった。
 さっきから「見えない何か」が、自分の尻尾に噛み付いて遊んでいるのが気になって仕方がない。
 噛み付いては引っ張り、放しては吠える。なんだか遊ばれている気分だが、ナゼかそれが見えないのである。
「わん! う〜〜、わんわん!」
 鳴き声からして犬……だとは思うのだが、ナゼ見えないのか? ワニシャークは混乱しながら何度も尻尾を振り払うものの、そいつはそれを面白がって、さらに噛み付いてくる。これは困った。
 さきほど、人間どもの巨大な家?のような場所の近くまで迷い込んだ時から、ずっとこの調子で噛み付いて放してくれない。そろそろ何とかしたいところだ。

「わう〜 あぐあぐ……」
 相変わらず見えない何かがいる。楽しそうに自分の尾に夢中で噛み付いている。とても迷惑だ。
 ……正体はわからないが、あまりにうっとおしいので喰らってしまおうか、と口を寄せるワニシャーク。しかしその”犬らしき生き物”も素早く、自慢の牙を近づけると、もうそこから離れてしまい食いつけない。何度やっても結果は変わらず、素早く逃げてしまう。…これではキリがない。

 彼にとって、せっかくのいい天気が台無しである。


ころん……
 ちょうどその時、何か丸いモノが転がった。それは丸い銀色の玉のようなもので、尾に噛み付いている迷惑な奴の背中から落ちたのようだ。

 ワニシャークはその玉から視線を戻すと、今度ははっきりと、その迷惑な相手の正体が目に入ってきた。犬だ。それも子犬である。

 クリーム色のふさふさの毛並み、まだ生まれて1年と経っていない幼さを感じさせる体は小さく、黒い瞳がくりくりとした顔で、一生懸命に尾に噛み付いて遊んでいる。その体には、ベストのような赤を基調とした上着が着せられていた。
 その上着の背中には機械的な、時計に似た装置”オーブメント機構”が付けられるようになっていた。スロットが1つだけのモノで、固定された機能を発揮するタイプの品である。転がった玉は専用のクオーツ”葉隠”。魔獣から姿を隠す効果を持つ導力を生み出すもので、それをつけている限り魔獣は対象の姿を見失うという便利ではあるが、あまり手に入らない貴重な品だった。

 さりとて、ワニシャークにはそんなオーブメントの詳細などわかるわけがないのだが、先ほどから迷惑だった犬、柔らかくてウマそうな肉の塊が目の前にある事は理解できた。食べる量としては小さすぎて足りないが、ちょうどいい具合に腹も空いている。

「わう〜 わ〜うぅぅ〜〜」
 一方、葉隠のクオーツが落ちた事などわかるわけもない子犬の、その首輪にはジョセフィーヌという名が刻まれていた。
 こんな可愛らしい名前でも立派にオスで、やんちゃ盛りの元気な犬は無邪気に尾にじゃれついているばかりで、ワニシャークの目つきが変わった事に気がつかない。
 迷惑な犬を獲物として決めた魔獣は、本来の獰猛どうもうな本能をさらけ出して、そのままひと飲みするべく慎重にゆっくりと巨体を反らせていく。常に尾を動かして注意を引き付けておけば逃げられる事はないだろう。

 ワニシャークはこれまで「捕食する事」で巨体を作り、常に勝者となって生きていた。命を育むための狩りという行動にひとカケラの慈悲などありはしない。そこにはただ、弱肉強食の掟だけが存在している。
 今まさに、ジョセフィーヌの命は風前の灯火。その瞬間は確実に、そして容赦なく近づいているのであった……。




「はぁ〜…、なんでボクが徒歩で…。カルナさんヒドイっす。」
 そこへ、とぼとぼと歩く人影が現れた。それは青年ではあったが、その若さを示すような覇気がまるでなく、ぶつくさと独り言をつぶやいている。

 彼の姿を見ると、行楽に来た一般人のようには見えない。それは彼が身につけているのは普段着、といより戦闘服のような服のせいだろう。
 それは武術でもするかのように動き易さを重視したものらしく、体の要所には防御用のプロテクターをつけている。そんな特異な格好をしている青年であったが、リベールにおいてその姿を見た者ならば、ひと目で彼の職業がわかるだろう。───遊撃士である。

