ティータ と アガット

C 獣の目
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 何事もなかったかのように遊撃士協会支部へと入ってくるアガット。グラッツは何も言わず、カウンターへと向かう彼を見送った。
「例の件、グンドルフからの情報は届いたのか?」
 アガットは仕事をする真剣な眼差しで、カウンターにいるキリカへと話し掛ける。
 いままでグラッツの隣にいたはずのキリカは、いつの間にかカウンターで仕事をしていた。そして、先ほどのアガットに対して何かをいう事もなく、いつもの通り冷静なままで資料を手渡す。
 無言のままそれに目を通すアガットへ、キリカは付け加えるように語りはじめた。


「グンドルフからの定時連絡は、昨日の夕方に伝書鳩で届けられたものが一通のみ。それがその資料よ。この一週間にツァイスを訪れたカルバード共和国から商隊は4件、それらについての詳細が書かれているわ」
「……ああ、さすがグンドルフだな。この短時間でこれだけ調べられるとは………ん? この最後のは?」
「ええ。彼は今朝、この時間に一旦戻ってくるという予定だったのだけれど、少し遅れるそうよ。冷静な彼にしては珍しい事ね。何か掴んだのかもしれないわ」

 アガットは少し難しい顔をし、資料をキリカへと戻した。
「この資料は持っていって構わないわ。現場での確認も必要でしょう」
「いや、俺は別方面からあたってみる。あれだけ密輸が難しい品だ。飛行船が使えないとはいえ、商隊だけにまぎれているとは限らないからな」
「そう。なら気をつけていきなさい。定時連絡は忘れずに」
「ああ……」

 なんだ? この雰囲気は。
 なんだよ、なんでこんなに淡々と、何もなかったみたいに仕事してるんだ?

 グラッツにはアガットのその姿が信じられなかった。なぜティータをああまで泣かせておいて、こんなに普通でいられるんだろうか? もう少しすまなそうな顔をしていたっていいのではないか?
 それにキリカもそうだ。アガットが薄情なのは仕方がないにしても、少しはとがめるとか、そうでなくとも何か言ってもいいのではないか?


 それなのに。

 カウンターからこちらへ、出口へと来るアガットの前に立ちふさがるグラッツ。アガットは何も言わず、目の前に立つグラッツを見やる。
 言わなければならない事があった。
 どうしても一言いわねば気がすまなかったのだ。

「待てよ。お前、あんまりじゃないか? いくら民間人だからって、ティータは好意で言ってくれたんだぞ? それをあんなに邪険にするなんて、やりすぎだ」
 アガットはグラッツから向けられる瞳を真正面から受け、二人の間に緊迫した空気が流れる……。

 少しの沈黙とにらみ合いの末、ようやく口を開いたのはアガットだった。

「……お前、そんなんだからジン・ヴァセックどころか、見習い遊撃士にまで負けちまうんだよ」
「な、なんだと!?」
 その言葉にうろたえる。そう言われて思い当たることは、一つしかない。
 彼、グラッツが王都グランセルで開催された武術大会に出場した際、『不動のジン』と異名されるA級遊撃士と、その仲間である見習い遊撃士エステル、ヨシュアとの混成チームに手も足も出ずに倒された事を、アガットは唐突に持ち出してきたのだ。

「くっ……、確かに俺は勝てなかった。ああそうさ、エステルやヨシュアにさえ遅れを取ったさ! だからって、今はそんな話をしているんじゃない! 俺は──」
「俺たち遊撃士は民間人を巻き込むような仕事はしない。その危険があれば遠ざける。俺は当然の処置をしたつもりだ」
「仕事に関わるわけじゃない! 彼女が、ティータが言ったのは…」
「それが甘いっていうんだ。必ず関わらないとなぜ言える? お前に足りないのは遊撃士としてのプロ意識だ。それが欠けていれば、いつか危険が舞い込む」

「そうならないために俺たち遊撃士がっ!」
「だからお前は試合に負けた。遊撃士の信念が足りない奴は何にも打ち勝てはしない。何も守れない。……あとで悔やんでも何も戻りはしない」
「な…なん──」
「お前には、遊撃士の資格はない」
「……っ!」
 その瞬間、グラッツの中で堪えていたモノが一気に噴出した!
 右腕に集中した怒りは、溜め込んだ不満といきどおりが拳となってアガットの顔面へと放たれる。

