ティータ と アガット

G ティータ と アガット
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「も、もうダメじゃ…、げ、げ、限界じゃ」
 ラッセル博士は工房前のエスカレーターに座り込んでいた。体力が底をつき、階段にすがって自動で昇ることしかできないほどに消耗しょうもうしきっている。
 しかし、フレイムベルグは悠々と空を舞い、獲物である老体を攻撃するべく態勢を整える。自分を傷をつけた、この愚かなる人間の生命を奪うため、最大の一撃を加えようと距離をとる。

 困った事に、ラッセル博士は[トールハンマー]を途中で落していた。拾い上げる前にフレイムベルグに襲われて、逃げる事で精一杯だったのだ。残っている武器は、この【妨害】のクオーツが入った導力銃だけである。
 体力はない、武器もない、助けも来ない……。
 これは絶体絶命というべき状態ではないだろうか? そうに違いない。ラッセルはこれがピンチか、と心のどこかで納得していた。こういう体験はそうそうできるものではない。
 天才とは厄介やっかいなものである。こんな時でも新しい発見を見つけては喜んでいるのだから。

 そんな博士の事など関係ないフレイムベルグは、とうとう攻撃へと転じた。超・超高度からの突撃である!
 天高く舞い上がった体に速度の乗せての突撃攻撃。それは助走をつけて飛ぶと長く遠くへ飛べるのと同じ原理で、滑空して速度を上げ、突撃威力を飛躍的にあげる手段である。このフレイムベルグが多くの同種族の中でも最強を誇ってこれた理由。それがこの攻撃なのである。

  串刺しにして巣穴近くの樹木に吊り下げ、何日かかけてついばんでやらねば、この屈辱は収まらない。
 全身を炎で包み、その気性までもが炎と化すフレイムベルグ。ツァイス近辺で最強を誇る自分を傷つけた報復ほうふくを受けさせるために、もう一度力強くはばたき、さらに速度を上げた!

「と、止まれ! 止まらんかぁ!!」
 ラッセル博士の導力銃が放たれ、弾はあさっての方向へと飛ぶ。もはや、死は眼前に迫っていた!

 その時、眼前に飛び出す何か。それはラッセルの前へと飛び出し、フレイムベルグの正面へ対峙する。同時に、鋼の閃光を瞬かせた。
「病み上がり奥義っ! ──グラッツスペシャル!!」
「ギョアアアアアアアアアア!!」
 鼓膜こまくを破らんとするような絶叫! そして沈黙……。
 強烈な一撃、結果としてカウンター攻撃となったその一撃により、一瞬でその生命を消していく炎の巨体。フレイムベルグは頭部から胸にかけてを真っ二つにして、ズシャリ…、という音と共にそのまま倒れて動かなくなった。
「くぅ〜〜! 俺ってカッコいいかも。ピンチの時に現れる英雄って感じだよな。あ、痛てて…、うう〜……」
 エスカレーターにしゃがみこんだラッセルの頭の上から威勢のいい声が響いた。そこにいたのは、上半身を包帯でぐるぐる巻きにされた男。ハデに動いたせいで痛みにもだえている男。……グラッツであった。

「ラッセル博士、遅れました。なんとか無事だったみたいですね」
「はぁ……ひぃ、ひぃ……い、いるんなら……はぁ…はぁ…いるならいるで早く助けんかい! このバカたれ!」
「あ〜すんません。いまさっきまで寝てたもんで…」
 ラッセル博士はあまりの疲労で声を出すのもツラそうにしている。グラッツは肩を貸そうと手を差し伸べた。すると、その手は傷だらけである事に気がつく。
 よく見れば体中に無数の傷があり、ところどころ包帯には血がにじんでいる。中でも一番ひどいのが脇腹わきばらだ。包帯は真っ赤に染まり、穿いているズボンまでもを侵食している。たぶん、今の攻撃の負担があったのだろう。なんせ、恐ろしい速度で突撃してきた敵を正面から阻止したのだ。あれだけの速度と重量を相手にしたのだから、無傷であるわけがない。
 それでも平気な顔をしているグラッツは、凄まじい精神力である。