 彼の名はメルツ。遊撃士協会ルーアン支部に所属する準遊撃士、つまり見習い期間中の遊撃士だ。彼は先輩遊撃士カルナからのいいつけで、リベールの各支部を徒歩で回るという配送を請け負っていた。
 定期飛行船を使えば絶対に早いハズなのに、なぜ徒歩で回らなければいけないのか? その辺りがさっぱり不明だが、先輩遊撃士のカルナさんが言うのだから仕方がない。

 なんてったってカルナさんは怖いのだ。このリベール王国には女性遊撃士は何人もいるが、カルナさんはその中でも姉御みたいな存在で、同じ支部の後輩という事もあり、厄介な事件が起るごとに無理難題を押し付けてくるのである。先日なんかは「海に落ちた入れ歯の捜索」などという仕事を押し付けられて、季節外れの海に飛び込み風邪をひいてしまった。あれは寒かった…。
 とはいえ、拒否などできようはずがない。万が一、口答えなんてしようものなら、明日の朝日はおがめないだろう。
 それに、どんな依頼であっても遊撃士の仕事には変わりがない。自分が頑張れば、それだけ一般の人にも喜んでもらえるのだから、そう考えれば、まんざらでもないのである。

 しかしこの任務はあんまりだ。徒歩でリベール王国一周なんて、方向オンチの僕にはあまりにツライ。帰ったら少し位は文句を言ってやらねば納まらない。

 よぉし! 僕の沽券こけんにかけて言ってやるっス! 僕だっていつまでもカルナさんの言われるままじゃないって事をハッキリと言ってやる! ………………って、それが言えるんだったらこんな苦労はしてない…。


「あう! ……また石碑っス…」
 そんな絶対に言えるわけもない決意を考えていると、目の前には石碑が置かれた休憩所があった。口に出さなくても誰も聞いてないが、……行き止まりである。
 王都グランセルへと向かうには、ロレント市からこのエルベ周遊道に出る必要がある。しかしここは不慣れだと迷ってしまうという人も多い”名所ならぬ迷所”としても有名なのだ。

 方向オンチのメルツも例に漏れず、さっきから行き止まりばかりに突き当たる。これが3つ目の「翠耀石すいきせきの石碑」が置かれた広場である。迷ったあげく、3つ全ての石碑を回ってしまったようだった。一体、いつになったらグランセルへ到着できるのだろう?

「おや?」
 メルツがそこで見たのは、1匹の魔獣の尻尾に噛み付いている子犬だった。小さな体とふさふさ毛並みの子犬で、赤い上着を身に着けている。犬に服を着せるなんて、お金持ちの飼い犬なのかもしれない。

 しかし噛み付いている相手が問題だった。地元のルーアンでは見かけない凶悪な魔獣ワニシャークである。旅をする上で、カルナさんに注意を促された魔獣の1匹。…自慢じゃないが自分にはとても敵う相手ではない。近寄るだけでも勘弁してほしい。なのに、あの子犬はなんと恐ろしい事をしているのだろう?
 見たところ、まだ魔獣は気が付いていないようだが……、なんとか助けないと危険なのは誰が見てもわかる。しかし、どうやって助けたらいいんだろう?

「う、う〜ん、どうしよ───…あっ!」
 メルツはワニシャークの雰囲気が変化した事に気がついた。確かあの体勢は魔獣達に共通する捕獲をする前動作に似ている。カルナさんに習ったとおりの不穏な気配を感じる。……だとすれば、もう時間は残されていない。
「か、勝てないような気がするけど……、やるしかないっす!」
 弱い者を助ける。それは遊撃士として当然の事だ。民間人の安全を第一に考える事が最優先なのだから、民間犬だって民間猫だって助けなければならない。きっとカルナさんはそういうはずだ。
 メルツは腰に携えた愛剣に手をかけると、一気にそれを解き放つ。魔獣が気が付いていないらしい今なら先制攻撃を与えられる。実力不足の差はそれで埋めるしかない。埋まらなくともなんとかする! それが遊撃士なのだから。