 ───が、……拳は何かにつかまれたかと思うと、そこでグラッツの視界がぐるり、と回った。

「うわっ……!」
 そしてほんの一瞬後、ドサリという音と共に衝撃が背中に響き渡る。息が詰まる感覚と一瞬の出来事に困惑したグラッツには、何が起きたのかさえ判断つかなかった。

 多分、放ったはずの拳を掴まれ、腕一本で回転させられて倒された……んだと思う。まだ何事かを正確に把握はあくできない彼の視点が最初に捕らえたのは…。

「キリカ……さん……。」
「そこまでよ、グラッツ。頭を冷やしなさい。」
「は、はい…・」
 まだ、困惑する頭でふらりと立ち上がりながら考える。自分は何をしたのだろうか?

「俺はもう行く。グンドルフからの連絡があるかもしれないからな。夕刻には戻る」
 アガットはそのまま、グラッツ達の横をすり抜けて出て行った。静かな部屋に響いたのは、足音と背中の重剣が奏でる無機質な金属音。グラッツはその背中を見て、やっと自分が冷静になっていくのを感じていた。


「あの……キリカさん。俺──」
 挑発されたかもしれない。だが、仲間に手を出すなんて遊撃士のすることじゃない。しかも2回も、だ。どちらもキリカに止められて、今は投げ飛ばされなければ済まないほど頭に血が上ってしまっていた…。
 俺のしたことは、遊撃士にとってあるまじき行為だった。

「グラッツ、遊撃士ツァイス支部を預かる責任者として、あなたに指示を与えます。」
「あ、はい!」
 キリカが遊撃士に任務を伝える時と同じ口上だ。急いで立ち上がったグラッツは、直立して彼女の言葉を待つ。

「本日はあなたに休暇を与えます。本日はいかなる職務にも係らず、仕事の一切を忘れる事、いいわね?」
 キリカはそれだけを言うと、彼の返答も聞かずにカウンターへと戻ろうとする。その内容が把握できずにいたグラッツは、ハッとしてすぐに反論を上げた。
「ちょ……ちょっと待ってください! キリカさん、この忙しい時に休暇なんて言ってる程───」
「決定事項よ。今日はもう引き上げなさい」
「は……、はい…」
 どう見ても、今回はグラッツに非がある。
 どんな理由があれ、仲間に手を出した事は事実だ。今の俺に遊撃士として仕事をさせるわけにはいかない。きっと、そういう事なんだろう。つまり謹慎きんしん処分、ということだ。

 だけど、それでも……
 アガットがとった行動を、ティータの気持ちを踏みにじった事を許す事はできない。

 遊撃士の仕事は、単純な戦闘兵ではないはずだ。民間との間に立って、民間との協力で働いている仕事のはずだ。アガットの機嫌が悪かったからといって、あんなに酷い言い方をしていいはずがない。

 だが、

 思い出してみれば、最初にアガットが王都へ行く事を吹き込んだのは誰でもなく俺だ。起こさなくてもいい失敗をして、しかもティータとアガットの関係さえも崩してしまった。

 結局ぜんぶ俺が悪いんじゃないか! あーもう! 何やってんだ。俺は──。
 何から何まで裏目に出てしまい、混乱した頭をわしゃわしゃと掻きむしるグラッツ。どうする? どうしたらいい? あーもう! わけわかんねぇ!

「これは独り言だけれど…」
 グラッツが自分から深みにまっていこうとするその時、キリカがこちらを見ずに言った。
「ティータはたぶんエルモ村に向かうでしょう。しかし先日も危ない目に遭ったばかり。少し心配ね。手の開いている人でもいればいいのだけれど…」
「あ………」
 そうだ! 俺はなに悩んでいるんだ? 真っ先にそれじゃないか!
 キリカの露骨ろこつなつぶやき。その彼女らしい救いの手が、グラッツにはなにか嬉しかった。

「了解しました! ツァイス支部一時所属、遊撃士グラッツ! これより休暇に入ります!」
 そう復唱すると同時に遊撃士支部を飛び出す。ティータの足ならまだ追いつくはずだ。俺が起こしてしまった失敗を俺がフォローするのは当然。それにアガットだって、もっと話せばわかってくれるはずだ。

 何も解決してはいないけれど、行動しなければ何も解決しない。地道な努力が実を結ぶのは、遊撃士の仕事も同じ事だ。待っていても、悩んでいても結果はでない。だからいまは行動あるのみ!
 ・・・心の中でそうつぶやき、足を速めるグラッツ。しかし同時にこうも思う。この任務はこれまでで一番、解決が難しいかもしれないな……と。