「おい、お前の方がやばそうじゃぞ? 大丈夫なのか?」
「へへへ。そりゃあ平気ですよ。俺は正遊撃士ですからね。ちょっと痛いけど、死にゃあしませんって」
 あくまでも笑顔のグラッツ。さきほどのキリカといい、この男といい、遊撃士は皆、素晴らしい精神を持っているのだと改めて思う。だからこそ、ラッセル博士はこれ以上心配する事をやめた。彼が出来るというのだから、それの判断に任せるべきだと思ったからだ。

「グラッツよ、すまんが動けるならトラット平原道入り口で戦ってるキリカ達の援護に行ってやってくれ。もうそろそろ厳しいハズじゃ」
「はい。わかってますって! 俺に任せてくださいよ」
 どんっ!と強く胸を叩くと、グラッツは痛みが走ったのか、しゃがみこんで泣きそうになっていた。
「痛ってー……。くそっ、このまま死んだら、アネラスに貸したアイスクリーム代が戻って来ねぇ。絶対死んでやるもんか」
「おー、行って来い行って来い。ワシの分まで頑張ってくるんじゃぞ」
「行ってきます! 博士は寝てていいですよ」
「うむ。そうさせてもらうぞよ」
 グラッツの元気な声が遠のいていく。
 昨日の今日で無茶しおって……大丈夫なわけないじゃろう…。

 昇りエスカレーターの上で寝転び、大の字になる。空には雲ひとつ無く、日差しが温かい。最近は研究で部屋にこもりがちだったし、これもまたよいと博士は一人、日向ぼっこを楽しむ事にした。
 どうせ、これ以上はもう動けそうにない。後は若い者に任せるとしよう……。

 疲労のせいか、珍しく無心となった頭に、孫の事が思い出されていた。

 最近はいつもアガット君に頼りきりじゃなぁ…。
 ティータが懐いている事もあり、どうも任せてしまっている。ワシは甘えすぎているんじゃろう。  贅沢ぜいたくを言えば、あのまま彼がティータのそばにいてくれると嬉しい。もちろんティータも喜ぶ。

 それに───
 ワシもずっとティータの元にいてやれるわけじゃない。ワシにもしもの事があった時、彼は孫の隣にいてくれるんだろうか? そうであれば安心なのだが……。



 空にひとつ───、雲が流れていく───。
 行く先も知れないその雲が、いつか離れていくアガットのようにも思えた。

 ちょうどその時、一陣の影が空をよぎった。
 別のフレイムベルグかと思ったが、そんな程度の大きさではない。もっともっと、比較にならないほど巨大な物体。それがオーブメント独特の駆動音をさせて近づいてくる。
 せっかくの日向ぼっこが台無しだ、と思ったが、影が大きくなるにつれて、その正体がくっきりとわかってきた。……どうやらそれは希望の光、もとい、希望の影だったようだ。

「ほほう! ここまで近くで見れるとはフレイムベルグ様々じゃのー! 追いかけられてラッキーじゃわい!」
 さきほどの疲れはどこへやら、飛び起きたラッセル博士は少年のように目を輝かせた。その巨体を中央工房前の広場に停泊したそれは、まぎれもなく飛行船。最新鋭機、高速巡洋艦アルセイユだったのである。

 光り輝く白いボディ、洗礼された鋭角的デザイン、機械マニアの心をくすぐる絶品アイテムが目の前にある。これを逃して科学者を名乗れようか?
 着陸から2分と経たずに、王室親衛隊が降りてくる。統率のとれた動きで、次々とバリケードへと向かっていく。
「キリカめ。あやつ…、王家まで動かしおったわい。恐ろしい奴じゃのう…」
 ラッセル博士はそんな事を言ってはいるが、その心はアルセイユに奪われていた。船体を眺めては感動し、エンジンを見ては感動する。
「ふーむ、まだ新型エンジンは搭載とうさいされておらんのか。いやしかし、いいのう〜。分解させてもらいたいの〜」
「はは…それは困りますが、博士になら任せてみるのも面白いかもしれませんね」
「おお、これはこれは…ヒマな奴もいたもんじゃ」

