ティータ と アガット

D カルバードからの密輸品
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 ──夜明け前、薄い霧が立ち込めるトラット平原道は、なじみのエルモ村への道であると共に、カルバード共和国とツァイスをつなぐ街道でもある。意外に知られていないが、夜になるとカルバードにそびえる山脈から吹き降ろされる冷気が、もろに流れ込んでくる場所でもあるのだ。
 この辺りのカルデラ高地は比較的平地で遮蔽物しゃへいぶつも少ないため、風が流れ込みやすくなっている。だから、比較的に温暖なリベールでも、この場所に至っては、思いもよらないような身にしみる寒さを味わう事もある。夜ともなると、せめて外套がいとうくらいは欲しい。…そんな場所なのであった。

 もっとも、魔獣はびこる街道を夜に歩くなどという無茶をする者などいるはずもないのだが…。今日は一人、そういった劣悪な環境をすべて無視して道の真ん中を青年が歩いていた。アガットである。

 夜を徹しての情報収集を終えたアガットは、これまでに調べた結果と、その資料を頭で整頓しながらツァイス支部へと足を向けている。忍び寄る冷気にもかかわらず、夏と変わらない半袖という格好をしたアガットは、身震い一つするでもなく考えに没頭していた。

「いやなニオイがするな…」
 誰に言うでもなく彼はつぶやいた。その言葉はこの事件の厄介やっかいさを物語っているのである。

 アガットが調べているのは、先のクーデターで首謀者リシャールの手足として働いた「情報部特務隊」の足取りだった。あの事件はリシャールの逮捕という形で幕を閉じはしたが、依然、その多くの者は逃亡したままになっている。
 ナンバー2である腰巾着のカノーネはおろか、特務隊の多くのメンバー、そしてロランス少尉と名乗ったあの男も現在は行方知れずとなっているのだ。

 ──ロランス・ベルガー少尉。
 忘れもしないあの太刀筋、洗礼された動き、そして威圧感。あの時、あのルーアンの事件での夜の事はいまでも鮮明に覚えている。時間にしてほんの1分程度立ち会っただけだが、底知れない力を秘めた男だという事は隠し様も無い。なにより……気に食わないことをほざきやがった。それが腹立たしい。

 遊撃士としてはありまじき行為かもしれないが、アガットにとってロランス以外の小物には正直、興味が無かった。ハッキリ言えばどいつもこいつもザコばかり、大した手合いじゃない。今回、特務隊の足取りを追っているのも、もしかすればロランスにたどり着く道が開けるかもしれない、と考えての行動でもある。
 次こそは仕留める。彼と、彼の持つ心の傷がロランスを敵視して離さない。だからこそ今こうして、地道な作業をしているのだ。

 そして今、ようやく掴んだ情報があった───。たった一つの手がかり…。
 心労をつぎ込んで手に入れたものであったが、アガットはそれにキナくささを感じている。

 それはカルバードよりの商隊護衛をしているのが、特務兵の一人だという情報だった。なぜわざわざ今この時期に網を張っているリベールに戻り、商隊の護衛などという遊撃士のような仕事をしているのか?
 運ぶべき品があの謎のオーブメント《ゴスペル》のように重要な物で、それを運ぶための護衛という事だろうか? しかし商隊に化けるような目立つ手段はいくらなんでも間抜けすぎる。情報部の残党がそんな手を使うとは考えにくかった。
 しかし───、これまでかすかな痕跡こんせきさえ残さなかった特務兵の情報が流れてきた。…残念ながら、現状ではこれが故意によるものか、かく乱させるためのものかを見極める術はない。だが、これを逃す手は無いのも事実。ようやく掴んだ道は進むしかないのだ。

 考えているうちにツァイス市内へと到着したアガット。辺りに人影もなく、静かな眠りにつく街は、オーブメント灯だけが粛々しゅくしゅくと光を放ち彼を帰りをねぎらっていた。疲れた体を休めることが出来るという安堵も広がる。しかしこのままホテルに向かうわけにもいかない。遊撃士は仕事を行っている場合、可能な限り状況報告をする義務があるからだ。だからこんな遅い時間ではあっても、ツァイス支部では統括を任されたキリカが報告を待っているだろう。