 このツァイスに隣接する観光都市『ルーアン』からやってきた見習い遊撃士メルツが、ツァイス支部に到着したのはちょうどそれから30分後の事だった。

 彼は今、支部の入り口で丸くなって寝ている、とある2つの物体を見て悩んでいる真っ最中である。
「ぼ、僕はどうしたらいいっスか…?」
 手前に開ける扉を開くには、この寝ている物体をどかさなければならない。しかしこのように気持ち良さそうにしているのを見ると、どうしても手が出せないのであった。
 そこに居たのは赤毛と白の2匹の猫。一緒に丸くなっている姿は微笑ましい限りである。このように仲むつまじく寝ているなら、なおさら邪魔をするのは気が引ける。

「………でも、入れないっス」
 メルツの任務は、この封書をツァイス支部の受付に手渡す事。渡さなければ自分も帰れない。観光シーズンが終わったとはいえ、ルーアンも人手不足なのだ。第一、遅くなったらカルナ先輩に何を言われることか……。

 そしてまた悩む。どうやってもここしか入り口がないからだ。
 猫達を起こすしかないのか?

 猫も民間人みたいなものだから、遊撃士としては安眠を妨害するのは気が進まない。……というか、どんな理由を付けたって自分には退かす事などできないだろう。
 こんなとき、正遊撃士ならどうするのだろうか? 説得するのだろうか? 力に訴えるのだろうか? …ううう、自分にはできない。こんな可愛い相手にそんな真似できるはずがない。それが出来ない自分はいつでも見習いって事っスか? これをどかして入らなきゃ遊撃士失格っスか?

ガチャ…
「早くお入りなさい。何をやって──」
「わわ! キリカさん! 開けちゃだめッス!」
 どう察知したのか、メルツが扉の前でもたついているのをキリカが扉を開ける。が、なにかに当たって、それ以上開かなくなった。
 キリカは不審に思い、彼も向ける視点の先、その足元の物体へと視線を落とす。
「ふにゃぁぁ〜〜」
 いきなり背中を打ち付けられた赤毛の猫は不機嫌な声を上げた。キリカは少し微笑んで言う。
「なるほど。こんな所で寝ていたなんて……」
「すまないっス! 僕が見習いなばかりに起こしてしまったっス〜」
 メルツは自信の力不足になげき、キリカはそんなメルツを生暖かい目で見守った。

「アントワーヌ、そこは通り道よ。おどきなさい」
「にゃうん」
 アントワーヌと呼ばれた猫は不服そうにまた声をあげ、半目を開けながらキリカに抗議の視線を送っているが、だからといって動こうとはしない。まだ寝かせろ、と言わんばかりである。よほどお気に入りな場所なのだろう。
「へぇ、その赤毛はアントワーヌっていうんスか。かわいい猫っス〜。もう一匹はなんて言うんスか?」
 メルツの問いかけに、もう一匹の子猫へと視線を移す。アントワーヌよりふた周りほど小さな白い子猫だ。
「…初めて見る猫ね。どこから迷い込んできたのかしら」
 そのまま、まだ熟睡している白い子猫を抱き上げた。ふわふわの白毛が全身を覆っている、シミ一つないキレイな毛並み。そしてあどけない寝顔はとても可愛らしい。

「ミー ミー」
 こちらもノンキな声で鳴く。アントワーヌと同じく、まだ眠たそうにしていた。
「首輪がついてるッスね」
 メルツのそれを聞くまでもなく、キリカは首輪についたプレートを見た。そこには……
 『ミー』という名前は刻まれている。そしてプレートの裏には住所もあった。
 ……これはティータの自宅である、ラッセル博士の住所だ。いつから猫を飼い始めたのだろうか?

