嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

@ 困った依頼人
トップへ戻る

 

「う〜〜〜〜ん…。」
 アネラスはブレイサー手帳を開き、苦い顔になった。
 まさかこんな依頼を頼まれるとは思ってもいなかったからだ。

 彼女は一人、エルベ周遊道を歩いている。行き先は、この先に在る「エルベ離宮」という宮殿だ。

 王都グランセルに程近いここは、王家の人々がもよおし物をり行う場合、もしくは別荘として使う場合など多岐にわたる利用方がある場所で、つい最近ではエレボニア帝国、カルバード共和国、そして我がリベール王国という三カ国による不戦協定の調印式に使われるといった歴史的にも重要な建物でもある。
 また、大きな予定がない平日は一般人に開放され、いこいの場としても有名となっている。中にはその噂を聞きつけ、他国からわざわざ見に来る観光客までいる程…。

 特に好評なのは庭園で、精錬せいれんされたデザインは格調高さを感じるものの、どこか親しみが持てる温かみが表現されていた。質素なようでセンスのいいシンプルな作りは、女王様の人となりをあらわしているようにも思える。
 自分の地元である「ボース市」も好きだが、様々な人と物が溢れている事もあって、ごちゃついた感があるものだから、こうした場所は貴重なのである。噂の庭園で寝転がるだけでも幸せというものだ。

 これが私用で、このよく晴れ渡った青空の下でお弁当でも食べられれば、それはそれは最高の午後になった、…かもしれない。しかし今の彼女からは笑顔よりも憂鬱ゆううつな表情が伺える。向かう足取りは重く、その背中には見えない重りでも背負っているかのようだ。
 ……なぜ彼女がそれほどまでにテンションダウンしているのかといえば、これが仕事だからであり、今回の依頼主がそこで待っているからなのである。



 アネラス・エルフィード。18才。ボース支部に所属する正遊撃士。
 はきはきとした印象を受ける彼女の、快活さを現している瞳は宝石のような紫色で、風にそよぐ栗色の髪は肩までの長さ。そしてトレードマークともいうべき頭につけた黄色いリボンは歩調と共に揺れている。
 胸や腕など各部要所を保護する仕事着は実用的で、少々無骨さを感じるものの、乙女にとってそんな程度は魅力でカバー、といったところだ。

 趣味は可愛いものの収集。特にクマのヌイグルミはお気に入り。休日はファンシーショップ巡りが主……。可愛いものを前にすると、ごくまれに彼女自身が制御できなくなり、問答無用で抱きしめたりする……事もない、事もない。
 しかし、戦闘技術、特にその剣技クラフトに関しては誰もが一目置く力量をたずさえており、実戦で鍛えられたその技術は若手の中でも群を抜いている。時には遊撃士の生抜はえぬきを集めた精鋭チームのメンバーに抜擢ばってきされる事もあるくらいだ。
 もちろん、自身も剣の道を極めようと日々努力している。

 彼女は努力家なのである。
 可愛いもの収集にしても、剣技にしても、どちらも手を抜く事無く、日々精進するタイプの娘さんなのだ。

 今回、グランセル支部が人手不足という事で、比較的に遊撃士が多いボース支部から応援にやってきたアネラスだったが、その依頼を見て悲鳴を上げずにはいられなかった。今回ばかりはその依頼を見なかった事にして、ボースへ帰ろうかと本気で思ったくらいだ。

 しかし───、グランセル支部の管理者でもあるエルナンさんは、笑顔でこう言った。
「エステルさんなら笑って引きうけてくれますよ」

 それを言われては引き下がるわけにもいかない。
 なにしろエステルちゃんはライバルなのだ。

 彼女、エステル・ブライトとは友人であり、ライバルでもある。かなり前になるが、遊撃士協会の訓練場で一緒に厳しい訓練を日々を過ごした時、同世代の新人として、お互いに頑張ろう、と誓い合った仲だ。
 しかしながら、元は自分より階級が下だったエステルは、正遊撃士になった途端、様々な大事件を解決して自分の階級をあっさり抜いてしまった。しかも今では5階級近くも上まで行ってしまっている……。
 これだけ差をつけられてしまうと、普通の人ならば「凄すぎる」とやる気を無くしてしまうかもしれない。素質が違うと諦めてしまうのかもしれない。
 だが、アネラスは違った。そんな彼女が自分以上の努力家だと知っているし、友人として誇りに思ってもいる。なによりライバルとして申し分ない。自分も頑張らなければならないと改めて思えるのである。