「グラッツの野郎、まさか残っちゃいねぇだろうな…」
 今朝の事を思い出して苦笑いをする。今朝は自分らしくない程に熱くなっていた。言わなくていいことまで口にしてしまったのだとわかる。覚悟がどうとか、気合がどうとか…この俺が言えるような事じゃない。過ぎたセリフだったと今更ながらに思う。
 アガットは彼の、グラッツの遊撃士としての実力は認めている。ボース支部を支えるアネラス、スティングと共に有能な奴だ。無愛想な自分よりもよっぽどマトモな正遊撃士だろう。それがわかっているからこそ口に出す必要はなかった。
 その原因、そもそもなぜ熱くなったのかを思い出す。いや、本当は最初から気にかかっていた事がある。無理に思い出さないようにしていた。

 ティータの事──。

 わかっている。自分はあいつを……ティータを今は亡きミーシャと重ねようとしている。自分の心の弱さを埋めるためにティータを身代わりにしようとしているのだ……。
 本当はティータ自身ではなく、彼女をミーシャに仕立てて楽になりたいのかもしれない。過去を振り切ろうとしているのかもしれない。
 自分が逃れたいからティータを身代わりにして、あの子をあの子として見ていない。自分だけが現実から目を逸らして楽をしようと、幸せになれればいいと考えているんだろう。…勝手な奴だな俺は。卑怯な男だ……。

 そうしているうちに足が止まった。遊撃士協会ツァイス支部、その扉の前に彼は立っていた。
 受付にはキリカが待っていることだろう。今日はもう考えるのはやめだ。報告をしてさっさと休む。明日の仕事のためにも、体を休めることは遊撃士として当たり前の事だ。ティータの事はまた考えればいい。幸い……数日は顔を合わせることはないだろうから。
 アガットは気持ちを切り替えると、ノックもなしに扉を開けた。

「ア、アガットさん! 待ってたっス!」
 意外にも、彼を出迎えたのはキリカではなかった。見習遊撃士メルツ……たしかルーアン支部の奴だ。俺がシメるまではやりたい放題だった不良グループ《レイヴン》の圧力にも負けず、くそ忙しいルーアンでも元気にやっている新米。アガットとしては珍しく好意的な新人でもある。
 メルツが居るのは問題が無い。どうせ急ぎの用事でも抱えてやって来たのだろう。…しかしキリカが居ないというのはどういう事か? いつもなら何時であろうと必ず受付にいて遊撃士の報告を待っているはずなのだが…。

「大変なんス! グ、グラッツさんが大変なんスよ! 全身傷だらけで…誰かに襲われたらしいんっス!」
「なんだとっ!?」
「い、いまツァイス工房の医務室に…、キリカさんが付き添いで行ってるっス! 僕はアガットさんが戻ったら伝えるようにって言われて……」
「ちっ、お前はこのまま受付にいろ! 俺は医務室まで行ってくる!」
 アガットはメルツの返事を聞く前に駆け出した。

 襲われた? 襲われただと? そんな事になんの意味がある?!
 遊撃士を相手にケンカを売るリスクも考えずにかよ…。くそっ! 俺のダチに手をだしやがって…。










 ツァイス工房内にある医務室で静かに寝ているグラッツは傷だらけだった。顔といい、体といい、どこもかしこも切り傷がある。見た目は重傷どころか、死んでいてもおかしくない程に無数の傷をつけられている。…しかし、そういった外傷こそ多いものの、怪我自体はそれほどでもなく命に別状はなかったらしい。

「全てが刃物による傷か…。しかも全身無数の傷はあっても全部急所を外してやがる…」
 経験からいうと、傷はナイフなどの小剣などで付けられたもの。そしてこれだけ無数に傷を負わせておいて致命傷を負わせていない。失血死もさせていない。それだけを見ても襲撃者が相当な手練であるのは想像がつく。相手はグラッツをわざと殺さなかったと見て間違いない…。

 アガットが一通りの見解をまとめたのを見計らったかのように、隣に座っていたキリカが音も無く立ち上がった。そして専属の医師、ミリアム女医に会釈をする。
「ドクター。あとはお任せします。私達は一旦戻りますので」
「………ドクター。俺といい、こいつといい、いつも世話になりっぱなしだな。頼むぜ」
「ええ。こちらは心配しないで。明日には目を覚ますと思うから」
 彼女の笑顔が大丈夫だと告げている。治療においてのスペシャリストがいるのなら、素人が口を出す事もない。後は任せておいても大丈夫だろう。キリカとアガットは医務室を後にした。

 工房から出ると、先ほどよりも少しだけ温度が下がったような夜気がまとわりつく。不穏な空気が自分に絡みつくような、そんな感覚。言いようの無い不快感が心の奥底でくすぶっていた。