「よ、よおし! 突撃っス!」
 相変わらず語尾が特徴的な準遊撃士メルツは、今ひとつの命を救うために全力で駆け出した───。











「あれ、なんでだろう? 今日は観光客の姿が見えないね。せっかくこんなにいい天気なのに……。」

 ジョセフィーヌがよく散歩している、という周遊道を歩く二人。歩道に出たアネラスは周囲を見まわして首を傾げた。今の時期、この春雪が咲き乱れる歩道の美しさからすれば、人がいないのは不自然だと思ったからだ。

 そんなアネラスの隣で歩くクローゼは、美しい風景に溶け込むように、穏やかな微笑みで言葉を返した。
「アネラスさんは確かボース支部の方でしたよね。さきほどグランセルに到着したのなら、今日の予定をご存知ないのも当然です。」
「あれ? なにか特別な日程でも入ってるの?」
「はい。……ええと…。ありました。あれです。あそこの立看板の通り、今の時間は日に一度の警備巡回なんですよ。」
 クローゼ達は立看板のところまで行くと、そこに書かれた内容に目を通した。

「あ、本当だ。この前私が来たのはクーデターの時だったけど、その時はこういうのなかったよね?」
「はい。ご存知の通り、ここはグランセルからのロレントまで繋がる道でもありますから、《輝く環》の騒動後から徘徊はいかいする魔獣を定期的に駆除するようになったんです。だから多くの魔獣が湧き出すこの時間だけは、一般人の立ち入りが禁止になっているんです。」

 アネラスはクローゼの説明を聞きながら看板を見て、いちいちその内容に頷いていた。確かに王都に隣接する観光名所と言われる割りに凶悪魔獣が多い道だなぁ…とはよく感じていた事である。
「知らなかったなぁ。……それにしてもさぁ、ここに書いてある周遊道警備隊…ってナニ? そんなの……あったっけ?」
 今度こそ本格的に首を傾げるアネラス。そんな部署、聞いた事がない。

 遊撃士は軍部や内政に不干渉が原則だが、組織図を把握しておく事は仕事をする上で基本事項である。しかし、アネラスはそういった部署を聞いた事がまったく無い。ずっとボース支部で仕事をしていたとはいえ、それくらいの軍情報が耳に入らないわけはない、と思うのだが……。

「ご存知ないのも当然です。本当に最近できた部署ですので…。グランセルの市民でさえ知らない人は多いと思いますよ。」
「へぇ〜……そうなんだ…。」
 まだあまり納得できていなさそうなアネラス。それが面白かったのか、クローゼはちょっとだけ楽しそうにしている。


「それと、警備隊の皆さんを見たら驚くかもしれませんね。特に隊長さんはご存知の方だと思いますから。」
「あ、ひどい。教えてくれてもいいのに〜。」
「ふふふ…、ちょっとだけ内緒です。あ、ほら…。隊員さんがいらっしゃいましたよ?」
「うう〜、お姉さんなのに遊ばれてるよ〜。」

 すっかり友達同士の会話を楽しむ二人だったが、アネラスは先の方から歩いてくる集団、その兵士を見てぎょっとした。その瞬間に体が動く。緩んだ気が吹き飛んだかと思うと、体勢を整え、いつでも剣を抜ける状態まで気を引き締める。
 それは全身黒ずくめの兵士達。目が隠れるほど深く被った黒のヘルム、動きやすさを追求した簡素な黒鎧、そして手に持つ武器は三つ又のカタール、あの頃と何も変らないその姿。
 紛れも無く、クーデターを起こした元情報部の兵士、通称「黒装束」達であった。彼らは無言で列をなし、一糸乱れぬ歩調でこちらへと向かってくる。

 一番驚いたのは彼らを率いている女だった。紅の髪を揺らし、何にも揺るがない意志を持つ瞳が正面を見据えている。彼女の名はカノーネ・アマルティア。元情報部副官としてクーデターに大きく関わった女性だ。

 《輝く環》による騒動の折、カノーネは犯罪結社《身喰らう蛇》と手を組み、再度反乱を起した大罪人でもある。アネラス自身は面識がないが、一時期は遊撃士協会にも最重要指名手配犯として、軍部より捜査協力の依頼が来たほどだ。穴が開くほど写真を見たあの顔を忘れられるわけがない。
 先日、王都グランセルが《身喰らう蛇》に襲われた時に加勢した、という話は聞いたものの、アネラスはそれを目にしていないし、実際クーデターの時には戦った相手でもあるのだから、警戒してしまうのも無理は無い。