 気合充実、気迫十分、今日もお仕事がんばるぞ!……と意気込んだまでは良かった。そこまでは良かったのだが、いきなりこの依頼はいかがなものか、と空気が抜けたようになっているわけだ。

「この依頼はさる高貴な方よりの依頼なんです。お急ぎの様ですし、腕利き遊撃士という指定がありましたから、貴方にならお任せできます。場所はエルベ離宮との事ですので」
 エルナンさんはにっこりと微笑むと、グランセルへ到着したての彼女に、休む間もなくすぐにでも取り掛かるよう指示をだした。しかも通常の依頼は、ギルドに設置された「依頼用掲示板」から自身の遊撃士手帳に内容を書き写すのが当たり前なのに、なんと依頼書ごとまるまる渡されたのである。

 エルナンさんは時々、澄み渡った空のような笑顔で本気で困るような厄介やっかいな仕事を押しつける事があるので、今回も困った話じゃなければいいな、とは思っていたのだけれど……。

 アネラスはもう一度、折りたたまれた依頼書を開いて依頼を確認した。


 大至急、腕利きの遊撃士を派遣されたし。
 詳細は口頭にて。



 リベール王家 デュナン・フォン・アウスレーゼ公爵
 専属執事 フィリップ・ルナール


「やっぱり見間違いじゃないんだよね。う〜ん、おかっぱさんかぁ……。」

 デュナン公爵といえば、あの「おかっぱ頭」という独特のヘアースタイルで有名なオジサンだが、それでも女王の甥として王位継承話も持ち上がった事もある人物だ。(…まあ、あれは利用されただけなのだが)とにかく王家の人間である。
 王家といえば女王様、そして王太女となったクローディア姫など国民に慕われる方々がいらっしゃるが、当の公爵は昔から放蕩三昧ほうとうざんまいのいいかげんな人としても有名である。しかもあの奇抜なヘアースタイル…。有名度では女王にも負けていないと思う。(中身はともかく)

 遊撃士が依頼者を好みで語るのは言語道断ではあるが、口に出さなくたって思う事はある。アネラスにとって、可愛いもの精神とまったく正反対の人と会うのは、多少なりとも気苦労が溜りそうだ。

「それにしても大至急、か…。一体どんな依頼なんだろう?」
 アネラスは気持ちを切り替え、エルベ離宮へと急ぐ。
 エルベ周遊道は午後一番の日差しを浴びて温かく、木々の合間から流れ来る穏やかな風が彼女の頬をくすぐる。一日でも早くエステルに追いつける様に、彼女もまた遊撃士としての今日を頑張っているのだった。










「これはこれは、お待ちしておりました。私はデュナン・フォン・アウスレーゼ公爵閣下の執事をしております、フィリップという者です。この度は緊急の呼び出しにお越しいただき、誠にありがとうございます。感謝の言葉もございません。」
「い、いえ、ご丁寧にどうも。…えーと、私は遊撃士協会グランセル支部から派遣されたアネラスです。よろしくお願いします。」
 程なく、エルベ離宮へと到着したアネラスを出迎えたのは、礼儀正しい老紳士「フィリップ」という人だった。妙に腰が低い、大人しく気の弱そうな感じがする人である。あまりにも丁寧ていねいに頭を下げられてしまったため、ついついこちらまで頭を下げてしまう。