 その帰り道、オーブメント灯に照らされた大通りを静かに歩く二人。いつもと変わらぬ雰囲気で無言のまま先を歩くキリカに続きながら、アガットはグラッツを襲った賊について考えていた。
 そもそも……、わざわざ”グラッツ”を襲った理由がわからない。痛めつけるなら格下のメルツでも構わないはずだし、それ以外の関係者でも構わない。それに遊撃士に恨みがあるなら実力行使でなくともやりようはある。

 つまり賊はグラッツだから襲った、という事になる。

 アガットはグラッツ達がグランアリーナで負けた理由を、不動のジンとオリビエとかいう妙な男がいたからだと考えている。A級遊撃士ジン・ヴァセックの実力は正直計り知れないし、あのオリビエとかいう奴も飄々ひょうひょうとしているだけの奴ではないと考えている。……そうでなくてはエステル達のような新米が勝てるわけが無い。そう言わせるだけの実力がグラッツにはあるのだ。

 だとしたら、……賊はグラッツを完膚かんぷなきまで叩きのめす事で、挑発か、もしくは警告をしていると見るべきだろう。わざわざツァイス支部で事件を起こすとなれば、考えられるのはやはり……俺が調査している特務隊の件か…。
 しかし、確証は無い。グラッツの証言が取れていない以上、現段階では全て憶測の域をでない。ここから先は明日、あいつが目を覚ましてからだな。

 アガットが自分なりの推理をまとめた頃だろうか、タイミングを計ったようにキリカが立ち止まる。
 振り向いた彼女をみてアガットは息を呑んだ。暗闇の中においてなお輝くその漆黒の髪は、艶やかさと冷たさを兼ね備え、その表情は燐とした、揺るぎない意思を携えていた。さながら闇の女神そのものである。
 アガットのような猛者ですら逆らうことの許されない、その物言わぬ迫力。そしてその奥底に何かとてつもなく強固な決意が読み取れた。
 いいかげん付き合いも長い。こういう時の彼女が何を考えているのか手にとるようにわかる。……キリカは怒っている。身内に手を出された事に静かな怒りを蓄えている。正直、アガットですら首の後ろがゾクゾクとするような怖さを感じていた。彼女を怒らせるとタダでは済まないのだ。

「アガット、今朝ティータと言い合いをしていた時に白いネコを見かけたかしら?」
「…白いネコ? い、いや…。わからねぇな…」
「そう…」
「白ネコがどうかしたのか? グラッツの件とどういう関係が…」
「これを見て頂戴。グラッツが発見されたときに落ちていたものよ」

 手渡されたのは一枚の紙。折りたたまれた手紙のようだった。そこに書かれていたのは───。










 とある場所で、2人の男が言い争いをしていた。一人は恰幅かっぷくがよく、装飾品をジャラジャラとつけたヒゲの男。もう一人は長身の、ほおの肉が削げたようなせた男。白い肌着のような服と、要所だけの皮鎧を身に付けている。
 恰幅かっぷくのよい男は顔を真っ赤にし、ツバを飛ばして言い寄る。
「ボナパルド! 貴様どういう事なんだ!? なぜ人攫ひとさらいなどしてきた!? これでは遊撃士どころか、王国警備隊にまで目をつけられてしまうではないかっ!」
「落ち着いてくださいオーナー。これも計画のうちです。例の品を取り戻す最善を尽くしたまでの事。なにも心配する事はないのですよ」
「馬鹿を言うな! 我々は密輸をしているのだぞ? あんな金にもならんガキ1匹を誘拐して足がつくような事にでもなれば、私は大損どころか身の破滅だ!」
 恰幅のいい男は怒りをあらわにし、痩身の男へと食いつかんばかりである。しかし、ボナパルドと呼ばれたその男は、そんな怒りを気にすることもなく、短剣の手入れを続けていた。

「貴様…! なんとか言ったらどうだ!? 高い金を払ってやっているのに勝手な事をっ!」
 そんな自分を無視した態度が我慢ならないのか、オーナーと呼ばれた男がボナパルドへとさらに唾を飛ばす。ボナパルドは手入れの終わった短剣を見つめて口の端を吊り上げると、静かに言った。

「元はと言えば…。貴方が紛失したあのホワイトタイガーの子供を取り戻すための作戦です。情報によれば今ホワイトタイガーは厄介にも遊撃士協会に保護されている。ならば取り戻しに行くなどという無謀を冒すよりも、交換条件での取り引きをした方がよろしいでしょう」
「ぐぬっ! ま、まあそうだが…。だとしても、保障はあるまい! 失敗したらどうするのだお前のせいなのだぞ!?」
「お忘れですか? 私の実力を。戦闘能力においてはA級遊撃士でさえ私には太刀打ちできないという事を。先ほども手練を一人倒したではないですか。一つ一つ傷の場所まで予告して、その通りいたぶってみせたでしょう。あの程度は造作も無い事なのですよ」
 ボナパルドは目だけをオーナーへと向けるだけで、なんでもない事のように言う。そして手入れを終えたナイフをしまうと、また次のナイフを磨きだした。