 そこに現れたのは長身の男だった。45歳の中年とは思えない引き締まった筋肉。それでいて、すらりとした体躯は見事なバランスを得ている。茶系ブロンドの髪はいつも通りのオールバックにされており、そして鼻下には……。
「カシウスよ。おまえヒゲは剃らんのか?」
「博士の髪がなくなった頃に剃らせていただきますよ」
 そこに現れたのは、まぎれも無くカシウス・ブライトその人。いつもと変わらぬ穏やかな笑みをたたえ、かしこまる事無く、親しみが持てる魅力をね備えた人物である。
 かつて起ったエレボニアとの戦争である「百日戦役」でリベールを勝利に導いた英雄であり、また、遊撃士としても、大陸に4人しかいないS級の称号を得ている伝説的な存在。なにより、ティータの姉がわりになってくれるエステルの父親。……それが彼だった。
 今は情報部によるクーデターでめちゃめちゃになった軍部の指揮系統を立て直すため、遊撃士の席を離れ、軍職に復帰している最中である。
 しかし、そんな時になぜ彼が出向いてきたのか、とラッセルには合点がてんがいかなかった。

 今この時期に守りの要である王室親衛隊をツァイスへと動かし、カシウスまでもが出てくる。これではグランセル城は空になり、国を統べる女王陛下が一人残されてしまう。いくら王国兵が守備しているとはいえ、そんな危ない事をするなどカシウスらしくないと考えたのだ。
 ラッセル博士のそんな顔を見たせいだろうか、カシウスはなんでもない事のように言葉を続けた。

「心配せずとも。陛下はそこにいらっしゃいますよ」
「な、なに! 女王陛下までいらしてるのか?!」
「陛下はいざという時に使えないのなら意味は無い。こういう事態に備えてこその軍備だ、とおっしゃるので……。試乗も兼ねて出てきたのですよ。会議も煮詰まっていましたからね」
「なるほど、女王陛下も一緒なら安全じゃわい」
「それに親衛隊のいい経験にもなりますからね。ツァイスも救える有意義な散歩ですよ」
「そうか、散歩か。そりゃあいい」
 カシウスはそういうと、にっこりと笑う。いい大人がイタズラ小僧にでもなったかのような笑顔。ラッセル博士も負けずとニヤリと笑い返した。こういう部分が年の差を越えた友人たる部分なのかもしれない。

「おお、そうじゃ。アガット君がティータを救出に紅蓮の塔へ向かっておる。悪いが援軍を出してくれんか?」
 ラッセル博士は思い出したようにカシウスへと言う。しかし、その口ぶりはあまり急いではない。

「ええ、念もため軍用揚陸艇を迎えに出しました。…そのうち戻ってくるでしょう。心配するほどでもありませんよ」
「言われてみればそうじゃな。…おお! 女王陛下が手を振ってくださる。いくつになっても可憐なお方じゃ」
 窓越しから手を振る女王陛下を見つけ、手を振り返すラッセル博士。ティータとアガットの2人を本当に気にしていないように上機嫌である。博士にはわかっているのだ。無事でいることが。
 アガット君がいるなら間違いない。あとはただ、帰ってくるのを待てばいいと……、そう思っているのである。

「それよりも博士、アガットの奴が大変な事をしたと聞きました」
 カシウスが眉をひそめ、口をへの字に曲げる。大きなイタズラ少年は、とても困ったというような表情を作る。
「あの不良少年、なんでも……ティータをいじめて泣かせたとか…。私も少々憤慨ふんがいしているところです」
「ほっほっほっ、アガット君には世話になっとるからのう。お手柔らかに頼むぞ」
「ええ。いい仕事を与えてやろうと思います。とっておきのをね」
 そういうと、カシウスは空へと視線を移し、気持ち良さそうに笑った。まるで遠くにいる弟子が慌てふためく姿を想像するように…。










 紅蓮の塔の屋上。そこはすでに穏やかな風が吹いていた。
 激しい激突など最初からなかったかのように、鳥のさえずりりさえも耳に届いてくる。

 横たわっているのは痩せた男。頬はこけ、目はくぼみ、服も鎧は原型を留めていないほどに破壊されていた。
 あれほどの動きを見せた四肢はもう動かない。人形のようにだらりと伸ばされて、風に飛ばされそうでもある。その男に残されていたのは、わずかな生気だけだった。

 アガットは、ほぼ真ん中折れてしまった重剣を背中に戻し、その男の側に立つ。戦闘不能どころか半死人となった敵を見下ろし、無言でいた。
「……私が…負け……た? なぜ……? 愛が障害を乗り越え……られなかった…」
 全ての活力を枯渇こかつさせたボナパルドは、虚空こくうへと向けた視線を動かす事なくつぶやいた。アガットには答えてやる義務もないし、必要もない。しかし、全力で戦った相手として言葉を聞く役目を持っていた。
 ボナパルドの質問を自身に問い、ありのままを答える。