 まだまどろんでいる、眠たそうな目を開けた白猫のミーが、キリカを見る……。そこでキリカはハッとした表情を浮かべた。
「この瞳…」
「いやぁ〜、やっぱり子猫って、かわいいっス〜」

 メルツのほんわかな気分をよそに、キリカだけが真剣な顔つきでミーを見つめているのであった。












 ティータは駆けていた。
 そこがどこかもわからず、どこへ向かっているのかさえもわからない。
 ただ悲しくて、ただ辛くて、寂しかった。

 自分は迷惑だったのだ。アガットさんにとって自分は迷惑な存在だったのである。
 ただ普通に話かけること、そばに居ること、笑いあうこと、同じ場所にいること。
 それらは全て自分だけが好んでいただけで、彼にとっては不必要であったのである。

 ティータは皆に好かれていた。大人に混じってオーブメント技術の開発に力を注いでいた。町を歩けば皆が応援してくれたし、おじいちゃんも優しくしてくれる。

 けれど、やはり彼女は孤独だったのだ。
 研究施設には同年代の友人などいるわけもなく、ティータが幼いころ仕事に出たきりの両親は戻ることもない。祖父のラッセル博士と二人だけの生活。ずっと続いていたその生活が不満だったわけではない。しかし、兄弟もいない自分にとっては、アガットはいつしか心の支えになっていた。

 自分をしかってくれた、自分を励ましてくれた、そして自分を守ってくれた人。それがアガットだったのである。
 もちろん、姉と兄と言ってくれたエステルやヨシュアも大好きだ。大好きだけれど、アガットに対する想いは、それとは少し違っていた。
 言葉は優しくないかもしれない。だけど、常に自分を見ていてくれる、そんな心地さが伝わってくる。感じるのは大きな信頼と安心できる気持ち。兄のように頼れる人。それを一番を感じるのである。

 だけど、それは自分だけが抱いていた願望でしかなかった。
 自分だけが浮かれて、自分だけが気が付かなかった。

 ごめんなさい。アガットさん、迷惑かけてごめんなさい……。


 ───気がつくとティータは草原の真中に立っていた。
 たしかエルモ村の方角に走ったような気がするのだけれど……、それもあまり覚えていない。
 もちろん、ここはエルモ村とツァイスの間だろうけれど、いまどの位置にいるのかさえ、わからなかった。

「あ、ミーちゃん、置いてきちゃった……」
 草原を見て思い出す。昨日拾った白いくて可愛い子猫。遊撃士協会まで自分の後ろをチョコチョコ着いてきたまでは覚えているんだけれど……。迷子になってないかな? 寂しくて鳴いているんじゃないかと心配にもなってくる。

 だけど今は戻れない。戻りたくない。
 いまアガットさんに会ったら何を言えばいいのか? 泣かずにいられるだろうか?

 ミーちゃんなら、きっとキリカさんが見つけてくれている・・・、そう思いたかった。
 だめな飼い主さんだね。ごめんね、ミーちゃん──。

「失礼、お嬢さん」
 不意に声をかけられた。その声は、自分の思い悩む心を現実へと引き戻す。
 うつむいた顔を上げると、そこには長身の、せた男が立っていた。ほおの肉が削げたような痩せた男。白い張り付くような肌着と、肩と胸、そして腰に白の革鎧のようなものを着けた人。これまで見たことがない、覚えもない人だった。

「あの……なにか御用でしょうか?」
 ティータの返事に満足した様子の男は、笑顔を浮かべながら話し掛けてきた。
「申し訳ございません。私はボナパルド、という者です。…実は二点ほど気になったものですからお声をお掛けしたのです」
「あ、はい。なんでしょうか?」
 まだ気持ちを切り替えられないままで、とりあえずの返答をする。
「一つ目ですが…、なにをそんなに泣かれているのか…と」
 ティータはハッとして、目じりに溜まった涙を払った。いきなり話し掛けられるとは思ってもなかったし、誰かが見ていたなんて考えもしなかった。急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「す、すいません。これはその……なんでもないんです」
 慌てて返答するが、男は不審な顔をするでもなく、にこやかに、そうですか、と答えた。

「それと、もう一つ気になった点があるのですよ」
「はい……?」
 おかしな聞き方をする人だ。そう思いながらも返答するティータ。
「実はですね、先ほどから7匹の装攻ウサギが貴方を狙っているのです。私としてはどうしたものか、と悩んでいたところでして……」
「えっ!」
 周囲を見回すと、何匹もの装攻ウサギが臨戦体制で牙をむき出している。昨日襲われたばかりで、どうして気が付かなかったんだろう? しかも今は導力砲さえ手にしていない。