 当然だが、アネラスは彼らに恨みがあるわけではない。罪を憎んで人を憎まず、がモットーである。しかし、遊撃士として備わる本能的な警戒心を完全に解く事はできなかった。それはそれ、これはこれ、だからだ。
 ここで100%の信頼をして気を許すようでは遊撃士たる資格はないだろう。無理に敵対する必要はないが、警戒を怠るわけにもいかない。
 思いがけない者達の登場に、周遊道の華やかさが吹き飛んでしまったようだ。

「アネラスさん。私達は彼らの通行の邪魔にならないように路肩にいきましょう。」
 クローゼはさきほどと変らない様子で、アネラスの手を引いて移動する。引かれるまま移動するアネラスだったが、視線だけは外すさない。
 いよいよ近寄って来た彼ら。何事もなくこのまま通り過ぎるのか、と思った時、カノーネの号令が響いた。

「全体停止! 左向け左! ───姫殿下へ敬礼!」
 ザッ、ザッ、と一切の乱れもなく、機械の様に行われるその動作に面食らったアネラスは、”姫殿下”という言葉に戸惑いを覚えながらも、表情を引き締めたままで黒装束へと向き合う。

「こんにちわ。カノーネさん。お勤めご苦労様です。」
 クローゼは雰囲気を変える事無く、まるで知り合いに話しかけるように挨拶あいさつをする。一方で、カノーネは腰こそ落とさないものの、姿勢を低くし、かしずくように頭を下げた。

「姫殿下にはご機嫌麗しく。巡回時間帯にご視察に参られているとは知りませんでした。現在も鋭意えいい駆除活動中ですが、我々が至らないばかりに魔獣被害は絶えません。この原因は我ら周遊道警備隊の怠慢たいまんによるものです。」
「いえ、あなた方がいるから、私も観光に来た皆さんも安心してここを歩く事ができるんです。お礼を言うのはこちらの方ですよ。」

 アネラスはそんなやりとりに少しだけ違和感を感じた。
 なんだか違うのである。

 この目の前に居るカノーネという人は、間違いなくあの写真で見たカノーネ本人で、2度に渡り大罪を犯した咎人とがびとである。極刑にされても文句はいえない大罪人……。それだけの事をやってしまった人だ。

 しかし、今目の前にいるアネラスが初めて見た彼女は、堅苦しくはしているものの、そうした荒事をするような雰囲気が感じられない。なんというのだろう? 気張った感じがしない、とでも言おうか。とにかく少しも悪人に見えないのが不思議だ。


「では、まだ巡回が残っておりますので。」
「よろしくお願いします。皆さんも頑張ってください。……あ、そうでした。カノーネさん。少し頼まれていただけますか?」
「はい。なんなりと。」
「ジョセフィーヌちゃんが行方知れずになってしまったんです。それで私達も探しているんですけど…、もし見かけたら保護していただけますか?」
 カノーネはちょっと意外そうな顔をして、ふっと優しく笑みを浮かべた。

「お安いご用です。我々も警戒と共に注意しましょう。それでは失礼します。」
 カノーネが会釈をし、続いて黒装束達が敬礼をする。彼らはこれまでと同じように、ザッザッと規則正しく、一部の乱れすらなく、道を進んでいった。

「あ、あれ……?」
 アネラスは、やっと彼らが過ぎ去った事を思いだしたように声を上げる。そしていつの間にか警戒する事を忘れていた事に気づいた。
 来たときはあんなに緊張していたのに、今はまったく気が抜けている。
 悪人の象徴とも言えるはずのカノーネを見ていたら、全然普通の人にしか見えなくて…、悪人にはとても見えなくて…。警戒心とか、わだかまりとか、そういう感じがさっぱり消えてしまったように思う。