「てめえはムカつくが、……強かった。マジで強かったぜ。俺が勝てたのは俺の武器が重剣だったからだ。あれじゃなきゃ、テメエの技に耐え切れず先に折れてただろうしな」
 それは本心からの言葉である。もし自分の得意とする武器が重剣でなければ、今この場で倒れているのは自分であったハズだ。
 この男が、それだけの実力を持った相手であると素直に認める。汚い手こそを使ったが、人質を取って、一方的になぶり殺しにする事はしなかった。理由はどうあれ、こいつは正々堂々戦いだけを求めた。
 ならば、包み隠さず話さなければならない。それが相手への礼儀である。

 ───すると、ボナパルドはとても穏やかな顔のまま、目をつぶる。そして、ゆっくりと話し始めた。



「……私はね、アガット君。猟兵団には属さずフリーで金を稼いでいました。幼い頃からずっと一人で、……戦場で生きる事しか知らずに育ったのです。戦場が我が家で、体に染み付くのは血と破壊のみ。それは人の生き方ではないとは知らず、ここまで来てしまいました…。
 しかし、人は生きる喜びがなければ生きていけない。私は、死しか感じないこの生き方を否定ひていもできず、肯定こうていもできずに生きるうちに、精神が壊れるのを感じました。
 そこで出会ったのが、ロランス・ベルガーという人物。あのお方だったのです。

 彼を生きがいとし、愛する事が幸せでした。だから精一杯の努力をした。歪んだ心と理解はしていても、少しでも彼のためになると思えばなんでもしてきた。…信じられないかもしれませんが……私も貴方と同じように、大切なモノを守ろうとしたのですよ……」
 一陣の風が吹く。アガットは無言でこの男に背を向けた。それは無視したわけでも、馬鹿にしたわけではない。このねじれた男の言葉をすべて否定する事ができなかったのだ。

 生きていく事への執着。何かにすがりつかなければ、人は生きていく事が難しい。
 確かに形は歪んでいるが、この男はそうしなければ生きる価値を見出せなかった。
 その結果の暴走───。それが今回の事件であった……。

 こいつのやった事は許されるべき事ではない。許されざる事ではある。
 しかし、アガットは、自分はどうだろうか?
 一人思い悩み、ティータを突き放し、仲間に罵詈雑言ばりぞうごんまでも浴びせ、それでも孤独でいようとした。
 そうして自身を追い込んでいけば、その先にあるのは、この男のような他者を巻き込む暴走ではなかったと言えるだろうか? 


「私は完全に負けた……。力は互角ごかく、大切なモノを思う気持ちも同じだった。
 ではどこに、私と貴方との差があったのでしょう?」

 ボナパルドがぽつりとつぶやく。そしてそのまま、何も話すことはなかった。
 奴はその胸の中で、己の辿たどった軌跡を思い出しているのだろう。アガットはそれに答える事もなく、倒れているティータの方へと歩き出す。
 アガットは心の中ではその答えを理解しているつもりではあった。いや、感じ取っていた。
 自分でもうまく表現できないが、この敵のおかげで、大切なモノを守るという意味を確認できたと思う。


「ミー! ミー!」
 ティータのいる場所まで来ると、おりが壊れたのか、あのホワイトタイガーの子供がティータのそばで鳴いていた。
「おい、ティータ。しっかりしろ。ホワイトタイ──いや、猫が鳴いてるぞ」
「うう……あいたたた……あっ! アガットさん! 無事だったんですね! 良かったです。あっ、ミーちゃん!? おはよう」
 先ほどの出来事を忘れてしまったかのように、とても元気よく目覚めたティータ。彼女はアガットの姿を認めると、嬉しそうに立ち上がろうとする。
「あ、痛っ! 足が…痛いです〜」
 そして、また足に力を入れてしまったらしい。涙ぐんで右足首を押さえた。しかし今は、そのこらえる顔がどこか嬉しそうでもある。