「あ………」
 うかつだった。なんでそんな事にさえ気がつかなかったのだろうか?
 ティ−タが額に汗を浮かべ、その状況に怯えていると、男が変わらない口調で言い出す。
「私も悩んでいるのですよ。私は貴方を助ける義理はない。しかし義務はあるのです。少しぐらい食われても生きているなら放っておきますが、人間はもろいですからね。ショックか失血、どちらかでも死んでしまいます。それでは義務は果たせない…」
 おかしい。いやなな感じがする。この男が言う事はどこか変わっていた。

「私の希望を伝えましょう。まずは障害であるウサギを排除。その後は依頼通り貴方を拉致らちします。それでよろしいでしょうか?」
「…何を……」
「結構。ではそのようなプランで進めましょう」
 ティータの返答を聞くまでもない。男がそう言った途端とたん、装攻ウサギが牙をいて襲ってくる! しかし男はうすら笑いを浮かべて両手を交差させた。

嗚呼ああ、可哀想なウサギ達。生まれながらにして殺される事が決まっているあわれな肉の塊。光栄に思いなさい。この私の手で死ねる事を!」
 その瞬間、男の腕が大きく開かれた! それと同時に、全ての装攻ウサギに鋭利えいりなナイフが何本も突き刺さる! 周囲を囲んでいたはずのウサギ達は、その一瞬で串刺くしざしにされていたのだった。
 断末魔をあげる間も与えられず、急所を貫かれて命を消していく魔獣達。それはあまりにも酷い光景……。

 ティータは声も出せずにその光景を見ていた。
 ───自分が見たことがある人は、みんなすごい人達ばかりだった。王都でのクーデター阻止のため、主犯リシャール大佐を追った時に、仲間達の様々な技を見た事がある。
 しかしそれのどれも、このような残虐ざんぎゃくな技はなかった。全ての装攻ウサギには、それぞれ3本以上のナイフが突き刺さっており、そのどれもが目玉やのどを貫通していたのだ。いくら人間を襲う魔獣だからって、これは酷すぎる…。

 ちょうどその時だった。…1匹だけ、その難を逃れた装攻ウサギが居た。それは子どもらしき装攻ウサギ。母ウサギの体の下から這い出てきた、唯一の生き残りだった。

「うん? んんんんんっ!!?」
 男が驚きの声を上げる。過剰なまでに目を見開き、信じられないといった表情を作り出す。

「逃した? この私が逃した? 逃してしまっただとぉ! 全て殺せる予定だったのに! 殺したつもりだったのに! 殺したはずなのにぃーー!!!」
 男の絶叫が響く。ティータはその異様さに状況を見守ることもままならない。足が動かず、ぐらぐらと揺らぐ。

「なんという罪! なんという罪を犯したのだ!! なんという罪を背負ってしまったのだ! やはり私は貴方様に届かないのか!? 愛する貴方様に届かない? 届かないのですか!?」
 その声と共に、子供の装攻ウサギにナイフが突き刺さる! 1本、2本と、その小さな体を容赦なく攻め立てた。
「死にませんか!? まだ死なないのですね? 死なないのはなぜですか!?」
 それでもまだ攻撃は終わらない! もうとっくに絶命しているのに、それでも執拗しつようにナイフを投げつける。

「ひっ…!」
 狂っている。死んでいる子供の装攻ウサギに対して、針山のようにナイフを刺しても、それでもまだ投げつける。ナイフの刺さる場所さえなく、他のナイフに当たってナイフが弾かれてもまだ投げつけている。
「死んだ? 死にましたね? 死んだといえますね? ……ふぅ。第一プランは達成しました」
 男が嬉しそうに投擲とうてきをやめる。もう肉片と化した子供の装攻ウサギはナイフの山で埋もれているだけだった。

 肩で息をする男。まるで悪夢のようなその有様に、ティータは恐怖を感じていた。この狂った男の持つ底知れない闇。たとえようもない異常さを身をもって感じ取る。

「───さて、お嬢さん。お待たせしましたね。第二プランを開始してもよろしいですか?」
 男がティータへと振り向く。人を襲う獣のような目がギョロリと向く。それは最初と同じ笑み。いや、どこかすっきりとした顔つきでティータを見下ろす。
 それがティータの限界だった。その異様さを受け止めていられるほど、今の彼女は気丈でなかったのだ。
「アガットさん……助けて…」
 遠のいていく意識のふちで呼んだ名前。それすらも今は、はるか遠くにあるのだと、ティータは感じた。

「結構…。では依頼通り撤収てっしゅういたします……。待っていますよ、アガット・クロスナー君…」






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