「それで、依頼というのは……?」
「はい。では閣下がお待ちですのでご案内致します。こちらです。」
 フィリップはまた深々と頭を下げて廊下を案内してくれる。この人、本当に気が弱そうだな……。デュナン公爵にお付きの人がいるとは聞いていたけれど、会うのは初めてだ。この様子からすると、きっと苦労させられているのだろう。

 それはいいとして、
 この執事さんがいるという事は、やっぱり依頼自体は公爵からのようだ。一体どんな依頼なのか気になるトコロではあるが、ここまできたら依頼第一。誰が依頼者であろうと、その人が困っている事には変りがない。できうる限りの対応は取らなくてはならない。
 それにおかっぱ殿下も、あんなのとはいえ王家の人間である。考えてみたら、自分はそうした重要人物からの仕事を受けた事がない。それどころか、王家の人になど会った事さえなかった。それを今回は遊撃士の代表として一人でこなさなければならない。……わわっ、よくよく考えれば責任は重大だよ…。

 ああそうだ、敬語とか大丈夫かな? いつも依頼主さんや先輩達と話すくらいの敬語でいいのかなぁ……と、今になって不安がこみ上げてくる。祭日とい事もあり、家族連れが多く目に付く宮殿の廊下を歩く彼女だったが、生憎あいにくとそれをながめる余裕はなかった。


コンコン
 フィリップさんがとある一室の前で立ち止まり、扉をノックする。どうやら目的の部屋に着いたらしい。心なしか緊張しているアネラスは何気なく背筋を伸ばした。
「閣下、遊撃士の方を御連れ致しました。入りますぞ。」
「し、失礼します。」
 フィリップに続いて部屋へと入るアネラス。豪奢ごうしゃな作りの室内には、見たこともないような金縁装飾のソファや、見る角度を変えるだけで様々な色を発する調度品が品良く並べられている。
 うひゃあ…、やっぱりお金持ちだ…。さすがにお金持ちのケタが違うなぁとは思うものの、一般的小市民である自分としては、見たこともないきらびやかな品々を目の前に持ってこられても、価値なんてさっぱりわからない。せいぜい「あの刺繍ししゅう、素敵だな〜」とか思うくらいで、ソファに置かれているクッションひとつでさえ、何十万ミラなのか見当もつかないのが実情だ。
 アネラス的に考えるとすれば、「あれ1個でクマさんの人形何匹分の値段なんだろう?」 という計算方法になってしまい、想像するだけで幸せな気分になってくる。
 それどころか、あのクッションを貰ったらどのクマを飾ろうかなぁ…などと、すでに思考は妙な方向へ飛んでいた。そのうち空想は手のつけられない程の広がりを見せて、クマさん達と仲良く話す自分が楽しそうにしている、とても幸せなひとときが頭に浮かんでいた……。

「お嬢様? 遊撃士の方、どうなさいました? 殿下は奥の部屋にいらっしゃる様ですので、こちらに…。」
「えへへ…くまさん、くまさん〜……はっ! ひゃい! 行きます行きます!」
 声を掛けられてやっと妄想世界から帰還したアネラスは、フィリップが待つさらに奥の部屋に急いだ。彼は一つの扉の前で直立していたので、慌てて彼の後ろへ、習うように直立する。

「閣下、開けてもよろしいでしょうか? 遊撃士の方にお越しいただきました。」
 フィリップは先ほどと変らず、丁寧な口調で扉へ向かって話しかける。しかし返事は戻ってこない。それになにか、唸り声のような低い声が部屋の中から聞こえるのは気のせいだろうか?