「あほか、お前は……。捻挫してるんなら痛いに決まってるだろ? 無茶すんな、おらっ!」
「わ、わわわ! ちょっ──アガットさん! そ、その! あの……」
 両手で受け止めるように正面に小さな体を抱え込む。歩けないなら抱いて帰るしかない。背負えば楽なのだが、背中には重剣を止めているので前で抱き上げるしかできないのだ。
 しかし、ティータはなぜか顔を真っ赤にしてうろたえっぱなしである。
「なんだお前、顔が赤いぞ?」
「えーと〜、そのぅ……これはお姫様だっこといって……」
「なんだそりゃ? もしかしてこれだと足でも痛いのか?」
「い! いえっ! 違います。ぜんぜん痛くはいですよ」
「変な奴だな」
 アガットにはさっぱり意味がわからない。なんだか知らないが、これしか連れて帰る方法がないのだから文句を聞いてやる事もできない。すまないが我慢してもらおう。
 足元で鳴くホワイトタイガーをさらに片手で捕まえ、抱いたティータの腹の上へと乗せた。
 ティータがすかさず抱きかかえ、何かとても嬉しそうに頬を寄せてかわいがる。


 ──とはいえ、アガットは正直のんびりしていられなかった。ツァイスが魔獣に襲われている現状を見過ごすわけにはいかない。重剣が折れていようとも、体が痛みで悲鳴を上げていようとも、ツァイスへと向かわねばならなかった。
 ほおっておいてもボナパルドに逃げる力はないだろう。その気力さえもない事は見ればわかる。今はこの場に置いて、あとで確保しにくればよい。その頃には、悪徳商人も薬の効果が切れていることだろう。

「ティータ、一旦エルモ村に寄るぞ。お前はそこで大人しくしてろ。俺はツァイスに行く。まだ襲われているだろうからな、のんびりはしてられねぇんだ」
「そ、そんな! アガットさん体が………、いえ、なんでもないです。待ってます…」
 やけに神妙なティータを見て、アガットはばつが悪そうに視線をそらした。
 ──嫌わないで……、というあの言葉が耳に痛い。元々は自分のせいなだけあり、このように元気なく言われると、余計な罪悪感を感じてしまうのだ。
 だから、今思うことを素直に言う。嫌ってなどいないという気持ちを伝えるために、我ながら似合わない言葉だ、と思いつつもそれを口にした。

「……迎えにいってやる」
「えっ?」
「ちゃんと片付いたらエルモまで迎えにいってやるから、大人しくしてるんだぞ」

 一度も視線を合わせず、アガットが言った。ティータは目をパチクリとさせて、今の言葉の意味を考える。アガットはさらに、言葉を続けた。
「エルモだけじゃねぇ。……まーその、…なんだ。お前をグランセルには連れていけねぇが、……ちゃんと戻ってくるから、心配すんな」
「あ……え…」
 それはティータが待ち望んでいた言葉、自分が嫌われていないとわかる。ぶっきらぼうだけど、心からの想ってくれている優しい言葉……。
「アガットさん!」
 そのまま首に抱きつくティータ。あまりの嬉しさで、何もかも、足の痛みまで吹き飛んでしまったように心が一杯になる。
「こ、こら! くっつくなバカ! だから…俺はだな…」
「私……私は……」

 アガットさんが大好きです。本当は優しくて、いつも困っている私に手を差し伸べてくれる。
 だから、だからね、
 いつまでも一緒にいてください……。

「ミ〜〜! ミィィ〜!」
「あ! ごめんね、ミーちゃん!」
 無理に抱きついてしまったので、ミーがつぶされて抗議する。それはとても、微笑ましい光景だった。



 ボナパルドは何を考えるでもなく、その光景を眺めていた。それにより、心の中で渦巻いていた葛藤への答えを知ったような気がする。薄く笑い、誰に言うでもなくつぶやいた。
「……は、はははは……なるほど、そうでしたか…。私に足りなかったのは……相手を思いやる気持ち……でした…か……。
 考えてみれば、私は貴方の──、ロランス様の気持ちを理解しようとはしませんでしたね……。愛を押し付けるだけ……、尊敬を押し付けるだけだった。そんな私が……勝てる相手ではなかった…か…」
 力なく笑うその顔は、どこかすっきりとした印象があった。












 ───あれから数日が経った。

 ツァイスは怪我人こそいたものの、街への被害は少なく、また親衛隊の活躍もあって魔獣を撃退する事ができた。今は遊撃士と作業員により、街道のオーブメント修理が進んでいる。
 遊撃士協会では、キリカがそれまでとまったく変わりなく坦々と仕事をこなし、事後処理を行っていた。その横で、共にデスクワークに勤しんでいるのは、傷だらけのグラッツである。
 傷を負っていようとも手は動く。休暇の分だけ働けと言われて返す言葉もなくやらされている。