「アネラスさん、どうしましたか?」
「へ? ……あ、ううん。なんでもないよ。それより聞きたい事があるんだってば!」
 呆けていたアネラスが、いきなり詰め寄ってくるので戸惑うクローゼだったが、次の言葉で諦めざるを得なかった。
「クローゼちゃんって、本当は偉い人なんでしょ? もしかして、もしかしなくても───」
「あ、あはは……もうわかっちゃいましたか。隠していたわけじゃないんですよ? ただ……その……。」

 ここまで立場を見せ付けられればアネラスでなくとも彼女の正体に気が付く。デュナン公爵と対等以上に話し、一般人の入れない時間帯であるハズの周遊道へも入る事ができる。それどころかあのカノーネにかしずかれている…。そんな立場を持つ少女といえばこの国には一人しかいない。太王女クローディア姫殿下である。

 別段聞いてはいなかったけど、エステルちゃん達と、ただの一般学生が一緒に行動していた理由がこれで納得できた。クローディア姫なら、国の有事に動いても不思議ではない。
 アネラスにとってそれは驚きではあったが、それよりもまず、その事を正直に話してくれなかった事が少し不満であった。それともやはり自分は遊撃士だから、王家の人間としての立場を考えて、一般人と同じように接する事に抵抗があったのだろうか? そんな考えも頭をぎる。


「あの…アネラスさん。私……その…、普通にお友達が欲しくて……。」
「え?」
 何か恥ずかしそうにしながら、うつむいたクローゼは少し言いよどみながらもその先を続ける。
「私が、姫様だって最初から言ってしまったら……、立場が違う人だとわかってしまったら…。」

「何か一線を引くようなみぞが出来てしまうんじゃないかって…。お友達になってくれないんじゃないかって…思って……。」
「……………。」
 その姿を前にアネラスは言葉を見つけられなかった。そしてその意味を知る。



 目の前にいる少女は、お姫様なんかじゃなかった。

 ごく普通の、どこにでもいる大人しい娘で、
 控えめなだけの女の子で、
 ただ友達が欲しかっただけなのだ。

 だから自分が、他の人とは少しだけ違うと言う事を気にして、
 それだけを考えて、やっと勇気を持って口を開いた。

 たったそれだけの事───。
 本当にそれだけの、他愛ない日常がここにあった。



「こんな私ですけど、お友達になってくれますか?」




 春雪の散り行く様は本当に雪のように物静かで、耳に届くのはたおやかな風の音。目の前に立つクローゼはその風景に溶け込むように立っている。
 さきほどデュナンに見せた強い意志など欠片も見せず、同じ人物とは思えない程、頼りないけど素直な瞳がまっすぐにこちらを向けられていた…。

「……か、かわいい………。」
「え?」
 アネラスは両手を広げ、とても大切なヌイグルミを抱くように、そっとクローゼを抱きしめた。
「いや〜ん、可愛いよう〜。お姉さんでよければいくらでも抱きしめてあげる〜。」
「あ、えっと…アネラスさん?」
 頬をすり寄せて、少しだけ背の低い少女を抱えるアネラス。こんな純粋無垢のカワイイ娘なんてそうそうお目にかかれない。今この場で抱きしめておかないと、もうチャンスは来ないかもしれない。
 否! それでは足りない。これはもうお持ち帰り決定だ。

 最初あのおかっぱ公爵さんが半裸で出てきた時はこの世の終わりかと思ったが、今日ほど遊撃士になってよかったと思わずにはいられない…。

 空の女神エイドスよ! 今日という日と出会いに感謝します!

 アネラスのその表情は幸せ100%といった感じで、もう誰の手におえる状態ではなかった。こうなるともう、しばらくほっとく以外に収まらない。
 さすがのクローゼも、認められたという喜びよりも、先日ティータちゃんを抱きしめてお持ち帰り希望した時の光景を思い出していた。

「ああ〜、お持ち帰り〜お持ち帰り〜〜。」
「ティ、ティータちゃんの気持ちがわかってしまいました……。」

 微笑ましい光景というか、一方的に被害者というか、そんな彼女達らしい友達としての日常は、こうして幕を開ける事となった。先行きが少々思いやられる気もしないでもないが、本当に幸せな時間でもあった───。