「閣下、入りますぞ。」
 返事を待たず、フィリップさんはノブを回して扉を開けた。そして、アネラスが目にしたのは───



「うおおおおおおおおお〜〜〜ん!! ジョセフィーーーヌ! ジョーーセーーーフィーーーーーヌぅぅぅ!!」
 ベッドの上で体を丸め、枕に顔をうずめて布団をかぶり、盛大に泣きじゃくっている中年男だった……。
「あ、あの……閣下、もう泣くのはおやめください。こうして遊撃士の方にもおいでいただいたのです。すぐに探し出していただけます」
「ジョセフィ〜〜〜〜ヌ! うおおおおお〜〜〜ん!」
 一向に泣き止まないおかっぱヘアーの中年男、いや、彼こそが王家の有名人デュナン・フォン・アウスレーゼ殿下だ。アネラスは公式行事で何度かその顔を見ているが、こうして間近でみるとそのインパクトは凄まじい。
 しかし、布団から這い出してきた彼はさらに強烈すぎた。なんと半透明のネグリジェ姿で泣きベソかいているのだ!……たしか今年で35歳。なまめかしく透けて見える裸体が目に飛び込んでくる……。

 アネラスはそのまま石化した……。

「か、閣下! なんという格好をされているのですか! 王家の者ともあろうお方が、昼間からそのような夜着でおいでとは……。」
「おおお〜〜〜ん! どこへ行ったのだああーーーー!」

 気が抜けるどころか、魂まで飛んで行こうとしているアネラスは、最後にこう思った。
 空の女神エイドスよ、これは何かの天罰でしょうか……?

「お嬢様、お気を確かに! さあ、閣下もお着替えください! 日はまだ高こうございます」
 その言葉と共にフィリップに背中を押されるデュナンは、泣きながらタンスへと向かっていく。残されたアネラスは、危ういところでなんとか我を取り戻していた。きっと、口から飛んで行きそうになった魂を、クマのヌイグルミ達が現れて、押し戻してくれたのだろう。(そんな気がする) ……みんなありがとう…私、頑張るからね……。
 アネラスはほろり、と嬉し涙を浮かべる。

「お嬢様、しばらくお待ちくださいませ!」
 みんなのおかげで耐えきったアネラスの前で、フィリップさんが部屋の扉を荒々しく閉める。しかし奥からは、いまだ否応なく大泣きするデュナンの声がしていた。

 それから……、10分。


 やっと泣き声が収まった部屋からは、フィリップさんだけが疲れたように出てきた。そして「ふぅ」と溜息をついて、またうつむく。その姿をみていると、この人、気苦労だけで寿命尽きそうそうだと思わずにはいられない。少なくともいまので10年は縮まった事だろう。

「あのぅ……一体……何事なんですか?」
 毒気に当てられながらも、なんとか口を開いたアネラスが心の底から出た感想そのまま問う。すると、色白の老紳士は、その肌の色をさらに白くしたように、なんとも申し訳なさそうに話し出した。

「はぁ、実は……ジョセフィーヌ様が家出をされたのです。」
「ジョセフィーヌ??」
「はい。閣下が心の底より大切にしておられる愛犬でございます。」

「い、犬ですか? …はぁ、その子がジョセフィーヌという名前なんですね。えーと、それで今回の依頼というのは……?」
 アネラスは見たまんまの状況から、なんとな〜く仕事内容を悟りはしたものの、王家の人間がまさかそんな依頼を頼むはずがない、と現実逃避しつつフィリップに聞き返してみる。あんまり確信を得たくない気持ちで一杯だった。
「ですので、閣下が大切にされている愛犬のジョセフィーヌ様がいなくなってしまわれました。それを探していただきたいのです。」
「え〜と…………、つまり依頼は『犬探し』という事ですか?」
「左様でございます。」
「大至急?」
「大至急でございます。」
「この敷地とか、その周辺の隅々まで探して?」
「はい。敷地内といわずグランセル一帯をシラミ潰しに、でございます。是非ともよろしくお願いいたします。」
 フィリップは深深と頭を下げる。
「うおおおおお〜〜ん! ワシを置いてどこへ行ったのだぁぁ! ジョーーセーーフィーーーヌーーーー!」


 ……またも始まった大泣きが、アネラスに痛烈な頭痛を与える。
 そして、そのジョセフィーヌとやらが10分くらいで見つかってくれないか、と願わずにはいられなかった……。






NEXT→ A とてつもなく後ろ向きな午後 トップへ戻る