「キリカさん俺、そろそろボース支部に帰りたいんですけど…」
「あと178件の事後処理を終えたら戻っていいわ。それとこの調書、最初から書き直しね」
「うへぇ……」
 こんな事なら助けにいかなきゃよかった。自分はどちらかというと、体を動かして能力を発揮するタイプなのだ。机仕事はカンベンしてほしい。ああ、ボース支部が懐かしい。アネラスかスティングをだましてツァイスに連れてこようか、と苦悩するグラッツ。テンションは最悪だ。

「も、戻ったっス〜」
 ちょうど帰って来たのは、街道修理に出ていたメルツだった。こちらも働き詰めで、疲労困憊こんぱいなのがわかる。
 グラッツはこれぞ天の助け、とでも言うかのように後輩に目を光らせた。なんとかこの作業を押し付けて、自分はボースに帰ろう。そう考えている。

ジリリリリ! ジリリリリ!
 その時、協会に設置された通信機(電話)がかん高い音を鳴らした。この通信機は他支部や重要機関と連絡がとれる装置で、主に報告専用として使用されている。
 キリカは音もなく立ち上がり受話器を取った。

「ご苦労様。──ええ、そうね。───こちらも落ち着いたから大丈夫よ。──ええ、そこそこね」
 いくつかの応答の後、キリカは無表情のままメルツへと視線を送った。
「メルツ、連絡が入っているわよ」
「ぼ、僕にっスか?」

 メルツは初めて取る受話器に恐縮しながらも、それに応答する。





「いつまでツァイスにいるつもりだい!! さっさと戻ってきなっ! 人手が足りないんだ!」


 メルツの所属するルーアン支部の先輩、姉御こと、カルナだ。メルツは新人なので誰にも頭があがらないが、特にこのカルナには弱い。怒らせるとどうなるかわかったもんじゃない。
 そういえば、自分はちょっとした届け物でツァイスに来ただけだった。忙しいルーアンをこんなに開ければ、カルナの怒りは爆発して当然である。

「ひえええええ〜! カ、カルナさん!! い、今すぐ帰るっス!!」
 本気で汗だくになっているメルツは、急いで受話器を置くと出口へと駆けて行く。それをキリカは呼び止めた。
「メルツ、定期船のチケットを手配しておくわ。次の便でルーアンへ戻りなさい」
「あ! 助かります! そ、それじゃあまた来るッすー!」
「あっ! おい、俺のデスクワークを……」
 グラッツが呼び止める間もなく、メルツは飛び出していく。よほどカルナが怖いのだろう。グラッツだってカルナを怒らせたくはない。
 しかし、これで確定した。自分は当分帰れないという事だ。

「グラッツ、あと18枚調書が終わったら、メルツの代わりに街道修理よ。2時間で済ませて戻ってちょうだい。その後は45枚調書が残っているわ。そうしたら10分だけ休憩して結構よ」
 背筋に恐ろしく寒い無言の圧力を感じた。たぶんもう、2日程は徹夜を覚悟せねばなるまい。いや、3日か…。
 リベールの女遊撃士は恐ろしい人ばかりだ。

 グラッツの帰還はまだまだ先になりそうな予感がしていた………。





 王都グランセル。リベール国の中心にして最大の都市。
 石作りで整頓された町並みは、どこか温かみがあり、女王アリシアU世の人柄が表れたような穏やかさ、そして平和で満たされている。
 出店立ち並ぶ大通りにはいつでも活気が溢れ、先日行われた女王誕生祭も終わったというのに、観光客が絶える事はない。

 その一角、それも大通りの目立つ場所に建てられているのが、遊撃士協会グランセル支部。やっとツァイスからここへと到着したアガットは、初日の調査を終えて報告するために戻って来ていた。
 扉を開け中へと入る。すると外からの音が遮断され、喧騒けんそうは遠くに聞こえるのみとなった。街の騒がしさにうんざりしていたアガットにとって、グランセルで唯一、落ち着ける場所だといえる。なんといっても一人で坦々と仕事ができるのがいい。やはり俺は組んで仕事をするより、一人作業が向いている。