「最高だ! 僕は最高のエリートだ! これで《真・漆黒の牙》の座は間違いない! アハハハ!」

 暗闇に響き渡る青年、ギルバートの歓喜。そして眼前に眠る人形兵器オーバーマペット【トロイメライ=カプトゲイエン】には、現在エネルギーの供給が行われていた。
 その中で、彼の視線は空中に映し出された立体モニターに釘付けとなっている。本来ならば現代文明の者には理解できない専門用語などをが多々あるはずだが、結社が開発した外部接続の翻訳機によって全てが明らかとなっていた。
 彼が今、喜びの悲鳴を上げて読み漁っているのは、【カプトゲイエン】の仕様の全貌ぜんぼうである。


「すごい! すごいぞ! これはある意味、【トロイメライ=ドラギオン】以上の機体だ!!」
 仕様を解読していくごとに、その”意味”を熟知していくギルバートは狂喜乱舞する。それは彼の欲していた能力を有しているからだった。

「大口径集束型レーザーカノンを2門、掘削用アームが4本、防壁破砕ミサイル16発を同時砲撃、そして最大出力ーはオリジナルの3倍! さらにさらに───…おお? うおおおおおおっ!」
 次々と解析データが表示され、その度にギルバートが奇声を上げる。確かにこの独特のフォルムは通常のトロイメライとは似ても似つかない。

 どちらかと言うと細身のイメージがあるオリジナル・トロイメライ、そしてカスタム機であるドラギオンであるが、このカプトゲイエンは一言でいうと巨体であった。胴体は壁のように厚い装甲に覆われ、通常は腰部にあるレーザーカノン発射口は胸部に2門装備され、まるで目玉のように不気味な光を帯びている。
 そして腕部。オリジナルやドラギオンの腕は金属パイプのような細身であるが、こちらは筋骨隆々を思わせるモノが左右2本づつ。その腕の先にはまるで工事で使われるような掘削用ハンマー、ドリルが装備されていた。

 次いで、ギルバートはこの機体が誕生した経緯に目を通していく。どのような目的で製作されたかを知る事で、その機体の本来の性能を把握する事、設計思想を重んじるのは使用者として大切な役目である。
 それを知っているだけでも、彼がただの阿呆ではないという証明といえば証明だろう。その後の使い方がどうなのかは知らないが。

「ふふん。なるほど……そういう事か…。カプトゲイエンほるための型とはよく言ったものだ。あらゆる装甲、障壁を完璧に破砕する、そういう機体という事か。」
 カプトゲイエン=掘削くっさく用機種、と言う仕様を持つそれは、過去の歴史において重要な役割を持っていた。

 ゼムリア文明が崩壊と言われる1200年もの遥か昔、《輝く環》により人々が堕落への道を進んだ折、リベール王国の始祖となった「セレスト・D・アウスレーゼ」は地下500Mの位置に反抗の拠点を置いた。

 反抗勢力を潰すため、《輝く環》はその拠点へと侵攻するために【トロイメライ】を投入したわけだが、通常戦略兵器である機種に地下深くに作られた拠点侵攻させるには無理があった。掘削作業にも似た地下への侵攻は適していなかったのだ。
 飛行船が空を飛び、輸送する以外に使い道がないのと同じく、作業クレーンには荷物整理以外の仕事ができない。つまり、トロイメライにも掘削作業ができたわけではないのだ。戦略兵器はあくまで戦闘が主。戦闘以外の用途にはあまりにも向いていなかったのである。
 そこで侵攻の効率を上げるべく、《輝く環》が用意したのがこの【カプトゲイエン】だった。

 地下へと掘り進むのはもちろん、途中何層にも敷かれた防御隔壁を完全に破砕し、セレスト・D・アウスレーゼのいる研究施設にトロイメライを送り込む事。それがこの機体の存在意義であったのだ。

 ギルバートは様々なデータを引き出すべく、立体モニターと連動したコンソールパネルをひたすらに叩き続ける。
「だいたい……あのドラギオンなんてナンセンスだ。あんな高速で飛ぶ機体なんて、《執行者》どものような化物にしか乗れるハズがない。僕はデリケートなんだ。あんな得体の知れない奴らと一緒にされても困る……。」