「交換条件のついでに追手も片付けてみせましょう。そうすれば娘を解放して証拠を残す必要もなくなります」
「なっ! そのまま娘を連れて行くというのか!?」
「左様です。殺して証拠隠滅すれば禍根かこんが強く残ります。我々が向かうエレボニアの貴族には、幼女を金で買う趣味の者もおりましょう。そういった金持ちの権力で包み隠すほうが安全というものです。我々は隠されている間に逃げればよい」

 ボナパルドはそこで区切ると、松明たいまつの炎にナイフを照らし、その輝きに目を細めて薄く笑った。
「…いわばこれは”仕入れ”とお考えください。例のホワイトタイガーと共に売りさばけば、さらなる利益を得られるでしょう」
「仕入れ……だと? も、もうかるというのか?」
「はい。…今後、警戒は多少厳しくなるでしょうが、リベールは先のクーデターで混乱しております。追手は容易たやすけるでしょう。我々がリベールを抜ける穴などいくらでもあります。このボナパルドにお任せください」
「そ、そうか。ならば仕方が無い。金になるというのなら今回は大目にみよう。しかし今後の勝手は許さんぞ! 金の分だけきっちり働けばそれでいい!」
「承知しております」
 オーナーはブツブツと文句をいいながらも自分のテントへと戻っていった。ボナパルドは笑顔でその背中を見送り、そして短剣へと目を移す。

 ───馬鹿な男ですね。金にさえなれば何でもいいと考えている。まあ、おかげ利用しやすいというもの。彼にはもう少しだけ付き合っていただきましょう。
 ここまでは彼の、ボナパルドの計画通りだった。いや、むしろ幸運が舞い込んできたと言ってもいい。

 当初の計画では、ホワイトタイガーの密輸でのみアガットを釣ろうと考えていた。そこに情報部残党という情報を流せばアガット・クロスナーが食いついてくる。そう考えていた。しかし、アガット本人が来るかどうかは疑問であった。ツァイス支部にはもう一人、グンドルフという手練がいる。そちらが来る可能性も捨て切れなかったのだ。
 しかしティータ・ラッセルという決定的なおとりを手に入れた。これで彼が来ることは確実。あの遊撃士を警告代わりに使い、ホワイトタイガーとティータ・ラッセルの交換条件を書き記した紙を添えておいた。それにアガットを呼び寄せるために、わざわざ同僚をなぶってやったのだ。

 求めている情報部の手がかり、親しい娘の誘拐、同僚の襲撃…。これで彼が動かない理由は無い。どんな理由があろうとも一人でやってくるだろう。
 こうすれば彼が動く事をボナパルドは知っていた。伊達に元情報部であったわけではないのだ。心理戦ならば遊撃士以上に心得ている。…それにボナパルドには、アガットを必要以上に知っておかなければならない理由があったのだ。

 ナイフを炎に掲げ、その輝きをまるで宝石を見るかのようにうっとりとする。
 全ては当初の計画以上に順調に進んでいる。私はツイているのだろうか? いや、これこそあの方への愛が成せる技なのだろう。
 ああ、私の愛するロランス・ベルガー様。心から愛するロランス少尉…。

 貴方は酷い人だ。私の実力をを評価してくれなかったにも関わらず、なぜあの男、アガット・クロスナーを評価したというのですか? 私が貴方様のあの圧倒的な力に近づこうと努力し、特務隊のbQにまでなったというのに、貴方様と対峙したというだけのアガット・クロスナーを評価するとはどういう事なのですか?
 許せない! 許す事はできない! これが許せるというのでしょうか!?

 ───しかし私は、そのアガットを殺すことで私は貴方に近づくことが出来る。もっと近くに貴方を感じることが出来るでしょう。そう、これは計画通りなのです。

 愛は普遍ふへんという事です。
 愛は力という事なのでしょうか?
 愛は全てを乗り越えられるという結論に達しました。

 さあ、来なさいアガット・クロスナー君。私は今まさに愛を得ました。貴方を切り刻み、その暖かい血を全身に浴びて、今よりもさらにロランス様の愛を感じるとしましょう!







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