 仲間は仲間、信頼は信頼。しかしそれと向き不向きは別問題である。
 アガットは単純に、一人での仕事が好きだからだ。

「ご苦労様でした。さすがの《重剣》殿も、街の喧騒が苦手とみえますね」
 爽やかな笑顔で受付に立っているのはエルナンという男だ。女性のような繊細な金色の髪に、貴族のような整えられた服装。王都の受付にふさわしい気品を併せ持った男である。
(しかしこいつも、キリカみたいに腹黒いところがあるんだよなぁ…。)

 アガットは若手遊撃士とはいえ、リベールの中では古株な方だ。この男がなかなかどうして曲者くせものだという事は、とっくの昔に承知している。それが証拠に、今日は必要以上に笑顔がまぶしい。何かたくらんでいそうな雰囲気だ。いや、たくらんでいる。

「俺は今日が初日だが、普通に報告すりゃあいいんだな?」
「はい。他の支部と変わりありません」
「じゃあ、そのまま聞いてくれ。俺が出向いた───」
「…っと、少々お待ちください。その前に、アガット宛に依頼が届いてますよ。依頼人はカシウス・ブライト…。これがそうです」
 エルナンは懐から封書を差し出す。報告よりも重要だ、と言わんばかりにアガットへと向ける。
「な、なんでカシウスのおっさんから……わざわざ俺に……」

 受け取ったアガットは、さっそくその依頼書へと目を通す。………次第に、怒りで顔が真っ赤になっていった。
「な、な、なんだこりゃ……」
「カシウス・ブライト直々の依頼ですよ。今も説明したでしょう?」
「そうじゃねぇ…なんだこの内容は……」
 依頼書を見たまま、食い入るようにその文章を見る。そこには、こう書かれていた────。




 親愛なる我が弟子へ。グランセルへの任務、ご苦労。
 早速だが、本日よりこの依頼を行ってもらいたい。

 それはグランセルでの調査中、最終報告の前に必ずツァイス支部へと連絡を取るというものだ。
 大体お前が戻るのは夕暮れ時だろう。その頃に通信機(電話)を使い、ツァイス支部で待つティータに連絡をして、「今日も元気かどうか」を確認してほしい。
 これは、S級遊撃士カシウス・ブライトが与える重要任務だ。くれぐれも、毎日かかさず連絡するように。

 なお、報奨金は400ミラ。
 リベール通信を買ってもお釣りがくるぞ。無駄使いしないようにな。








「なんだこりゃぁぁぁーーー!!!」
 アガットはあまりの怒りで依頼書を真っ二つにした……。




「───あのね、あのね! アガットさん! カルバードに帰ったミーちゃんのね、写真が届いてね──」
 あれから4日、今日も耳元で嬉しそうに話すティータの声が届く。依頼だとはいえ、こうも嬉しそうに話すと”元気を確認”だけで済むわけがない。それにティータには負い目があるだけに邪険にも扱えない。
 …最初はそんな事ができるか、と拒否しようとしたが、エルナンにに挑発されて結局やることになった。4日目ともなれば、流石にもう諦めがついてくる。

 "これ"さえなければ…の話だが。

「あーら、アガット。今日も報告? 大変ねぇ〜。ティータちゃんに喜んで貰えたのかしらぁ?」
 なぜここにいるのか知らないが、《銀閃》と呼ばれる遊撃士シェラザードが毎日のようにアガットを笑いに来る。なぜかこの時間には必ず戻っており、毎回ちょっかい出してくる。あれは絶対に楽しんでいる顔だ。

 アガットは電話のしゃべり口から離れる事もできず、手でしっ! しっ!と追い払おうとする。

「はっはっはっ、まあまあ待ちたまえ、シェラ君。彼はあのように愛のいとなみみの真っ最中だ。我々は酒場で彼の前途を祝して乾杯かんぱいといこうじゃないか」
 この人をバカにした口調はオリビエとかいう男。こういうときのこの男は一番腹が立つ。それに───。

「テメェは遊撃士じゃあねぇくせに、出入りしてんじゃねぇーーーー!!」



「それでね、アガットさん。おじいちゃんが───」
 こんな事なら…、遊撃士なんかになるんじゃなかった……、などと本気で悩み始めるアガットであった。


 リベール王国は今日も平和である。





 おしまい


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