 カタカタと、キーを叩く音だけが暗い室内に響き渡る。それと同時にカプトゲイエンのエネルギーはどんどん満たされていく。
「しかし───、これを使いこなす事で、僕もその化物どもと肩を並べる事ができるわけだ。」
 ニヤリ……と彼には珍しい邪悪な笑み、いや、野望と野心に満ちた笑みを浮かべる。そして彼が残す作業は終わりを迎えようとしていた。この巨神を動かすための最後の作業へ突入する。


「これでラスト…。この起動ボタンを押せば、僕の新たなる未来がそこに広がっている。まずはグランセル城! 執行者4人が切り崩せなかったあの城を、この国のシンボルを叩き壊す。そしてアリシア女王を捕らえ、今度こそ本物のクローディア姫を捕らえて! 僕は出世する!」
 赤く点滅するボタン。最終セーフティロックを解除し、カプトゲイエンを起動させるボタンだ。これを押す事でグランセルを三度みたび災厄が襲う。

「さようなら! リベール王国! 僕の未来に栄光あれ!」
 力強く押された解除ボタン。ギルバートによってそのいましめを解かれた巨体が、振動と共に稼動し始め───





 なかった………。


「あれ…? お、おかしいな??」
 ギルバートは慌ててコンソールを叩き手順を確認する。とりあえず間違ってはいないようだが…。

「ふ、ふふん。確かに1200前の古い装置だ。反応が鈍かった可能性も捨てきれない。きっと何かの間違いなのだろう。そうに違いない。」
 もう一度最初から最終セーフティ解除までをやり直し、今度こそ問題ないと確認する。今回こそ本当に起動し、輝かしい未来へ道が開かれるだろう。
「ふふふ…少し慌ててしまったようだ。この僕としたことが……。」
 目にかかる前髪を手串てぐしでかき分け、再度ボタンへと手を添える。



「さ、さようなら! リベール王国!  僕の未来に栄光あれぇぇー!」














 ………とても静かな5分が過ぎた。

「な、なんでなんだ? どういう事なんだ? 手順通りにこなしたハズだ!」
 慌てふためくギルバート。せっかく目の前にある栄光への架け橋、これでは渡るどころか鑑賞用のままだ。渡れない橋はなんに役にも立ちはしない。

「どうして? ちょっと、おかしいよ! 少しくらい動いてもいいんじゃないのか?」
 何が原因なのかわからない。仕様も熟知している。特にキー操作の滑らかな指使いは完璧だった。それどころか僕はエリート中のエリート、間違えるハズがない!
 滝のような汗を流し、また最初から手順を確認していく。しかしなんの落ち度もないのだ。ギルバートは徐々にその事実へとたどり着く。それは確信に近いものへと変わっていった…。

「も、もしかして……元々壊れていた……のか?」
 思い描いていた様々な未来がガラガラと音を立てて崩れていく。目の前には希望ではなく、金属の塊でしかなかったのだ…。



「違うよ。残念だったね。」
 不意に答えが帰ってくる。それは聞きなれた、絶対に聞きたくない相手の声であった。
「あ……ああ……。」
 暗くて見えないはずなのに、カプトゲイエンの肩の辺りだけが明るい。そこに立って居たのは最も会ってはならない者だった。
「面白い事をやっているじゃないか。ギルバート君?」
 どう見ても少年のような人影は紫のスーツを着込み、緑色の短い髪をしている。
 少年はカプトゲイエンの肩からこちらへと歩き出す、何もないハズの中空にいるはずなのに、階段を降りるようにゆっくりと歩いてくる。コツコツ、という歩く音だけが響いていた。

「カンパネルラ…様!」
「言ったよね? 僕は君で遊ぶのは好きだけど、予定外の仕事でプライベートが削られるのは嫌いなんだ。」
 軽快な年相応の言葉をつむカンパネルラではあったが、誰もそれが本当の姿だとは考えないだろう。悪戯のような口調の中に潜む絶対的な威圧感。それを持つのが《道化師》と呼ばれる《身喰らう蛇》の《執行者》、カンパネルラの姿であった。

「ち、違う! 違うんです! カンパネルラ様!」
「何が違うんだい? 《真・漆黒の牙》の座につくんだろう?」
 言葉が心臓をえぐるというのはこういう事だろうか? ギルバートは今まさに死よりも恐ろしい恐怖心にさいなまれている。たった1秒が無限の時間を感じさせ、呼吸すら覚束おぼつかない。

「《七の至宝セプト=テリオン》の存在しないリベールにはもう用がないんだよ。そうでなくとも《白面》が消えて、 その後始末が僕に一任されて忙しいんだ。一人でたのしまれても困るんだよね。」

 ギルバートは自身の行く末を感じていた。自分は殺される。
 今、ここで。

 力を失った人形のように、がっくりと膝をつくギルバート。先ほどまでの威勢など、とうに消し飛んでしまった。
 ……ここまで慎重に慎重を重ねて行動したつもりだった。この場所ですら独自に調べ、その痕跡も消しておいたハズだった。完璧に隠したハズだった。
 しかしこの少年は易々とこの場所を見つけている……。ここが見つかるなど、ありえない話なのに…。

 やはり《執行者》というのは得体が知れない奴ばかりだ。いや、特にこの目の前の少年は何かが違う。他の《執行者》とはもっと別の存在に感じる。
 しかしもう、それを考えても仕方がない。自分はもう助からない。逃げる事も許されず、苦しみ、もがきながら骨の1本残さず死に絶えるのだろう。

「ま、いいや。許してあげる。……思ったより面白そうだし。」
 聞き違いかと思った。

 この自分の命を握る少年の”許す”という言葉がどんな意味を持つのか? そんな事さえわからない。判断つかない。理解ができない。ギルバートはそんな感情の全てを込めた表情で少年を見上げた。

「そんな顔しなくてもいいいじゃないか。許してあげるって言ってるんだよ。」
 そこには邪気のない顔があった。しかし慈悲を感じない。本当に何かを愉しんでいるような顔つき…。

 カンパネルラはコンソールに近寄るとギルバートと同じく盤面を操っていく。その流れるような手つきはギルバートの比ではない。
「君がやった作業では不十分。起動させるにはあと2つの条件が必要なのさ。一つは特異機能を回復していない事。この機体最大の利点が起動できていなければ動かないようになってる。まず、それを回復させよう。」


【─── 対術式絶対防御システム稼動。待機より作業モードへ移行します ───】


「まあ、こんなもんさ。」
 機械的な音声によりカンパネルラの言う”一つ目の条件”がクリアされた事を知る。

「それにしてもこれ、邪魔だな」
 そのまま作業を続けていたカンパネルラは、ギルバートが取り付けた外部接続の翻訳装置を取り外し、古代語のまま入力を続ける。翻訳機がなければ単語すらも読み取れないというのに、カンパネルラはまったく支障なく、それどころかさらにスピードを上げて作業を進めていく。この鮮やかな手並みには、ギルバートも唖然とするしかなかった。

「そして2つ目。最終的な起動には音声認識が必要なんだ。起動のために必要な言葉がある、という事だね。なんだかわかるかい?」
 恐ろしさが抜けたわけではないが、カンパネルラの問いかけに答えなければならない。しかしその”起動のために必要な言葉”とは、どういうものなのか? 何を言えばこの巨神は起動するというのだろう?

「わからないかなぁ? 決まってるじゃないか。」



「”セレスト・D・アウスレーゼを滅ぼせ”……さ。」


 同時に、地響きにも似た振動が二人を襲う。【トロイメライ=カプトゲイエン】という巨神はその体に炎を宿し、各部を戒める拘束具を引きちぎっていく。それと共に施設が崩壊し始めた。天井から様々な機材がゴミのように落ちてゆく。


【 ─── 命令確認 これよりアウスレーゼの因子を持つ存在を全て抹消します ─── 】

【 ─── 繰り返します。これよりアウスレーゼの因子を持つ存在を全て抹消します ─── 】


 周囲の崩壊とは裏腹に、機械的な音声が感情ない言葉で命令を繰り返す。
「これでアウスレーゼの因子を持つ者全てが死ぬまでコイツは止まる事がない。つまり、リベール王家の全員が死ぬまで、ね。」

 カンパネルラの歪んだ笑み。
 その奥には、常軌を逸した狂気が同居していた。






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